気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

孫の旅立ち

2010-03-31 17:20:23 | Weblog
ドイツ在住の娘の孫が大学受験の予備校通いの為、昨年6月から我が家で預かっていたが、無事希望する大学に合格し、3月29日大学のある長崎へと旅立って行った。昨年6月以来9ヶ月あまり生活を共にして来たので、我が子同然の感情が芽生えて、あー行ってしまったと寂しさが込み上げて来た。孫は私の隣の部屋の息子が使っていた部屋で寝起きしていたが、今その部屋を覗くと、ぽっかり穴があいた様で、改めて孫と暮らした思い出が蘇り目頭が熱くなった。
長崎では娘が手配した立派なマンションで生活するとは言え、初めての親元離れてたった一人で生活して行く事の不安があるだろう。しかし既に大学生だ。
選んだ大学も地球環境に優しいバイオを勉強したいと明確な目標を持って選んだ道だ。大学では若者の特権である無限の可能性に挑戦し、新しい出会いを大切にして楽しい大学生活を送る様祈って止まない。
新大阪駅で見送った健気な孫の姿に心から拍手を送りたい。

後何回桜が見られるかな

2010-03-11 13:42:42 | Weblog
明日三月十二日は春を呼ぶ奈良東大寺の「お水取り」である。例年この頃はぽかぽかと春めいて春近しの天気のもとで、桜巡りの計画を思い巡らし楽しんでいる時期であるが、今年は日本国中寒波が居座り小寒い日が続いて春遠しの感じである。
ドイツに行っている娘の孫が大学受験の為、昨年六月から預かっており家を空ける事が出来ない為妻と一緒に旅に出る事を控えて来たが、その孫も無事希望の大学に合格し、四月から九州へ旅立つので四月になればどこか旅行に行こうと妻と相談して来た。
裁縫教室と謡いの稽古と忙しい妻は三泊四日の日程をとるのが難しく、種々やりくりしてやっと「東北みちのく桜絵巻三泊四日」のツアーを申し込み昨日旅行代金を振り込んで来た。
二人揃って桜巡りが出来る事はことの外嬉しく、四月十八日の出発が待ち遠しくて仕方がない。
今年七十九歳の誕生日を迎える歳になると後何回桜と出会えるか。十回も見られれば御の字だろう。だからこそ桜の季節には思い切り桜を楽しみたい。人との出会い、別れの時には何時も桜があり、人生の節目には必ず満開の桜があった。私にとって桜は格別の存在なのだ。カメラ大好きの私にとって、今度の旅でどんな桜が撮れるか思いを巡らせている。旅行にはどんなカメラを持って行こうかと思いに浸るのも楽しい。

政権交代の功罪

2010-03-11 10:11:56 | Weblog
鳩山政権が発足して約半年、最近鳩山、小沢両首脳の金がらみの問題が不透明だとして内閣支持率が急速に下落しつつある。自民党政権に見切りを付けた国民は民主党に大きな期待を抱いたが、野党時代に主張した問題が、いざ政権を取ると現実は厳しく選挙で公約したマニフェストが中々実行できないでもたもたしている事を、野党である自民党から鋭るどく批判されている。政権交代が実現しても自民党時代と同じではないかと言われるが、しかし民主党が苦慮している問題とは、かっての政権党である自民党がやるべき事をお座なりにしてきた為に生じたものであり、すべてを民主党の責任にするのは如何なものか。
そんな事より55年体制の枠の中で自民党が成してした事は、政・官・業の癒着で、利権を漁って来た体質を、国民の前に真に開けた政治に取り組んでいる姿勢は大いに評価すべきである。例えば本日開港する「茨城空港」であるが、空港が必要だから作るのでは無く、利権に群がる政治家や業者の為、空港ありきの水増しした需要予測をを元に過大な税金が投入される。これまでの政権ではこんな無駄な空港作りでも、これ程の批判はなかったと思われるが、政権交代で無駄な空港作りの内幕が次々と暴露され、国民の批判は頂点に達している。
こうしたこれまでの利権まみれの腐敗した政治から、拓かれた政治へ新しい政権は大きな壁に遭遇しながらも着々と成果をあげつつあると信じている。
あの道路は私がつくった、あの橋は私がつくったと言う政治から、本当に国民の為の開かれた政治の実現に期待したい。

