徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

野村萬斎 & 山崎貴 東京オリンピック開閉会式を演出!

2018-07-31 14:57:46 | イベント

2016年7月18日 水前寺成趣園能楽殿での熊本復興支援狂言公演における野村萬斎さん


 2020年東京オリンピック開閉会式を演出する総合統括に、狂言師の野村萬斎さんが就任することが決まった。五輪統括には映画監督の山崎貴さん、パラ統括には広告クリエーターの佐々木宏さんが務めることになった。野村萬斎さんが総合統括となったのは狂言、映画、舞台などでの活躍を通じて幅広い見識があるからだそうだ。
 事前に何人かの候補者名が新聞でも報じられていたが、僕個人としては、願っていた萬斎さんと山崎監督が選ばれたことはこの上ない喜びだ。狂言方として能楽界をリードする一人である萬斎さんは、テレビでよく拝見し、その見識にはかねがね敬意を抱いていたし、山崎監督については、10年前、監督の作品「BALLAD 名もなき恋のうた」の熊本ロケにボランティアスタッフとして参加させていただいた縁もある。萬斎さんが創り上げる日本の伝統文化の世界を、山崎監督のVFX技術がより効果的に表現する。そんな場面を想像しながら今からワクワクしている。
※右の写真は山崎監督の映画「BALLAD 名もなき恋のうた」の台本


花若ぁ~!

2018-07-30 15:08:24 | 音楽芸能
 「狩野琇鵬三回忌追善能」は、友枝昭世、山本東次郎という二人の人間国宝の出演もあって見ごたえ十分だった。なかでも主演目の「望月」は琇鵬先生が27年前に熊本で演じて以来、初めてご子息の了一さんがシテを務めるという大曲。仇討モノの現在能なのでとてもわかりやすかった。そして、何よりも僕の心をとらえて放さなかったのは子方の花若を演じた大島伊織くん10歳。その堂々とした舞台姿に感動した。既にこの役を何度か演じているらしいが、彼の発する科白や動きは自信に満ち溢れていた。同年代の孫息子を持つ僕としてはウルウルせずにはいられない。シテ方喜多流能楽師・大島輝久さんのご長男で将来が楽しみだ。

【あらすじ】
 信濃国の安田庄司友春に仕えていた小沢刑部友房は、都にいる間に、主君の友春が亡くなったことを知ります。友春は、同国の(従弟の)望月秋長と口論になった結果、秋長から討ち取られてしまったのです。友房は、望月の息のかかった者が、自分の命を狙っているのを伝え聞き、宿場町である守山の宿に入り込み、甲屋(かぶとや)という宿の主人になり、日々を送っていました。
 一方、安田庄司友春の妻と子の花若は、故郷を追われて放浪の身となっていました。ある日、二人は守山の宿にたどり着き、たまたま甲屋に泊まります。友房は、二人が今は亡き主人、友春の妻子であることに気づき、名乗りを上げて、二人と再会を喜び合います。
 ちょうどその時、都での用事をすませた望月秋長の一行が、守山宿を訪れ、甲屋に泊まることになります。友房は、敵の望月が自分の宿に来たことを知って驚き、天の与えた機会と思い、友春の妻子に告げて、仇討ちの計画を練ります。友房は、友春の妻子を盲目の女芸人の一行に仕立て上げ、望月のいる座敷に上げ、自分は酒を持って宴を囲むと見せかけて、望月に近づきます。友春の妻が謡い、花若が鞨鼓を舞い、友房が獅子を舞うなどして芸を尽し、酒を飲ませて望月の油断を誘います。友房は、酔いもまわって眠気がさした様子の望月を襲い、花若とともに斬り伏せて、仇討ちの本望を遂げます。(the能ドットコムより)

