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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

わたしの“水俣日記”  アナウンサー佐藤茉那

2025-04-28 21:23:06 | テレビ
 一昨年、NHK熊本放送局制作の番組「くまもとの風」枠で放送されたドキュメント「わたしの“水俣日記” 〜アナウンサー佐藤茉那 対話の旅〜」が今日のローカル情報番組「クマロク!」で再放送された。現在、「ブラタモリ」でタモリさんのパートナーとして活躍している佐藤茉那アナが熊本局時代、水俣病の現地で1年以上取材した手記である。ナレーションも佐藤アナが担当。NHKの番組案内には次のように解説されている。

 私はアナウンサーの佐藤茉那。「なぜまだ水俣病を伝えるの?」同世代の友人の問いに応える為、1年以上にわたって水俣で取材と対話を続けてきた。語り部を続けてきた杉本肇さんは、「水俣から逃げた」若き日の葛藤を教えてくれた。同世代の若者は、水俣出身を揶揄する声に真正面から向き合った経験を教えてくれた。福島で震災を伝える木村紀夫さんは水俣を訪ね、涙を流した。今、水俣病を伝える意味とは?考え続けた日々の記録だ。

 ぜひ全国放送していただきたい番組である。ちなみに、この番組のディレクターを務めたのがNHK熊本局のNデスク。実はわが家の菩提寺である浄照寺さんの御子息で僧籍もあり、わが父の月命日にお経を上げに来られることもある。

ブラタモリ伊勢路編・第二夜

2025-04-13 19:41:11 | テレビ
 昨夜の「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」は神戸宿(鈴鹿市)から。前回「日永の追分」(四日市)で東海道と分かれたが、ここ神戸宿で再び三差路に出会す。その三差路に立つ意味ありげな老舗旅館「あぶい旅館」。街道に面した部屋は格子構え、かつては女性を侍らせた「見世」状態で旅人の足を止めた。これを聞いたタモリは「伊勢路が見たい」と唄う伊勢路の魅力がわかってきたと言う。さらに神戸宿の「餅屋」の看板の多さに気付く。「餅街道」ともいわれた伊勢路の老舗「もち久」で名物「立石餅」を味わう。伊勢路の街道筋でなぜ餅屋が盛んになったのか、その秘密を探りになんと鈴鹿サーキットへ向かう。鈴鹿サーキットの複雑な地形を利用したコースを回ってみると餅が生まれた理由がわかるということで、タモリ自らアトラクションカートを運転し、佐藤茉那アナを乗せてサーキットを1周する。地形と餅の関係はまた来週、といった具合。


三差路の正面に立つ老舗旅館「あぶい旅館」


「あぶい旅館」の中から格子ごしに街道を眺める。


江戸時代はこんな光景が見られたことだろう。

 往時の伊勢路の様子を唄っているのが「俚奏楽 伊勢土産」。伊勢路は様々な国訛りが飛び交い、一般の旅人のほかに、旅芸人、門付芸人、街道筋に蔓延る遊女たちなどに混じって旅人の持物を狙う盗人もいた。鈴鹿峠からはちょっと遠いが、馬方の唄う馬子唄も聞こえたことだろう。宿場には旅人の客引きをする旅籠の「留女」も多かったに違いない。売り文句を並べ、「お寝間のおとぎも」とくれば鼻の下を延ばした男たちは手もなく…。そんな風景を唄っているのが「伊勢土産」なのです。


ブラタモリ伊勢路編・第一夜

2025-04-05 22:04:11 | テレビ
 ブラタモリ新シリーズが、タモリさん自身が言うように「何もなかったかのように」始まった。伊勢路編第一夜は、タモリが行きたいと願っていた自ら持っている広重の「桑名」の現地に立ち、感動する。その桑名で船着場に立つ鳥居の意味を知る。伝統の焼きハマグリに舌鼓を打った後、「日永の追分」(四日市)へ向かう。そこで見つけたタモリ大好物の三差路で東海道と分かれ、「神戸の見附」(鈴鹿)を目指す。神戸宿には門限があり、かつて大木戸があった痕跡を見つける。といった内容。やっぱり30分は短い。不満足感が残った。


タモリ念願の桑名の港を目指す


かつて伊勢湾が内陸へ入り込んでおり、熱田神宮から桑名へ「七里の渡し」で渡るのが東海道の正式ルートだった。


「日永の追分」の鳥居は、ここから東海道へ進む旅人が遥拝するため。


江戸時代、年間500万人もの人が伊勢を目指したこともある。お伊勢参りは庶民の夢。

「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と唄う「伊勢音頭」

新ブラタモリは伊勢路から!

