徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今年の熊本城薪能は・・・

2015-09-30 19:39:27 | 音楽芸能
■日時 2015年1010日(土) 開演 午後6時
■場所 熊本城二の丸広場(雨天本丸御殿内)

観能無料






【番 組】




▼能「鵜飼」あらすじ
 安房の国清澄(きよずみ)を出て甲斐の国へ向かう旅の僧(ワキ、日蓮に凝す)が従僧とともに甲斐の国石和(いさわ)に着くと、鵜使いの老人(シテ)が現れる。この老人は以前、従僧を泊めたことのあった者であるが、禁漁を見つけられて水中に沈められたことを語り、亡者であると言う。僧は罪を懺悔するために鵜を使うようにと言い、老人は鵜を使って見せた後、月の出とともに消え去る(中入)。僧が法華経で弔うと、地獄の鬼(後シテ)が現われ、旅の僧を泊めた功徳によって鵜使いを極楽へ送ったと述べ、法華経を讃嘆し、僧へ供養することをすすめる。榎並左衛門五郎の原作を世阿弥が改訂した作といわれる。

山頭火 熊本の足跡を辿る

2015-09-29 17:15:51 | 文芸
 10月11日は種田山頭火の没後75年にあたる。
 山頭火の自由詩のファンでもなく、山頭火本人に特に興味を持ったわけでもない僕が、山頭火との妙な縁が始まったのは、40年近くも前、彼の生まれ故郷防府に転勤した頃からである。よく通る道の傍に彼の生家跡があったり、子どもを連れて海水浴に行く道の傍には種田家がやっていた酒造場の跡があったりしたことが始まりだった。それから僕は転勤を繰り返し、20年後に熊本に戻った時、再び行く先々で山頭火の名前を目にすることになった。実はそれまで山頭火が熊本に住んでいたことを知らなかった。なぜかよく通る道に、分骨墓のある安国禅寺や、出家得度した報恩禅寺があった。そして、舞踊団ザ・わらべを通じてお知り合いとなった民謡三味線の本條秀美さんを初めてお訪ねした時、そこがなんと山頭火が堂守を務めた味取観音堂のある瑞泉寺であることを知った。その時、これはいよいよ何かの縁に違いないと思うようになった。彼の自由詩や紀行文を読むようになったのはそれからのことである。

 
▼下通りの「雅楽多」跡
 大正5年(1916)4月、妻子を連れて熊本へやって来た山頭火は、翌月、下通りと三年坂通りが交差する一角(ダイエー熊本下通店が閉鎖し、現在、総合テナントビルの建設が進められているところ)で古書店「雅楽多書房」を開いた。しかし、経営はうまくいかず、間もなく額縁店「雅楽多」として再出発。経営は妻サキノに任せっきりで酒におぼれるようになる。




▼熊本市公会堂前電停跡
 大正8年(1919)10月、妻子を熊本に残したまま単身上京。妻サキノとは翌年11月離婚。大正12年(1923)関東大震災に遭い熊本の元妻のもとへ逃げ帰る。翌年12月、熊本市内で泥酔し、熊本市公会堂前の電停近くで市電を止める事件を起こす。(写真は事件のあった旧軌道敷付近)




▼出家得度した報恩禅寺
 電車事件の時、助けられた知人の紹介で、報恩禅寺(坪井)の住職・望月義庵に預けられ寺男となる。翌年、得度し「耕畝」と改名、味取観音堂の堂守となる。




▼堂守を務めた味取観音・瑞泉寺
 しかし、寂しさゆえか堂守も1年余りしか続かず、44才となった大正15年(1926)の4月、行乞の旅に出る。これが漂泊の俳人の始まりだった。 




▼安国禅寺の種田家の墓
 昭和14年(1939)松山市で「一草庵」を結ぶ。翌年10月、この庵で生涯を閉じた。(享年58)。遺骨は妻サキノさんによって分骨され、熊本市西区横手町の安国禅寺の種田家の墓にも埋葬されている。


舞踊団花童 出演情報!

