少しウザイ

2011-11-30 | リハビリ
病棟には「情報」が、白衣やナースキャップをつけていっぱいいました。また、治療、投薬、点滴、注射、介護、介助などもできるスーパーマンです(私からみると)。途方にくれることはありません。困ることもありませんでした。希望をしたら「歩く」リハビリも、させてくれました。どこの馬の骨かわからない者の、一ヶ月延長入院も許していただきました。全員初対面、初顔合わせです。お勧めです。

自分の思いどうりにならないからと言って、病院を否定するのは子供じみています。少しウザイですが、自他とも認める重症の私でも、リハビリオッケーでした。

今回のリハビリは、玄人の方たちにはウケました。残念ですが、リハビリに一番興味のある方たちにはウケません。結果も証拠書類も出せるのに、なぜなんでしょうね。お金儲けができないからかしら?

リハビリ内容は病院で指示されたことで、特別なことはありません。立てもしない、歩けもしない体でするリハビリなので、スペシャルなこともできるわけがありません。皆さんも経験したか、これから経験するリハビリ内容です。あまりにも、あっけないですね。このブログは病院と同じで、商売っ気がありません。それだから書けます。

まともなリハビリ内容のブログが、でてきたようです。いろいろなリハビリ方法がわかるとよいと思っています。文章もお上手で、そろそろ私も引っ込みどきかなと感じています。
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気楽に読んでね その6

2011-11-27 | リハビリ
人数は少ないですが、セキソンのリハビリ報告が増えてきましたね。そろそろお役御免ですかね。

このブログは自作PCで、書き込んでいます。以前、水冷化はしませんでしたが、クロックアップ(死語)などをしていました。回りにも、HPなどやっている知り合いや、某大手PC会社に勤務しているものがゴロゴロいました。退院後すぐHPを立ち上げて、このブログと同じ内容を書き込むことはできましたが、しませんでした。

何回か書いていますが、ピュアな頭でリハビリされるのが一番よいと思っています。素人の無責任なノイズで、自滅している方が多いと感じています。リハビリメニューは、信じられないほどシンプルです。えらそうに書いていますが、全部病院で言われたリハビリメニューです。

ホントに脊髄を損傷すると、神経が切れてしまいます。それでもリハビリ、訓練をすると歩けるようになるかもしれません。私は絶妙のバランスとタイミングで歩いています。九年近く歩いていますが、足は細いままです。バイパスができて、そこを神経がのびてつながったりしてはいません。

チョロくやったように書いていますが、できないリハビリです。それでもやると言うムチャなリハビリですので、できないからと言っても「普通の人」です。車椅子で、明るく楽しく遊んで暮らして、問題ないと思います。自分の金と自分の時間です。下手に、大変だけど明るく車椅子で生活しているのをアピールしていると、気がついたときに周りに誰もいなくなっているかもしれません。

私はネクラですが、イチパチ、五スロ、クラブツーリング、夜の街の飲み会などをして遊んで暮らしています。おかげさまで、まだ皆さんに誘っていただいています。

リハビリのメニュー、技術、ノウハウ、はこのブログに書いてあります。ノウハウはウザクならない程度に、チリバメてあります。実際にリハビリをやってみると、よくわかると思います。

リハビリをしたことはないのに、タカピーの人たちには一生わからないと思います。

リハビリをすると、長くて五分ほどで体が動かなくなります。インターバルを多くとって、またやるを繰り返します。麻痺していますので筋肉痛、肉離れ、じん帯損傷、疲労骨折が自覚できないからです。また五年から十年ぐらい、同じようなリハビリをしないといけないので、根を詰めると燃え尽き症候群になってしまいます。気をつけてくださいね。お金をかけるのも、気をつけてくださいね。
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気楽に読んでね その5

2011-11-26 | リハビリ
2・4病棟で、案外早く車椅子が許されました。移乗は介助でした。病棟の屋上につきそいと行ったら、自殺防止用の高い金網がありました。妻や息子に聞いていたパリオが見えました。いつか抜け出していくぞと誓いました。部長から背中の金具が安定してからということで、すぐ車椅子は禁止になりました。少し複雑な心境でした。

