ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

行政の無駄

2019-04-11 11:58:00 | 社会・政治・一般

長年、慣行として残っている無駄は、一概に無駄とは言えないことがある。

先週末の統一地方選挙でも話題に上がったのが、大阪のダブル選挙であろう。大坂市長と、大阪府の知事が互いに辞任して、立場を入れ替えての立候補という妙な選挙であった。

外部の人間には分かりにくい問題だが、要は二重行政の排除を訴える大阪維新の側と、現状維持を求める既成勢力側の争いなのだろう。

率直に言って、たしかに同じ地域に二つの行政機関は要らない。行政が税金によって運営される機関である以上、無駄な出費は可能な限りなくすべきだと思う。

だが、果たして本当に無駄だと云えるのか、私はあまり確信が持てずにいる。

特に大阪と特定せず、一般論として言えば、同じ地域に同じ機能を持つ行政機関を併設させることは無駄である。だが、無駄とされた行政機関に働く人たちは、無駄な人材なのだろうか。

一つの組織に統合すれば良いとの主張は分からなくもないが、それほど単純ではないと思う。組織の中で働く人々にとって、働くモチベーションの維持は重要な問題である。

官公庁の場合、そのモチベーションの維持はもっぱら肩書きであることが多い。外から見れば無駄な部署も、その部署の長としての肩書は重要な意味を持つ。

そして官公庁で働く人は、当然に自分たちは正しい仕事をしていると考える。維新の会が進めようとしている大阪都構想の主目的が、無駄な部署の統廃合である以上、真面目な役人は必然的に、反・維新となる。

この真面目な役人たちの抵抗が、大阪都構想の最大の障害であるはずだ。そして、役所の仕事には、必ず民間への発注が伴う。いくら競争入札を導入しようと、ここで甘い汁を吸いたい民間業者たちは、退職した役人を受け入れて、公共事業発注に食い込もうと必死になる。

ここで癒着と不正が行われてきたのは、時折発覚する贈収賄事件で証明されている。絶えることがないのは、それが非常に美味しい仕事であるからに他ならない。

だから行政の無駄を省き、税金の有効利用を図りたいとする意見には、相当な説得力がある。

私もそう思わないではないのだが、物事はそれほど単純ではない。極論だが、もし仮に一方の部門を廃止して無駄を省いたとして、その廃止された部門で働いていた人たちをもう一方に統合したとする。

そうなると、確実にその部門の長としての肩書が一つなくなる。これは、組織の中で働く人たちにとって大問題である。部署の減少は、ポストの減少であるから、上司としての肩書がなくなることを意味する。

行政効率の面で考えれば必然の結論に過ぎないが、働く人たちのモチベーションという観点からすると、これはマイナスである。

この問題は、平成の市町村合併の際にも、大きな問題となっていた。自治体を統合したのだから、当然ポストも減るはずなのだが、抵抗があまりに強くて、今も形を変えてポストを残しているのが実情だ。

大阪都構想も、この流れになる可能性は高い。役所の仕事は、ただでさえモチベーションの低い職場である。だからこそ肩書やャXトは重要な役割を持ってきた。

嫌な予想だが、大阪都構想は推進されても、本来の目的である行政効率の向上は骨抜きにされる可能性が高い。維新の会にとって、むしろこれからが主戦場となるだろうと思います。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古都めぐり 広谷順子 | トップ | 反トランプ報道 »

コメントを投稿

社会・政治・一般」カテゴリの最新記事