ヌマンタの書斎

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プロレスってさ ケンドー・ナガサキ

2020-09-07 11:28:00 | スポーツ
一説によると日本のプロレス界最強の喧嘩師であったそうだ。

プロレス・ファンは噂話が大好きである。鶴田が最強だとか、いや前田こそが最強だとの議論が居酒屋で幾度となく交わされた。

私からすると、レッドキングが最強だ、いや、ウルトラマンを唐オたゼットンこそ最強だと騒ぐ怪獣マニアの議論と大差ないと思っている。

そして臆面もなく告白すると、私も又この手の議論が大好きだった。

最強の怪獣論はさておくことにして、プロレスに話を戻すと90年代、私もたまに顔を出した後楽園近くのプロレス・ファンが集まる居酒屋でよく聞いたのが、ケンドー・ナガサキこと桜田一男こそが最強だとの話であった。

元々は大相撲出身であり、日本プロレス崩壊後、アメリカで日系レスラーとして活躍、その後全日本プロレス、新日本、NWOなど幾つもの団体を渡り歩いた。私が熱心なプロレス・ファンであった頃は、ミスターメ[ゴと組んで悪役レスラーとして活躍していた。

正直に云えば、あまり記憶に残っていない。今だから分るが、この人、決して日の当たるリングの上で本当の実力を発揮したことはないと思う。あくまでプロレスは仕事であり、仕事の範囲内で割り切った戦いを見せていたはずだ。

だからだと思うが、一般的なプロレス・ファンの評価は低かったと思う。悪役レスラーであっても人気者は確かに居るが、ケンドー・ナガサキはそうではなかったと思う。

それでも弱いレスラーでは決してなかった。それはオフの時にこそ分る。仕事を終えたプロレスラーは、たまに街に出て飲み歩くことがある。多くはスャ塔Tーの接待絡みだが、時には仲間のレスラーと楽しむこともある。

男なら分かると思うが、集団を作るとそのなかで中心となる人や、決して軽視されない人は一瞥して分る。力関係が露骨に出るのが酒の場である。そして、ケンドー・ナガサキは大柄な外人レスラーのグループにあっても決して軽視されない男であった。

推測だが理由は簡単だ。彼が喧嘩が正味強かったから。アメリカでのプロレスラー時代、彼は当然にヒールであったが、街の腕自慢からの挑戦を受ける用心棒役を務めていたらしい。

相手が武器を持っていようが、自分よりもはるかに巨大でも桜田一男は決して負けない男であったらしい。その強さ故に、日本からの支援がなくてもアメリカで長期間プロレスを続けられたようなのだ。

実際、自身の強さには相当な自信を持っていたと思う。だから相手が馬場でも猪木でも決して怯むことはなかった。どこの団体でも彼は独立独歩でやっていたように思えた。

後にグレート小鹿が大日本プロレスを立ち上げた時、エース格として参加している。弱小団体であったが、他の団体から軽んじられなかったのは、ケンドー・ナガサキが目を光らせていたからだと言われている。

それほど大柄ではなく、筋肉も目立たないが、肉厚で張りのある体つきは十分実戦的であったと思う。なによりも肝が据わっていたが故に、強烈な自負を感じさせる容貌であったと思う。

ただ晩年、話題づくりのためか総合格闘家との試合を組まされたのはいけなかった。自信家の桜田はなんの準備もなしに挑み、苦戦してしまった。当時既に50近い年齢であったので、現役バリバリの格闘家相手は無理があったと思う。

そのせいで最強神話に傷をつけてしまったのが不幸であったが、あれは資金繰りに困った小鹿の無謀さが原因だと思う。私は一度だけ、相模原の夜の繁華街で見かけたことがある。

上背はさほどでもないが、首の太さと胸板の厚みが尋常ではなかった。彼が街を歩くと、酔漢やチンピラが無言で避けていき、彼の前に無人の空間が出来てしまう迫力には圧唐ウれた。

いや、マジであの体つきと、鋭い眼光に射すくめられたら引きます。てっきり組関係者かと間違うくらいのド迫力。喧嘩最強の噂が立つのも無理ないと思います。ちなみに当時、彼は40代だと思いますから、浮「小父さんです。

ですが、今年一月に訃報が伝えられました。身内はアメリカに残してきたらしいので、自宅での孤独死であったと聞いています。ご冥福をお祈りしたいと思います。

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