私が小学生の頃にやった大冒険の一つが、世田谷の野毛にある新日本プロレス道場探検であった。
休日の朝、自転車で公園に集まり、悪ガキ仲間が全員そろったら国道246号をひたすら下る。二子玉川に着いたら、パン屋でお菓子を買って多摩川の淵で、休憩する。それから多摩川を河口方面に走り、野毛まで来たら新日本プロレスの道場は、もうすぐそこである。
自転車を降りて、道場の敷地内に入ると、怒声が聞こえてきてビビる。どうやら道場内でなにかやっているようだ。今は地方巡業中なので、有名なレスラーはいないはずだが、若手が修行しているはず。
いったい、どんなトレーニングをやっているのだろうかと、私らは興味津々である。道場に恐る恐る近づいていくと、引き戸が開いて、上半身裸の男が出てきた。
筋肉ダルマとしか言いようがない異様な体躯と、つるつるの坊主頭、鋭い眼光に射すくめられて、私たちは硬直してしまった。良く視ると、ヤマハ・ブラザーズの山本小鉄であった。
あれ、なんでいるんだ?と思う間もなく、こちらに気が付いた小鉄さん「おう、ガキども。見学か?、まだ入門には早過ぎるぞ」と声を鰍ッてきた。
上半身から汗が蒸発して、湯気のようになっている姿にビビった私たちは、何故だか全員直立不動であった。既に声変わりをしていたはずの私だが、口から発した声は、いつもより二オクターブ高かった。
はい、見学をお願いします。そう口にしたつもりだが、二回ほど噛んだ覚えがある。小鉄さんはニヤりと笑い、「道場には入らず、玄関口のそばで大人しくしているならいいぞ」と許してくれた。
広い玄関に入ると、大きな木の棒(イランの武具のコシティだと思う)を振り回している若者がいるほか、ひたすらにスクワットをしている者や、天井から下がったロープに腕だけで登る者、そしてリングの上で絡み合う二人の若者の激しい息遣い。
誰一人、名前を知られた者はいないが、その鍛え上げた身体の迫力が私たちを無言に追いやった。これがプロレスラーのトレーニングなのかと、目を皿のようにして見続けた。
私の隣にいたTが指でさして「あれ、汗の水たまりか」と訊いてきた。その方向を見やると、スクワット(足の屈伸運動)をしている若者の足元には、水たまりが出来ていた。汗の水たまり?そんなの初めて見たぞ。
すると、いつのまにやら駐≠閧ノした小鉄さんが、怒声を上げつつ、スクワットをしている若者の背中を駐≠ナ叩いた。どうやらフォームが良くないらしい。叩かれた若者は、「うっす」と無愛想に返事をするが、目が浮「。
山本、この野郎、殺すぞとの心の声が聞こえそうな迫力で睨みつけている。その睨みを平然と受け止め、「正しいスクワットは、こうするんだ」と彼の隣に立ち、スクワットを始める小鉄さん。
凄い緊張感で、観ているだけのはずの私は、いつのまにか手の平に汗をかいている始末。後年、インタビューなどで読むと、シゴキの鬼軍曹こと山本小鉄を殺そうと思っていた若手レスラーは両手の数では足らないそうだ。
そのなかには、新日一の喧嘩屋の藤原善明や前田日明もいて、本気で殺そうと思っていたほどに憎んでいたそうだ。でも、若手から第一線のプロレスラーになる頃には、むしろそのシゴキの適切さに感謝し、プロレスを引退した後も親しくしていた。
山本小鉄氏は、その後リングを降り、解説者としてTVなどに登場していたが、その時も道場でのトレーニングは欠かさなかった。新日で育ったレスラーたちは、道場に小鉄氏がいるだけで緊張したと皆口にする。
そんな小鉄氏が亡くなった時のお通夜。既に新日本プロレスとは袂を分かっていた前田日明ではあったが、山本宅で朝まで小鉄氏の遺骸と共にしたそうである。藤原も小鉄氏のことを良き先輩、飲み友達だと後年述べている。
葬儀の場には、かつて山本氏にしごかれたライガーや船木、長州、藤波はもちろん、若手の真壁らが顔をそろえた。しごかれぬかれても、慕われる小鉄氏の真価が分る。そんなシゴキを出来る人は、そうそう多くない。
もっとも子供であった私たちは、そのシゴキの凄まじさに恐れおののき、絶対にプロレスラーには喧嘩を売らないと固く胸に誓ったものである。その日からはしばらく、公園の片隅でスクワットなどを真似する悪ガキどもの姿が見られたが、あまりの辛さに続かなかった。
