徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

~長谷検校記念~ 第27回くまもと全国邦楽コンクール

2022-04-30 20:50:08 | 音楽芸能
 若手邦楽演奏家の登竜門となっている「長谷検校記念 くまもと全国邦楽コンクール」は今年第27回目を迎え、下記のとおり開催されます。昨年の第26回は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、無観客開催となりましたが、今年は有観客で行われることになりました。

 日 時:2022年6月12日(日)午前10時より
 会 場:熊本市民会館大ホール


第25回最優秀賞の﨑秀五郎さん(三味線音楽)  第26回最優秀賞の中嶋ひかるさん(筝曲)

          第27回コンクール本選出場者

 今年も予選を通過した優秀な若手演奏家が本選に登場しますが、私が個人的に注目しているのは筝曲の安嶋三保子さんと三味線音楽の今藤政優さんです。

   ▼第26回コンクールの模様

柳川のはなし。

2022-04-29 23:19:31 | 音楽芸能
 わが家の辺りは明治24年に九州鉄道が熊本まで開通した時、池田停車場(上熊本駅)から熊本市内への馬車道として開削された「新坂」ができたことによって開かれた宅地である。新坂は柳川丁を横切るように通されたのでわが家の辺りも当初は柳川丁といったらしい。柳川丁は、関ヶ原の後、加藤清正が柳河立花藩の家臣団を引き取って住まわせた「柳川小路」が、明治時代になってから柳川丁となったものである。柳川丁はやがて町名変更で京町本丁や京町2丁目へと変わったが、わが祖母はずっと柳川丁と言っていた。
 そんなわけで筑後の柳川についても幼い頃から親しみを感じていた。柳川には今まで何度も訪れているが、コロナ騒動後、足が遠のいている。安心して行ける日が早く来てほしいものだ。

 柳川と聞けばまず思い出すのは、多くの人がそうであるように北原白秋のこと。白秋の生家にも三度ほど訪れた。白秋の童謡はもちろんだが、彼が少年時代を過ごしたふるさとを描いた「水郷柳河」などの随筆が大好きである。
 水郷柳河を、廃市(廃れた町)と言い、街を掘り巡らした水路やたった一つ残った遊女屋懐月楼や古い白壁など、故郷の水郷の町の廃れゆく姿とそこで暮らす人々の哀感を、愛を込めた眼差しで描き出している。
 しかし、今日では柳川は白秋の時代とは全く様相を異にする観光都市として賑わっている。


公園橋から


沖の端


柳河の風情を唄った長唄舞踊「水の上」

高校総文祭パレード

2022-04-28 18:31:14 | 音楽芸能
 熊本県は今日も603人の新型コロナウィルス感染者が発表された。相変わらず高止まりが続いている。しかし、われわれ市民の危機感はあまり感じられない。たしか昨年の今ごろは1日の感染者が100人に到達しそうだと緊張感をもって語っていたような憶えがあるが、今年はGWを前にして、まるでコロナ禍は過ぎ去ったかのような街の様子だ。

 さて、熊本市の初夏の風物詩として毎年楽しみにしていた熊本県高校総文祭パレードはここ2年連続中止となっていたが、今年は実施予定のようだ。マーチングバンド、バトントワリング、郷土芸能各部門合わせて23校が参加し、6月2日(木)午後、熊本市マチナカを練り歩く予定だという。高校生らしい溌溂としたパフォーマンスを期待している。個人的にはマーチングバンドの真横で一緒に歩きながらサウンドを楽しむのが大好きだ。ホールでは味わえない迫力がたまらない。
 なんとか予定どおり実施できるようコロナが終息に向かってくれるのを願うばかりだ。


2014年高校総文祭パレード

阿蘇4(Aso4)の凄まじさ!