2025-03-13 17:51:19 | テレビ
 4月から放送開始となる「新ブラタモリ」の内容がリリースされた。4月は伊勢神宮を目指す「伊勢路」にスポットが当てられるようだ。
 9年前に放送された「ブラタモリお伊勢参り編」は「人はなぜ伊勢を目指す?」と題して、「伊勢神宮」や「門前町」についてその魅力が紹介されたが、今回はお伊勢さんを目指す街道筋の宿場町を紹介する内容になるようだ。前回とはまた違った視点で新たな魅力を発見できるだろう。



パートナーの佐藤茉那アナウンサー(熊本放送局時代)

   「伊勢の土産は荷物にならない伊勢音頭」

石仏は朝ドラ「ばけばけ」に登場するか⁉

2025-02-27 21:25:55 | テレビ
 昨日は歩いて熊本大学黒髪キャンパスの五高記念館を目指した。漱石関連の展示が行われているとネットで見ていたからである。ところが着いてみると、五高記念館は臨時休館。しかたがないので立田山山麓の父の生家跡(わが家の本籍地)へ向かった。
 父の生家があった辺りは、立田山南麓の「森林総合研究所九州支所」への通路や民家やアパートが建ち並び、僕が幼い頃に見た面影はどこにもない。
 その幼い頃に見た父の生家のイメージが2番目の写真である。もっともこれは京都市右京区嵯峨の祇王寺の苔庭から仏殿を撮った写真なのだが、当時の父の生家はまさにこんな感じだった。


現在の立田山山麓・泰勝寺の南側


祇王寺の苔庭から仏殿を望む

 今秋から放送されるNHK朝ドラ「ばけばけ」はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻をヒロインとする物語だが、ハーンが五高教師時代、度々訪れていたのが小峰墓地。1番目の写真の道路を挟んだ手前側になる。ハーンの作品「石仏」の冒頭の一節がこれである。

--第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。--

 ここで言う「このあたりの黒髪村の人たち」の一軒が、わが父の生家である。当時はこの地区には十軒ほどの人家しかなかったと父の備忘録に書かれている。そして、小峰墓地には戦没者の慰霊施設ができるため、ハーンが言う「もっと離れた区域」に墓地を移された一軒でもある。

 ハーンが愛してやまなかったのが、小峰墓地の南側の一角に鎮座するこの石仏(鼻欠け地蔵)だった。石仏についてハーンは次のように述べている。

--私の傍には、台座に座ったブッダの像があるが、一六世紀の加藤清正時代の頃のものだという。その思索的な凝視(まなざし)は、半眼の目蓋の間から官立の五高とそこでの喧噪な生活とを見下ろしている。石仏は、危害を蒙っても復讐しない穏やかな人たちの微笑みを表わして完爾(にっこり)としておられる。この表情は仏師が彫ったものではなく、幾星霜も経た苔や埃のためにできたものである。また、その両手も欠けていることに気がついた。私は気の毒に思って、頭部にある小さなシンボリックな突起である螺髪(らほつ)の苔を取り除いてやろうとした。というのは「法華経」の古い経文を思い出したからである。--

 この石仏(鼻欠け地蔵)様がはたして朝ドラ「ばけばけ」に登場するか、要注目である。


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)

にっぽん縦断 こころ旅

2025-01-22 22:30:07 | テレビ
 「にっぽん縦断 こころ旅 2024秋 熊本編」2日目は玉名市から長洲町の「長洲港」を目指す。旅人は火野正平さんのピンチヒッター坂上忍さん。
 今から16年前、3歳の孫にカモメを見せようと夏休みに長洲港に連れて行ったものの、季節外れで渡り鳥のカモメはいなかったという女性の願いを叶えるため長洲港をめざす坂上さん。
 出発地点は玉名市小浜の菊池川右岸。菊池川堤防の道を下流方向へ自転車を走らせるのだが、この道は僕にとって思い出深い道。僕が幼い頃、高瀬駅(現玉名駅)から大浜町の母の生家までの約3kmを母に手を引かれてくてく歩いた道である。道沿いに木蝋生産の名残であるハゼ並木が続く。寛文年間から熊本藩ではハゼが特産品奨励として植栽されて木蝋生産が盛んに行われ、藩の財政を支えた。現在は木蝋生産は行われていないが、秋には美しく紅葉するハゼ並木が市民に親しまれている。
 ハゼ並木をしばらく走った後、右折して長洲へ向かう畦道に自転車を進める坂上さん一行。出会った住民たちと触れ合ったり、途中の食堂で昼食をとったりしながら長洲港に到着。驚くほどのカモメの群れに出会い、依頼者の手紙を読んで目的達成となった。
 そんな様子を見ながら、僕はなぜか海達公子の詩を思い出していた。


