徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

小峰墓地から

2022-09-30 17:53:08 | 熊本
 今日は所用で熊本大学黒髪キャンパスの近くを通ったのでついでに小峰墓地に立ち寄った。昨年12月、鶴崎文化研究会の皆さんと一緒に訪れて以来だ。いつものようにラフカディオ・ハーンが愛した「鼻欠け地蔵」や偉人たちの墓にお参りした。



 その後、墓地の北側に回って立田山と麓の下立田の集落を眺めた。かつてその一角に父の生家があった。しばらく眺めていると、ハーンの「石仏」の冒頭の一節が頭に浮かんだ。
 ハーンが言う「このあたりの黒髪村の人たち」にはおそらくわが先祖たちも含まれているであろう。そしてハーンが言うようにわが家の墓地も小峰から立田山西麓に移されたのだろうと思う。




ハーンの「石仏」より

だらりの帯の家紋

2022-09-29 18:19:03 | 日本文化
 今年も鶴屋百貨店で現在行われている「大京都展」で京都の舞妓さんの舞披露を見た。祇園東の満彩尚(まさなお)さんが「もみじの橋」「萩桔梗」「祇園小唄」の三曲を舞った。司会者とのトークでは、振袖の肩上げと袖上げの由来、髪型のおふくと割れしのぶの使い分け、だらりの帯に入った家紋の話などが披露された。
 だらりの帯の家紋は、かつて12,3歳の舞妓さんがいた頃、お座敷で眠ってしまうことがよくあったため、連れて帰る先がわかるようにと置屋の家紋を入れる慣習が始まったという。その話を聞きながら、高浜虚子の随筆「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏」という一節を思い出した。漱石が明治40年(1907)に職業作家として初めて朝日新聞に連載した「虞美人草」を執筆するため京都に滞在していた頃、虚子に誘われ、祇園の一力で舞妓さんたちと雑魚寝をした一夜の話が綴られている。その時の舞妓さんたちも13歳だそうなのできっと眠かったのだろう。 


舞を披露した祇園東「まん」の舞妓・満彩尚さん


だらりの帯の下端には置屋まんの家紋が


高浜虚子「漱石氏と私」の中の「京都で会った漱石氏(一部)」


今日のアングル

2022-09-28 18:48:44 | 熊本
アングル1 新町電停
 水戸岡鋭治氏のデザインによる新型超低床電車「COCORO」が新町電停に入って来た。洗馬橋電停から新町電停の区間は熊本市電唯一の専用軌道区間となっている。その間、二ヶ所の踏切がある。新町電停の西側にはかつての新町繁栄の名残を感じさせる長崎次郎書店や吉田松花堂などの建物が見える。そして洗馬橋電停の辺りは慶長年間に加藤清正が阿国歌舞伎を招いて興行をした場所でもある。




アングル2 京町拘置支所
 今年6月に渡鹿の熊本刑務所構内に移転した京町拘置支所は、大正元年(1912)に「熊本監獄京町出張所」として開設。昭和38年(1963)に建替えられた。われわれ地区住民は「京町刑務所」という通称で馴染んでいたが、110年におよんだ京町での歴史を終えた。8年前、戦前の小学生時代に「京町刑務所」脇を下って(観音坂)壺川小学校に通ったという老婦人と偶然出会った思い出が甦った。


幻の熊本民謡 ~火の国小唄~

2022-09-27 20:54:54 | 音楽芸能
 昭和10年に水前寺北郊で開催された「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブックに、熊本の民謡として次の8曲が歌詞付きで紹介されている。
   火の国小唄/五十四万石/田原坂/おてもやん
   キンキラキン/東雲節/新興熊本博覧会会歌/新興熊本小唄