リタイア後の私の生き方

2010-03-06 11:17:42 | Weblog
読売新聞二月十日の朝刊「結婚指輪をしてますか?」欄に掲載された「私を飯炊きとしか思っていない夫の食事は作りたくありません」。の投書には色々考えさせられた。通常の夫婦は夫が定年を迎えると二人でゆっくり旅行をしたいとか、夫が家事を手伝い奥さんは少しは家事から解放されてのんびり過ごしたいとかの夢を抱いているのではないか。殆どの夫婦は満足では無いにしろ時間に縛られないで、気持ちの上ではそれなりの豊かな生活をしているのが普通ではないだろうか。
しかし新聞に意見をよせられた夫婦の夫は奥さんの期待を裏切り、夫はこれまでと変わり無く、全く家事一切を手伝わない。時間に余裕は出来たが夫婦の会話はほとんど無く、奥さんが夢見た事は見事に裏切られたとある。
私は今年七十九歳と八十歳を目前にした高齢で今年五月結婚して五〇年を迎える。金婚式である。一切の仕事から解放されて二〇年近くなるが、この記事を読んで定年を迎えて男はどう生きるかを考えてみたい。
若い時はお互い愛している事が二人を結びつける大きな要因であるが、定年を過ぎた高齢になると、二人を結びつけるものは愛している事はそんなに重要では無く、何十年と苦楽を共に生活をしてきた遙かなる人生そのものが、大きな絆となって二人を結び付けているのではないか。いやな事があっても、ここでお互い助け合わなければこれまでの人生は何だったのか、との思いに苛まされ、二人を強く結び付けるのである。これまで辿って来た二人にしか解り合えない懐かしい思い出は二人だけの大切な財産だ。この大切にしてきた心の財産を失いたく無い為にこれからもお互い助け合って生きて行こうと思うのである。
二人にはたっぷり時間はある。妻は幸いにも何十年この方裁縫教室を開いており、数名のお稽古さん相手に毎週裁縫を教え、また能に嵌り生き生きと毎日を過ごしている。夫から見ると時間を持てあましている相方を見るのは困ったものだが、この様に生き生きと過ごしている相方には、有り難く陰ながら応援している。妻は忙しさの余り夫に対するサービスが多少疎かになっても、妻が何するとも無く無為な時間を過ごしているよりは遙かに素晴らしい事だと思っている。当然食事や掃除の手伝をするしこまめに動く。高齢になって物事に億劫になってはおしまいである。とにかく動く。これが大切だ。
しかし友人から毎日何をしているのか?と尋ねられると困るのであるが、結構忙しいのである。
旅行が大好きなものだから、毎年1回は海外旅行に出かけたいと計画するが、相方が忙しい上に、世の奥様方と違い我が相方は旅無精と来ているので、中々計画が立てられない。それでもこれまで妻と共に16回海外旅行へ出かけた。旅の楽しみは見聞するものすべてが感動を呼ぶ事にあるが、その感動を写真と言う媒体に記録し何度も旅の感動を噛みしめるのであろ。若い時から写真にめり込み、カメラには異常なまでに興味があり、今度の旅にはどんなカメラを持って行くかそんな思いをめぐらす時がすごく楽しい。旅から帰り撮り貯めた写真の整理も旅以上に楽しい。高齢になればなるほど残された時間は少なくなり、貴重な時間を無駄に過ごさない様毎日つける日記も大切である。世間一般は日記は長続きしなものと思われているが、それは難しく考えるからであって、気軽に一日のあった事を思い返して書くだけである。一日なにをやってか思い出せない様だと、その一日は無為な時間を過ごした証拠であり、すごく反省する。「今日も一日後悔しないよう生きなきゃ!」これが私の信条である。このようにして日記は50年以上も続けている。
最近体力の衰えをつくづく感じているが、自分の身体もさる事ながら、相方の身体の方が心配である。相方が倒れたり、認知になったらどうして生活していくかが心配なのだ。
兎に角一日一日を大切に生き、二人協力して残された短い時間を精一杯生きて行こうと思う次第である。