2015-09-28 18:07:33 | 音楽芸能
秋のくまもとお城まつり
熊本蔚山友情コンサート in 熊本城


■日 時 10月9日(金)17:00 開場 17:45 開演予定
■場 所 熊本城二の丸広場特設ステージ
■入場料 無料
■内 容 日本と韓国のアーティストによる友情コンサート
■出 演 (韓国)BOYFRIEND、BESTie、チュガヨル、ソリア・バンド
     (日本)LinQ、四季彼方、ザ・わらべ(舞踊団花童)






 韓国蔚山広域市には16世紀末の文禄・慶長の役の際に、加藤清正が築いた西生浦倭城や蔚山倭城跡が残り、熊本市には加藤清正が連れてきた朝鮮人を住まわせた蔚山町という旧町名が残ることなどから、両市の間では民間レベルの文化交流が続けられてきた。2007年の熊本城築城400年祭を機に、官民レベルで本格的な交流の機運が高まり、2010年(平成22年)4月、両市は友好協力都市としての提携を締結した。
 このコンサートはその文化交流の一環として行われるもの。

 ザ・わらべ(舞踊団花童)は、2010年9月から10月にかけて、韓国の忠清南道で開催された「2010世界大百済典」に、日本代表の一員として参加、韓国の皆さんの前で日本の伝統芸能を披露した。


【立方】ザ・わらべ 【唄・三味線】本條秀美 【囃子方】中村花誠と花と誠の会 【撮影】上村敏子

「花燃ゆ」 あれこれ

2015-09-27 19:49:05 | 歴史
 明治の御世となって長州藩の奥御殿も閉じられることになり、藩主一家は江戸へ。美和は長年慈しみ育てた興丸との哀しい別れ。萩へ戻った美和は末弟の敏三郎と再会する。
 今夜の「花燃ゆ」はそんな話があった。そこで僕がふと思ったこと二つ。

1.興丸といえば後の毛利元昭公のこと。元昭公は防府に邸宅を築き、東京にいるとき以外はいつもそこで暮らしていたという。それが現在の毛利博物館および毛利氏庭園(通称毛利邸)。僕は防府在勤の頃、親族や知人が訪ねてくると必ずここに案内した懐かしい場所である。

▼毛利邸



2.美和の弟・杉敏三郎は生まれながらの聴覚障害で話すこともままならなかった。兄の吉田松陰はそんな弟を思い、熊本に遊学した1850年、本妙寺へ赴き、加藤清正を祀る浄池廟に難病平癒を祈願した。当時、加藤清正は難病患者の信仰対象になっていた。

▼本妙寺・浄池廟

ジェームズ・ディーン没後60年

2015-09-26 20:45:26 | 映画
 今月末日9月30日はジェームズ・ディーンの没後60年にあたる日だ。不慮の事故で亡くなったのは僕が小学4年生の時。その頃既に映画少年だった僕にとってはショッキングな出来事だった。存命ならなんと84歳になるわけだが、僕の中では24歳のままのイメージで生き続けている。彼の出演作はエキストラ出演を除けばわずか3本しかない。「エデンの東」も「理由なき反抗」もよかったが、僕はやはり遺作となった「ジャイアンツ」が忘れられない。「ジャイアンツ」が初公開された昭和32年、毎朝ラジオから流れるディミトリ・ティオムキンの主題曲を聴きながら小学校に登校していたことを懐かしく思い出す。僕にとってこの曲は映画音楽のオールタイムベスト1だ。
 ところで、「ジャイアンツ」で彼が演じたジェット・リンクという役は、最初、「シェーン」のアラン・ラッドにオファーがあったそうだ。いずれもジョージ・スティーブンス監督の作品だからなるほどという感じだが、「シェーン」で名をあげたアラン・ラッドは脇役がいやだったのかこれを断った。後に彼はこれを後悔することになるのだが。その数年前「シェーン」の撮影時、スティーブンス監督は既に目を着けていたジェームズ・ディーンをスタッフとして使っていたらしい。その「シェーン」もスティーブンス監督は最初、アラン・ラッドではなく、モンゴメリー・クリフトを起用することを考えていたらしいから名作の裏にはいろんなエピソードが埋もれているものだ。「ジャイアンツ」への出演を断ったアラン・ラッドはその反省からか後年、ハワード・ヒューズをモデルにした「大いなる野望」という映画で脇役のネバダ・スミス役を演じる。これが好評でスピンアウトした「ネバダ・スミス」という映画が作られることになり、再びラッドは栄光を取り戻すかに見えたが、製作前に薬物とアルコールの乱用によって死亡する。そしてこの役はスティーブ・マックイーンが演じ、映画は大ヒットした。