旅人は坂上忍さん


菊池川右岸のハゼ並木を進む


今日のコース


長洲港にはカモメが群れていた

▼海達公子の詩「川口」

懐かしい風景

2025-01-21 21:25:41 | テレビ
 テレビ番組の中で好きなジャンルが旅番組。見ていて行ったことがある町や風景が出てくるとなんだか嬉しくなる。
 今日見たのはNHK-BS「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」選と、BSテレ東「ローカル路線バス乗り継ぎの旅W」の2本。

 「六角精児の呑み鉄本線」は冬の野岩鉄道&会津鉄道だったが、ゴール地点の西会津に近づくと車窓から冠雪した会津磐梯山が美しい姿を見せる。磐梯山を初めて目にしたのは高校1年の会津若松国体の時だから、もう64年も前になる。その後、那須在勤の頃、会津若松を二度訪れていつも変わらぬ磐梯山の姿を拝んだものである。


会津磐梯山

 一方の「ローカル路線バスの旅」は女性3名で挑む新シリーズ。赤江珠緒・高城れに・三船美佳の3人が日光・中禅寺湖をスタートし3泊4日で千葉県房総半島最南端の野島埼灯台を目指す。
 僕は彼女らが通った鎌ヶ谷に悲しい想い出がある。東京本社に勤務していた40数年前、机を並べていた新入女子社員が心臓系疾患で突然死した。鎌ヶ谷から通勤していた彼女のご自宅でのお葬式にも参列した。無性に悲しかった出来事が想い出された。


左から三船美佳・高城れに・赤江珠緒の皆さん

     「六角精児の呑み鉄本線」のバックで流れていたライ・クーダーの「I Got Mine」

ローカル路線バスの旅

2025-01-07 21:33:14 | テレビ
 今夜の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」(BSテレ東)は、岐阜城をスタートし、鳥取砂丘がゴールという過酷なコース。旅人は、俳優・田中要次と芥川賞作家・羽田圭介および女優&タレントの村井美樹という顔ぶれ。結果はゴールへ向かう最後のバスに乗り遅れ失敗した。
 今日のコースで興味深かったのは琵琶湖を反時計回りする部分。その昔、僕が彦根在勤の頃、リクルートで高校巡りしていた時とほぼ同じコースを回っていた。もちろん僕の場合は車運転だから、バス旅のような制約はなかったのだが、何度も同じコースを回ったので、今日のバス旅を見ながら、いつか見たことのある風景だなぁと思いながら番組を見ていた。
 下に思い出の風景写真を掲載してみた。関ヶ原方面から米原へやって来る途中の醒井宿は地蔵川の梅花藻(ばいかも)が人気スポット。北国街道木之本宿は木之本地蔵院の門前町として栄えた風情ある町。湖西に回り高島までやって来ると白髭神社の湖中大鳥居が見えてくる。そして近江八景のひとつ「堅田の落雁」で知られる堅田の満月寺浮御堂。
 なお、番組中「急がば回れ」という諺は琵琶湖が起源という話が出ていたが、
「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」
という古歌が始まりという。矢橋から舟で琵琶湖を渡るより、遠回りでも瀬田の長橋を回ったほうが安全で確実ですよという意味。


醒井宿の梅花藻(米原市)


北国街道 木之本宿(長浜市)


白髭神社 湖中大鳥居(高島市)


堅田の浮御堂(大津市)

「山名屋浦里」 の話題

2025-01-04 11:33:58 | テレビ
 1月2日の朝からgooブログがシステムトラブルで全く繋がらなくなり、そのせいか2日のブログアクセス数は半減。昨日3日はどうなっただろうとアクセス解析を開いてみると、なんと前日の倍増という結果に。滞っていた分の加算でも行われたのかなと思ったが、アクセスされたページを見て「ハハーン!」と気付いた。それはこれまで度々アップした「山名屋浦里」に関する記事がズラリ。
 昨夜放送されたNHK総合「タモリと鶴瓶の新春特番」の中で「山名屋浦里」が話題になった。2023年の「タモリと鶴瓶の新春特番」でも話題になり、この時もブログへのアクセスが急増したことがあった。ブラタモリの「江戸の盛り場 ~吉原編~」のロケの時、タモリが現地で聞いた話をもとにした鶴瓶の新作落語「山名屋浦里」が話題となったのはもう10年前。さらにその翌年には新作歌舞伎「廓噺山名屋浦里」として上演されたことも話題になった。今こうしてまたブログへのアクセスとして恩恵を受けるとは思いもしなかった。


