気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

真実を語らない安部首相

2020-02-20 13:30:06 | Weblog
今国会で延々と論議が続いている「桜を見る会」の参加者名簿の有無について安部首相は名簿は破棄して無いと言ったやり取りを「ご飯論法」と言うらしい。たとえば、「朝ご飯は食べたか」という質問を「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、「ご飯(米)は食べていない(パンは食べた)」と答えるといった論議の事を指す言葉らしい。”ご飯を食べた=名簿は実際ある”と言う事を答えたく無い為、あえて議論・論点のすり替えを表す言葉らしいが、安部首相は普通は申し開きのできない証拠をつきつけられても真実を語ろうとぜず、言い逃れを繰り返してばかり。これでは、最近の安部内閣の支持率の低下が示している様に、国民から見放されて行く一途を辿るだろう。

テレビコマーシャルを駆使した商売

2020-02-15 14:24:08 | Weblog
以前にもテレビのコマーシャルについて書いたが最近気になるコマーシャルが後を絶たない。テレビのコマーシャルは商品を広く世間に紹介しテレビの視聴者に商品を買って貰う訳ですが、例えば家電製品や車などは、原価に対する売却価格は世間一般に認知されており、通常500万円程度の車を優れた機能を搭載しているからと言って何千万円でテレビで宣伝しても売れるものでは無い。しかし原価はそれ程でも無いのに、原価から大きくかけ離れた値段を付け有名タレントを遣ってテレビで宣伝する商売がある。商品の原価は詳らかで無いが、テレビで宣伝販売されている一万円を超える価格で売られて商品とほぼ同様の商品が約千円そこそこで売られている現状からテビで宣伝されている商品の価格は法外な価格と推察される。もしかして原価の殆どは広告費だ言う話も耳にするが真偽の程は明らかで無い。元々商売の基本は商社伊藤忠が、近江商人が経営哲学とした「売り手よし・買い手よし・世界よし」の「三方よし」の精神が基本にあり、売価に対して納得した買い手があって売買は成立するもので、価格を決めるのは売り手にも買い手にも自由に決める権利がある。買い手は販売価格の内容を十分理解して購入する必要があるが売買価格に国が介入する事は特別な場合を除いて出来ない。しかし色々問題があると考えられる時は、この限りで無いのではないか。原価から遙かにかけ離れた価格でテレビの宣伝力を遣って販売する商売は商道徳から見ても好ましく無い。

国会審議の劣化を憂う

2020-02-05 11:34:30 | Weblog

現在通常国会が開かれ連日活発な論議が繰り拡げられ、その状況がテレビで中継されて我々庶民にもその論議内容を知る事が出来る今日である。最近ある新聞の社説に「国会審議の劣化を憂う」と言う記事があった。そう言えば最近の国会の審議は重箱の隅を穿る論議が多い。例えば「桜を見る会」について招待者の氏名データを破棄したので明らかに出来ない、とか招待者を選んだ理由とか野党がひつこく問い質し、国民はもうこの話に飽き飽きしている。何故「飽き飽き」しているかというと、ふつうの人間の受忍限度を超えて、この話が続いているからである。 更に、普通は申し開きのできない証拠をつきつけられて「申し訳ありませんでした。私の配慮がたりませんでした」と言って謝罪すれば済むものを安部首相を始めとして閣僚がそう言わないからである。
これでは肝心の国会としての機能を果たしているのかと怒りたくなる。
そもそも「桜を見る会」は明治初期に幕府が締結した各種の不平等条約の解消の為、明治の初期、国際親善を目的として関係各国の要人を招いて「観桜会」を天皇が主催して開催したことにに始まると言う記事を見た記憶があるが、それを確かめ様と資料を探すがそれを記したものが見当たらないので真偽の程は定かでは無いが事の始まりは然るべき理由があった。しかし今日の「桜を見る会」は物見遊山で税金を使ってまで開催している理由が無い。指摘されている様に、桜を見る会は与党関係者が税金で飲み食いしたり、安倍首相の地元支援者が多数参加したことが問題になっており、私物化の批判が多くなっている。
さて最近の国会論議の劣化は政府に緊張感を齎す完全な野党が存在しないからである。政党である以上野党は、多少意見の相違はあっても纏まって一本化して政権奪取に向けた取り組みが必要だ。現在の政権与党を見ると、憲法改正に向けた意見が真逆の自民党と公明党が一体となって維持されているではないか。野党は多少意見が異なっても政権与党と対峙しうる力のある党を作るべきである。最近旧民主党の流れを汲む立憲民主党と国民民主党は合流に向けた協議を進めれれている。安部一強に対峙するには思い切った動きが必用だ。