バイト君

2012-02-28 | リハビリ
感動や勇気を、あげられなくてすみません。

おわびのかわりに副読本をご紹介します。ご購入は御自分でお願いします(笑)。石井ひさいち氏の「バイト君」「バイト君2」をお勧めします。立って歩く理屈は、「岩壁登攀の技術書」や「登山の技術書」をお勧めします。地球の上に立つ技術が、書いてあります。

「リアル」は読んでいません。「セキソン」「車椅子生活」に酔ってしまわないようにです。

現実はやる事がいっぱいですし、リハビリも継続します。一生ものですね。漫画とはちがいますYO。

チェルノブイリのことを笑っていたのが、日本の原発と東電はそれ以下でしたね。これから明らかになると思いますが、東京電力の元社長は事故直後に、「福島からの撤退」は「社員全員ではないが言った」と言っています。最低の人間ですね。

「日本人の雇用をしないぞ」といっていたのは、「米倉」というおっさんでした。まだ日本にいるようですね。
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もしかして

2012-02-25 | リハビリ
病院とトラブルを、おこしている方がリハビリに失敗しているようです。「ケンカ両成敗」という言葉があります。ほとんど病院が完全に悪いと書いてあります。患者さんは、何にも悪くないみたいです。そんな病院、さっさと退院すればいいのにと思うのは私だけでしょうか。患者は「監禁」されているわけではありません。自分の事です。自分で決めるのが大人だと思います。

二つの病院にはお世話になり、本当によくしていただきました。日本語がダメなので、誤解を恐れずに書けば、医療、介護(介助かな)、リハビリ、それ以外に医療従事者が認めた事以外、何もしてもらえませんでした。

ナースコールは、五ヶ月間で二回だけ使いました。2・4病棟で、はじめて点滴が終わったときしました。今時そんな事は、しなくてよかったみたいです。

2・4病棟で、夜中に暴れる患者が対面のベッドにいました。夜中にベッドから落ちて、つきそいの家族が騒いだのでナースコールをしました。「どうしました」の応答無しで、夜勤の看護師が直でそのベッドにいきました。夜中に騒いだり暴れたりする患者が、5・4病棟に移るまでは夜寝られませんでした。どうしたかというと昼間寝ていました。昼間はおとなしいんです。また寝不足でしたので、昼間グッスリ寝ていました。

暇だったので看護師が来ると、「アトムタイプのジェットエンジンを足につけてくれ」と言ったりしました。また「アトムタイプは足が燃えてしまうので28号タイプのロケットエンジンにしてくれ」などと言っていました。CMネタは旬のものですので、書けません。すべて完全無視でした。

医師、看護師、みんな同じ対応でしたので、誰がどうとかはありませんでした。それでも相手は人間ですので、個性はわかりました。

医師、看護師、PT、OT、病院スタッフ、みんなあなたの「家来」や「奴隷」ではないんですよ。
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2012-02-24 | リハビリ
背骨を初めてやった方の感想です。ウエイティングリストがあるリハビリのエリートが入る国リハで、リハをしたことを書いていました。ものすごくスパルタンなところだそうです。車椅子の操作だけのようでしたが、大変な思いをされたようです。リハに出てこない方は、いつの間にかいなくなってしまうそうです。いなくなってしまった方たちに、このブログを読んでいただきたいと思っています。リハビリをしなくても、後ろめたくありませんよ。百人いれば、百の心があると思います。みんなシュワちゃんではありません。ランボーは冒険活劇映画です。

2・4病棟で看護師に「車椅子で生活できるようにリハビリをしましょう」といわれて、病室でリハビリが始まりました。少したって、一階にある外来リハビリ室に、車椅子で行くようになりました。車椅子に移乗した瞬間からつらかったのですが、そのまま一階に連れて行かれました。移乗はさせてくれたので「鬼」ですね。リハビリ室につくとケツカッチンのPTでしたが、ストレッチ台に寝かせて「少し休んでからやりましょう」という状態でした。今度からストレッチャー型の車椅子を持ってくると言って持って来ましたが、すぐほかの方が使うことになってしまいました。腐るほどあるストレッチャーを持ってくればいいと思いましたが、最後まで持ってきませんでした。

