徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

随兵寒合(ずいびょうがんや)と老人の日

2010-09-15 21:10:22 | その他
 今日は9月15日、かつての随兵寒合を思わせる肌寒い朝だった。そして「老人の日」。けっして「敬老の日」ではない。毎年、同じことを言っているような気がするが、この日は熊本市民にとって最大の祭である「藤崎八旛宮秋季例大祭」の随兵行列や飾り馬の奉納が行なわれるクライマックスの日だった。そして「敬老の日」として国民の祝日でもあったので、僕らの子供の頃は、年中で一番心浮き立つ日だった。それが7年前、ハッピーマンデー法とかで、「敬老の日」が第3月曜日と変わったため、例大祭もそのあおりを受け、第3月曜日ということになってしまった。今年は9月20日がその日である。本来、祝日や祭というのは日にちそのものに意味や謂れがあるのに・・・。今さら言ってもしょうがないが、ちなみに4年後の2014年には9月15日に祭と敬老の日が巡ってくる。


昨年の藤崎宮例大祭風景

マイ・ヒーリング・ミュージック ~ ウォン・ウィンツァン ~

2010-09-14 19:28:19 | 音楽芸能
 ヒーリング・ミュージックを聴きたいなぁという気分の時、これまではアンドレ・ギャニオンの音楽を聴くことが多かった。でも最近はウォン・ウィンツァンがお気に入りだ。NHKの「にっぽん紀行」を見るたび、テーマ曲がここちよく、これは誰の何という曲だろう、と思ったのがきっかけだ。「旅のはじめに」という曲で、ウォン・ウィンツァンという中国系のミュージシャンだということがわかった。中国系といっても日本生まれの日本育ちだそうだ。「にっぽん紀行」以外にもNHKのドキュメンタリー番組などの音楽を担当した実績があるそうだ。これからおそらく映画やドラマなどでも活躍されることだろう。最近撮った写真に「旅のはじめに」を当ててみた。 


映画「悪人」

2010-09-13 19:18:53 | 映画
 これは原作を読んでいない。読んでいないが、「人の善悪と言うのは単純ではない」と言うのがこのドラマのテーマかな。「フラガール」の李相日監督の演出も手際よくまとめられている。ただ、殺された佳乃(満島ひかり)の人物像がよくわからず、そのせいか両親(柄本明、宮崎美子)の悲しみに今ひとつ感情移入できなかったのは残念。主演の妻夫木聡と深津絵里はなかなか良い。妻夫木クンの出演作は結構たくさん見ているが、これだけ印象的な演技は「ジョゼと虎と魚たち」以来かな。ラストの、光代のためを思って首を絞めてみせる場面では、思わず涙してしまった。深津絵里はモントリオール世界映画祭で最優秀女優賞を受賞し、外国メディアの間で「あの女優はだれ?」と話題になったらしいが、この映画くらいの演技は彼女にとっては普通だろう。犯罪に巻き込まれる薄幸の女なんて役どころはまさに彼女にうってつけだ。主演の二人が九州出身ということもあってか、僕にとってはセリフも自然に耳に入ってくるし、風景も見覚えのあるところが多いし、そんな面でも楽しめた。大瀬崎燈台はこれから観光客が増えるだろうな。

夏目漱石未発表の句!

2010-09-12 18:23:08 | その他
 夏目漱石の未発表の句が、熊本の漱石研究家によって発見されたそうだ。明治32年12月20日付の九州日日新聞(熊本日日新聞の前身)に掲載された句のうち、「無名氏」の号を使って投稿された19句が漱石の句に間違いないらしい。漱石が五高教授として熊本に赴任していたのは、明治29年4月から明治33年7月までの4年3ヶ月。時期的にもちょうど合う。この19句のうち12句は全集にも収録されていないことが判明した。つまり漱石の作としては未発表というわけだ。熊本時代の4年余りは漱石にとって、結婚、長女の誕生、夫人の自殺未遂など、いろんな出来事があり、また、「草枕」や「二百十日」などの題材を得たのもこの時代であり、生涯の中で最も想い出深い時期だったのかもしれない。

発見された「無名氏」号の19句。このうち12句が未発表。

谷啓さん!永い間ありがとう!