前の建物の教室のようなところで、50名ぐらいの看護師が研修をしていました。大きな県立病院には、もっと多くの看護師がいましたし、医師もいっぱいいました。何で途方にくれるのかわかりません。

それ以前(ネットがないとき)に圧迫骨折で、院内リハビリ、在宅リハビリを経験していたので特別困りませんでした。何が困難なのでしょう。すべて病院の言うとおりにしていました。ほかにやり方があるのでしょうか。大金をコーディネーターに払って、アメリカの病院に行かないとダメなのかな。そんなのイヤだよ。

今回は健康保険を使いましたし、いろいろな制度(皆さんのほうがご存知だと思う)のお世話になり、リハビリをしました。そのことを無料で、ご自宅で誰でも見られます。わざわざ遠くへ、ひどい思いをしていかなくとも良いですし、いくことができなくて悔しい思いをする必要がありません。

このブログを読んで、気楽になってください。リハビリは簡単なようで、できないのは私がよくわかっています。疑問、わからないことは、病院に相談するのが一番です。素人(無資格)が、仕事の合間にどうこうできるほど簡単だったら、リハビリ科はいりません。脊髄損傷の麻痺を、完全にナメきっていますね。

ゴマすりTVが、年金制度は積み立て制度ではないと言っていますね。以前、積み立て制度と言っていたのは、どうするんでしょうか。完全に「オレンジ共済」ですね。やっぱり来年から減額だそうです。五年かけて減らしていくそうです。もう完全に崩壊しているんだから、今すぐ止めて積み立てたお金を返したほうが、寝覚めがいいと思います。使ってしまったから、もう無いか。
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すみません

2011-11-23 | リハビリ
ミクシじゃなくてミクシィでした。小文字のイがはいるんですね。やったこともする気もなかったので、知りませんでした。
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気楽に読んでね その4

2011-11-23 | リハビリ
今日は病院とは何も関係ない、私個人のエゴ、自己中、思い込み、独善です。炎上は希望していません。

私が病院で途方にくれたか?くれません。ICUではまだ何もわかりませんでした。2・4病棟では電動ベッドに寝かされたので、「病院の経営かな」などとのんきに思っていました。少し落ちついたので、転落防止策を握って体を動かしてみました。腕力には自信がありましたが、ビクともしませんでした。車椅子生活も怪しいなと感じました。でも途方には、くれませんでした。周りに医師、看護師、リハビリのスタッフがいっぱいいました。何も不安はありませんでした。途方にくれた人はチョッと世間知らずで、医療関係者に失礼な人ですね。

ここではパスワードの入力、ミクシへの誘い、挨拶などはありません。誰でも見られますが、もっとうです。それでもお金をくれるというのでしたら、遠慮なくいただきますのでメールをくださいね(笑)。振込先を教えます。

リハビリにはものすごい年月がかかります。ピントがずれていると、何年やっても寝返りひとつできません。ここでは五ヶ月で院内独歩をして、五年かけてマァッいいか程度まで、リハビリしたことが書いてあります。ひとつの目安になればと思っています。

途方にくれなくとも大丈夫です。まだ死んでいません。最悪は死亡です。まだ寝たきりがあります。「諦めが肝心」という言葉もあります。こんな感じでリハビリをして見ました。結果は上出来です。

病院の医師や看護師、リハビリのスタッフは優秀で馬鹿ではありませんでした。いろいろ不謹慎なことを思った私が、馬鹿でした。
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そろそろ年末

2011-11-20 | リハビリ
電気製品の取り説を探していたら、入院して一週間目のリハビリ計画書を見つけました。私のサインがありましたが、覚えていません。

目標のところに「車椅子+ハテナマーク」がついていました。できる活動は、一部介助で飯が食えるだけでした。「している活動」「できる活動」のほとんどに非実施チェックがついてました。懐かしいですね。今度アップに挑戦してみたいと思います。県立病院の名入りの公式書類です。