今週のカバー写真

2018-07-29 19:53:16 | イベント
 先日、昨年5月他界された「評伝 海達公子」の著者、規工川佑輔先生のお宅へお盆のお参りに行った。お葬式以来、奥様とお会いするのは初めてだったので話がはずんだ。規工川先生がご健在の頃、海達公子が山鹿灯籠祭りを見に行ったことがあるという話を伺ったことがある。敬愛する教師・石塚菊二郎に他の数人の生徒と一緒に連れられて見に行ったことが公子の日記に記されているのだそうだ。昭和7年8月、つまり彼女にとって最後の夏である。お寺に泊まったそうなので、きっと深夜の上がり灯籠を見たのだろう。当時はまだ山鹿灯籠踊りは始まっていない頃で、上がり灯籠がメインイベントだったそうだが、踊りの才能もあったという公子が今日の山鹿灯籠踊りを見たら、どんな反応をしただろうか。
 ところで、今年の山鹿灯籠まつりは少し構成が変わったらしい。2部にわたって行われていた千人灯籠踊りが、1部に集約され、その後の上がり灯籠に連続するようなプログラムになったらしい。千人灯籠踊り人気の陰に隠れていた上がり灯籠の復権になるかもしれない。


狩野琇鵬三回忌追善能を観に行く

2018-07-28 21:40:32 | 音楽芸能
 福岡の大濠公園能楽堂へ標記の能を観に行った。素晴らしい公演だった。内容については後日に譲るとして、僕にとって博多へ電車で行くことは、おそらく20年ぶりくらいではないかと思う。鈍行で行ったので車窓からの景色を十分楽しんだ。
 大濠公園能楽堂は、狩野さんにいい席をとっていただいたのでよく見えた。隣の席の高齢のご婦人といろいろ会話をした。僕よりだいぶ先輩の昭和ひとケタ生まれの方だった。戦後間もなくから能を始められたそうで、なんと能歴70年になるらしい。能の公演は東京だろうがどこだろうが観に出かけて行くらしく、今や伝説となった能の名手たちの舞台もご覧になっているそうで、なかでも、今回出演される友枝昭世師のお父上、友枝喜久夫師の舞台を何度かご覧になったのがご自慢のようだった。昭世師については、最近ご覧になった「隅田川」が少々ご不満だったようで、昭世先生は人間国宝になる前の方がよかった、などと辛口コメントをおっしゃっていたが、昭世師の仕舞「融」をご覧になった後は、能楽にはあるまじき激しい拍手を送りながら「これ観ただけでも今回来た甲斐があった」と感動しておられた。終演後、またどこかでお会いしましょうと言葉を交わして席を後にした。


20年ぶりに電車で菊池川を渡る。向うに見えるは高瀬船着場および俵ころがしの跡。


大濠公園の中に入ったのは初めて。まさに都会のオアシス


熊本県民にとっては羨ましい素晴らしい能舞台。


今日の番組

酒田甚句 -Future Trax-

2018-07-26 19:12:09 | 音楽芸能
 ブログを通じて交流させていただいているcakeさんから面白い音楽PVを紹介いただいた。民謡日本一に輝いたこともある山形県出身のシンガーソングライター・朝倉さやさんが歌う「酒田甚句 -Future Trax-」だ。山形県民謡「酒田甚句」をスタイリッシュなダンスミュージックにアレンジしたノリのいい曲。「酒田甚句」は先週の21日に、このブログでも紹介したが、もとをたどれば「おてもやん」とは姉妹の曲。来週末に熊本市では「火の国まつり」の「おてもやん総踊り」が行なわれるが、僕は正直、「おてもやん」サンバ・バージョンがあまり好きではないので、この「酒田甚句 -Future Trax-」のような「おてもやん」の新しいバージョンができればいいなと思っている。


江戸時代から酒田を代表する料亭「相馬屋」を改装した相馬樓(PVから)


酒田唯一のキャバレー「白ばら」(PVから)



阿波おどり問題

2018-07-25 19:52:37 | イベント
 徳島県の名物行事「阿波おどり」が揉めているらしい。このまつりを運営してきた徳島市観光協会と徳島新聞それと徳島市の間で、昨年から累積赤字や運営方法について揉めているという話はテレビ情報などで聞いていたが、今度は、新たな主催者となった阿波おどり実行委員会と踊り手を束ねる阿波おどり振興協会との間にも揉め事が起きたというのだ。いったいどんな決着をみるのかわからないが、基本的にまつりは市民のもの。権力によって差配されるべきではないと思う。

