気ままに日記

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心の古里の歌

2010-07-21 13:35:02 | Weblog
森繁久弥が語り、久世光彦が書いた「大遺言書」を読んだ。89歳の森繁がこれまで歩んで来た波乱万丈の過去を語り、久世光彦が綴るこの本は森繁と言う稀代希な才能を持つ人物を通して、老境に入った一人の人間が過ぎし日を思い巡らし生きると言う事は何か?と考えさせられる本である。
森繁の子供の頃の思い出は、少し歳は違うが時代の背景が私と通ずるものがあり、読んでいて今年79歳を迎える私にとっても子供の頃の甘酸っぱい思い出が蘇って来る。
小学校卒業間近のある日講堂で映画会があった。題名は忘れたが主人公が幼い頃過ごした家を訪ねるとその家は見る影も無く朽ち果てていて感傷に耽る場面が未だに鮮明に残っている。それはその画面と共に流れた音楽のせいかも知れない。
その歌とは森繁さんが子供の時過ごし、楽しかった鳴尾浜での話をした時歌った「幾年ふるさと来てみれば/咲く花鳴く鳥 そよぐ風/門辺の小川の ささやきも/なれにし昔に/変わらねど/あれたる我が家に/住む人絶えてなく」その歌である。
子供の頃の思い出は限りなく懐かしく切ない。河内のど真ん中で生まれ育ったが父は百貨店に勤めていて当時のサラリーマンは相当恵まれた環境にあった。始末家の母の影響で慎ましい生活だったが裕福な家と見られていた。広い庭には大きなポプラの樹が何本もあり蝉トンボ取りに友人が何時も来ていた。教育熱心な母親に叱られながらもそんな子供の頃を思い出すと、何故だか目頭が熱くなる。
「幾年ふるさと来てみれば/咲く花鳴く鳥 そよぐ風/門辺の小川の ささやきも/なれにし昔に/変わらねど/あれたる我が家に/住む人絶えてなく」の歌は私にとって心の古里の歌である。



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