2013-10-01 | リハビリ
私が知り合った人たちは、愛想がなく能面のような顔をしていましたが、セキソンの麻痺とリハビリに関して(それ以外の医療行為も含めて)真剣でまじめな人たちでした。結果は私です。

その人たちに認めてもらうのは、難しいようで簡単です。普通の社会人でいればいいと思います。アレッ(笑) 難しいかな。

リハビリをするためには、リハビリに特化することだと思います。死にたい、つらいなんて言っている場合でないぐらい、深刻な怪我です。

何も感じない体で、病室の天井、窓からの青空、隣の病棟の屋上だけを見て一ヵ月半ぐらいベッドの上で寝ていました。体はつらくないので、重症だと自己判断して、自己中リハビリ計画を立てていました。最初のリハビリ計画書の車椅子の欄に、ハテナマークがついていました(笑)。

5・4病棟へいけることになったので良かったのですが、「回復期リハビリ病棟」という名前は知りませんでした。

もちろん最初から死ぬ気なんてありませんし、やる気プンプンマルでした。それでも起立訓練、歩行訓練のとき「やるんじゃなかった」と痛感しました。止めてもよかったと思いますが、自分から言い出したことです。チョッと意地を出しました。

その程度です(笑)。

記憶が薄くなってしまいましたが、病棟では二週間ぐらいで立てたと思います。立てるとすぐ、歩行器を持ってきて歩行訓練です。五ヵ月後には院内で独歩です。無駄がありません。

立つ時は、靴底の抵抗を利用しました。使うのは、もちろん握るタイプの平行棒です。一人で立つための、必需品です(笑)。手をつくタイプを、テレビで見ました。ものすごく進化していますね。

歩行訓練では、靴底の抵抗で、足を引きずれませんでした。即、妻に靴を脱がしてもらいました。このときにブレーキ付き歩行器は、すぐれものだと実感しました。一人で歩行訓練する時の、必須アイテムです。

この歩行器は病棟に一台だけでしたので、年配の方が私物化してしまったので大変困りました。仕方がないのでイッパイある歩行器でやってみたら、前輪がフリーのキャスターだと、フロントが横に流れて前進できないのがわかりました。

前輪が横に流れない歩行器を探してやったら、ブレーキを使わなくてよくなりました。その歩行器もきれいだったので、年配の方が私物化してしまい、自分の病室においておくようになりました。

ふたりとも女です(笑)。
コメント
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