2010-09-11 18:03:47 | 音楽芸能
 谷啓さんが亡くなった。クレイジーキャッツ全盛期の頃から、僕は谷さんが憧れの的だった。それは僕の大学の先輩に、谷さんの逗子開成高の後輩の方がいて、いつも自慢話を聞かされていたからだ。その先輩の影響もあって、有楽町にあった日劇にクレイジーキャッツのステージをよく観に行ったものだ。谷さんはもともとトロンボーンの奏者として、その実力を認められた人だったが、コメディアンとしてのセンスも抜群だった。「ガチョ~ン!」などのギャグはあまりにも有名だが、軽妙洒脱なトークや、かぶせ気味のツッコミなどは「釣りバカ日誌」シリーズなどでも健在だった。クレイジーキャッツのメンバーもとうとう、犬塚弘さんと桜井センリさんのお二人だけとなってしまった。寂しい限りだ。ともかく永い間楽しませていただきありがとうございました。ゆっくりお休みください。合掌。



ミステリアスな空間! 拝ヶ石巨石群

2010-09-10 22:11:31 | その他
 今日は天水町まで用事で行った帰りに、前から行ってみたかった河内町の芳野にある「拝ヶ石巨石群」を見に行った。聞きしに勝る“ミステリアスな空間”だった。パンフレットによると、昭和4年に発見されたという巨石群は、紀元前1500年頃、黒潮に乗って渡来した「シュメール系海洋民族の海上神殿の跡」と言い伝えられているそうだ。たしかに、山の頂きに忽然と姿を現わす巨石群は、どう見ても自然のものとは思えない。永年の学術的な研究を経ても、まだまだ謎だらけというミステリーゾーンとして、これから人気が出そうだ。


昼なお暗い急な坂道を登って行くと


頂上の巨石が突然姿を現わす


10メートル近い巨石が直立した様は、自然に出来たとは思えない


奇妙な巨石の配置にはどういう意味が


亀石と呼ばれる明らかに人工的な巨石の組み合わせ

後ろ宙返り3回半抱え型 ~207Cに挑む中川真依~

2010-09-09 18:29:21 | スポーツ一般
 昨日の深夜、NHK「スポーツ大陸」(再放送)では女子飛込競技の中川真依選手に密着していた。同じ水泳競技の世界にいながら、僕にとって飛込選手は一番遠い存在だった。あまり接点がなかった。しかし、常に尊敬する存在でもあった。なぜなら10メートルの高さから平気で飛び込む勇気なんて僕にはない。学生時代には罰ゲームや度胸をつけるために何度か10メートルの高さから飛び込まされたことはある。しかし、何度やらされても自から飛び込もうなんて気には一切ならなかった。そんなことはさておき、これまで日本の飛込はなかなか世界のトップレベルには届かなかった。2012年のロンドン五輪を目指し、中川真依選手は高難度の「後ろ宙返り3回半抱え型」通称「207C」という技に取り組んでいる。入水までのわずか2秒の演技が勝負を決める高飛込み。ぜひ、その大技を完成させてロンドン五輪で活躍してほしい。

マイ歴史ウォーク!

2010-09-08 20:14:16 | その他
 今日はやっと秋らしい天気になったので、僕のお気に入りのコースを歩くことにした。猛暑が続いていた間は、歩く気分にもなれず、もう随分歩いていなかったので疲れたが、ここちよい汗をかいた。コースは立田自然公園とその周辺に散在する歴史に名を残す人々にまつわるポイント巡り。我が家までの往復は約7kmほどか。前回まわったのはもう1年以上前だが、何度まわっても新しい発見がある。


わが母黌。この門を出て、あっという間に46年の月日が流れた。


鼻欠け地蔵(小峰墓地)。小泉八雲が五高教師時代こよなく愛した。周囲には池田屋事件で命を落とした幕末の志士宮部鼎蔵や母黌の創始者、佐々友房などのお墓がある。


細川ガラシャの御廟。園内には細川忠興・玉子(ガラシャ)夫婦とその父母が眠る四つの御廟や宮本武蔵の供養塔などがある。来年の大河ドラマには、また細川ガラシャが登場する。観光客が増えれば良いが。


