誰だって好きな小説や漫画がTV放送されたり、映画化されれば嬉しい。
だが実際に観てみると、自分の中のイメージとの違いに失望したり、あるいは怒りさえ覚えたことは珍しくない。だから原作と映像化作品は別物だと考えるようにしていた。でも私は基本、原作派であり、映像化作品は二次創作に過ぎないとさえ思っている。
それでも認めなければいけないが、原作よりも出来が良い映像化作品は幾つもあった。しかし、明らかに原作を損ねる改悪もあった。このあたり主観の問題であり、個人差はかなりあるはずだ。だから絶対的な正しい答えはないと思うが、それでも最低限守られなばならない、守られるべき倫理はあると考える。
先月のことだが、一人の漫画家が自殺した。原作の映像化にあたり原作者の希望を通そうとしたことへのTV局及び脚本家の抵抗が相当にストレスになっていたようで心を病んでの自死であったと思われる。
私はこの原作も読んでないし、実写化された作品も視ていない。だから内容についての判断はしませんが、ブロガーのたたらさんの記事である程度の粗筋は知っていた。それ故に気になったことが5点ほどある。
1 自殺が公表された後のTV局のコメントが酷い。まるで第三者のような冷淡な言い分で、如何にもTV局には責任がないかのようが言い逃れのコメントであった。はっきり言いますが、原作者を自死するほどに追い込んだ主犯のはずですよ。
2 TV局のコメント及び関係者の発言で脚本家などへの個人攻撃は止めるように賢しげに警句を口にするが、先に個人攻撃を始めたのは脚本家が先のはず。原作クラッシャーと名高い方だと私でも知っている。ただし、あの業界は売れれば正義。売れっ子脚本家のほうの肩を持つTV局の言い分も分からないではない。でも原作者こそが真の権利者であり、第一に尊重されるべきではないだろうか。脚本家ななんて二次加工業者に過ぎない。
3 これは漫画家、小説家を問わず日本人全般に云えることだが、権利意識の低さが問題の根底にある。TV局や映画製作会社からすれば、漫画だろうが小説だろうが、そんなものはネタに過ぎない。それを観客に強くアピールして投下資本を回収し利益を生み出すのが本質である。また特にTV局に多いのだが、「俺たちが映像化してやるから、俺たちの言うとおりにすれば良いのだよ」との上から目線があることは否定しがたい。その一方で、口約束や雰囲気で原作者を煙に巻いてしまう。最低限双方弁護士を立てたうえで、契約書を交わすべきだと思う。
4 これは最近の傾向なのだが、アニメ等で「〇✕製作委員会」などがテロップで流れたら要注意。このケースは漫画家や小説家などの原作者が作り出した作品から利益を貪る手法で、どんなに人気が出て売れても原作者にはわずかにしかお金は流れない。アニメのDVDや関連グッズなどの収益は、委員会の構成メンバーが大半を食い散らかす仕組みになっている。
5 最後に出版社の自覚と責任である。小説家にせよ漫画家にせよ創作サイドの人間は、たとえ大卒であっても法律や税制などには疎い。編集者が仲介するケースも稀にあるが、過去の事例を鑑みると出版社は創作者に対してけっこう冷淡だ。特に昨今流行りのライトノベルの分野では、作家を育てる意識は薄く、作家を育て守る意識が浅い。作家が潰れても他を探せば良いぐらいに思っているのかと疑いたくなる。
まだまだ言いたいことは数多あるが、今回の漫画家の自殺を「原作者と脚本家」の問題に矮小化してはいけないと思います。むしろ零細事業者と巨大資本企業との問題として考えるべきだと私は考えます。
オリジナル作品を書ける優秀なシナリオライターが、特に若手や中堅にいないのか?と言うことだと思います。
ここ数年は中韓のドラマを見ることが多いのですが、30話、50話完結なんてザラです。チーム制を取っているケースもあるけれど、それだけ長い物語を破綻なく書き通せる筆力があるのは凄いことですよ。
それに対して日本のドラマが1クール精々9話から10話。力の差を感じます。
漫画原作モノが多いと言うことは、story-tellingの才能が漫画業界に集中してしまっているとも言えるのかもしれませんが…
TV業界ってコネ入社が多過ぎて創造力を持った社員が少なく、実際の制作は外部の映像制作会社に丸投げってイメージしかないです。友人の息子も難関を突破してTV局に入社したのに、将来性があるとは思えないとの理由で、数年で辞めてしまいました。
私はXとか見ないので、今回の騒動は原作者の自殺で初めて知ったのですが、TV局側との仲介役で原作者を守るべき立場の出版社は何をしていたのかな?と疑問に思いました。