▼これまでアップした「山名屋浦里」に関するブログ記事

ブラタモリのレギュラー復活

2024-12-21 20:06:44 | テレビ
 ブラタモリが再びレギュラー番組に復活するそうだ。NHKの看板番組だったわけで、このコンテンツを手放すのが惜しくなったのだろうか。
 内容的に見直して再出発するらしいが、2015年に第4シリーズが始まって以来、徐々に内容がアカデミックに偏り過ぎていった感もあり、バラエティ的な要素とのバランスを見直していただきたい。
 かつての教養バラエティの色彩が強かった一例として、第3シリーズの「江戸の盛り場 ~吉原編~」(2012年1月12日放送)の概要を再掲してみた。

▼江戸の盛り場 ~吉原編~
 案内人は立教新座中学校・高等学校校長兼立教大学名誉教授の渡辺憲司さん。
 「吉原は江戸の流行の発信基地」とかなんとか言いながら、舟で吉原を目指す。柳橋から隅田川を北上、浅草を通過して吉原へと向かう。そこで一句
  「船宿へ家の律儀は置いてゆき」
 つまり、恥も外聞も打ち捨ててというわけか。かつて使われたのは猪牙船(ちょきぶね)。「猪牙船 小便千両」と言って、相当金をつぎ込まないと舟上に用意された竹筒へ小便ができるようにはならないという。
 隅田川の西岸に見えてくるのが「首尾の松」。江戸時代から数えて七代目の松。
  「濡れてしっぽり首尾の松」
などと、同伴した芸者といい雰囲気になると、まさに「浮かぶラブホテル」状態。
 やがて舟は吾妻橋を通過。江戸時代、一日三千両(朝は日本橋、昼は浅草、夜は吉原)の金が動くと言われたというエピソードを聞く。当時は「吉原細見」というガイドブックがあったという。
 舟は今戸橋付近に到着。舟を降り、待乳山聖天にお詣り。夫婦和合の御利益がある大根を購入。新婚の久保田祐佳アナに進呈するも大根は聖天様にお供え用。
 今では暗渠となった隅田川の支流の跡を辿って歩いて吉原へ。
 女性の観光客もこぞって吉原へ来た理由。それは遊女の斬新な着物や化粧などを一目見たかったから。つまり吉原は流行の発信基地。遊女が髪を洗うのは月に一回。遊女には厳然たる階級があり、江戸中期、二千人いた遊女のうち十人もいなかったのが太夫。美貌はもちろん高い教養が求められ、なんと時計を直せるかどうかまで求められたという。
 紙洗橋に差し掛かると「冷やかし」の話。ここにはかつて再生紙の職人たちがいて、再生紙を溶かして冷やす。冷ます間にちょっと吉原の遊女をからかいに、これが「冷やかし」の語源だという。
 暗渠と並行して走る土手を日本堤という。水害から守るために作られた人工の堤防。八代将軍吉宗の時代から8代続くという提灯屋「土手大嶋屋」へ立ち寄る。
 かつて遊客が振り返って名残を惜しんだという「見返り柳」は江戸から六代目。大きく曲がった道の先に吉原大門があり、そこからの直線道路が仲之町通り。
そんな感じで吉原探訪が進んでいく。


久保田アナ・渡辺教授・タモリそして太夫


葛飾北斎の娘、葛飾応為の代表作「吉原格子先之図」※「冷やかし」が集まる「吉原格子先」

「冷やかし」も集まる吉原のさざめきを唄う長唄「吉原雀」。(明和五年(1768)の成立)

水都 新潟

2024-11-26 21:15:15 | テレビ
 今夜NHK-BSで放送された「新日本風土記 ~水都 新潟~」は思い出のある地でもあり、興味深く見た。おおむね次のようなキーワードがあったと思うが、それぞれの感想はまた別の機会に述べたい。
  • 大河河口の湿地帯
  • 新潟港と中古車ビジネスのパキスタン人
  • 信濃川に架かる萬代橋
  • 老舗料亭の「古町」と「古町芸妓」
  • 横田めぐみさん
  • 北朝鮮帰国事業
  • 下駄踊り
  • 鳥屋野潟
  • 鎧潟(よろいがた)etc.



