好きな歌だけど、もう40年以上人前では歌ったことがない。
この歌を初めて聴いたのは、小学生の頃、キリスト教の集会の時であった。幼稚園の一室を借りて、そこで聖書を読み合った。その後、賛美歌を歌うのだが、私ら子供たちは、単調な讃美歌にはすぐ飽きてしまう。
そこでシスター役の女子大生のお姉さんが、いろんな曲をオルガンで弾いてくれた。そのなかの一曲が「学生時代」であった。その歌い手がペギー葉山であったことを知ったのは、何時頃なのかは定かではない。
私は子供の頃は、ボーイソプラノであったので、この歌は歌うのが難しかったことは、良く覚えている。低い音程が出なかったし、高い音程で歌うと雰囲気が変わってしまうからだ。
だから、人前で歌うことは、ほとんどなかったと思う。それでも好きな歌であった。あの頃、私はイエス様に祈りを捧げることに、ある種の自虐めいた喜びを感じていたからだ。
「イエス様、今日は前をチンタラ歩いていたTの奴の尻を、後ろから思いっ切り蹴っ飛ばしました。ゴメンナサイ」
「イエス様、昨日、Sの奴に消しゴムを隠されたので、仕返しに今日、Sの筆箱をゴミ箱に突っ込みました。ゴメンナサイ」
神様に詫びを入れているのだから、先生が叱ろうが、クラスでつるし上げられようが、私は気にしなかった。やられたから、やり返して何が悪い。でも、悪いことは悪いのだから、神様にだけは謝っちゃえ。
そんな自分勝手な理屈で、自分の悪さを誤魔化していたので、この歌の「蔦の絡まるチャペルで、祈りを捧げた日~♪」は脳裏に刻まれていた。気に入っていた曲ではあったが、歌詞全体としては気恥ずかしさが先立ち、人前で歌う気になれなかったのも確かだ。だから、カラオケでも歌ったことはない。
内心、ひねくれた自分には似合わない曲だと感じていたのが最大の理由だと思う。でも、良い曲だよね。歌い手のペギー葉山さんが先週亡くなったとの報道を読み、少し寂しい気持ちになった。今度、機会があったら、歌ってみようかなぁ。
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>"倍賞千恵子/学生時代"
>"学生時代 森 昌子 Mori Masako"
>"学生時代"
ヌマンタさんボーイソプラノだったんだ。私は聖歌隊でテノールでした(笑)
それで清らかな歌だし、教会時代のお話なのので、「あ、いつもの悪童日記じゃないんだ…」
そう心を入れ替えて読んでいると、やはりと言うか期待を裏切らない悪童でした(笑)
確かに主に報告して赦しを乞うたのだから…て理屈はありましたねぇ。
私らには告悔というシステムがありまして、神父様に悪事を告げると、それは親にですら守秘してくれるのですが後が浮「。
日曜学会での奉仕やら御祈りやらをテンコ盛りにされる。母も信者でしたので、先制攻撃で日曜学校の反省会で告白する手もある。言ってしまえば親も後から文句はつけられない。
しかし反省文の提出が待ってる。
そこで私も主に「個人的に懺悔」するようになりました(笑)
しかし…大学生がある種のエリートであった時代(団塊世代の進学率は10%弱)の歌ですかね?
歌ってる地域活動の先生たちは、教員になる前は
学生運動の闘志で、ノートとインクの匂いよりも
催涙ガスと火炎ビンのガソリンの臭い(カーツ大佐かあんたは?)なんですけどねぇ。
歌われた時代背景からすると、こんなに清らかな落ち着いた時代ではなかったような…
私もこの歌に実は憧れた事があって(笑)、18になったら大学で勉強とスメ[ツと恋愛しようと思ってましたが、
19で思い出すと、小銃を担ぎ隊伍を組んで、なぜか青い珊瑚礁をがなってました(爆)
大学のイメージはこの歌と小松左京の「継ぐのは誰か」の知的なキャンパスでしたが、私は借金の肩替りに参加した三里塚で、第2機動隊に蹴散らされて逃げる思い出や、海外で野犬に襲われたり、お腹を空かせてトラックの荷台で揺られている思い出ばかりです。
まぁ、だからこそ少女マンガをこっそり読む気分で、ときどき聴いていたのですけどね。
理想と現実はギャップがあるなぁ。
良かった。
でもニシタツさんか…私的には
ヌマンタさん=天邪鬼な大人
ニシタツさん=硬派の偏窟
なので、ボトムズならともかく貴兄がプレゼントしてくれるとは想ってもいませんでした。
テニスコート?
こっちゃぁ有棘鉄線、キャンプファイアー?
俺は深く掘った堰堤(塹壕)の底に穴を掘って、蝋燭の灯しで携行食を暖めているのに?
それでも一人で歩哨に立つと口ずさむうたなの でした。大学では忘れてました。
人は自分が苦しいと逆に見える何かにすがるのかも知れませんね。
一人カラオケをやる機会があったら試してみるかな。
ただ、自分には不向きでも、憧れたり、強い関心を持ったりするのは、ないものねだりなのでしょうか。