2022-04-27 19:55:43 | 歴史
 3日ほど前、熊日電子版に下記のような記事が載った。

蘇火砕流、170キロ離れ到達 9万年前の巨大噴火で、国内最長
 山口大の辻智大助教(地質学)らのチームは24日までに、約9万年前に起こった阿蘇山(熊本県)の巨大噴火で発生した火砕流の堆積物を約170キロ離れた山口市北東部の地層から見つけた。火砕流の到達距離としては国内最長とみられるという。
 阿蘇山は過去に巨大噴火を繰り返しており、約9万年前の噴火は国内最大規模として知られる。これまでの最長は同じ阿蘇山の火砕流で約166キロ。
 堆積物が見つかったのは山口市徳地柚木の川近くの工事現場。昨年12月の現地調査で、火砕流の堆積物とみられるオレンジ色と黒色の地層を発見した。


山口市「約9万年前の火砕流到達地点」


 今回、「Aso4」火砕流堆積物の地層が見つかったという山口県の徳地町は、40数年前、防府に住んでいた頃、幼かった子供たちを連れてよくドライブに出かけたところ。防府天満宮の天神山を越え、佐波川沿いに上流に向かって遡って行くと徳地町へ着く。時にはさらに足を延ばして徳佐のりんご狩りに行ったり、津和野まで行ったこともあった。
 そんなわけで阿蘇山から徳地町までの距離感に、あらためて「Aso4」がいかに凄まじい爆発だったかを実感した。


清爽園(熊本市中央区宮内)に残る「Aso4」火砕流堆積物の露頭

檜垣媼(ひがきのおうな)の歌

2022-04-26 21:25:00 | 歴史
 先週末、熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」では、オンラインで参加された天皇陛下が記念講演をされました。陛下は後撰和歌集に選ばれた檜垣媼の歌
「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」
を引用して熊本の人と水の関係を象徴的に説明されました。実はこの歌は「檜垣嫗集」や「大和物語」にも別のバージョンがありますが、やはり天皇家として勅撰和歌集である後撰和歌集の歌を紹介されたものと思います。
 ところでこの歌の終わりの七七「みづはくむまで老いにけるかな」の解釈がよく話題になります。一般的には「みづはくむまで」は「瑞歯含(ミヅハク)む」つまり、年老いて歯が抜け落ちたあと歯が再び生えることの意と、白河の「水は汲む」の意を掛けたものだという解釈が多いようです。
 しかし、「水は汲む」と「老いにけるかな」がどうもしっくりこない、ということを折口信夫が「水の女」のなかで語っています。折口は、記紀に登場するミヅハノメノカミという水神(女神)に若返りを願って水を汲む習慣が昔あり、「みづはくむ」という言葉はその名残ではないかと推測しています。
  ※ 右の写真は創作舞踊「檜垣水汲みをどり」の一場面(東島希海さん)

 平安時代の閨秀歌人である檜垣嫗は、白川の畔、今の蓮台寺辺りに結んでいた草庵から、篤く信仰する岩戸観音へ閼伽の水を供えるため、水桶を担いで四里の道を日参したと伝えられます。室町時代に世阿弥によって創作された能「桧垣」のモデルでもあります。世阿弥の能では百歳に及ぶと思しき老女として登場しますが、日本古代中世文学の研究家である妹尾好信教授(広島大学)の研究論文「桧垣説話と『桧垣嫗集』」によれば、「後撰集」に選ばれたこの歌は、旧知の藤原興範と再会した時、挨拶として詠まれた当意即妙の歌なのであって、決して実際に彼女が「みずはぐむ」老女であったわけではないという説を唱えています。


白川の畔、蓮台寺の檜垣の塔


軽妙洒脱な詩(うた)を残し…

2022-04-25 20:16:14 | 音楽芸能
 今朝、熊日新聞の訃報欄で目が止まった。「佐藤幸一」様の訃報が載っていた。お名前に聞き覚えがあった。ひょっとしてあの佐藤さん?よく読むと元県教育長とあった。あゝやっぱりそうかと思った。佐藤幸一さんは肥後にわかの脚本家としても存じ上げていたが、もっとも身近に感じていたのは作詞家としてであった。長唄や大和楽の三味線演奏家・今藤珠美さんとのコンビで作られた唄が大好きだった。現代風端唄とでもいったらいいのだろうか、軽妙洒脱な詩が何とも粋で素敵だった。
 今日は佐藤さんの作詞による唄4曲を並べて聴き入った。

