気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

今年も夏が去って行く

2016-08-29 11:06:38 | Weblog
今年八月の猛暑日(三五度以上)が二十一日となり、2000年と2010年の二十日を超えて過去最高となった。こように暑かった夏もようやく涼しくなってきた。暑いのは辛いが、涼しくなり秋の気配が漂い始めると言い知れぬ寂しさを感じる。ああ!夏が去って行く。去り往く夏に、なんと言ったらよいのかとにかく限りない愛おしさが湧いてくる。夏は暑いが故に生命が湧きあがって「去りゆく夏に名残を惜しむ」と言う言葉があるように、人々はそれだけ夏と言う季節に心が惹かれ、もっと夏を楽しみたいと言う想いから夏と言う季節が去って行く事に未練を感じるのだろう。山へ、海へと心が掻き立てるられる夏であるが、この歳になると出歩くのが億劫になり何処へも行けなかった。
夏の暑さは高齢者にとっては肉体的に堪えるが、今年は特に身体的に衰えが顕著に感じた年であった。庭を歩いていてもひょろつく事が多くなった。座った姿勢から立ち上がる際もよっこらしょ!と相当力をいれなければならない。長年乗りなれたバイクも回り角でひょろついて転倒しかね無い事が度々あり、このあたりで事故を起こす前にバイクを止まなければと思う様になった。バイクを手放すと行動が大変である。買い物や月に一度の書道教室などこれまでの様に出歩け無くなる。こうして夏が去り、言い知れぬ寂しさが身体の中を吹き抜けて行く。

リオデジャネイロオリンピック

2016-08-23 15:52:14 | Weblog
リオデジャネイロオリンピックが十七日間の日程を無事終え日本時間の八月二十一日閉幕した。
当初関連施設工事の遅れや治安状況の悪化など、開催そのものが危ぶまれたが計画通り事が運び見事なオリンピックだった。今回特に日本人の活躍が目覚ましく日本人にとっては記念すべき大会となった。体操に始まり、卓球、男子四百メートルリレーなど日本人の活躍が際立って感動の連続だった。ブラジルと言えば日本と丁度地球の裏側になり時差が十二時間で各種のメイン競技の中継が眠い目を擦りながらの夜中では無く、昼間の頃合いの時間となった事も幸いだった。
体操は日本のお国芸とも言われプレッシャーが重くのしかかるる中、団体で優勝し金メタルを獲得したのは見事だった。内村選手初め、各選手が厳しい練習の成果を遺憾なく発揮して、人間技と思えぬ美しい演技で見事優勝した。また卓球がこんなに激しいスポーツだとは知らなかった。強敵中国に対して凄いラリーの応酬は見応えがあった。不可能とも思える目にもとまらぬ凄く早い打球を打つ返す技は神業に見えた。人間練習すればこんな事が出来るんだ!これまでの厳しい鍛錬と強靭な精神力にスポーツ選手の凄さを目のあたりにした。準決勝でドイツに敗れ銅メタルに終わったが、その健闘に心から拍手を送りたい。陸上競技ではこれまで男子短距離競技でメタルを取った事が無く、体力の格差に悲哀を囲ってきたが、今回は百メートル九秒台を出した選手が居ない中、見事なバトンリレーを見せたチームワークで勝利を勝ち取った。陸上競技でアメリカを抜き銀メタルを獲得した事は歴史の残る大快挙だった。
閉幕式は就任したばかりの小池新東京都知事が五輪旗の引き継ぎ式を和服姿で登場した。
舛添前知事がこの五輪旗を引き継ぐ大舞台に立つことを夢見てきたが自らの不祥事でその夢は果たせなかったが、このテレビ中継をどんな想いで見たのだろうか。
五輪旗引き継ぎ式の和服姿の小池知事は艶やかで絵になる光景だった。

介護認定

2016-08-13 10:41:01 | Weblog

家の中をバリアフリー工事をしようとリフォーム 会社と相談している中で、バリアフリー工事には介護認定者には大幅な補助の制度があるので、あなたは脳梗塞の後遺症で歩行が不自由な上、あなたは相当な高齢者なので一遍介護認定の申請すればと奨められた。
そう言えば最近身体の体力の劣れは酷く、出歩くにも杖が必要な状況である事から、この際、万が一の場合に備えて介護認定を申請しておくのも必要かと思いつつも、要介護者になると社会的弱者となるので申請する事に躊躇いがあった。しかし年齢的にもソロソロ介護が必要な時が必ずやってくるので、この度切って介護を申請した次第である。
早速市役所から担当の介護の専門の方が見えて介護が必要かどうか、小生の身体の状況の調査に来た。介護保険と言う制度はあるが、介護を必要とすろ老人が増える中少しでも介護保険を増やしたくないと情勢でもある事から審査は厳しい状況と察しられた。
八月末までには審査結果が出る予定であるが、介護が認定されれば、数々の特典が受けられる。しかし人間にはプライドと言うものがある。介護が認定されれば、社会的に弱者の一員となりこの社会の中でお荷物的な存在となる事に抵抗がある。出来る事なら社会から、世話にならずに残された人生を過ごしたい。
そうは言っても人間最後には誰か世話にならざるを得ない。衰えた身体でどう生き抜くか考えている。