気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

ポプラの樹

2013-06-26 09:44:56 | Weblog
子供の頃、我が家の庭に数本のポプラの樹があった。裏口を出た正面と家の西側にあった納屋の西側外に数本あった。いずれも家の周りの樹としては大きな樹で、あたりにこんな大きな樹は珍しかった。特に裏口を出た処にあったポプラは子供の手では抱えきれない程の太さで高さが十メートルはあろうかと言う位大きな樹で庭の真ん中で聳えていた。
我が家は、私が生まれる前に父が大阪から空気の良い河内の、しかも村から離れた農地が拡がるど真ん中の土地を購入して家を建てたもので、ポプラの樹は土地を購入する前からあったのものか、購入してから父が植えたものか分からないが、京都の町屋風の家には何の変哲もないポプラの樹は不釣り合いな樹であった。
今はそんな事する親はいないが、父に叱られた時、お仕置きに、しばしばこのポプラの樹に縛られた。ポプラの樹には毛虫が多く、夏に縛られると毛虫に刺され痒くてたまらなかった思い出がある。
納屋の西側のポプラの樹は五~六本並べて植えられており庭のポプラに比べれば少し小振りであったが遠くからでも良く見えた。夕食は父の帰りがいくら遅くても父がが帰ってから食べる習わしになっていたので納屋の窓からひたすら父が乗って帰って来る自転車の明かりを覗いたものだが、夏には茂ったポプラの葉っぱが邪魔して父の自転車のランプの明かりが良く見えない事もあった。
夏になると一面に拡がる田んぼのただ中に聳える大きなポプラ樹には、自然と蝉・トンボの住み家となり、夏休みには友達が集まって来て我が家は蝉取りやトンボ取りの遊び場となっていた。
京町屋風の家を建てた父にしては、毛虫が多く花も咲かず、実もつけず、小さな葉が日を照り返すだけの何の変哲も無いポプラの樹は、あまり似つかわしく無かった。そんなポプラの樹が何本も我が家の庭にあったのはそれなりの理由があったのでは無いかと思うが、父が亡くなった今となってはその辺の事情は調べるすべも無い。子供の頃の情景の思い出のなかにあるポプラの樹、父がどんな思いでポプラの樹があったのか聞いておいて見たかったとなと、遙か遠い昔を懐かしんでいる次第である。

最近の生活

2013-06-08 11:16:12 | Weblog
最近毎日の様に病院通いだ。命に係わる病気では無いが始終身体のあちこちが痛み昨日はあちらの病院今日はこちらの病院と忙しい毎日だ。それにしても体力がすごく衰えたきた事は確かだ。この年齢になると同世代の人たちの訃報に接する機会が多く自分だけが例外では無いと思うと、頭が少しくらくらすると来るものが来たかと、常に死と対峙して生きている感じだ。先日も横腹に鈍痛を感じるので医者に診て貰ったら、大腸の内視鏡検査を勧められ検査を受けた処、検査後便が出なくなり、昨日その検査を受けた市民病院に行ったら原因分からず浣腸してやっと便が出た。検査結果を聞く為昨日市民病院へ行ってきたが、基本的には問題無かったが、ポリープが散見され、一年後位に再度内視鏡検査を勧められた。
唯一の楽しみであったデジカメ携えての出歩きも最近億劫になりつつあるな!と徐々に感じる様になってきたが、まだまだ家に閉じこもってしまう訳には行かない。出て行く予定がある日は何か気分が浮き浮きとするのも気力が萎えていない証拠だと思っている。
最近まで出歩いても、自分が社会的に弱者だとは思った事がなかった。しかし最近はつくづく社会的に弱者だな!と感じる様になった。