 衷心より哀悼の意を表します。ありがとうございました。合掌


作詞:佐藤幸一 作曲:今藤珠美 作調:中村寿誠


作詞:佐藤幸一 作曲:今藤珠美 作調:中村寿誠


作詞:佐藤幸一 作曲:今藤珠美 作調:中村寿誠


作詞:佐藤幸一 作曲:今藤珠美

水の都くまもと ~天皇陛下ご講演より~

2022-04-23 20:55:41 | イベント
 今日から熊本市で開幕した「第4回アジア・太平洋水サミット」では、オンラインで参加された天皇陛下が開会式での挨拶とともに、30分の記念講演をされました。天皇陛下は皇太子時代から水問題に興味を持たれ、各地で水に関する問題について講演されたり、本も出版されています。
 今回の講演の中から、冒頭の「水の都くまもと」に関する部分だけを抜粋してみました。

 人と水とが深く関わってきた熊本市において第4回アジア・太平洋水サミットの記念講演を行うことを嬉しく思います。
 熊本県は近年、残念ながら度々水害による被害に見舞われていますが、もともと山紫水明の地として知られてきました。阿蘇山、金峰山などによるカルデラ地形に特徴づけられた熊本県では、
後撰和歌集の 「年ふれば我が黒髪も白河のみづはくむまで老いにけるかな」 檜垣媼の歌に詠まれた白川、緑川、菊池川、筑後川、球磨川などは恵みの水を田畑にもたらすとともに大地に沁み込む豊富な地下水が人々の生活を支え、都市にとっての潤いと活力の源となっています。特に熊本市周辺は阿蘇山の噴火に伴う火砕流が降り積もってできた台地の上に立地しており、火砕流堆積物は水を通しやすいことなどから降った雨が良質な地下水となり、人口74万の熊本市のすべての飲料水を賄っています。人口70万を超える都市においてこのようなことを実現している例は世界でも稀です。多くの市民の皆さんが水環境の保全に取り組んでいるからこそのことであり、この熊本市はまさに清冽な水の都と言えましょう。






五月のエンタメ情報

2022-04-22 18:25:05 | イベント
 GWも近づいてきましたが、五月に予定されているさまざまなイベントの中から二つ、独断と偏見で選んでみました。

まもと花魁道中
 第18回熊本城坪井川園遊会の一環として「くまもと花魁道中」が行われます。
 日 時:5月3日(火・祝) ①午後2時より
               ②午後4時より
               ③午後6時より
 場 所:桜の馬場 城彩苑(熊本市中央区二の丸1番1)

花魁道中は各地のイベントで行われていますが、「くまもと花魁道中」のキーワードは「地」。
 花魁始め出演者はすべて「地髪」。そしてナマ演奏の「地方(唄・三味線・囃子)」にこだわって
 います。


花魁の外八文字歩き。支える牛太郎(妓夫)。後に続くのは禿(かむろ)や振袖新造たち


地方はおなじみ福島竹峰社中の皆さん


くわく座春の特別舞台 舞踊団花童&はつ喜「肥後六花」
 日 時:5月21日(土)午後1時半より
 場 所:熊本城ミュージアムわくわく座(城彩苑内)
 入場料:1,500円


「肥後六花」にちなんだ華やかな舞台が繰り広げられます。

大先輩との歴史談義

2022-04-21 19:38:38 | 友人・知人
 久しぶりに、近所の老舗米屋のご主人森さんの話を聞きたくなってお邪魔した。森さんは僕の高校の大先輩でもあるが、ただの米屋のオヤジではない。※「米屋とパイロットときりしたん」参照
 森さんはわが街・京町の生き字引のような人で、京町のこと、住人のことなど話し始めると次から次に芋づるのように話題は尽きない。今日はそんな森さんの意見を聞いてみたいことがいくつかあった。
 その話題と話の概要は次のとおり。

1.米相場の旗振り通信
 江戸時代から明治・大正初期まで、投機目的で大坂の米相場を一刻も早く伝達するシステムとして旗振り通信が各地に存在した。しかし、九州では久留米、大川から南には旗振り通信の中継地点があったという史料は見出せない。米相場の伝達にはもう一つ米飛脚という手段があり、堺屋という飛脚屋が熊本辺りまで営業範囲にしていたことがわかっている。熊本は米飛脚に頼っていたのか、本当に旗振り通信はなかったのか、米を扱う商売の森さんの意見を聞きたかった。しかし、森さんは米相場伝達システムについて聞いたことがないという。ただ、大坂から熊本までの距離を考えると旗振り通信の情報の信頼性には疑問があるとのこと。  