Still Crazy For You

2015-09-25 19:03:12 | 音楽芸能
 今日外出する時、車でFM放送「松任谷由実のYuming Chord」を聞いていたら、僕の大好きな「Still Crazy For You」が流れて来た。久しぶりに聞けて嬉しかった。実はこの曲についてはこれまでブログで3回ほど取り上げている。これまでの内容を再編集してアップしてみた。

 ユーミンが敬愛してやまないクレイジーキャッツの谷啓とのデュエットによるこの曲は、渡辺プロダクション創立50周年のテーマソングとしてユーミンが作詞・作曲したものだ。われわれの年代には懐かしい「シャボン玉ホリデー」の香りがそこはかとなく漂い、谷啓さんのルーツでもあるダニー・ケイの「五つの銅貨」の雰囲気もちりばめられている。植木等さんの有名なギャグ「お呼びでない・・・、こりゃまた失礼」も入っているし、PV映像には60年代にヒットした映画「ピンクパンサー」を思わせるアニメーションもあって楽しい。
 僕の学生時代はクレイジーキャッツの全盛時代で、正月休みを熊本で過ごした後、夜行列車で東京駅に着くと、その足で日劇(現在の有楽町マリオン)へ直行。正月恒例のクレイジーキャッツのショーを一日中見て過ごしたものだ。2ステージ続けて見るものだから、同じギャグの繰り返しに「あ!あれはアドリブじゃなくて台本だったのか!」と変なところに感心したりもした。クレイジーキャッツのファンになったのは、大学の一年先輩に、谷啓さんの逗子開成高の後輩の人がいて、いつも自慢話を聞かされていたこともある。谷さんはもともとトロンボーン奏者として、その実力を認められた人だったが、コメディアンとしてのセンスも抜群だった。「ガチョ~ン!」などのギャグはあまりにも有名だが、軽妙洒脱なトークや、かぶせ気味のツッコミなどは「釣りバカ日誌」シリーズなどでも健在だった。その「ハナ肇とクレイジーキャッツ」のメンバーもご存命なのは犬塚弘さんただ一人になってしまった。思えば、クレイジーキャッツの全盛時代は日本の最も良き時代だったのかもしれない。


お寺の生き残り作戦

2015-09-24 19:57:30 | イベント
 「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」というテレビ朝日のバラエティ番組がある。お寺の裏側やお坊さんの実態、宗派間の違いなどをおもしろおかしく紹介していて、よく見る番組の一つだ。お寺やお坊さんに対する見方が変わったという評価もあるようだ。
 父の月命日にお経をあげにやってくる菩提寺の住職とたまに話すことがあるのだが、今、お寺の経営は大変らしい。家族の崩壊、都会地への人口移動、高齢化社会の進行、宗教観の変化等々、江戸時代以来続く「檀家制度」は存立基盤を失いつつある。お寺も手をこまねいているわけにはいかないので、いろいろと生き残り策を講ずるわけだ。昔から幼稚園経営などを併営するお寺も多いが、本業のお寺だけに頼るわけにもいかなくなっているようだ。
 一方で、若い人たちなど、これまでお寺とは縁遠かった人たちに目を向けてもらうことが大事と、いろんな文化的イベントを開催するお寺も増えている。新町・古町エリアの住民と地区のお寺が一体となって毎年夏開催している「城華まつり」もそうだし、10月に日蓮宗の若いお坊さんが本妙寺とその塔頭で行う「寺フェス in 本妙寺」もその一つだろう。また個々のお寺でもイベントを開催するところが多い。近いところでは漱石が参禅したことで知られる見性寺(坪井)のコンサートや谷汲観音で知られる浄国寺(高平)のジャズコンサートなど。また、水前寺の活性化プロジェクトとして行われている玄宅寺(水前寺)の日本舞踊の会もその一つと言えるだろう。

▼玄宅寺で毎月行われる日本舞踊の会(写真をクリックすると動画を再生します)


※明日9月25日(金)18:30~
 玄宅寺で9月度の舞踊団花童による日本舞踊の会が行われます。ご興味のある方はぜひどうぞ。
 (入場無料です)