ここを読んでいる方と、大差ないと思います。体が動かないんですね。足が動かないより深刻でした。電動ベッドがあってよかったと思います。なければ、もっと落ち込んでいたと思います(ホントか)。

ネットで調べると何でもわかるそうなので、少しコツ、ノウハウを書いて見ます。病院は関係なく本当に私個人の思い考えですので、ウザイ、自己中などです。ミクシはやっていませんので、誰でも見られます。気が弱いので炎上が怖いですね(笑)。

リハビリの最中に「素人」と、リハビリの話をしてはいけません。「オガミ」などは論外ですが、隣の県の整骨院がいいとか、月(ムーン)にあるウサギの病院がいいとか、雑音(ノイズ)が多いからです。オメェが、いけよですね。受け入れてくれた病院のリハビリは厳しくつらいと思いますが、休み休みやるしかありません。特別なことなどできる体でありませんし、長時間のリハビリは感覚のない足には危険です。また最初は五分ぐらいで、傍目にもわかるくらいひどい状態になります。PTストップがかかりました。

誤解されたりしましたが、ほとんどベッドでゴロゴロしているようにしか見えません。気にスンナと言っても気になるでしょうね。最後に歩いて見せて、驚かせましょう(笑)。ホントは消灯までの時間もリハビリしたかったのですが、傍目には危険に見えていたので、少ない人数の夜勤者のストレスになると、自主トレ禁止になると困るからやりませんでした。自主トレが大事なのは、前回のリハビリで経験していました。

患者に、小難しい理屈はいりません。動きませんでしたが、とにかく体を動かしました。今はだいぶ動くようになりましたが、今でももう少し動くようになるようにと、動かし続けています。誰もいないところでですが。

また続く。と思う。
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ホントに気楽に読んでね その3

2011-11-19 | リハビリ
私のやったリハビリは、玄人ウケします。玄人の方たちはレントゲン写真を見て、ほとんどわかるようです。

県立病院を退院後、ご挨拶に行ったらものすごく驚かれました。「あなたたちがやらせた」と、言いました。

リハビリをしないリハビリの会の人たちには、ウケません。脊髄損傷になって情報がなく途方にくれた人たちが、ミクシに誘って情報の共有をしないのは何かワケでもあるのかな、なんてね。チョッとイジワルですね。

ここでは危険なことの記述、思わせぶり、金銭の要求、その他は一切ありません。全世界の方々に、読み捨ていただいてかまいません。実際にやったリハビリですので、ほかでは読めないことも少し書いてあります。

すべて二つの病院の指示で、やったリハビリメニューです。経験されている方も多いと思います。もちろん「できない」と思って普通です。圧迫骨折のときに、長いリハビリ期間を経験していましたのでやりました。何回もアキラメましたので、あまり自慢になりません。まる五年でしたが、ほとんどバクチに近かったと思います。途中で手動装置での操縦訓練、ジャイロの乗車訓練などで、気分転換があったので長続きしました。

前もそうでしたが、リハビリは誰も手伝ってくれませんので、全部気楽に一人でやりました。最初の病院でメドをつけさせていただいて、本当によかったと思っています。転院先の労災病院のリハビリ科の医師の指導も、すごかったです。ものすごい年月がかかりましたが、結果短い時間ですみ、費用も安く(現在薬代含めて実費月三千円ぐらい)現実的だと思います。

次のところにまわされないで、ホントに良かった。

最初は寝たきりを覚悟しましたので、やってみるべきだとは思いました。やらせてくれた県立病院のリハビリ科の医師が、一番すごいですね。

もっと言えば手術をした医師、指導した部長、キリがありませんね。本当に多くの皆さんのおかげでバイクをいじって、乗ってツーリングができるようになりました。

結局それですかね。困り者です。
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気楽に読んでね その2

2011-11-16 | リハビリ
一生車椅子の宣告が、そんなに残酷なんでしょうか。私の場合ですが、毎日あれこれ試行錯誤しながら、たっぷり五年かかりました。終わった(止めた)から、書くとこの程度ですが、結果は「マァッいいか」です。それでもクラブツーリングに、バイクで参加できるようになりましたので「大もうけ」です。「一生車椅子の宣告」は診断書に書いてもらえます。私の診断書には、下肢の麻痺しか書いてありません。バクチにもにた五年間と、どちらを選ぶのかはあなたです。

