気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

今年も夏が去って行く

2017-08-31 10:54:59 | Weblog
天神祭・祇園祭そして夏の風物詩のフィナーレを飾る京都の大文字の送り火が済み、昨日高校野球が終わり、プロ野球も残りの試合数が表示される頃となり、今年の夏も一挙に秋へと移り変わって行く。
夏は暑いのは当たり前!しかし毎年今年の暑さは特別だと感じるのは、高齢に伴い体力の衰えで堪えるせいかもしれない。六月に女房が自転車で転倒し肋骨を折り、続いて小生が庭先で転び右手首を捻挫、またまた八月には古新聞を整理していて、腰を痛め四日程立てなくなったり散々な夏だった。今夏が去ろうと言う時になって、それらの怪我はすべて快癒したが、これらのアクシデントの経験から体力的に無理は出来ない事を肝に銘じて行動しなけねばならいとつくづく感じている。
今年の夏は気候的に色々な特徴があった。太陽が照り輝く夏日が極端に少なく日照時間が短かった。仙台などは三五日間連続降雨と、東京でも二〇日連続の降雨、更に豪雨で甚大な被害が出る始末、異常気象か、たまたまの現象かは別として東北、九州では水害で大変は被害を齎した。
今年の夏の当初最初蝉の鳴き声があまり聞こえ無かったが、例年どうり蝉しぐれは聞こえても力量感ある入道雲は殆ど見かけなかった。子供の頃夏休みの宿題には決まって紺碧の夏空にもくもくと立ち上る入道雲の絵を描いたものだが、今年の夏はとんとそんな風景見かけなかった。紺碧の空に現れた雲の造形はときに幾多の絵画にも増して胸に迫るものがあったが、そんな夏の情景も今年の夏はお目に掛かれずに去って行く。

行きたい処へ行ける幸せ

2017-08-30 11:36:39 | Weblog
新聞広告で「いつまでも元気で歩きたい」とか「いつまでも元気で歩く‼歩く‼〇〇〇薬」と言った薬の広告が目に付く様になった。最近まで元気で歩く事について意識した事が無かったが、齢を重ねると元気で歩く事の有難さが身に染みて感じる様になった。人間生きている間はあそこへ行きたい!と思ったら自由に行ける事が幸せの必須条件だと思う。若い時は普通に出歩る事に幸せだな!など全く感じ無かったが、齢を重ね体力の衰えに伴って自由に歩く事が困難となり、元気で歩きたい‼ と言う広告が強く目に焼き付く様になった。旅行が好きで旅行会社から送られて来るパンフレットを見ても最近は旅に出る気力が湧かずパンフレットを眺めるだけで寂しい限りである。
自由に歩いて行きたい処へ行く事は生きている限り生きがいであり、例えば寝たきりになり行きたい処へ自由に行けないとなると生きて行く楽しみも無くなってしまう。今年九月で八十六歳となるが何時までも思う処へ自由に行ける体力を鍛える為、毎日エアーバイクを三十分漕いでいる。三十分で消費するエネルギーは約二百五十キロカロリー。これを始めて約六年、殆ど毎日やっているが目に見える効果は無い。しかし続ける事の大切さを感じながら頑張っている


緊迫する北朝鮮情勢

2017-08-07 18:11:24 | Weblog
最近北朝鮮の動きが益々過激さを増している。いくら変なおじさんでも、まさか核戦争を仕出かす事は無いと思うが昨今の北朝鮮の動きは常軌を逸し尋常では無い。アメリカと韓国の大規模な共同軍事訓練に対して、北朝鮮は度重なる核実験やミサイルの発射など、我々も力では負けない、こんな巨大な軍事力があると誇示しお互いにエスカレートしつつある。こんな情勢にその内なにをやらかすか?と本気で心配になって来た。
我が国の安部首相もこれまでも外交ルートを通じ厳重に抗議を繰り返して来たが、今回もアメリカトランプ大統領と電話会談し同盟国の安全を守る為、あらゆる処置を講じ、外交力を駆使して北朝鮮への制裁強化を目指す方針と発表した。今回のICBM発射に伴い北朝鮮から発表されたメッセージは常軌を逸した恫喝で北朝鮮は何を狙っているのか全く分から無くなってきた。へんなおじさんが一刻も早く正気になって欲しいと願うばかりである。

乏しい感性と闘う

2017-08-07 17:42:43 | Weblog
先般テレビの「昭和は輝いていた」と言う番組で、かってNHKの看板番組「夢であいましょう」でメンバーだった永六輔、中村八大、坂本九達の活躍ぶりを報じていた。当時この番組を見て、みんなそろいも揃って、なんて素晴らしい感性の優れた人達だろうと感嘆したもんだった。この人達は人知れぬ努力もあった事と思うが、なによりも持って生まれた天分があってこその素晴らしい才能を発揮しているのだろう。別のテレビで永六輔、中村八大が対談する番組があり、これらの人達の元には弟子に成りたいと大勢の若者が押し寄せてくるが入門面接で頑張るからと熱心に懇請されても、この世界で生きる為には所詮持って生まれた才能が無い人は駄目だと語っていたのを思い出した。翻って我が身には持って生まれた才能は微塵も無い。音楽、歌、運動神経等々「芸は我が身を助ける」と言われる芸が吾輩には全く無い。そんな人間が複雑な人間関係の中で、よこぞここまで生きてこれたな!と振り返っている。世の中には「かなわない人」が沢山いる。人を感動させる作詞・作曲する人、絵画や弁舌爽やかに人を感動させる人をみると憧れるが、とてもかなわない人を目指して頑張っても駄目なものは駄目だと諦めるのも必要だろう。乏しい感性でも何かしら出来るものを見付けて頑張ってが、しいくら頑張っても人を感動させる何かが出来ない。素晴らしい感性を持った人を見ると我ながら情けなくなってしまう。人それぞれの人生であるが、弛まぬ努力は続けて行かなけばならないと心に誓った次第。