気ままに日記

大好きな写真と思いつくままに綴る日記です

写真とタイトルについて

2019-06-17 16:49:26 | Weblog
       「里帰り」自然総研 TOYRO 平成21年7月号に掲載    
        「旅立ちを語る」自然総研 TOYRO 令和元年年6月号に掲載
池田泉州銀行が顧客サービスとして実施しているカルチャー活動の機関誌「TOYRO」 の写真コーナーに投稿した写真が掲載された。写真のタイトルは「旅立ちを語る」。
爛漫と咲き誇る桜の下のベンチで若者が楽しげに語り合っている写真だ。故郷を離れて学業生活に入る者、学校を卒業しそれぞれの道を歩みだすなど春は別れの季節だ。また人事移動でこれまでの生活とは違った生活を歩む者もいるだろう。これら若者にとってこれから展開するであろう新しい未来には夢と希望そして不安が交錯し青春の甘酸っぱい香りが漂ってくる。 若者三人は何を語っているかは定かでは無いが、この画面・タイトルから伝わって来るものは、恋人は出来たか、大学はどんな処にあるんだ、就職した会社はどんな会社か・・・等々の会話が聞こえて来そうである。画面を通して人生一度はこんな青春を経験した記憶が蘇って来るに違いないとタイトルをつけた次第である。
もう一点玄関のたたきに靴が一杯の写真に「里帰り」のタイトルをつけた写真が採用された。写真に人間の姿は一人も見当たらないが、この屋敷の奥には大勢の家族が里帰りで詰めかけ、楽しく団欒している様が浮かんでくる。子ども達も成長し所帯を持って孫も出来、盆・正月には総勢引き連れて帰省してくる。健やかに成長した孫達に囲まれて過ごすひとときは至福の時間だ。玄関先の多い靴はそんな家族の有様を暗に示いている。
報道写真家の「宮嶋康彦」が言う。報道写真にはタイトルが重要だと、報道写真に限らず写真には一目すれば写真が訴えようとするものが分かる「タイトル」があって生きて来る。

ジェットストリーム

2019-06-03 17:19:37 | Weblog
昭和四十年代初期に深夜ラジオで放送され、洗練された雰囲気と感動で絶大な人気を博した「ジェットスチリーム」のCDコレクションの広告が新聞に掲載された。広告を見て、ジェットストリームが放送された当時が懐かしく、世界への旅へと扉を開いたこの番組は青春まっただ中で味わった甘酸っぱい思い出が蘇ってきた。
あの頃の昭和四十年代当初と言うと戦後復興から立ち直ったが経済的にはまだまだ貧しく、電化製品もようやく普及し始めたばかり、海外旅行など夢の夢だった時代だった。昭和三十五年に結婚し子供にも恵まれ幸せ一杯の生活、しかし次々に発売される新しい電化製品で欲しい物が溢れた時代に当時の月給は五万円そこそこ、海外旅行となると数十万円は必要であり、一般サラリーマンには中々手が届かない夢の世界だった。その夢の世界をジェット機が遠い地平線に彼方へと誘う番組は甘くとろける様な青春時代の想いをかき立てた。
当時、会社からの帰り、近くの駅から家までの十数分歩くが、冬の夜道は星が綺麗だ。歩きながら煌めく星を眺めていると限りなく神秘的で荘厳だ。東空に大きく輝く星は何と言う星だろう。星空を眺めていると大抵飛行機がランプを点滅させながら東の空から西へ、反対に西の空から東へと向かって飛んで行くのが見える。毎晩同じコースを飛んで行くのできっと上空は定期航路になっているのだろう。
スピードがかなり早いので爆音が聞こえた時には、飛行機は大部通り過ぎてしまっている。飛行機を眺めながらその飛行機にはどんな人が乗っているのだろうかと思いを馳せる。あの飛行機は国内線だろうか国際線だろうか。早く定年退職を迎え自由の身になって、今見上げている様な飛行機に乗って、憧れの外国旅行を思う存分に楽しみたいと言う夢と「ジェットストリーム」と重なる。
しかし外国旅行は一人ではつまらない。苦楽を共ににした妻と共でなけねば。その為にも後数年お互い健康に気を付けてがんばろうと思いつつ家へと急いだものだ。 昭和六十三年長らく務めた会社を退職し、妻と共に憧れていたヨーロッパ旅行に出掛けた。日本もその頃には高度経済成長も終わり、サラリーマンの収入もかなり上がっており、海外旅行も手が届く程度の価格になっていた。永年無事務めた御褒美にヨーロッパ旅行に妻と一緒に出かけた次第。成田からアンカレッジ経由でロンドンへ向かったが飛行機の中はジェットストリームさながらこれから体験するであろう外国の風景を夢見ながら感動でしびれていた。