気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

日航機墜落事故

2015-08-15 11:24:24 | Weblog
今日は八月十二日、日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落し五百二十名の死者を出した日から三十年が経つ。当時伊丹空港を管轄する豊中電話局に勤務しており、六時過ぎ勤務を終えて帰ろうかとテレビを点けたら羽田から大阪に向かった日航ジャンボ機が行え不明になっていると臨時ニュースが飛び込んで来た。
最初は単なる航空機事故かな!と思っていたら詳細が分かるに伴って大変は事態になってきた。事故機は大阪行きで関西・大阪の人が多く乗り合わせており、豊中の地域の著名な人達も沢山含まれていた。やがて不明だった航空機も八時過ぎには群馬県御巣鷹山に墜落している事が判明し、乗客・乗員五百二十四名の生命は絶望視され、事の重大さにニュースの扱いも騒然となった。到着空港である伊丹空港にはその航空機に搭乗しいたであろう関係者がぞくぞくと押しかけ、たちまち大騒ぎとなった。事故対応の伊丹空港には、四階いつもは使って居ない「星の間」と言う広い部屋があり、関係者の対応場所となっていた。その部屋は怒号が渦巻く修羅場となっていたが、そんな異常事態の中で、当時開発されたばかりの衛星中継車や新しい技術を駆使した無線装置を使って多数の公衆電話を徹夜作業で懸命に設置した。当時携帯電話など無く、公衆電話が唯一の通信手段だった。事故機に乗り合わせていた関係者の怒りは、対応する日本航空の社員にぶっつかり激しい怒号が飛び交う様は今も鮮明に脳裏に焼き付いている。これが地獄の修羅場と言うのかと感じた。
その当時共に作業した部下で現場の責任者であったT君からあの日の事を思い出して事故記念日にぜひ話をしたいと電話があった。徹夜で作業した思い出等を懐かしく語り合った。
大きな事件で懐かしい思いを共有する部下からの電話にあの日を返りみて改めて感慨に耽った。