くどいですが(笑) 病棟のリハビリテーション

2013-10-02 | リハビリ
話が少し生々しいですね。これでも書けないことのほうが多いです。でも病院は知っていますので、病院におまかせで大丈夫です。

家の近くに盲学校があります。以前ラッシュのときのバスで、乗車訓練しているのを見たことがあります。乗るバス停と降りるバス停に教官、教師三名ぐらいいますが、ラッシュのバスに乗ったり降りたりするのは生徒一人でします。手助けはありません。

始発のバス停ではなく、満員状態のバスに途中から乗車します。もちろん身動きなんてできませんし、席をゆづられることもありません。ガラガラのバスでは、訓練になりません。本人のためだと思いました。

私は病棟で具体的に書けないぐらい、よくしていただきました。病棟ではできない事は、やってもらえますが、最低限だと思います。日本語がヘンですが、何もしてもらえないと思ったほうがいいです。

車椅子をベッドのわきにおいて、「乗れ」といわれます。自分で起きられないので、まじまじとPTを見ました。目が「やれ」といっていました。電動で体を起こし、転落防止柵、ベッドのフレーム、車椅子の肘掛を使い移乗しました。

乗ってしまえば車椅子免許皆伝でしたが、5・6分がいいところでした。ベッドで休んでから、移乗の訓練をかねて、一日何回か車椅子に乗りました。こっそり別の病棟のトイレで、便座に移乗もしてみました。

平行棒の前に連れて行かれて、PTは平行棒の中にパイプ椅子を置いて、それに座って「たて」と言いました。ヤッパリまじまじとPTの顔を見つめました。手の力だけで立ちましたが、ものすごい思いをしました。そんな状態の患者(私です)に、スクワット10回を三本もやらせました。

このとき、これではリハビリが続かないと感じました。もっと楽に立てるように考えて、練習しました。

一人で立てると、すぐ歩行器で歩行訓練でした。PTが歩行器を、支えてくれました。もう顔を見つめる事はありません。さっさと歩行器にしがみつき、ぶら下がりました。
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2013-10-01 | リハビリ
私が知り合った人たちは、愛想がなく能面のような顔をしていましたが、セキソンの麻痺とリハビリに関して(それ以外の医療行為も含めて)真剣でまじめな人たちでした。結果は私です。

その人たちに認めてもらうのは、難しいようで簡単です。普通の社会人でいればいいと思います。アレッ(笑) 難しいかな。

リハビリをするためには、リハビリに特化することだと思います。死にたい、つらいなんて言っている場合でないぐらい、深刻な怪我です。

何も感じない体で、病室の天井、窓からの青空、隣の病棟の屋上だけを見て一ヵ月半ぐらいベッドの上で寝ていました。体はつらくないので、重症だと自己判断して、自己中リハビリ計画を立てていました。最初のリハビリ計画書の車椅子の欄に、ハテナマークがついていました(笑)。

5・4病棟へいけることになったので良かったのですが、「回復期リハビリ病棟」という名前は知りませんでした。

もちろん最初から死ぬ気なんてありませんし、やる気プンプンマルでした。それでも起立訓練、歩行訓練のとき「やるんじゃなかった」と痛感しました。止めてもよかったと思いますが、自分から言い出したことです。チョッと意地を出しました。

その程度です(笑)。

記憶が薄くなってしまいましたが、病棟では二週間ぐらいで立てたと思います。立てるとすぐ、歩行器を持ってきて歩行訓練です。五ヵ月後には院内で独歩です。無駄がありません。

立つ時は、靴底の抵抗を利用しました。使うのは、もちろん握るタイプの平行棒です。一人で立つための、必需品です(笑)。手をつくタイプを、テレビで見ました。ものすごく進化していますね。

歩行訓練では、靴底の抵抗で、足を引きずれませんでした。即、妻に靴を脱がしてもらいました。このときにブレーキ付き歩行器は、すぐれものだと実感しました。一人で歩行訓練する時の、必須アイテムです。

この歩行器は病棟に一台だけでしたので、年配の方が私物化してしまったので大変困りました。仕方がないのでイッパイある歩行器でやってみたら、前輪がフリーのキャスターだと、フロントが横に流れて前進できないのがわかりました。

前輪が横に流れない歩行器を探してやったら、ブレーキを使わなくてよくなりました。その歩行器もきれいだったので、年配の方が私物化してしまい、自分の病室においておくようになりました。

ふたりとも女です(笑)。
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