野性動物はペットじゃない。
ところが、野生動物の映像やヌイグルミなどのせいか、「可愛い」とか「人との共生」などと言い出す人がけっこう居る。
勘違いも甚だしい。はっきり書くが、人と野生動物は敵対関係であることが正しい。地球上、寒冷地から熱帯まで貪欲に生息地を広げてきたのが人間であり、その人間の侵略により生息地を狭められてきたのが野生動物である。
両者が敵対関係にあることは明白である。が、同時に環境を維持する上で、野生動物は必要な存在であり、絶滅に追い込むことは適切ではない。多種多様な生物の存在が、地球の環境を維持してる。
野性生物と人間との適切な共生とは、両者が可能な限り混じり合わないことだと私は思う。
だからこそ、近年熊が人里に降りてくるニュースが増えていることが気鰍ゥりであった。私は戦後の建材確保のための植林政策が、熊が暮らしにくい山林を作ってしまい、食べるために人里へ降りてきているのだと理解していた。
どうやら、少し違うらしい。
動物学者や営林署などの報告によると、山に熊の食糧であるドングリなどが豊富な年でもクマは人里へ降りてきていること。クマ、とりわけツキノワグマは増加傾向にあり、むしろ縄張り争いに負けたクマが人里に現れていること。
そして里山や河川の刈払いがされていないがゆえに、雑草の茂みを通り道にして人里に降りている。そして、人里で人間の出す残飯の味を覚えたクマは、むしろ残飯を好み、積極的に食べること。
高度成長時代、ツキノワグマは絶滅を心配されるほど減少が顕著であった。しかし、山地の過疎化が進み、里山が荒廃し雑草の刈払いがされなくなり、熊の生息域が拡がっていることが調査の結果分かってきた。
ちなみに里山や河川の茂みがしっかりと刈り払いされていると、自身の姿が露呈することを嫌いクマは山から出て来なくなる。しかし、高齢化が進んだ山地の過疎地では、その人手が足りない。
これまで人が奪ってきた山地の縄張りを、今度はクマが取りかえしに来ているのが実情であるようだ。
対策としては、まず里山や河川の藪の刈払いを定期的にすること。もう一つ、狩猟者を増やすことだ。日本では銃器の保持が厳しく制約され、これは締め付けられる一方で、従来の狩猟者の高齢化が進み、その結果人を浮黷ネいクマが増加している。
警察は銃器の保有者を減らすことに躍起になっており、その癖クマ対策は民間に任せきりの無責任。警官が持っている拳銃なんて、クマにとっては豆鉄砲に等しい。警察はクマには無力だ。
規制するしか能がない警察ではクマ対策は出来ない。またクマの捕殺に反対する無責任な動物愛護団体も、口先だけでなんの役にも立たない。熊に対する適切な知識と対応をしていかないと、この先クマによる人間の死傷者は増える一方でしょう。
これは、もはや政治問題だと思いますね。
クマ撃ち名人のところに動物愛護団体の輩が名刺を持って抗議に通ってきたそうです。応対に飽き飽きした名人はお友達に輩が来てる時に「クマが出た」と言いに来てもらったら、輩はクマに怯えたそうで、名人は「名刺を見せたら、愛護してくれる人だとわかって襲わないのでは?」ととぼけたそうです。
クマと動物愛護の話を聞くと思い出します。
この問題、警察が猟友会を敵に回してしまったので、事後助けてもらえないと思います。実際駆除の熱はほとんどないみたいですし。
治安というか住民の安寧を守るのは警察の役割なので、以降は警察が重武装化するなりして対応しないとダメでしょうね。自衛隊は極端ですし、もしそうなったら警察のメンツが丸つぶれですから。
警察はレイバーでも開発しますか?