早いもので、私が難病患者の肩書き(?)を得てから、かれこれ23年目となる。
幸いなことに、その間ずっと同じ大学病院、同じ医師のもとで過ごすことが出来た。これは大変に幸運なことでもあり、ありがたいことでもある。
二つの病気を同時に発病させ、時には死の淵にあった私は、若手の医師泣かせの患者でもあった。なにせカルテが分厚い。入院して半年もたたずして、そのカルテの厚さは数センチとなった。元々患者の数自体が少なく、そのなかでも珍しい症例であったらしく、他の医師からの問い合わせもあり、担当する若手医師はカルテの読解に悩まされたと聞く。
基本的にはN講師の患者であったが、入院中は若手の医師が付けられた。皆、カルテの分厚さを嘆いていた。おまけにN講師は、わりと口うるさいタイプであったようで、外来患者の診察の時も若手の医師をそばに置き、何度も質問を投げかけ若手を困惑させていた。
N先生は講師といっても、研究者としてはそれなりに知名度のある方らしく、研究者としても多忙であった。私も治験患者として臨床データーの提供には、随分協力したものだ。気がついたら、カルテは百科事典並みの分厚さとなり、20年以上たつと、それが何冊もの数を重ねるようになった。
N先生も、講師から助教授、教授と出世され、私が「先生の出世には、私の臨床データーも貢献してますよね」と軽口を叩くと、ニヤニヤしながら「その節は、助かりましたよ」と応じてくれる。
今でこそ、軽口を叩けるくらいの関係になったが、病状が深刻な時は何度も衝突したものだ。私が気が短いせいもあるが、どうしてどうして、N先生もなかなかに頑固だ。病棟に鳴り響く勢いで、何度か怒鳴りあったこともある。さぞや、扱いづらい患者であったと思う。
実際、発病して数年間はまったく治る兆しは見当たらなかった。いや、ある程度は薬は効き、治る印象はあったが減量のたびに再発を繰り返し、薬の副作用によるダメージよりも、精神的な荒廃感のほうが辛かった。いまだから分るが、治る展望の開けない患者と付き合うのは、医師にとっても辛いものであるようだ。
私にとって、忘れ難いのが8年前の再発時だ。あの時の絶望感は言語に絶するものだった。胃の底に冷たい鉛の塊が生じたかのような、重く息苦しいような気分を抱えて外来に行った。もう入院は覚悟していた。全てを失ったかのような敗北感に打ちのめされていた。
しかし、N先生は淡々と検査データーを眺め、一言「しばらく様子を見ましょう」と。ただし、浮腫みが出たら、即入院だとも言われた。言われて気がついた。たしかに浮腫みは出ていなかった。予想した薬の増量もなし。
長年、私を看てきたN先生には、私よりはるかに私の体のことが分っていたのかもしれない。N先生の言葉に、自分でも驚くほど平静を取り戻し、数ヶ月間安静を可能な限り守り、仕事は最低限にして、ひたすら身体を労わる日々を過ごした。
N先生の予想通り、再発は収まり、あの強烈な治療薬の副作用を味わうことなく、再び平穏な日々を取り戻した。あの時ほど、N医師についてきて良かったと安堵したことはない。
そのN先生も今日で退任。幸い近所の病院に週一で診察に来てくれるようなので、私は安堵している。信頼のおける医師との出会いがあったからこそ、今の私があると思う。
先生、23年間ありがとうございました。
幸いなことに、その間ずっと同じ大学病院、同じ医師のもとで過ごすことが出来た。これは大変に幸運なことでもあり、ありがたいことでもある。
二つの病気を同時に発病させ、時には死の淵にあった私は、若手の医師泣かせの患者でもあった。なにせカルテが分厚い。入院して半年もたたずして、そのカルテの厚さは数センチとなった。元々患者の数自体が少なく、そのなかでも珍しい症例であったらしく、他の医師からの問い合わせもあり、担当する若手医師はカルテの読解に悩まされたと聞く。
基本的にはN講師の患者であったが、入院中は若手の医師が付けられた。皆、カルテの分厚さを嘆いていた。おまけにN講師は、わりと口うるさいタイプであったようで、外来患者の診察の時も若手の医師をそばに置き、何度も質問を投げかけ若手を困惑させていた。
N先生は講師といっても、研究者としてはそれなりに知名度のある方らしく、研究者としても多忙であった。私も治験患者として臨床データーの提供には、随分協力したものだ。気がついたら、カルテは百科事典並みの分厚さとなり、20年以上たつと、それが何冊もの数を重ねるようになった。
N先生も、講師から助教授、教授と出世され、私が「先生の出世には、私の臨床データーも貢献してますよね」と軽口を叩くと、ニヤニヤしながら「その節は、助かりましたよ」と応じてくれる。
今でこそ、軽口を叩けるくらいの関係になったが、病状が深刻な時は何度も衝突したものだ。私が気が短いせいもあるが、どうしてどうして、N先生もなかなかに頑固だ。病棟に鳴り響く勢いで、何度か怒鳴りあったこともある。さぞや、扱いづらい患者であったと思う。
実際、発病して数年間はまったく治る兆しは見当たらなかった。いや、ある程度は薬は効き、治る印象はあったが減量のたびに再発を繰り返し、薬の副作用によるダメージよりも、精神的な荒廃感のほうが辛かった。いまだから分るが、治る展望の開けない患者と付き合うのは、医師にとっても辛いものであるようだ。
私にとって、忘れ難いのが8年前の再発時だ。あの時の絶望感は言語に絶するものだった。胃の底に冷たい鉛の塊が生じたかのような、重く息苦しいような気分を抱えて外来に行った。もう入院は覚悟していた。全てを失ったかのような敗北感に打ちのめされていた。
しかし、N先生は淡々と検査データーを眺め、一言「しばらく様子を見ましょう」と。ただし、浮腫みが出たら、即入院だとも言われた。言われて気がついた。たしかに浮腫みは出ていなかった。予想した薬の増量もなし。
長年、私を看てきたN先生には、私よりはるかに私の体のことが分っていたのかもしれない。N先生の言葉に、自分でも驚くほど平静を取り戻し、数ヶ月間安静を可能な限り守り、仕事は最低限にして、ひたすら身体を労わる日々を過ごした。
N先生の予想通り、再発は収まり、あの強烈な治療薬の副作用を味わうことなく、再び平穏な日々を取り戻した。あの時ほど、N医師についてきて良かったと安堵したことはない。
そのN先生も今日で退任。幸い近所の病院に週一で診察に来てくれるようなので、私は安堵している。信頼のおける医師との出会いがあったからこそ、今の私があると思う。
先生、23年間ありがとうございました。
信頼できる医師と出会えるかどうか、それは本当に患者にとって、神にゆだねる部分ですが、そういう先生にめぐり会われたというのは、神様がヌマンタさんを見放さなかったっていうことなんでしょう。
N先生に心から有難うっていうヌマンタさんの気持ちが伝わってきます。
N先生の為にも、お身体ご自愛ください。
23年もお世話になったお医者さんの退職、さびしいですね。本当に長いおつきあいですよね。
今後は新しい先生が担当になられるのですか?
ヌマンタさん、これからも体には気をつけて、お仕事がんばって下さいね!