 僕は本場の「阿波おどり」は見たことがない。東京勤務の頃、高円寺に住む同僚の女子から勧められて「高円寺阿波おどり」を見たことがある。たかが「もどき」だろうと思っていたらとんでもない、なかなか本格的なまつりで驚いた。熊本でもイベントに招かれた徳島の「阿波おどり」の一団が踊っているのを見たこともある。「阿波おどり」には、400年の歴史というキャッチコピーがつく。しかし、今日のような形が出来上がったのはこの何10年かのことだろう。民俗学に大きな足跡を残した折口信夫は、昭和4年の著書「盆踊りの話」の中で、「阿波の徳島の念仏踊り」と表現していて、現在の「阿波おどり」とはだいぶ様相を異にしていたことが窺える。下のポスターは昭和9年の「阿波おどり」のポスターで、タイトルも「阿波盆をどり」となっているのは興味深い。今日の隆盛をもたらしたのは各連の指導者とメンバーの弛まぬ努力、そしてそれを支えた市民の熱い盛り上がりがあったのだろう。
 10年前、徳島を旅した時の、現地の心やさしい人々を思い出すと、この騒動が市民が納得いく形で収拾することを願ってやまない。それはそうと熊本のまつりは大丈夫か?


昭和9年の「阿波盆をどり」ポスター


おかげ参り

2018-07-24 16:37:47 | 音楽芸能
 寂しい「頓写会」だった。仁王門などが未修復のため、夏の風物詩だった門前町から桜馬場にかけての出店は今年もなし。仁王門下にたむろしている中高生たちが可哀想な気がする。浄池廟へと続く参道は人影もまばらで、3年前の「頓写会」まで、上り下りの人々で溢れかえっていた胸突雁木も閑散としている。かつての賑わいを取り戻すのはいつの日のことだろう。


閑散とした胸突雁木


▼本妙寺への参拝を唄った民謡「おかげ参り」

健在なり!日本人のこころ!

2018-07-22 19:27:05 | 時事
 僕の甥は現在、玉名市役所から熊本地震で甚大な被害を被った益城町役場へ派遣されている。被災者への助成金の給付などの仕事に従事しているらしい。先日、こんなことがあったそうだ。地震発生以来、被災者用の仮設住宅に暮らしていた一人の老婦人が、古里である益城町へ戻ることになった。益城町では転居費用助成事業として一律10万円が助成されることになっており、その助成金を僕の甥が、その老婦人の口座へ振り込んだ。ところが、翌日、その老婦人はその10万円を持って町役場の窓口に現れ、このお金をこの度の豪雨災害被災者への義援金として使ってほしいと申し出られたという。その婦人が言われるには「熊本地震では、多くの方々にご支援をいただいた。少しでもそのお返しがしたい」と。これから自分自身の生活再建も出費多端が予想されるにもかかわらず、なんと奇特なお心の持主なのだろうと、町役場の職員一同感心しきりだったそうだ。恩義に報い、他人を思いやる日本人の心はいまだ廃れていない!そう強く感じたエピソードだった。


益城町を流れる秋津川

民謡「おてもやん」の系譜

2018-07-21 21:13:21 | 音楽芸能
 火の国まつりの目玉「おてもやん総踊り」は8月4日(土)。
 このブログでも民謡「おてもやん」については度々取り上げていますが、民謡「おてもやん」の系譜を整理してみました。
 ぜひ聞き比べてみてください。あなたはどうお感じになりますか?
 