いつも「そっけない」「能面」と書いていますが、全国の看護師の皆さん、心から感謝しています。これからも「厳しい見守り」をお願いします。完全野放しなどと書いていますが、知らないフリをしていただいたと思っています。普通に行けば往復三十分ぐらいのパリオに行くのに、車椅子で行くと往復二時間ぐらいかかりました。昼間でしたが、申告無しに二時間もベッドを空けたら、厳しい監視の目(見守り)にとまったはずです。

いつも読んでくださる方はわかると思いますが、回復期リハビリ病棟でメドをつけないと、だんだん可能性が低くなると思います。立って歩くリハビリをさせてくれる病院は、大切にしましょう。ものすごいことを言われますが、短気を起こしてはいけません。一日ぐらいゆっくり考えてから、それで我慢できなかったら怒りましょうね。

順番に、リハビリ専門の病院に転院、リハセンに転院、最後には、ものすごい請求書を回すところしか残っていません(ほとんど気休めのところ)。

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気楽に読んでね

2011-11-14 | リハビリ
テーマが重いです。内容はものすごくヘビーです。それだから、気楽に読んでください。それでもディープな部分には触れていません。

実際に脊髄損傷のリハビリをして、立って歩いたぐらいで、感動をしてたら後が大変です。私が少しだけウルッときたのは、クラブの合同ツーリングに、初めてクラッチ付き五速二輪車両で参加したときでした。受傷してからリハビリをして、立って歩いてバイクに乗っていましたが、「ほとぼり」を冷ましていましたので、何年もかかってしまっていました。

ネットで探すと何でもわかるそうなので(笑)、在宅リハビリのノウハウをアップするのは止めました。と、いうことではなく、技術的なことはこのブログでフルオープンになっています。これ以上はメンタル的なことになるので、ウザがられますので書きません。

これで無料、タダですので読んだ方は大もうけだと思います。私は二つの病院のリハビリで、大もうけ以上に、「上出来」をゲットしています。オマケはタダに近い、ものすごく安かった費用です。

180日ルールがあるようですが、余り関係ありません。たっぷり五年かかりましたが、健康保険が使えました。それでも麻痺ははっきりわかります。若ければ、もう少しリハビリを、したかもしれません。

脊髄損傷のリハビリに、「たら れば、はない」といったのは誰でしたっけね。私自身でしたね。

リハビリの環境も、少しずつ変化しているようです。ダメ元ですので、医師に相談されるのが、一番現実的だと思われます。私はADSLの時代のときに、立って歩くリハビリを希望して、現在があります。

患者に「チエ」は、いりません。

リハビリするのは、あなたです。
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私だけ

2011-11-07 | リハビリ
このブログは、気楽に読んでくださいね。来年は年金、個人年金暮らしですので、特別な思いはありません。多少の自慢が入っていますが、許容範囲です。ICUにいる患者とその家族が、こんなこともあるのか、ぐらいで結構です。小難しいことは私自身がわかりませんし、患者に必要ありません。何も知らないほうが医師の説明が、わかりやすくなると思います。

私は医学会の常識で、第一腰椎脱臼骨折の脊髄損傷からリハビリをして、立って歩いて二輪バイクに乗って生活しています。簡単にリハビリができたように書いていますが、実際にやったリハビリです。ものすごくデリケートな部分が多いので、へたくそな文章力では、かけないのがもどかしいです。中途半端に書いたのでは、誤解されるのと、危険なリハビリになってしまうと思っています。