圧迫骨折で車椅子は経験していましたが、こんなにひどい思いはしませんでした。普通ですと、これ以上のリハビリは考えられないと思います。「車椅子の生活」が実感、納得できると思います。そんな中、内偵していた5・4病棟の情報がわかりました。ソク主治医に希望を話すと、とんとん拍子に5・4病棟にいく事ができました。

いってみてやってみて、すぐ「後悔」しました。でも止められない雰囲気でしたし、気持ちを切り替えました。5・4病棟の真剣さは入院しないとわからないと思います。着グルミを着たお茶目さんはいませんし、医療従事者、患者どちらも「少しでも」と起床から消灯までリハビリをしていました。私は前述のとおり、夕食から朝食の間は自主規制していました。

一般の方のブログでも、政治家公務員への不満を見かけるようになってきました。テロや暴動にはならないと思いますが、このままKYでいるとヤバイかもしれません。餓死者が増えてきました、路上死はカウントされていません。このまま北朝鮮化すると、どうなるんでしょうね。国もヤバイと感じているのか、対テロ訓練をしているようです。

たとえば百万円払った国民年金をもらうとき、七十万円しかもらえなくなるそうです。差額三十万円は自分たち(議員公務員)がつくった、借金の穴埋めに使うようです。それだけでも残念ですが、自分たちの給料は手付かずでは「なんだかなぁ」ですね。

損をするとわかっている、国民年金に入る人っているのかしらね。
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ツーリングの準備の季節

2012-02-23 | リハビリ
寒さもソコをついたようです。世界一周ツーリングの準備を始めますね(笑)。ナッター処理、Fキャリアの微調整、ラグの取り付け、補助タンクの処理、再塗装&ヘルメットの塗装、補修パーツ(プラグ)の購入などなど、楽しい作業が始まります。

テキトウな情報で戸惑っている方たちに、公立の病院でやったリハビリを紹介しています。皆さん経験されたか、これから経験される内容だと思っています。根気よく五年間毎日やったら、こうなったいう事を紹介しています。秘密、スペシャル、あなただけは、ありませんでした。また玄人の方たちに褒めていただきましたので、特に無資格の素人の方にほめてもらわなくとも、私のプライドは傷ついていません(笑)。

安心してください。圧迫骨折の時のリハビリの経験がなければ、すぐ止めていました。と、言うよりできませんでした。

24時間TVが放送された後日、担当医が夜に病室に来て「よく笑っていられますね。あなたより軽い人でも泣き叫んでいますよ」と言いました。2・4病棟のときから看護師には無視されていましたが、ギャグを飛ばしていました。内容はCMネタ、アトム、28号など漫画ネタでした。最初から途方にはくれていませんでしたし、在宅リハビリもやるつもりでいました。最初から「情報がない」「途方にくれた」「在宅リハビリは困難」などと逃げている方たちは、リハビリにかかわらないほうがいいです。ノイズは邪魔です。

ここではリハビリをしなくとも、後ろめたくない事がわかっていただければよいと思っています。自分の時間と金です。車椅子の生活、寝たきりの生活、大金をかけて何年トレーニングしても、寝返りすらできない、立つ事もできない、なんでもありです。その中のひとつの情報です。自分で決めるとよいと思っています。
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病院

2012-02-20 | リハビリ
更新もしないのに、訪問していただいて恐縮しています。タレントさんのブログとはゼンゼン違うカウント数ですが、このテーマでは多いと思っています。

希望もない、感動もあげられない、勇気ももらえないというブログですが、内容はたぶんですが本当です(笑)。何回か書いていますが、誤解されるのを覚悟で病院のリハビリを書いています。二つの病院のスタッフと、今回関係した方たちには本当に良くしていただきました。その上で書きますが、病院のリハビリに、お手伝いはありません。できなくても患者本人がやります。やろうとしていると、いつの間にかたどたどしいですが少しずつできるようになってきました。