祇園橋横ポケットパークのおてもやん(富永登茂:チモ)と作者の永田いねの像。



▲熊本県民謡「おてもやん


▲「おてもやん」とは姉妹分といわれる山形県民謡「酒田甚句」(動画の7分4秒から)


▲「おてもやん」「酒田甚句」のもとになったといわれる「金来節」(明治中期に流行した俗曲)


▲さらに古く幕末の頃には唄われていたルーツといわれる「名古屋甚句

囃子方 堅田喜三久さん

2018-07-18 20:43:17 | 音楽芸能
 今週末20日(金)の「にっぽんの芸能(Eテレ)」は囃子方の人間国宝・堅田喜三久(かただきさく)さんの特集。
 金曜の夜は「にっぽんの芸能」を欠かさず見るようになって7年以上が過ぎた。この間、数多くの邦楽演奏家が出演されたが、出演者名の中で最も多くその名前を目にしたのはおそらく堅田喜三久さんだろう。ただ、地方としての出演がほとんどなので、どうしても画面に映ることは少ないし、時には蔭囃子だったりして、演奏されるお姿を拝見する機会は限られる。できれば一度ナマで拝見したいものだと思う。今から13年前の平成17年に行われた「第11回くまもと全国邦楽コンクール」の際、熊本城内の旧細川刑部邸で行われたコンサートで熊本城築城400年にちなんだ曲を演奏されたらしい。見逃したのが残念!!!。またそんな機会があればいいのだが。

▼東京発・伝統WA感動「邦楽ワンダーランド!」公演 長唄「鏡獅子」 太鼓:堅田喜三久


▼「本條流祝儀曲 松」作詞・作曲:本條秀太郎 作調:堅田喜三久

肥後の山岳信仰 ~阿蘇山と池辺寺~

2018-07-17 17:53:53 | 歴史

 今日から肥後銀行本店の「肥後の里山ギャラリー」で始まった「肥後の山岳信仰 ~阿蘇山と池辺寺~」展を見に行った。すぐ傍のRKK熊本放送の取材なのか、アナウンサーの二人だけしか入場者はいなかったので、山伏姿の西巌殿寺(阿蘇市黒川)のご住職・鷲岡嶺照さんにいろいろとご説明いただいた。西巌殿寺は、奈良時代前期の726年に最栄読師が阿蘇山火口の洞窟に開いた西巌殿(にしのいわやのとの)が起こりとされる。
 草千里の少し上、一時人工スキー場があった辺りは現在、のどかな草原が広がっているが、かつてこの一帯は「古坊中(ふるぼうちゅう)」と呼ばれ、400年以上前は、修行僧や修験者のための三十六坊五十二庵が展開する一大山岳寺院だったという。中世の戦乱で衰亡したが、1600年に加藤清正が「麓坊中(ふもとぼうちゅう)」(阿蘇市黒川)で三十六坊五十二庵を再興した。しかし、明治時代に入り、廃仏毀釈によってほとんどの建物が廃された。今でも古坊中の草原の下、2㍍ほど掘れば遺跡が出て来るのだという。「阿蘇山三十六坊絵図」を眺めながら、現在の阿蘇の姿とは全く違うかつての山岳寺院の風景に思いを馳せた。展示されている山上本堂の仏像、十一面観音立像の存在感には圧倒される。
※十一面観音は健磐龍命(たけいわたつのみこと)の本地仏



 池辺寺は、4年前に行われた現地見学会に参加したが、数々の寺宝や縁起絵巻などを見るのは初めて。現地もだいぶ整備が進んでいるようなので、近いうちに再度見学に行きたいと思う。

今週のカバー写真 ~ 薪能 ~

2018-07-16 11:55:28 | 音楽芸能

毎年8月第一土曜日に水前寺成趣園能楽殿で行われる出水神社薪能(金春流)

 薪能(たきぎのう)は、夏の夜、能楽堂や野外に設けられた能舞台の周囲にかがり火を焚いて演じる能のことです。約千年前の平安時代中期、奈良の興福寺で行なわれる法会の一つ、修二会(しゅにえ)に薪を奉じる儀式に奉納された申楽能に始まるといわれ、圓満井座(後の金春座)によって催されたのが最初だといわれています。今日では全国各地の神社仏閣などで薪能が行われていますが、出水神社薪能はその中でも五番目の古い歴史を持つといわれています。水前寺成趣園能楽殿は、もともと八代の松井家の能舞台で、昭和61年(1986)に、昭和天皇御在位60年を記念して松井家より移築奉納されたもので、それまで土盛りの舞台(下の写真)で薪能が行われていました。