自主トレは、ナースやスタッフの見える場所でやりました。陰でコソコソやると、自主トレ禁止になる恐れがあったからです。またナースの人数が少なくなる夜間は、必ずベッドにいました。そのおかげで監視対象(ナース用語で見守り)から外れて、「完全野放し状態」になりました。自主トレが、やりたい放題ですね。

自主トレ中は宇野理学療法士(ものすごくいそがしい様子)とは会いませんでしたが、一本松葉の練習や、独歩の練習を見られたりしました。こう言われました。「いつも危ないことをしていますね」私自身は、圧迫骨折のときの経験から、無理はしていないつもりでした。傍から見ると、それぐらい麻痺がひどく見えるのだなと思いました。

立って歩いたのが回復ではありません。その後、ものすごく長い期間、重い後遺症と折り合いをつける訓練を患者本人が一人でしなければいけません。そういうわけで、リハビリを止めても、なんら恥ずかしいことはありません。ホント大変ですから。

いろいろやりましたが、ご褒美で二輪バイクに乗れるようになったと思っています。

テスト走行も、ほぼ終わりました。荷物の中から、エンジンオイル、ブレーキオイル、注射器などをおろして、予備タン(1リットル缶)を積もうと思います。注射器は、職質のときヤバイですからね(笑)。
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私専用

2011-11-03 | リハビリ
在宅リハビリに限らず、治療、介護、回復期のリハビリなどすべてを、脊髄損傷を受け入れてくれた病院でおこなうことをお勧めしています。わたしは600Km離れた県立病院でしたので、自宅近くの労災病院に転院しました。通院に便利な大きな公立病院に転院をお願いしたら、通院に不便な労災病院を勧められました。労災を勧めていただいた医師(私はお会いしていない)に、感謝しています。今はバイクで通院しているので、信号がなければ5分程度、駐車料金はタダです。信号で止まっても五・六分程度です。

ほとんど病院の指示でやったリハビリですが、在宅での未練タラタラのリハビリを紹介してみます。在宅リハビリも、リハビリ科、泌尿器科の医師と一緒にやるのが基本です(キッパリ)。

まず、お互い人間ですので100パーセントはありません。入院している病院、在宅リハビリをしている病院とケンカをするより仲良くしたほうが、良い結果につながると思います。気が弱く無口な私ですが、我慢しきれないことは、はっきり言いました。ダメ元ですね。

在宅リハビリですが、頑張りませんでした。労災の医師が言ったことを納得しましたが、それはとても「無理」でしたので頑張りませんでした。それでも何年もリハビリをする覚悟でしたので、ボチボチやりました。プラモ作りですね。バイクの整備小屋がありましたので、密室で一人ぼっちで気楽にやっていました。タマに誰も持っていないようなバイクのパーツ、フレームなどを磨いたりしていました。

最初はプラモを通販で買いましたが、少しずつ店に買いに行くようにしました。気なりに体を動かすようにしましたが、毎日、体の変化は感じられませんでした。今思えば、積み重ねだったと思っています。

車の手動装置を使った操縦訓練、ジャイロの乗車、操縦訓練など全部イチからやらなければいけませんでした。貧乏性ですので、排泄訓練もかねてやりましたが一日があっという間でした。傍から見ると、何もしてないようにしか見えないと思っていました。チョッとつらいですね。

在宅で一番大事だと思ったのは、歩行訓練でした。以前も書きましたが、バランスとタイミングで歩いています。左右バラバラだった足の動きを、まとめるようにしました。もちろん頑張りませんでした。壁に手をつくひじを当てる、肩を当てるなど楽をしながらやりました。慣れると初めて自転車に乗るのと同じで、いつの間にか伝い歩きをしなくてよくなるのは、わかっていました。今でもつらいときや、長い距離を歩くときは手すりや、クラッチを使います。

私だけでしょうが、立って歩いても脊髄損傷は、回復はしません。

そろそろクリスマスお正月です。夜の街が、私を待っているような気がします。病院のリハビリは、リーズナブルでした。
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