気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

今年の初詣

2011-01-23 16:32:36 | Weblog
毎年恒例の清荒神さんへ昨日お参りしてきた。いつもなら正月早々にお参りするのだが今年は妻が昨年末溝に足を滑らせて打撲し、骨に罅が入った為痛みが治まるのを待っていたので遅いお参りとなった。正月から大分日も経っている事から人通りも少なかったが帰る頃になると人通りも増えて参道は賑っていた。
駅から荒神さんま約一キロあまりの参道はなだらかな登り道で若い頃は何でもない道だったが、加齢と共に少しづつきつく感じるようになった。子供が小さい頃子供にとって、この参道を歩くのが大変だったと子供が成長してから聞いた事がある。今年も特段苦しくも無く歩いたが、何時まで歩いてお参り出来るのか、歩きながら考える様になった。何時かそうゆう時がやって来る事は間違いないが、今年とにかく無事にお参り出来た事に感謝しなけねばならない。 清荒神さんの境内には今年の運勢を書いた看板がある。
私の今年の運勢は「木星星」で真っ白である。妻は「水星星」で半白いずれも悪くない運勢である。今年一年家族みんなが無病息災で良い一年である様祈りながら荒神さんを後にした。

老いの道

2011-01-19 16:44:47 | Weblog
今年の誕生日を迎えると満八十歳となるが、我々の世代は育ち盛りの幼年期、戦後の混乱の真っ直中で十分な食料が無く空腹に喘いでいたにも拘わらず八十歳の今日まで生きながらえて来たと言う事は不思議と言う外は無い。自身の認識もそんなに高齢になったと言う感覚は無く、ただ歳をとったな!と言う感じである。精神的にもまだまだやりたい事や、欲しいものも一杯あり五十代中年の感覚と変わらない気持ちでいる。
それでも新聞やテレビで著名人の訃報に接すると、その年齢が自分より歳下の場合が多いのに驚く。つまり年齢的にはいつその様な事態になってもおかしくない年齢だ言う事だ。
若い頃は少し体調がおかしいな!と感じても、一過性の事態と認識し、それが原因で生命拘わる事など考えもしなかったが、最近は少し頭がくらくらするとか、胸騒ぎを感じるとか言った状態になると、いよいよ来るものが来たかと不安にかられる様になった。
死に際までピンピンと元気で突然コロリと死ぬ事をPPKと言うらしい。PPKは誰にも迷惑をかけず死に様としては好ましい死に方かもしれないが、死ぬ本人にとってみれば、世話になったみんなに囲まれてお礼の一言も言って旅立ちたいものである。
いずれにしても残り少なくなった限られた時間を如何に生き生きと生きるか、人生最後の仕上げを急がねばならない。

孫の大学受験

2011-01-17 11:06:10 | Weblog
一昨日、昨日と大学入試のセンター試験があった。例年センター試験の日は厳しい冷え込みに見舞われるが、今年も全国的に今冬一番の厳しい冷え込みで各地で豪雪に見舞われた状況の中で行われた。各地で猛雪の為交通機関が麻痺し試験時間を遅らせた処もあった。
長い人生の中で最大の試練と言われる大学入学試験は若者にとって精神的にも肉体的にも大変な負担に違いない。娘の次男が今年大学入試で東京の進学塾に通い、大学入試に挑戦している。孫は親の転勤でドイツのミュウヘンでハイスクールを終え、帰国子女枠での試験の為センター試験を受ける必要は無いが、いちようセンター試験は受けている筈である。
新聞に掲載されたセンター試験の問題を見ると若い頃にはそれなりの能力があっても、現在の力ではとてもとても回答は難しい。
こんな難しい問題が解答できる若い力と言うのは素晴らしいな!とつくづく思う。
若者が将来を見据えて何を学びたいか、その為にはどの大学が良いかを選択し希望する大学目指して勉学に励む姿は老いの身から見ると眩しく輝いている。
心から声援を送り孫の幸せな将来を祈るばかりである。
孫が目指す大学の入学試験は来月の末である。今流行のインフルエンザに注意し体調を整え日頃努力してきた成果が試験で十分発揮出来る様祈っている。

助け合いの輪をもっと広げよう

2011-01-15 11:59:27 | Weblog
昨年は、高齢者の孤独死が日本各地で発見され、家族の絆が希薄になり社会的な問題となったが、昨年末にタイガーマスクの伊達直人を名乗る人物から恵まれない子供にランドセルをプレゼントするニュースをきっかけに、今年になって恵まれない児童にプレゼントする現象が日本各地で続いており年が明けて明るいニュースが話題になっている。
厳しい経済情勢を背景に殺伐としたニュースが多い中、明るいニュースに誰もが心温まる思いを感じた事だらう。
殺伐とした世相に見えても、人間誰しも心底は暖かい心が通っている証拠だろう。市民一人一人の中には世の中に役立ちたいとの思いが脈々と流れており、そんな思いを果実として実らせるには、一人一人の思いを結集させるきっかけが必要だ。
助け合いを通じて贈られた方は勿論嬉しいが、贈った側も世の中の役に立ったと嬉しいものである。
たとえささやかでも、世の中に役立ちたいと言う思いは誰しも持っているものであるが、実際に行動を起こすとなると中々難しいものである。
かって大阪は中之島公会堂始め、大阪城、通天閣などの施設はすべて市民の浄財で作られたものであり大阪の誇りであった。きっかけがあれば市民の力ですごい事が出来る。公の力に頼らず、個人の力で助け合いの輪が広がれば、世の中もっと明るい世の中にする事が出来る。
タイガーマスク現象が線香花火に終わらず、これからも助け合いの輪が益々広がって欲しいと願っている。