それを繰り返し繰り返し何年もかけてやります。それでも「マァいいかッ」程度です。またいつまでも牛のよだれのように続けていても仕方がないので、五年で区切りをつけました。その後労災の若いPTに「もっと」をいわれました。ありがたい言葉ですが、一回気を抜いてしまったので、やる気が出ませんでした。ダレちゃったんですね。

いろいろな方のブログを拝見した感想ですが、県立病院の回復期リハビリ病棟でメドをつけられたのがよかったと思っています。あの状態でリハビリをさせていただいて感謝しています。

労災でも厳しい指導でしたが、二輪のバイクに乗れるまでになっちゃいました。四輪の駐車場で大変な思いをしなくて良くなりました。目的地のドアの前にバイクをとめる事ができ、待ち時間もありません。

ストレスが減りますね。
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エレベーター

2012-02-16 | リハビリ
大きな地震の後は、エレベーターが止まってしまいます。優先順位があると思いますが、稼動するまで一ヶ月程度かかると思います。点検無しで動かすこともできると思いますが、やっちゃダメ。

余計な事ですが、いくつかのシュミレーションを訓練されておくと、強力な我慢だけで乗り切れるかもしれません。今回の3・11では、避難だけが最良ではないと思いました。五年間の訓練、在宅リハビリが役に立ちました。

EVについては、EVの専門家、救急隊員など訓練、経験をつんだ人に任せましょう。

無資格、経験の乏しい素人がするセキソンのリハビリと違い、危険の度合いが違います。

無資格、素人のするリハやトレーニングは、病院のリハビリ科よりユルイだYO。

もしくは意味のない根性主義やスパルタだったりしてネ。
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3・11

2012-02-15 | リハビリ
全世界が絶句した3・11から、一年たとうとしています。一日1ドル以下のお金で、家族全員が生活している国からも、なけなしのお金をいただきました。

3・11当日はヨークベニマルの駐車場で、車のなかにいました。揺れがはじまり、すぐにタダの地震ではないのがわかりました。ベニマルを見ると、前面の大きなガラスが波打っていましたが、割れませんでした。実感としては、ここで死んでも不思議ではなく覚悟もできました。しばらくして店から人が出てきましたが、すぐ座り込む状態でした。揺れは収まりましたが余震が頻繁におきているなか、妻と自宅に戻りました。

道路は宮城県沖地震のときとは違い、整然と流れていました。信号機は滅灯していましたが、交差点の中に突っ込んでいる車はありませんでした。息子夫婦とはSMSメールで連絡が取れました。小学校に避難しているが、人がいっぱいで子供づれでは、いる場所がないということでした。ママも身重でしたので、我が家に避難しました。このときメール、音声通話はできませんでした。

大地震のときの私個人の勝手な思い、差別的な考えです。

ビルの中にいるとスプリンクラーが作動して、びしょぬれになります。防水のザックに着替え、カテーテル、などを用意しておくと良いです。またせっかくぬれたので、でん部、陰部等を清拭して新しいオムツ、パッド、ナプキンをつけます。一週間ぐらい(今回は一ヶ月以上だった)お風呂は、はいれませんのでジョクソウ防止のためです。汚れていると、簡単にジョクソウになると思う。女性はもらい湯などをしましたが、男性は我慢と清拭でした。

脊髄損傷者が、いける場所はありません。その場か、自宅しかありません。覚悟しておいたほうがいいです。

使い捨てのカテーテルですと良いですが、洗うタイプですと水が必要です。誰も持ってきてくれませんので、自分で用意します。一般の方と同じように並びます。特別扱いはありませんし、やってはダメです。便は便秘を利用して、出さないようにしました。コロネル錠のせいで二週間ぐらい出ないのには、慣れていました。