 その筆頭に挙げられているのが「火の国小唄」。最後の2曲は博覧会用に特別に作られた歌なのでさておき、他の5曲と比べ今日では「火の国小唄」の影は薄い。というよりこの歌を知っている熊本県民はほとんどいないといってもいい。この歌について、昭和から平成にかけて発刊された「新熊本市史」の編纂過程で発行されていた「市史編さんだより」第16号(1998年3月発行)に、瑞鷹酒造専務(当時)吉村圭四郎氏の「戦前の熊本の歌あれこれ」という一文の中で次のように紹介されている。

 この時代は一方で民謡調流行歌(新民謡ともいわれるが大正期に始まった新民謡運動の歌と紛らわしいのでこう呼ぶことにする)が盛んに作られた。詩人の西條八十氏が作詞し中山晋平氏が作曲するというコンビが有名で、全国各地の音頭や小唄が次々とできた。その中に「沖の不知火流れて消えてヨ…」という「火の国小唄」がある。もっともこの歌は九州新聞社が募集し、阿蘇郡宮地小学校訓導の山口白陽氏の応募による入選歌詞で、西條氏の撰、補作になるものであった。「火の国小唄」はA面が藤本二三吉嬢、B面は三島一声氏というこの時代の黄金歌手の歌唱により昭和六年十月新譜でビクターから発売されている。
 戦前、熊本の研屋旅館には西條氏と共に宿泊した中山晋平氏の「ホンニヨカヨカ、ヨカバイノバイ」という部分の揮毫があったということで、この部分は中山氏の作ではないかと思われる。「波浮の港」の「ヤレホンニサ」とか東京音頭の「ヤートナソレヨイヨイヨイ」とかの囃子ことばは中山氏が作曲時に付けることが多かったとのことである。

 このように作詞・作曲・歌い手と大物が揃って制作され、期待も大きかったと思われるが、同じような経緯で作られた2曲目の「五十四万石」(作詞:野口雨情 作曲:大村能章)と比べると、その認知度の差は歴然である。大正から昭和前期にかけてプロの音楽家たちがこぞって新民謡あるいは民謡調歌謡曲(いわゆるご当地ソング)づくりに取り組み、その数、数百あるいは数千曲ともいわれるが、今日まで唄い継がれているのはほんのひと握りなのかもしれない。



gooブログの仕様変更

2022-09-26 11:58:29 | Web
 最近、gooブログの仕様が変わったらしい。YouTube動画を埋め込んだ記事を見ていて気付いた。動画と直下に書き込んだキャプションの間が妙に開いているのだ。試しに新規投稿ページにYouTube動画のコードを貼り付けてプレビューしてみた。なんと既に動画のアラインがセンターになっている。これまではコードを貼り付け、1行改行してキャプションを書き込んだ後、動画のコードとキャプションを括ってセンタリングしていた。これまでの1行改行が余計になったことに気付き、動画のコードとキャプションが続いたままプレビューしてみると前の状態に戻った。修正方法はわかったがこれまでの同様の投稿記事を探し出し修正するとなるといったい何10件、何100件になるのだろう。気が重い。

仕様変更後の状態




修正後(仕様変更前の状態に戻したもの)

今日のちょっとした話題

2022-09-24 21:02:48 | 
◇娘ジントヨー
 この数日、5月2日に投稿したブログ記事「娘ジントヨー」へのアクセスが急増したので不思議に思っていたが、どうやら22日放送の朝ドラ「ちむどんどん」で上白石萌歌さん扮する三女歌子がプロポーズされ、彼女が「娘ジントヨー」を歌うシーンがあったかららしい。ここしばらく朝ドラは失礼していたので気が付かなかった。このドラマの中では一番気になっていたキャラクターだったので彼女の想いが通じて、まずはめでたしめでたしといったところか。