2.京町濱田屋
 西南戦争の貴重な史料となっている「吉田如雪の明治十年日記」の中に、如雪本人が京町濱田屋の湯に行き、そこで熊本城本丸からの出火を目撃する場面がある。その京町濱田屋というのがどこにあったどんな店舗なのかがわからない。昨年一度、森さんの意見を聞いたことがあった。如雪が見たのは三階からとあり、三階建てとなると妓楼か料亭だろう、場所は出火を目撃した方向や位置関係などから京町1丁目と2丁目の間辺りが怪しいということになった。今日は、西南戦争で京町遊郭が焼失後、新たに二本木に遊郭がつくられる時、いち早く妓楼建設に着手した濱田屋というのが京町濱田屋と同一の経営者ではないかという話になった。

 他にもいくつかの話題があったが、また別の機会に。

久留米絣 ~織屋おでん~

2022-04-20 19:02:56 | 日本文化
 今日、歩いて熊本県伝統工芸館の前を通りかかったら、入口の看板に「久留米絣(くるめかすり)」の文字が見えた。元久留米市民としてはスルーするのもどうかと思い、立ち寄ってみた。八女郡広川町に集積している久留米絣の織元の一つ「山藍」の展示販売会だった。
 久留米および筑後地方の人たちにとって、井上伝(いのうえでん)という少女が考案した「久留米絣」は誇りである。
 江戸時代後期、久留米城下で生まれた井上伝(当時13歳)は、色あせてまだらになった着物の模様にヒントを得、「久留米絣」を考案した。その後、技術に改良が重ねられ、「久留米絣」は久留米藩内はもちろん、全国に広く知られるようになり、今日では久留米を代表する伝統工芸品となった。「絵がすり」で苦労していた伝は、近所で天才のほまれ高い少年久重に助けを求め、久重は見事にこの技術的難問を解決した。この久重少年こそが後の「からくり儀右衛門」こと江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した発明家、田中久重である。久重は幼い頃からモノづくりに才能を発揮し、からくり人形に始まり精巧な万年時計に至るまで、数々の発明品を世に出すとともに、多くの後継者を育て、技術大国日本の礎を築いた。伝と久重の二人が同じ久留米の近所に住んでいたという奇跡が「久留米絣」を生んだともいえる。二人の故郷、久留米市通外町の五穀神社には二人の胸像が仲良く並んでいる。


「織屋おでん」商標の久留米絣は全国で爆発的に売れたという。

   ▼井上伝物語


 機織りは農村の子女の副業として筑後地方一円に広まり、機織りの音を模してそろばんを使う作業唄「久留米機織り唄(そろばん踊り)」がお座敷などで広まって行った。現在では夏祭りで総踊りが行われている。

   ▼久留米機織り唄

つつじフェア

2022-04-19 15:55:42 | 熊本
 今年も千葉城跡のつつじが咲き誇っている。2017年6月、NHK熊本放送局がここを去るまで、今頃の季節には「つつじフェア」が行われ、多くの入場者で賑わった。あれから5年、主なき千葉城跡に今年も変わらず咲いたつつじを見ながら

  年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず

という詩を思い出した。中国唐代の詩人・劉希夷の詩である。毎年毎年、花は変わることなく咲く。人の世の変わりやすいのに比べ、自然は変わらないという喩えだ。

 跡地には熊本市の観光関連施設が計画されているというが、何が出来ても春のつつじの風景は残してもらいたいものだ。






 2010年4月18日「つつじフェア」を見に行った時のブログがちょっと面白かったので再掲してみた。

 毎年この時期に行なわれる、NHK熊本放送局の“つつじフェア”を見に行った。千葉城の丘に咲き乱れるつつじを観るのもそこそこに、館内の「龍馬伝」や「坂の上の雲」の展示を見に行く。写真や動画や撮影に使われた衣装などが展示されていたが、例年以上の入館者の熱気みたいなものが感じられ、龍馬人気の根強さを見せつけられた。モニター画面に釘付けの若い(?)女性たちは、龍馬というより、福山人気といった方が正しいかもしれない。観て回りながら感じたのだが、この展示は、中央の局で企画・制作されたものを、地方の各局が使いまわしているのだろう。せっかくなら、熊本放送局独自の企画をプラスすればもっと喜ばれるのに思った。例えば、「龍馬伝」には熊本ゆかりの横井小楠がまもなく登場する。ならば、横井小楠に関するミニコーナーなんかあってもいいような気がするし、朝ドラも「ゲゲゲの女房」ばかりじゃなく、ついこの前終った「ウェルかめ」もヒロインを務めた倉科カナは熊本出身だから、ちょっとばかり触れたってバチは当らないだろうに。そんな融通の利かなさが、NHKらしいといえばらしいのだが。

