ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「I am ナム」 細野不二彦

2007-09-28 13:37:23 | 
「太郎」「ギャラリーフェイク」と次々とヒットを飛ばす人気漫画家である細野不二彦だが、この人もけっこう息の長いベテランだ。始めはギャグ漫画を描いていた人で「GuGuガンモ」や「さすがの猿飛」あたりが人気の発端であったと思う。

でも、私が一番気に入っていたのが表題の作品。なにげに着てしまった着ぐるみ人形が脱げなくなってしまったナム少年のドタバタ劇。なんといっても、作中の駄洒落が可笑しかった。従来のギャグ漫画とは明らかにセンスが違った。なにより絵柄が繊細で、ギャグ漫画らしからぬ綺麗な線で描かれていた。

この人は絶対人気が出ると私は思ったが、案外私の周囲では人気はなかった。ギャグとしては上品に過ぎたし、アメリカン・コミックのようなセンスの駄洒落は、笑う人を選んだ感があったからだと思う。なによりも、ギャグ漫画としては、絵が上手すぎた。

残念に思っていたのだが、いつのまにやら活躍の場を青年誌に移して、そこで描いた大人向けの漫画が人気を博したから不思議だ。いや、もともとギャグ漫画よりも、劇画調のストーリー漫画のほうが合っていたのだろう。

ただ、細野氏本人は、けっこうギャクにこだわりを持っていたのだと思う。だからこそ、漫画の作風の方向転換に時間がかかったのだろう。最新作「電波の塔」になると、もはやギャク漫画の残り香さえ感じさせない。

ヒット作を生めずに、消えていく漫画家が多数いることを思えば、成功したといって間違いないと思う。思うが、私は少し残念に思う。

時折見かけるのが、自分自身の夢に取りつかれた人だ。自らやりたいことのため、順調だったはずの会社勤めを辞め、好きな道で食べていこうと奮闘する。頑張って欲しいと思うが、失敗の結果に終わることも少なくない。好きなことで食べていくのは難しい。冷静に傍で見ていると、どうもやりたい事と、求められている事とのギャップを埋め切れていない。

善いものが売れるとは限らないのが、世情の常だ。妥協は夢を自ら汚す行為であり、それを厭う気持ちは分らぬでもない。だが、生計が立たなくては、夢の実現など出来るわけもない。

仕事のために、夢を封印して稼ぐ仕事に徹した成功者は少なくない。生きていくためには、それが必要だったのだろう。非難するいわれはないが、それでも惜しいと思う。

現在はストーリーものの漫画に徹している細野氏だが、もう一度ギャグ漫画を描いてくれないだろうか。あの繊細で奇妙に可笑しい駄洒落の連発を再び見てみたいものだ。
コメント (2)
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