細川家文書が語る歴史の裏側

2015-09-23 13:06:07 | 歴史
 細川家に伝わる膨大な古文書群は、その多くが熊本大学附属図書館に預けられており、2009年から熊本大学の稲葉教授を中心としたチームにより解読作業が進められている。
 その結果に基づき、今年の2月には熊本県民テレビ(KKT)の特別番組「くりぃむしちゅーの歴史新発見 信長59通の手紙を解読せよ!」が全国ネットで放送された。そして昨夜のNHK・Eテレ「先人たちの底力 知恵泉」では、三千通にもおよぶ細川忠興・忠利父子がやりとりした手紙を解読することにより、信長・秀吉・家康と天下が変わる激動の時代を生き抜いた細川家のしたたかな戦略が見えてきた。
 今後、細川家文書の解読作業がさらに進むことによって、歴史の常識を覆すような新事実が出てくるかもしれない。

▼細川家ゆかりの歴史遺産「古今伝授の間」(水前寺成趣園)

まだまだ祭りは終わらない・・・

2015-09-22 21:00:56 | イベント
 熊本最大の秋のまつり「藤崎八旛宮例大祭」が終り、明日でシルバーウィークも終わるとなると、なんとなく「祭りのあと」のような気分になりがちですが、とんでもない!熊本はこれからが秋の祭りの佳境なのです!
 主なものだけあげても、灯りの祭典「みずあかり」、華やかな花魁道中が見られる「熊本城坪井川園遊会」、古式ゆかしい武田流流鏑馬が見られる「熊本城流鏑馬」、肥後能楽四百年の伝統を伝える「熊本城薪能」、そして熊本城本丸御殿を彩る「秋夜の宴」等々、枚挙にいとまがありません。そうです!お楽しみはこれからなのです!

▼10月11日 「くまもと花魁道中」 桜の馬場城彩苑 


▼10月10・11日 「熊本暮らし人まつり みずあかり」 花畑町一帯


▼10月10日 「熊本城薪能」 熊本城二の丸公園


▼10月18日 「熊本城流鏑馬」 熊本城二の丸公園


▼9月10月の毎週土曜日 「秋夜の宴」 熊本城本丸御殿

番所の棚田(日本の棚田百選)

2015-09-21 22:36:47 | 熊本


 この季節になると毎年欠かさず訪れる「番所の棚田」。熊本県内では、僕が最も好きな景観の一つである。今日現在、彼岸花は五~六分咲きだそうだが、はたして今年も行けるだろうか。画像はいずれも3年前に撮影したもの。

 山鹿市番所地区は、山の斜面に重なり合う石垣の棚田と家並みとが美しい景観をなす集落です。かつて、国境の御番所があったことから「番所」の地名が残ります。秋の彼岸花で有名な棚田風景は大変美しく印象深いもので、平成4年には熊本農村景観コンクールで「農村景観大賞」を受賞し、平成11年には「日本の棚田百選」に選定されるなど、山鹿市が誇る農村景観です。(山鹿市広報資料より)


藤崎八旛宮例大祭 御能奉納

2015-09-20 16:58:40 | イベント
 今まで見た能舞台の中で最も迫力を感じた。今日の藤崎八旛宮例大祭・段山御旅所での御能奉納のことだ。他の能舞台や劇場舞台にくらべてお世辞にも立派な舞台とは言えない。橋掛かりの壁のベニヤ板は剥がれそうだし、先日の台風でよく持ちこたえたなと思うような老朽化した建物だ。しかし、その舞台で演じられる能は凄かった。朝早くから出かけて最前列に陣取り、これまで見たどの演能よりも舞台に近かったこともあるだろう。
 中でも、喜多流肥後狩野家の四代目にあたる狩野祐一さんの本格デビューとなった半能「敦盛」は、二代目の祖父秀鵬さんと三代目の父了一さんが地謡に入り、後見を人間国宝の友枝昭世さんが務めるという豪華さ。品格と若々しさを感じさせる祐一さんの素晴らしい演能だった。
※秀鵬の秀は、正しくは「王」へんに「秀」

▼番組
金春流 素謡「翁」
金春流 半能「高砂」
喜多流 半能「敦盛」
和泉流 狂言「盆山」
金春流 能「羽衣」
喜多流 半能「熊坂」
附祝言

※写真をクリックすると拡大します
■金春流 半能「高砂」





■喜多流 半能「敦盛」





まめ藤さんはテッパンネタ!