茶室・仰松軒(こうしょうけん)。細川忠興は茶人でもあった。


宮本武蔵の引導石。正保2年(1645)、武蔵が亡くなった時、この石に遺体を乗せて経を唱え、最後の引導を渡したと言われる。


リデル・ライト記念碑。リデルライト記念老人ホームの脇には、日本におけるハンセン病救済のさきがけとなったハンナ・リデルとエダ・ライトの記念碑がある。


熊本大学五高記念館。明治22年に完成した旧制第五高等学校の赤煉瓦の本館は、今なお嘉納治五郎、小泉八雲、夏目漱石らが教鞭をとった時代の面影を残す。

別府秘湯殺人事件と割れ窓理論

2010-09-07 10:20:20 | 時事
 この衝撃的な事件は、別府のみならず、これから観光産業が頼りの九州各県にとって、そのイメージダウンの影響は計り知れない。周辺ではこれまでも不審者を度々見かけたり、車上荒しなどが頻発していたという。ならば、地元の自治体や警察などは何らかの対策は打っていなかったのだろうか。たしかに、危険な地域であるという情報を公然と表示するのは抵抗があるかもしれない。しかし、今回のような事件が起きてしまってからでは遅いのだ。同じようなことは他の観光地でもないだろうか。最近、事件が起きてから、「実は以前にもこんなことが・・・」なんていう話をよく聞く。どうも日本人の“危険予知能力”が退化しているようだ。これからは都会型犯罪が山間部にも流れ込んでくる可能性がある。九州の山を、山賊が出るような危険地域に絶対にしてはいけない。各県が連携して、こんな事件が二度と起きないよう、“割れ窓理論”で総点検してもらいたいものだ。


「“酷道”439号(ヨサク)」

2010-09-06 19:58:10 | テレビ
 最近はドキュメンタリーといっても、作意が見え見えな番組が多い中、昨夜のNHK総合「ドキュメント20min.」で放送された「“酷道”439号(ヨサク)」は、純粋なドキュメンタリーを感じさせて面白かった。「“酷道”439号(ヨサク)」とは、徳島県徳島市から高知県四万十市まで、四国山地を走る国道439号線のこと。通称「与作」と呼ばれ、カーブの多さ、離合もままならない道の狭さ、倒木や落石の危険など、難所の多いことで有名な道路らしい。この「与作」走破に挑む二人の酷道マニアに密着し、酷道走行の魅力とその途中で出逢う人々との触れ合いを伝えていた。そのスリリングな走行の楽しみもさることながら、山深い地に根を下ろして暮らすお年寄りたちの姿に心を打たれた。一昨年、四国を自動車旅行したが、佐田の沈下橋を渡って国道56号に戻る時、ごく一部だが、439号を通ったことを思い出した。


佐田の沈下橋

孫の成長に感動!

2010-09-05 22:39:09 | その他
 今日は久留米六ツ門町の久留米六角堂広場で行なわれた「久留米焼き鳥フェスタ」で、みわが今年もバレエの演目に出演したので、昨年に引き続き家内と観に行った。みわは昨年のようにオドオドした様子も無く、にこやかな表情で踊っていた。やはり、だいぶ成長したことを実感する。何か一つでいいから、自慢できるようなものを身に付けてほしいと願う。ちょうど9月からてっぺいも幼稚園に通い始めたこともあり、そのお祝いも兼ねてフェスタへの出演が終了後、みんなで食事に行った。二人とも大人に負けないくらい食べるので、これから先が思いやられる。

龍馬と帆掛け舟(2)

2010-09-04 17:35:18 | その他
 この話の真偽を確かめるべく、四時軒(横井小楠記念館)の館長のお話を伺いに行った。館長によれば、証拠となる文献は見当たらないが、1865年5月の三度目の訪問は、舟でやって来た可能性は大いにあるという。なお、この三度目は新婚旅行の帰途ではなく、龍馬が薩長連合に奔走し、薩摩から長州に向かう途中だったとのことである。その時、鹿児島の出水から船で熊本にやって来た記録が残っており、川尻から小さな舟に乗り換えて加勢川を上った可能性はあるそうだ。四時軒のすぐ裏を流れる秋津川には、当時、四時軒より少し上流に船着場があり、米や酒などの舟運が盛んだったそうだ。そして、この三度目の訪問の際、同席した徳富一敬の記録や龍馬の記録によると、夜を徹しての酒宴談義はすさまじいものがあり、激論が戦わされたという。