◇嗚呼「一太郎」
 今日、BSテレ東の「私の履歴書」というドキュメンタリー番組で、かつてワープロソフト「一太郎」で名を馳せた浮川和宣さんご夫妻が取り上げられた。「一太郎」には80年代半ばから90年代半ばまで随分お世話になった。ウィンドウズ95が登場して会社のパソコンが「ワード」に統一されたため不本意ながら「一太郎」との縁は切れたが、約10年間大変お世話になった。浮川さんはその後、自ら立ち上げたジャストシステム社を離れ、手書きソフト「MetaMoJi」という新しいビジネスにチャレンジしておられるそうだがご成功を心よりお祈りしたい。

熊本城宇土櫓石垣の修復

2022-09-23 19:01:53 | 熊本
 昨日投稿したばかりの「宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで」の中で、宇土櫓石垣の修復方法についても触れた。記事には会話の要点のみ記載したのだが、実は結構な時間を費やしてこれについて語り合っていた。
 そして、今日の熊日朝刊にまるでそれに対する解説のような記事が載った。それが下の記事なのだが、昨年10月に投稿した「熊本城修復のあり方」と合せて掲載してみた。


◇熊本城修復のあり方(2021.10.26)
 今朝の熊日新聞に「熊本城を歩く」と題した特集記事に城郭考古学者として有名な千田嘉博先生の熊本城復旧についてのインタビュー記事が掲載された。千田先生は熊本城文化財修復検討委員会の委員も務めておられるのでとても興味深く読ませてもらった。
 なかでも極めて注目すべきは、国重文である宇土櫓周辺の石垣の復旧に関する話だ。石垣に大きな変形が生じており、櫓だけではなく石垣も解体修理すべきという意見もあったが、現在は「はばき石垣」と呼ばれる石垣の外側にさらに石垣をかぶせるように築いて安定させる工法が有力だという。「はばき石垣」工法については2年前あたりから新聞記事等で目にするようになったが、江戸時代から何度も地震に見舞われた熊本城には「はばき石垣」で修復した石垣が何ヶ所もある。例えば下の写真の「櫨方三階櫓跡」の石垣などである。たしかに「はばき石垣」で修復する方が現実的なのかもしれないが、あの美しい曲線の宇土櫓石垣の美観が損なわれはしないか。それが気になるのである。


はばき石垣。櫨方三階櫓跡(現加藤神社)の石垣


「はばき(脛布)」というのは脚絆のこと。上の早乙女たちの下肢のように脛に巻きつけて紐で結んだ布のこと。

宇土櫓が再び雄姿を見せるその日まで

2022-09-22 17:48:12 | 熊本
 昨日は散歩の途中、宇土櫓の前でしばらくその姿に見入った。来月から解体保存工事が始まるそうなのでひょっとしたら見納めになるかもしれない。
 現在、解体保存工事中の戌亥櫓ゾーンの警備員のおじさん(と言っても僕よりだいぶ年下だが)が、すぐそばに立っていたので話しかけてみた。
「戌亥櫓の解体保存工事もまだ続いていますが、宇土櫓の方はもっと大変でしょうね」
「戌亥櫓は来年3月までかかると聞きますが、おそらく宇土櫓は戌亥櫓の何倍もかかるでしょうね」
続けて
「宇土櫓の内部に入ったことがありますが、柱が折れたり曲がったりとそれは酷いものでした。解体しても新しい木材を相当多く使わざるを得ないでしょうね」
「そうなんですか。解体保存が終わったとしても国重文ですから再組立ては大変でしょうね」
「となりの西出丸の倉庫に保管することになると思いますが、記録に則って解体前の状態に戻すのは気が遠くなりそうな作業が続くと思います」
「その前に石垣の補修もありますしね」
「石垣は外側に新しい石垣で補強する(はばき工法)と聞きました」
「そうですか。ちょっと美観が損なわれますね。再び宇土櫓の姿を見ることができるのは何年後でしょうか」
「さあ、10年で済むでしょうか」
「できた頃はわれわれはもう死んでいるかもしれませんね」と二人で笑い合った。