御衣黄(ぎょいこう)

2022-04-18 18:25:12 | 日本文化
 熊本城に向かって散歩していると、新堀橋の上に今復旧工事中の監物台が見える。工事期間中は監物台樹木園には入れないが、今、園内の御衣黄桜が咲いている頃だなと思っていると、ふと三の丸の漆畑にも御衣黄桜があったことを思い出した。行き先を変更し、漆畑へ向かった。5、6本あるうち、盛りを過ぎて花の色が変わりつつあるものもあったが、御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。


熊本城三の丸の御衣黄桜


 御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名。」とある。以前、「全日本きもの着付選手権熊本大会」で十二単(じゅうにひとえ)の着付のデモンストレーションを見たことがある。たしかに「萌黄」の着物が含まれていた。
 服飾関係のサイトで調べてみると、十二単の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなる」とあり、そのうち「表着」に「萌黄」色を使うと書かれていた。


萌黄色の表着(2019.6.9 鶴屋ホール)

色あひふかく 花房ながく

2022-04-17 21:14:26 | 文芸
 今を盛りの藤の花が目を楽しませてくれる季節です。この時季になると思い出す一節があります。

   色あひふかく花房ながく咲きたる藤の花の松にかかりたる

 これは清少納言「枕草子」の「めでたきもの」の條の一節です。
 「めでたきもの」とは素晴しいもの、見事なもの、りっぱなものを表す言葉です。

 藤の花はたおやかな女性のイメージ。そして松はたくましい男性のイメージ。
 深い色合いの藤の長い花房が、まるで恋人のように松に寄り添う美しい景色を表現しています。

 この構図は、下の歌舞伎舞踊「藤音頭」においても踏襲されています。


山田日吉神社(玉名市山田)の藤棚

▼藤音頭
  歌舞伎舞踊「藤娘」の一部。能で言う「小書」のようなもので六世尾上菊五郎(大正・昭和時代の
  歌舞伎役者)によって演出挿入された舞踊。
  艶やかな踊りを見せるのは実は藤の精。そして恋しい殿御に見立てたのは松。
  少しお酒を呑まされて酔い、初々しい恋心を踊ります。


熊本地震本震から6年

2022-04-16 21:23:02 | 熊本
 熊本地震の本震が襲ったのは6年前の今日未明。凄まじい揺れだった。
 翌日以降、被災現場で見た光景は一生忘れない。


瓦や鯱鉾が落ち、石垣の一部が崩落した熊本城大小天守閣(2016年6月8日撮影)


崩落した北十八間櫓および東十八間櫓(2016年4月20日撮影)


崩落した百間石垣(2016年6月8日撮影)


土台が崩落した西大手櫓門(2016年6月8日撮影)


崩落した戌亥櫓石垣および西出丸石垣(2016年6月8日撮影)


倒壊した往生院山門(2016年4月18日撮影)


崩れ落ちたマンション。(2016年4月18日撮影)

藤崎八旛宮 藤祭

2022-04-15 18:20:24 | イベント
 今日4月15日は藤崎八旛宮の「藤祭」。藤は藤崎宮の名前の由来ともなった大変重要な植物。藤崎宮のサイトには次のような説明がある。

 藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヶ所に埋めたところ、この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。(藤崎八旛宮 社記による)

 ただ、これには異説があり、郷土史研究家の鈴木喬さんの説によれば、京町台地の下を流れる井芹川の淵(深み、淀み)に、先の尖った岬(崎)が突き出た場所という意味から「ふちさき」という地名が先にあり、それが語源だという。このように地形に由来する古語が、のちに同音の言葉に掛けて生まれた創作の可能性が高い例はしばしば見られるというが、そうした諸説を含めて歴史だと思う。


神職の入場


拝殿での巫女舞奉納


境内の藤棚もそろそろ見ごろ


能楽殿での仕舞奉納(喜多流能楽師:狩野了一さん)