今日も「龍馬伝」ツアーの一行が長崎からバスでやって来ていた


四時軒の裏を流れる秋津川(今日の様子)


龍馬も見たかもしれない加勢川の清流で今日も子ども達が水遊びをしていた

龍馬と帆掛け舟

2010-09-03 22:35:26 | その他
 坂本龍馬は三度、沼山津の横井小楠宅「四時軒」を訪ねている。最初は1864年2月、勝海舟のお供をして長崎へ向かう途中。二度目はその帰り、1864年4月のことである。そして最後は翌年5月、お龍との鹿児島への新婚旅行の帰途、立ち寄っている。この三度の訪問のうち、一度は四時軒の裏を流れる秋津川を、帆掛け舟で遡って行ったのではないかという説がある。現在の秋津川は舟で上れるような川ではないが、当時、有数の港だった川尻から加勢川を経て、支流の秋津川まで舟で入れる水量があったと言われている。もしその説が正しいとすれば、おそらく二度目の訪問となった長崎からの帰りの時ではないかと推測される。その頃の龍馬といえば、海舟の指示で海軍操練所の創設に奔走し、5月には開設を控えていた時期であり、船に対する思いが一番強かった時期ではないかと想像される。2月に島原に向かった折か、あるいはその帰りに、当時盛んだった坪井川や白川の舟運を見て、行けるものなら舟でと考えたことは大いにありうる。帆掛け舟で川を遡る坂本龍馬、想像しただけでもなんとロマン溢れる光景ではないか。

九州新幹線 新鳥栖と久留米の戦い!

2010-09-02 22:48:03 | 時事
おとといから始まった九州新幹線鹿児島ルートの試運転は、今日、初めて新鳥栖まで走行距離を延ばしたそうだ。その新鳥栖とお隣の久留米の間は約5キロしか離れていないため、どの列車をどちらに停車させるのか、鳥栖市と久留米市との間で激しいつばぜり合いが続いているそうだ。僕は会社勤務時代、入社当初からいずれも非常に縁の深い土地であり、一時期は久留米に住んで鳥栖で働いていたこともあるので、どちらを応援するというわけにもいかず、複雑な心境だ。人口やビジネスの集積度合いから言うと久留米だろうが、古くから交通の要衝を占めていたのは鳥栖だ。わけても、佐賀県東端にあって、存在感の薄さや福岡県に対するコンプレックスみたいなものがある鳥栖市民の気持を思うと、心情的には鳥栖に応援したいような気持もわいてくる。

“土俵の鬼” 若乃花

2010-09-01 22:31:18 | スポーツ一般
 第44代横綱栃錦が世を去って20年、栃若時代の一方の雄、第45代横綱の若乃花が今日亡くなった。82歳だったという。栃若は僕らの少年時代のヒーローだった。若乃花の強さをホントに実感したのは、彼がまだ関脇時代、当時最強だった横綱千代の山との合計17分以上におよぶ激闘の末、引き分けた伝説の一番だ。NHKのラジオ放送を、まさに手に汗を握って聴いたものだ。今日ではほとんどありえない相撲の引き分け。体格では大きく上回る千代の山を相手にがっぷり四つに組んで一歩もひけをとらなかった。その一番以来、この人はただものではないなと、子ども心に刻み付けられた。
 若乃花の強さはなんといってもずば抜けた身体能力にあったと思うが、彼の後、それに匹敵する身体能力を持った力士は千代の富士しかいないと思う。最近の大相撲には、そういった身体能力に優れた日本人の子が入ってこなくなったから、上位を外国人力士に席巻されるのは当然といえば当然なのだ。今ではモンゴル勢が、かつての日本人が取っていたような相撲で、ある意味日本人の代役を務めてくれているようなものだ。若乃花のような日本人力士がはたして今後登場することがあるのだろうか。