くまもと 秋のまつり

2022-09-21 19:00:15 | イベント
 朝方は布団が恋しい季節になりましたね。
 熊本はやがて秋のまつりのシーズンに入ります。何かご興味をお持ちのイベントがありましたら
 どうぞお運びください。



熊本市政令指定都市移行10周年記念
のくまもとお城まつり
  • 熊本城流鏑馬
      10/30(日)10:30~12:00
      熊本城二の丸広場(無料)

  • 熊本城ライトアップ(城あかり)
      11/18(金)~12/4(日)9:00~21:00(最終入場20:30)
      熊本城特別公開エリア(有料)

  • 旧細川刑部邸特別公開と紅葉ライトアップ(城あかり)
      11/18(金)~12/4(日)9:00~21:00
      旧細川刑部邸(無料)

  • 二の丸竹あかり(城あかり)
      11/18(金)~12/4(日)点灯は日没後
      熊本城二の丸広場周辺(無料)


街地イベント
  • 熊本暮らし人まつり みずあかり
      10/8(土)~9(日)18:00~22:00
      花畑公園/市民会館前道路/加藤清正公像前/熊本城長塀前・坪井川/城彩苑

  • 城下町大にぎわい市
      11/19(土)~20(日)10:00~17:00(予定)
      花畑広場

  • 第十八回城下町くまもと銀杏祭
      10/8(土)~9(日)(予定)
        8日/12:00~22:00 銀座通り・中心市街地アーケード界隈
        9日/12:00~夕方(予定) 中心市街地アーケード界隈

  • 熊本城坪井川園遊会「秋の宴」
      10/2(日)~16(日)
         ※期間中の土日祭日
        肥後絵巻 ①12:30~ ②15:00~
      10/30(日)
        花魁道中 ①15:00~ ②18:30~
      桜の馬場城彩苑

  • JAZZ OPEN 2022
      10/8(土)16:20~20:00(予定)
      熊本市中心市街地一帯

和菓子 LOVE!

2022-09-20 21:29:24 | Web
 ブログ友の「くりまんじゅう」さんが、先日BSプレミアム「美の壺」で放送された「黒の風格 羊羹(ようかん)」にちなんで「羊羹」をブログで取り上げておられた。
 これを読ませていただきながら、7年ほど前に「漱石と羊羹」というブログ記事を投稿したことを思い出し、さっそく「くりまんじゅう」さんの記事にコメントさせていただいた。コメントを書き込みながら、自分のブログに羊羹に限らず、和菓子の記事を書いていることを思い出し、主なものをピックアップしてみた。こうして並べてみると自分の和菓子好きにあらためて気付いた。

◇時を超える菓子「かせいた」(2022.5.29)


◇綾子舞ものがたり(2022.4.6)


◇長谷幸輝検校没後百年記念の和菓子(2020.3.2)


◇細川家立田別邸 ~ 父の幼時を追体験 ~(2017.4.16)


◇いきなり団子のはなし。(2017.7.30)


◇肥後銘菓を買いに・・・(2016.5.18)


◇漱石と羊羹(2015.11.17)


◇銘菓「さおしか」 と 泰勝寺跡(2013.11.19)

なごり風

2022-09-19 19:47:02 | 
 昨夜は風の音でなかなか寝付かれなかった。日付が変わった午前1時頃、急に風がやみ雨音に変わった。テレビを点けてみると、台風はもう熊本県と福岡県の県境を越え大牟田付近にあった。
 今回は「経験したことの無い超大型台風」と散々おどかされたが、これまで経験した多くの台風と特に変わったところもなくちょっぴり肩すかし感も。今日の日中は台風のなごり風や時折小雨もパラついたが、夕方それもおさまってきたので少し散歩した。道端のオシロイバナが開き始めていた。昨夜は強い風や雨の中で咲いていたのだろうか。開花時期も終わりに近い。