2015-09-19 00:02:30 | テレビ
 このブログへのアクセス者数が、8月16日に急にハネ上がったという記事(まめ藤さん効果 再び!? 2015.8.17)を書いたが、その原因がやっと判明した。
 今年1月にも同じようなことがあり、その時は僕自身がテレビ番組を見ていたので、多分、番組視聴者の検索がこのブログのまめ藤さん関連記事にヒットしたからだろうとすぐに想像がついた。今回もおそらくテレビ番組の影響だろうと予想はしたが、熊本では思い当たるような番組は放送されていなかった。最近になってやっとわかったのだが、8月16日に「世界!ニッポン行きたい人グランプリ」(テレビ東京)という番組が関東や関西などで放送されており、その日の放送では、日本の舞妓さんに憧れるポーランドの女性が日本に招かれ、京都祇園甲部の置屋「多麻」にまめ藤さん・まめ菊さんを訪ねるという内容だったらしい。どうもまめ藤さん・まめ菊さんネタはテッパンになってきたようだ。


シルバーウィークの舞踊団花童

2015-09-18 11:14:48 | 音楽芸能
 県内外の数名の方から、明日から始まるシルバーウィークの間の「舞踊団花童の出演予定」についてお問い合わせがありましたので、10月中旬までの主なスケジュールをお知らせしておきます。
 国立劇場デビューも果たし、一段と磨きがかかった彼女たちの芸を、ぜひこの機会にご覧ください!

 9月20日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
 9月21日 萌の里 昼頃
       城彩苑 わくわく座 17:30〜
 9月22日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
 9月23日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
 9月25日 水前寺 玄宅寺 18:30〜
 9月26日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
 9月27日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
10月 3日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
       熊本城 本丸御殿 18:30~
10月 9日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
10月15日 城彩苑 わくわく座 17:30〜
10月17日 熊本城 本丸御殿 18:30~


※写真をクリックすると動画を再生します

むかしの農業

2015-09-17 18:47:56 | 歴史
 7年ほど前、知人のKさんが、自分の記憶に残る幼い頃の農村の風景を水彩画で描かれた。画帳に毎日せっせと描きため、その数30枚以上にもなった。本来、日本人が持っている労をいとわない特質がだんだん失われつつあるという危惧感を抱いているKさんは、子や孫にかつての農業の姿を目に見える形で残しておきたいとの想いで始められたものだ。いずれ貴重な民俗文化資料になるだろう。
 最近、同じ趣旨で作製された動画が存在することに気付いた。岩手県南西内陸部の金ケ崎町の映像だが、Kさんが育った熊本県矢部町(現山都町)も基本的には同じような風景だったにちがいない。


ジュリアおたあ

2015-09-16 16:05:58 | 歴史
 昨年、「歴史秘話ヒストリア」(NHK総合)でも紹介された「ジュリアおたあ」。文禄の役(1592年)の時に朝鮮半島から連れて来られた朝鮮の人達の中に、後に「ジュリアおたあ」と呼ばれる少女がいました。彼女はキリシタン大名小西行長に保護され、彼の養女として行長夫妻のキリシタンとしての生き方を学びます。そして、ジュリアという名で洗礼を受けます。なお、「おたあ」とは「おたき」の幼称です。
 行長が関ケ原の戦いに敗れて刑死した後、おたあはその美しさと知性を見初められ、徳川家康の侍女として仕えることになります。しかし、おたあは信仰を捨てることなく、家康の側室への抜擢も断ったため、1612年に江戸城より追放されます。三度にわたる島流しの刑を受けますが、彼女は流刑地においても熱心にキリストへの信仰を守り、弱者や病人へ献身的に尽くし、何度も恩赦で島から出る機会が与えられながらも、40年間一度も島を出ることがなく、どんな苦難の中にあっても神の愛に一生を捧げました。

 秋田県仙北市を拠点に活動を続ける「劇団わらび座」が、「ジュリアおたあ」の生涯をミュージカル化、全国各地でツアー公演を行なっています。そして、小西行長ゆかりの宇土市でも公演が行われることになりました。

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「広報うと」より