カテーテルは津波被害の被災者優先で、品不足になりました。スペアは必要だと思います。オムツ、パッド、ナプキンもなくなりました。また震災後出回るようになると、定価販売です。

食料品はTVで報道されたように、ヨークベニマルと生協が翌日すぐに、店の外で「何でもひとつ百円」をはじめました。盗める状態でしたが、小雪が降る中、みんな並んでお金を払っていると報道されました。西友は品物がそろった状態になってから、営業を始めました。行ってみるとコロッケ一個49円と、通常営業でした。第三のビールを1ケース買いました。便乗値上げは、残念ですがありました。地元スーパーはあっけなくつぶれました。大手スーパーは苦情が入ったのか、東塩釜店を格安スーパーにしたり、津波被災地にお買い物バスを走らせたりしました。3・11から六ヶ月以上後のことです。人の気持ち、経営方針がわかる出来事でした。

灯りはLEDライトがお勧めです。できれば「作業灯」がいいです。今回大活躍しました。子供と妊婦がいたので頻繁に使いましたが、電池切れはしませんでした。また電池切れしても電球のようにすぐ暗くならないので、使いがってがとてもいいです。値段も千円から千五百円程度です。

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5・4病棟

2012-02-14 | リハビリ
今はもうありませんが、旧5・4病棟を体験していただくと、いろいろな事がわかると思います。愛知万博の帰りによって見たら、ちょうど5・4病棟が解体されていました。

今もお元気で先生がご活躍されていますので、よりパワーアップをした回復期リハビリ病棟になっていると思います。成績もチャンと記載されていました。

いろいろな考えがあると思いますが、私は普通の生活に戻れるようにリハビリをしました。それなので立って歩いてもえらくありません。普通です。二輪のバイクに乗ってツーリングをしても、えらくありません。面白いというのが、一番の理由です。多くの人が乗っています。普通です。脊髄損傷という呼称がジャマですね。

五年間でいろいろな事に対応できるようにしました。在宅リハビリですね。ほとんど後遺症との格闘だったと思います。労災の小林恒三郎先生のご指導です(現在移動されています)。ユルキャラのリハビリの会、ジムの方たちが聞いたら唖然とする内容だと思います。私もその場では「厄介払いだな」と思ったほどです。まちがっていました。おかげさまで、問題点も多いですが、ほとんど普通の生活ができるようになりました。「なれ」も重要なリハビリですね(笑)。

バイクは五十年以上やっています。山口オートペットからはじめました。止めた事は一回もありません。止める理由がありませんでした。「リターン」「復帰」など、最初は何の事かわかりませんでした。若いときはお金がありませんから、「もらってくる」「拾ってくる」をヤフオクがなかったので、できました。自分でなおせば一台、できてしまいました。エアクリーナーボックスの改造、マフラーの改造はこのとき覚えました。今はエアクリボックスはいじらないそうですね。詳しくはわかりませんが。

前期高齢者の感想ですが、皆さん「ドラマ」を作りすぎて失敗しているような気がします。リハビリメニューは以外にもあっけないものですし、後遺症も原因さえ突き止めれば、ならないようにできます。少し大変ですが。

最初が肝心だと思います。県立病院に回復期リハビリ病棟があったのは、ほんとに良かったと思っています。電動ベッドに寝ていても、リハビリが許されました。スンゴイ先生ですね。リハビリの会の方たちは、電動ベッドに寝かされているというのがどんな状態かわからないと思います。L1ぐらいだと、一年程度足をさすっていると歩けるようになるなんていう情報を流していました。ほとんど犯罪ですね。

このブログは完全に無料です。ミクシィ、会員登録、パスワード、など必要ありません。全世界に公開しているつもりです。テキトウな事はかけません。
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もしかして

2012-02-05 | リハビリ
みなさん案外ご存知なのかもしれません。人が悪いですね。おかげさまで、炎上、コメントがありません。少しは荒れるかなと思って何年かやってきましたが、ゼンゼンなので、ここにこられている方たちは頭のよい方たちだと思っています。学歴じゃありませんよ。本当に賢い方たちだと、思っています。