   ◇番組内でも紹介された「新潟小唄」


   ◇番組中、度々アンダースコアとして使われていた「The Streets of Laredo」

復活ブラタモリ第1夜 ~大津絵節~

2024-11-02 21:40:10 | テレビ
 今夜は復活ブラタモリの第1回。徳川幕府が開いた東海道大津宿から五十三次と別れて大坂へ向かう五十七次の伏見宿まで。旅の内容は2・3回と合せて後日まとめたいと思うが、今日はタモリさんもチャレンジした「鬼の絵」、大津宿名物・大津絵にまつわるはなし。

 大津絵とは、江戸初期に、東海道五十三次の大津宿(大津の追分、大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりといわれる。
 そもそも大津絵は、「大津絵の筆の始は何仏」という芭蕉の句が残っているように、旅人のお守りとして作られた仏画が始まりだという。旅の土産として人気が出ると「藤娘」のような風俗画も描くようになり益々人気を博して行った。江戸中期になると、これら人気の大津絵を題材とした「大津絵節」を大津の遊女たちが歌い始め、これが街道を往来する旅人たちによって各地に伝えられていった。


絵師の指導でタモリさんが鬼の絵にチャレンジ

大津絵の代表的な「鬼の寒念仏」と「藤娘」


あいみょんが「ブラタモリ」のナレーションを!

2024-11-01 18:01:53 | テレビ
 明日から三夜連続で放送される「ブラタモリ」のナレーションを若手シンガーソングライターのあいみょんが担当するらしい。草彅剛のナレーションが長かったので唐突な感じがしないでもないが、いろんな事情があるのだろう。
 「ブラタモリ」のイメージから、はたしてあいみょんはどうなの?という反応もあるらしいが、タモリとあいみょんは以前から相性がいい。5年前の「タモリ倶楽部」(テレ朝)では、作詞する際に官能小説からインスパイアされることが多いというあいみょんが出演して官能小説について語っていたし、4年前の「タモリ倶楽部」でも春画通だというあいみょんが出演して「第1回春画脇役大賞」なる企画で通ぶりを発揮していた。また、3年前の正月「ブラタモリ」と「鶴瓶の家族に乾杯」のコラボ番組にも出演し、おじさんからの愛されキャラぶりを見せていた。タモリはジャズなど音楽の造詣も深いし、永い芸能生活を通じた独特の世界観にあいみょんも得るものが多いかもしれない。



明日注目の番組

2024-09-24 21:37:03 | テレビ
 明日夜、Eテレで放送される「NHKアカデミア 中満泉(前編)瀬戸際に立つ世界」は見逃せない。
 日本人女性初の国連事務次長・中満泉さんがガザ紛争、ウクライナ軍事侵攻など困難に直面する世界を国連はどう受け止め、どのように乗り越えようとしているのか、舞台裏の交渉を率直に語る。
 明日はその前編が放送される。
 9月25日(水) 午後10:30〜午後11:00

 中満さんは東京のお生まれだが、ご両親は熊本市の出身。熊本市中央区の大学予備校「壺溪塾」の木庭順子理事長はご親戚にあたるそうで、そのご縁で昨年、「壺溪塾」での講演が実現したそうである。
 なお、この番組の制作を担当したのがNHK熊本局のNデスク。実はわが家の菩提寺である浄照寺さんの御子息で僧籍もあり、お父上に代わってわが父の月命日にお経を上げに来られたこともある。


ブラタモリの復活!

2024-09-17 18:34:51 | テレビ
 今年3月、レギュラー放送が終了した「ブラタモリ」(NHK総合)が、8ヶ月ぶりに復活する。しかも初の3夜連続。11月2日(土)、3日(日・祝)、4日(月・振休)に放送されるという。

 今回は「道」がテーマ。江戸時代に整備された京都から大阪への“ある道”を歩きながらそれぞれの街の魅力や個性を探っていく内容だという。今回のパートナーは広島局の佐藤茉那アナウンサー。


タモリと佐藤茉那アナ

 番組の復活もさることながら、今回嬉しかったのは、2020年に熊本放送局に初任配置された佐藤茉那(さとうまな)さんがパートナーを務めること。熊本局で新人時代を送ったアナウンサーでブラタモリのパートナーを務めるのは近江友里恵さんに続いて二人目。佐藤さんは熊本着任早々のニュース読みなどもしっかりできていて物おじしない印象があったのは、学生時代バトントワリングをやっていたせいかなと思っていた。いずれはNHKの看板番組を背負うのではないかと期待していた。今回の抜擢をステップに大きく飛躍してほしい。