  野分去り けなげに咲くや 夕化粧  ※夕化粧:オシロイバナのこと


しずごろう民謡わがままチャンネル

2022-09-18 17:44:56 | 音楽芸能
 東海風流チャンネルでおなじみの民謡歌手「水野詩都子」さんと三味線演奏家「﨑秀五郎」さんのお二人が、東海・中部の枠にはこだわらず、お二人が演奏したい曲を「しずごろう」というコンビ名で発信して行かれるそうです。
 新たにスタートした「しずごろう民謡わがままチャンネル」の発信第1弾は「鹿児島三下り」です。この唄は江戸後期から幕末にかけて流行った「三下り端唄」の一つで、七・七・七・五を基本に、五字冠りと呼ばれる五・七・七・七・五という音数律で唄われます。

 〽 唐傘の 糸は切れても 紙ゃ破れても
       通わせ給(たも)るが わしゃ嬉し

 この唄は江戸後期に京都から薩摩に伝わった唄といわれています。

 「しずごろう」の第2弾、第3弾が楽しみです。

※三下りとは(goo辞書より)
 三味線の調弦法の一。本調子の第3弦を1全音(長2度)下げたもの。粋 (いき) や艶 (つや) を表し、長唄・小唄に多く用いる。



 江戸時代、薩摩文化圏にあった天草の牛深には「牛深三下り」という「三下り端唄」が唄い継がれています。「鹿児島三下り」が伝わったものとも言われていますが、今では「牛深ハイヤ節」の前唄として、地元弁の囃子唄をはさんだ「さわぎ唄」として独自の発展を遂げています。この二つの「三下り端唄」を聞き比べてみるのも味わい深いものがあります。


御旅所御能奉納・御能組

2022-09-17 17:53:52 | 伝統芸能
 もし台風14号なかりせば明日の御旅所奉納能で演じられるはずだった御能組(プログラム)は下表のとおり。10月に延期されることになったが、役者さんたちのスケジュールもあってこのままの演目になるとは限らない。
 この中で未見は「六浦」のみだが、いずれも見ごたえ十分の演目ばかり。特に「枕慈童」は個人的にも思い出の曲。2014年の熊本城薪能でも演じられたが、今回同様台風の襲来で二の丸広場の特設舞台から手狭な本丸御殿大広間へと急遽会場変更となった。この時シテを務めたのは喜多流の女性能楽師・大島衣恵さん。女性がシテを務める能を見たのはこの時が初めてだった。
 不老不死の霊水で700年を生き続けねばならなかった童子の話。


三年ぶりの鉦太鼓 ~藤崎八旛宮例大祭~

2022-09-16 16:54:57 | イベント
 14号台風の襲来が予想されるため、明後日(18日)の藤崎八旛宮例大祭の神幸式は延期が決まりましたが、今日は朝9時からの「神馬飾卸」と10時からの「飾馬飾卸」が予定どおり実施されました。3年ぶりに鉦太鼓やラッパの音が熊本の街に響き渡りました。
 なお、延期の日程は後日発表の予定だそうです。

馬飾卸






   馬飾卸

桃太郎からの~

2022-09-15 22:34:46 | 音楽芸能
 昨夜のNHK「歴史探偵」では「桃太郎」がテーマだった。3年ほど前に放送されたブラタモリ「岡山・桃太郎編」の内容に加え、口承文芸として各地に伝わりながら少しずつ変化していった物語や日本帝国主義の時代に桃太郎伝説が利用されていった経緯などが解説された。
 番組内容については別の機会に譲るとして、番組を見ながらふと思い出したのが端唄「桃太郎」。そして「桃太郎」の元唄とも言える「奴さん」。そしてそのまたバリエーションの「花魁三分二朱」と続けて三曲聴いてみた。

端唄「桃太郎」(立方:ザ・わらべ 地方:藤本喜代則社中ほか)


端唄「奴さん」(唄・三味線 﨑秀五郎)


端唄「花魁三分二朱」(立方:花童 音源は本條秀太郎師)