ここはICUや一般病棟でこれからのことを考えている、患者とその家族に、こんなこともあるよというブログです。私は今まで医療、看護、介護の勉強をしたことがないズブの素人です。書いてある事は多少の勘違い思い違いはあるかもしれませんが、二つの公立病院のリハビリ科で言われてやった事です。(メンドクサイですが興味のある方は読み返してね)

学歴のある方たちは、教養が邪魔をしてリハビリを失敗しているようです。医師や看護師、PTも、頭がいいんですよ。訓練、経験もつんでいます。ピュアな頭で言われたことを、素直に聴いたほうがよいと思います。その結果は私です。キッパリ(笑)。

リハビリは、ものすごく大変(できなくて普通の人だと思っている)ですので、ここではお勧めしていません。結果は重い後遺症(悪用する人がいるかもしれないので具体的にはかけない)と麻痺、制限のある関節と長いお付き合いが必要です。車椅子の生活との違いは、車椅子にトランスしないだけぐらいです。普段は四輪、二輪を使用してドアツードアです。特別な事がない限り、長い距離を歩く事はありません。

海外や、高額のリハビリ、権威のある先生、180日ルールなどはあまり関係ありません。毎日まじめにやって(本当か)五年かかりました。リハビリが始まった瞬間から、マッサージ、ストレッチ以外は患者本人が一人でやるように指導されます。つらいですね。指導している医療従事者に「脊髄損傷を経験してみろ」という人もいるくらい大変です。

私はそれどころではありませんでしたし、口を開いているような状態ではありませんでした。またハタメにも疑われたりしないで(笑)、すぐ「それまで」とストップがかかりました。今さら、やめられるような雰囲気ではなくなりました。

結局、ズルズルベッタリだったのかもしれません。かな(笑)。
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占い師

2012-02-02 | リハビリ
オセロ中島さんが、女性占い師と生活しているようです。傍から見るとヒッカカッているのがわかるんですが、本人が覚醒しているので手の施しようが無いようです。

脊髄損傷で金儲けをしようとしている人たちに、ヒッカカルのと同じですね。自分たちはリハビリをしないリハビリの会。情報は自分で調べようとすれば、わかる事ばかりです。セキソン者が立って歩いていても、ジョクソウになるヨなんてことは知らないと思います。ものすごい時間がかかる、多くの工夫が必要なんてことも、知らないと思います。

トレーニングをすると、バイパスができてそこを神経が伸びるなどという、ありえない話を信じてしまう人たちは大人ですが、ウソとわかっていてもすがってしまうんですね。そのうち信じている自分自身をごまかそうと、狂信的になって人を誘ったりしているようです。「自分ひとり」だけが、イヤなんですね。脊髄損傷になったら、神経が伸びてつながる事なんかネェンダYO。回復なんてしません。麻痺したまま、制限のあるまま、不自由な体で生活するんだYO。でも、不自由な体に慣れちゃいます。ナレチャエば、いいのか(笑)。

2・4病棟から、5・4病棟にはあまりにもあっけなく移れました。県立病院の医者は、全員ヤブではないかと思ったくらいでした。完全にまちがっていました。5・4病棟にいけたのは、2・4病棟の師長、主任、担当看護師、その他多くの看護師のおかげだと思っています。みんなそっけなかったのですが感謝しています。知ってました?。病棟は看護師たちの、縄張りなんです(笑)。

5・4病棟では師長と話す機会はありませんでしたが、師長、主任、担当看護師、たぶんBチーム(Aチームもあった)にお世話になりました。皆さんと親しくしたかったのですが、皆さん忙しくて、その機会がありませんでした。ホントは看護師と親しくする事よりも、これからの事で頭がいっぱいでした。そんなときの、「能面」「そっけなさ」に救われたと思っています。接遇の難しさだと思います。

5・4病棟のときの担当看護師は三年位前に定年退職をして、老人介護の仕事についているそうです。最後まで人の世話ですね。

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