気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

困った隣国

2018-11-30 11:41:15 | Weblog
韓国最高裁は10月第2次世界大戦中に朝鮮半島から動員された韓国人の元徴用工に対して新日鉄に多額の賠償を命じる判決を下したのに、引き続いて、またしても三菱重工に対して同様の賠償を命じる判決を下した。
韓国に対する第2次世界大戦中の賠償は一九六五年の「日韓請求権・経済協力協定」で日本が韓国に、当時の韓国の国家予算のほぼ2年分に相当する計5億ドル(無償3億ドル、借款2億ドル)の経済援助を提供した上で、「完全かつ最終的に解決された」と明記された協定書を締結し、賠償問題は日韓両国間で完全に解決された。にも関わらず韓国は国際的なルールを無視し、今回の判決を下した。今後も日本企業に賠償を命じる判決が相次ぐ可能性が高く日韓関係が更に冷え込む亊が避けられない状況にある。
これに対して日本政府は国際裁判や対抗装置を含め毅然たる態度で望む姿勢を崩していない。当然である。
韓国には日本には負けたくないと言う潜在意識が強い。スポーツは勿論経済・文化の面で韓国が日本の後塵を拝する亊は韓国人にとって我慢ならないらしい。韓国では憲法の上に国民感情法と言う目に見えない法律があると言われている。慰安婦問題しかりである。いくら協定書で約束しても韓国人の心の中には、日本は古来から韓国から文化を学び、文化を進歩した国であって韓国は日本より優れた国だと言う認識が強く浸透している限り今回の様な事案が繰り返され、解決する亊は困難だと思う。友人が韓国旅行し、ある博物館で「勾玉」を見て日本にも同じ物があると呟いた処、後ろにいた韓国人の女性が”何言ってるんですか、勾玉は韓国から日本に伝来したものです”と厳しく咎められたと言う。
韓国は「日韓請求権・経済協力協定」によって受けた資金を元に道路やダムなどの社会資本の整備を進め今日の経済成長の基礎を築き、今や韓国は経済面で日本を凌駕する勢いである。
自動車や電子機器の分野で世界を席巻しているが、韓国民は心の底で未だに日本に対して、かって受けた日本による植民地支配の歴史から抜け出せ無いでいる。何時までも過去に拘っていては明るい未来は無い。
日本人は人類で初めて原子爆弾の洗礼を受け16万人の死者、また全く無抵抗な市民を無差別に空襲で襲い約30万の死者が出たがこの事実を冷静に受け止め、明日に向かって前向きに生きている。


高齢者になってからの年齢感覚と身体と心について思う事

2018-11-13 20:42:16 | Weblog
私は今年の九月に誕生日を迎えると八七歳となります。九〇歳近くまで随分齢を重ねたもんです。こんな高齢になっても気持ちは若い頃とあまり変わっていないが、体力的には衰えが激しく高齢になった事は肌に感じている。長年務めたN社を昭和六十三年五十六歳で退職した。N社には定年と言う制度はなかったが役職者は概ね六十歳迄と言う不文律があった。五十四歳でノンキャリアにはガラスの天井と言われた職位に抜擢され、夢は大きく拡がり、新しい職位でも業績を上げて、これから先まだまだ新しい職位で活躍する夢を膨らませていた時、突然肩を叩かれた。N社でこれからまだまだ頑張れると退職など微塵も考えていなかったのでシヨックは大きかった。俺も後輩に道を譲らねばならない歳になった事を悟り溜息を着くばかりだった。幸い再就職も無事出来、その再就職会社先の定年六二歳まで勤めた。更に七〇歳まで働くぞ!と中小企業の工事会社に再々就職し、六九歳まで勤め上げた。まだ仕事する元気満々であったが、残った時間をもっと自由にやりたい事をする為、退職した。
すべての仕事から解放され、好きな旅行など随分楽しんだ。七〇歳前半は体力的にも衰えは殆ど感じず、現役時代と同じ様な感覚で自由な時間を謳歌した。
しかしである。八〇歳台に入り体力の衰えを痛切に感じる様になった。七〇歳台は高齢者ではあるが、気持ちは若く社会的弱者と見られるといい気はしなかった。例えば電車に乗っても席を譲られるとそんな年寄では無いと聊か反発したくなったが、最近は席を譲られて感謝!感謝!だ。気持ちも大分老いて来た。一昨日も急に胸が痛くなり気分が悪くなり横になった。もしかしてこのまま逝ってしまうのではないかと思うくらいしんどかった。しかし一晩寝ると平常な状態に回復し安堵したが、この様な事はこれから度々起きる事は覚悟しておかねばならない。
最近仕事を共にした友人や若い頃からの盟友も相次いで鬼籍に入った。親しい話し相手の友人がこの世から去って行くのは寂しい限りである。
しかし来年は傘寿となり、ラグビーのワールドカップが、再来年には東京オリンッピク、そして更に大阪万博と、この目で確かめたいイベントが目白押しだ!何としても元気で頑張って生き抜かねばならない。最近弱った体力は、道を歩いていても背中が猫背になり、歩く歩幅が小さくなって、おじんのよちよち歩きになっている。電車からプラットホームに降りる時、ふらついたり階段の上り下りには必ず手摺を持ち、他人から見ると介護老人そのものでの風采だ。醜い歩き姿を親しい知人に見られたくないと人を避けようとする。高齢者が車椅子を使っている様子を近い将来の自分の姿に映して考えたりしている。
今日も少し庭仕事をしたら身体が凄く疲れたが、毎日やる事が無いと言う友人がいる。私には毎日やらなばならない事に追はれている。しかしそのやらねばならない事に対する熱意が衰えていることに問題がある.朝起きて今日やるべき事をメモして一つ一つこつこつと遣りとげる気力が必要だ。よし気力を奮い立たせて頑張ろう。