二千十八年の新しい年が明けて、今年の誕生日には満八十七歳となる。戦後の食糧難の時代、碌なものを食べずに発育盛りの少年期時代を過ごしてきたにしては、良くここまで生きてきたな!とつくづく思う。十二歳年が離れた長兄が数年前八十五歳で亡くなったが、八十歳過ぎた頃から長兄も随分長生きしたな!と思っていたが、今やその長兄の年を越え、介護の世話にもならず、体力の衰えは如何ともし難いがまずまずの健康で生きている。
先般評論家の西部邁が「周囲に貢献するより周囲に迷惑をかけることが多くなると人間は生きている意味が無い」と七十八歳で自死したが、今の自分には周囲に貢献できることは殆ど無いが、介護の世話になったり、身の回りの事も自分で出来ないで、周囲に迷惑をかける事も無く過ごしている。しかしこれではいかんと何とか周囲に貢献出来る事がないかと懸命に模索するが、生まれながらの不器用・無芸では困難で果たすことは出来ないでいるが、自分なりに生き甲斐を見つけて頑張っている。
あとどれだけの命か分からないが、精一杯遣らねばならない事をやって、満足出来る人生を送ろうと考えている。
先般評論家の西部邁が「周囲に貢献するより周囲に迷惑をかけることが多くなると人間は生きている意味が無い」と七十八歳で自死したが、今の自分には周囲に貢献できることは殆ど無いが、介護の世話になったり、身の回りの事も自分で出来ないで、周囲に迷惑をかける事も無く過ごしている。しかしこれではいかんと何とか周囲に貢献出来る事がないかと懸命に模索するが、生まれながらの不器用・無芸では困難で果たすことは出来ないでいるが、自分なりに生き甲斐を見つけて頑張っている。
あとどれだけの命か分からないが、精一杯遣らねばならない事をやって、満足出来る人生を送ろうと考えている。