気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

国旗・国歌について

2015-04-22 11:49:28 | Weblog

国旗・国歌が揺れている。入学式や卒業式で、国旗を揚げ国歌を斉唱する事に対して安部首相が国会で国立大学に於いて「教育基本法の方針にのっとて正しく実施されるべきだ」との考えを示した事に対する波紋である。教育基本法では、国と郷土を愛する態度の涵養を教育目標に掲げ、小中高校では学習指導要領で国旗掲揚や国歌斉唱を指導する様定めている。大学には学習指導要領の様なものは無く大学個々の判断で扱われて来たが、大学に於いても式典で国旗掲揚や国歌の斉唱を広く促すのは当然の事と言える。これに対して大学は大学の自治が脅かされかねないと批判がでているが、 大学の学問の自由問題はさておき、国と郷土を愛する象徴として国旗を掲揚し、国歌斉唱と言う事には全く異論は無い。しかし問題は国旗・国歌の中味にある。戦争時代に育った昭和一桁生まれの者にとって「日の丸」は 太平洋戦争で錦の御旗として日の丸の旗のもとで多くの戦死者を出し、侵略戦争のシンボルとしてのイメージがどうしても付きまとってしまう。国歌の「君が代」も日本の国と言うより、天皇統治の弥栄を歌った内容で、君が代の歌のもとに、散って行った多くの兵隊や周辺各国へ多大の損害を与えた戦争とどうしてもイメージが重なり平和日本には相応しく無いと言う思いが強い。天皇は戦争責任こそ問われなかったものの戦争を遂行した時の日本の元首と言う立場にあり、その天皇の弥栄を歌う君が代は平和日本にはそぐわないのではないか。最近君が代は天皇の弥栄を歌ったのでなく日本の国の弥栄を歌ったものだとの解釈も出ているが本当の処は良く分からない。日教組が日の丸の国旗、君が代の国歌に激しく抵抗したのもこの戦争中のイメージがこびり付いていたからである。昭和一桁生まれの者にとって日の丸・君が代は侵略戦争の悪しきイメージを振り払おうとしても身体に染みこんでいる。終戦時例えば、フランスの様にフランス革命で蜂起した人民が掲げた自由・平和・友愛の諸原理を三色旗として国旗にしたものであり国歌は革命軍を鼓舞する為に作られ、いずれも人民の総意が国旗。国歌に込めれれており、フランス国民が心から敬意する国旗・国歌となっている。日本も敗戦時、国民の総意による新生日本に相応しい国旗・国歌を作っていればこんな事態に成らなかったと思う。しかし今更そんな事を言って仕方が無い。時は移り戦争を体験した事が無い世代を迎えると昭和一桁生まれの様な日の丸・君が代に対するアレルギーは無くなり、日の丸・君が代は素直に国及び郷土を愛する国旗・国歌として認識される様になるのではないか。そうあって欲しいとつくづく思う。

             

今年の桜

2015-04-07 11:35:05 | Weblog
今年も桜の季節がやって来た。齢八四歳を迎え、後何回桜を楽しめるかと頭の隅をかすめるが今年も悔いのない桜を楽しみたいものだ。日本一美しいと言われる弘前城公園の桜、これまで四回訪れたが、城の補修で今年見逃すと後十年弘前城を背景にした桜は見れないので今年も訪ねるべく一月に一人旅のツアーを申し込んだ。先般弘前市役所に開花情報を問い合わせたら四月二十一日の開花、二十五日の満開との事で、これではツアーで弘前を訪ねるのは五月二日になると葉桜の状況となり、ツアーをキャンセルした処である。
さて関西地方の桜の開花は例年より二~三日早く、三月末に和歌山で開花宣言があり、桜前線の北上が始まり大阪城の桜も四月になって満開の情報が入ってきた。しかし四月になってから連日雨模様の悪天候続いている。折角待ち望んだ桜が咲いたのにこれでは全く台無しで、おてんと様を羨むしか仕方がない。
それでも四月二日だけ天気になるとの予報で四月二日大阪城と大川沿いの桜を観賞に出かけた。大阪城の桜は例年より桜の花が少し少ない様に見えたが、晴天で満開の桜に大勢の人々が花見を楽しんでいた。特に外国からの観光客の多いのに驚く。大阪城公園ではベンチに座ると右も左も中国人。ヨーロッパからも相当多い様に見受けられた。これら外人観光客は軽快な服装で、ぶらついていても物を取られる心配はないし、安心して観光出来る上、日本には魅力ある品物が一杯!軒並み持っているカメラは、恐らく日本で購入したであろう殆どCANONかNIKONの高級カメラだ! 外国観光客はこんな日本をどんな目で見ているのかなって!あたりをぼんやりながめながら、こんなのどかで平和な日本って素晴らしいなとつくづく感じた次第。
続いて昨十一日も雨続きの晴れ間を縫って天気が良かったので妙見山など桜巡りをしてきた。この歳になって行きたいところへ杖もつかず自分の足で連日一万五千歩ばかり出歩ける幸せを感謝している。
別れ、そして旅立等人生の節々に桜があり、長い人生を振り返り満開の桜を見て何だか切なくなるが、心が癒され桃源郷の境地へ誘なう不思議さがある。ああ!今年も桜を楽しむ事が出来た。感謝!感謝!
  芭蕉の句に「さまざまなのこと 思いだす さくらかな」