筋肉痛で歩くのも不自由した私たちは、改めてプロレスの凄さを思い知ったものである。
休日の朝、自転車で公園に集まり、悪ガキ仲間が全員そろったら国道246号をひたすら下る。二子玉川に着いたら、パン屋でお菓子を買って多摩川の淵で、休憩する。それから多摩川を河口方面に走り、野毛まで来たら新日本プロレスの道場は、もうすぐそこである。
自転車を降りて、道場の敷地内に入ると、怒声が聞こえてきてビビる。どうやら道場内でなにかやっているようだ。今は地方巡業中なので、有名なレスラーはいないはずだが、若手が修行しているはず。
いったい、どんなトレーニングをやっているのだろうかと、私らは興味津々である。道場に恐る恐る近づいていくと、引き戸が開いて、上半身裸の男が出てきた。
筋肉ダルマとしか言いようがない異様な体躯と、つるつるの坊主頭、鋭い眼光に射すくめられて、私たちは硬直してしまった。良く視ると、ヤマハ・ブラザーズの山本小鉄であった。
あれ、なんでいるんだ?と思う間もなく、こちらに気が付いた小鉄さん「おう、ガキども。見学か?、まだ入門には早過ぎるぞ」と声を鰍ッてきた。
上半身から汗が蒸発して、湯気のようになっている姿にビビった私たちは、何故だか全員直立不動であった。既に声変わりをしていたはずの私だが、口から発した声は、いつもより二オクターブ高かった。
はい、見学をお願いします。そう口にしたつもりだが、二回ほど噛んだ覚えがある。小鉄さんはニヤりと笑い、「道場には入らず、玄関口のそばで大人しくしているならいいぞ」と許してくれた。
広い玄関に入ると、大きな木の棒(イランの武具のコシティだと思う)を振り回している若者がいるほか、ひたすらにスクワットをしている者や、天井から下がったロープに腕だけで登る者、そしてリングの上で絡み合う二人の若者の激しい息遣い。
誰一人、名前を知られた者はいないが、その鍛え上げた身体の迫力が私たちを無言に追いやった。これがプロレスラーのトレーニングなのかと、目を皿のようにして見続けた。
私の隣にいたTが指でさして「あれ、汗の水たまりか」と訊いてきた。その方向を見やると、スクワット(足の屈伸運動)をしている若者の足元には、水たまりが出来ていた。汗の水たまり?そんなの初めて見たぞ。
すると、いつのまにやら駐≠閧ノした小鉄さんが、怒声を上げつつ、スクワットをしている若者の背中を駐≠ナ叩いた。どうやらフォームが良くないらしい。叩かれた若者は、「うっす」と無愛想に返事をするが、目が浮「。
山本、この野郎、殺すぞとの心の声が聞こえそうな迫力で睨みつけている。その睨みを平然と受け止め、「正しいスクワットは、こうするんだ」と彼の隣に立ち、スクワットを始める小鉄さん。
凄い緊張感で、観ているだけのはずの私は、いつのまにか手の平に汗をかいている始末。後年、インタビューなどで読むと、シゴキの鬼軍曹こと山本小鉄を殺そうと思っていた若手レスラーは両手の数では足らないそうだ。
そのなかには、新日一の喧嘩屋の藤原善明や前田日明もいて、本気で殺そうと思っていたほどに憎んでいたそうだ。でも、若手から第一線のプロレスラーになる頃には、むしろそのシゴキの適切さに感謝し、プロレスを引退した後も親しくしていた。
山本小鉄氏は、その後リングを降り、解説者としてTVなどに登場していたが、その時も道場でのトレーニングは欠かさなかった。新日で育ったレスラーたちは、道場に小鉄氏がいるだけで緊張したと皆口にする。
そんな小鉄氏が亡くなった時のお通夜。既に新日本プロレスとは袂を分かっていた前田日明ではあったが、山本宅で朝まで小鉄氏の遺骸と共にしたそうである。藤原も小鉄氏のことを良き先輩、飲み友達だと後年述べている。
葬儀の場には、かつて山本氏にしごかれたライガーや船木、長州、藤波はもちろん、若手の真壁らが顔をそろえた。しごかれぬかれても、慕われる小鉄氏の真価が分る。そんなシゴキを出来る人は、そうそう多くない。
もっとも子供であった私たちは、そのシゴキの凄まじさに恐れおののき、絶対にプロレスラーには喧嘩を売らないと固く胸に誓ったものである。その日からはしばらく、公園の片隅でスクワットなどを真似する悪ガキどもの姿が見られたが、あまりの辛さに続かなかった。
筋肉痛で歩くのも不自由した私たちは、改めてプロレスの凄さを思い知ったものである。