徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

年末のご挨拶

2022-12-31 18:33:18 | 
 今年も多くの皆様に、当ブログをご訪問いただきありがとうございました。
 心より御礼申しあげます。
 今年もまた新型コロナ感染拡大のニュースを聞きながら年を越すことになってしまいました。
 来るべき新年も、様々な障害はあろうとも、皆様方が息災にお過ごしになりますことを心よりお祈りいたします。
 来年も当ブログをよろしくお願い申しあげます。
 
筆主敬白


2022.11.25 梅林天満宮 巫女舞
我が国は神の末なり 神まつる 昔の手振り忘るなよゆめ(明治天皇御製)

青春の光 高校水球!

2022-12-30 19:37:15 | 水球
 gooブログ「徒然なか話」とともに僕はもう一つ「済々黌水球部の記録」というブログをエキサイトブログでやっている。とは言ってもなかなか更新できていなくて、今ではほとんど休眠状態というのが実情なのだが。
 そんなブログにこれまで済々黌の先輩や後輩などからはお便りをいただくことがあったが、このほど他校の出身者から初めてメールをいただいた。それは昭和43年(1968)の福井国体水球3回戦で済々黌と対戦したという大阪茨木高校出身のTさんという方だった。ブログには当時、済々黌水球部の部長を務めておられた平田忠彦先生が残された記録や写真を載せており、茨木高と対戦した時の写真も含まれていたのでTさんも高校時代を懐かしく思い出されたのだろう。フォワードをつとめていたTさんも写っている。また、Tさんからは当時のチームメイトから送られたという済々黌との対戦スコアカードも添えられていた。
 この大会で済々黌は2度目の国体優勝を果たしたのだが、実はこの年、僕は大学を卒業したばかりで現役時代の体力を維持していたので、連日仕事の合間に後輩たちの練習相手をつとめた思い出がある。Tさんのメールによって久々に青春の熱い日々が甦った。


済々黌(熊本)vs 茨木高(大阪)の一戦。済々黌・西田選手のペナルティースローが決まる。


スコアカード

紫のしらべ(再掲)

2022-12-29 23:27:07 | 美術
 先日、熊本市現代美術館で見た「グレン・グールド 写真による組曲」という写真集の話を書いたが、実は当日もう一つ心に残った写真集があった。それは岡田三郎助の図録だった。東京本社勤務時代、よく昼休みに訪れたブリヂストン美術館には岡田三郎助の作品も何点か展示されていたが、なかでも「婦人像(紫調べ)」に一番心惹かれた。以前このブログにも取り上げたことを思い出し、一部修正して再掲することにした。


 ブリヂストン美術館(東京都中央区京橋)は2019年7月に「アーティゾン(ARTIZON)美術館」に改称して再オープンしたが、そのアーティゾン美術館の所蔵品の中で、好きな作品の一つがこの岡田三郎助の「婦人像(紫調べ)」だ。岡田は佐賀県出身で、明治から昭和にかけて活躍した洋画家である。女性像を得意としている。
 副題の「紫調べ」というのは、鼓(大鼓、太鼓、小鼓)で使用される紐、「調緒(しらべお)」のことで、小鼓の調緒は縦横に入っており、調緒の握りで音色を変化させることもできる。調緒の色は朱色が一般的だが、上級者は上の絵のような紫色を使う場合もあるという。岡田三郎助が明治40年(1907)の東京勧業博覧会で1等賞を受けた作品。


今年も「敦盛」が強かった!

2022-12-28 20:56:58 | 伝統芸能
 YouTubeマイチャンネルの今年の最多再生回数動画は、昨年に引き続き「幸若舞 敦盛」(12月27日現在 33,953回)になることがほぼ確定した。2015年に初めてアップして数年の間、再生回数は毎月数回にとどまっていたことがウソのようだ。
 幸若舞は中世芸能の一つで、舞とはいえ単純な動作の繰り返しで、語りがとても重要な芸能。中でも最も人気の高い「敦盛」の字幕版を2017年にアップしたことが再生回数の大幅増加につながったと思われる。幸若舞の詞章を記した「舞の本」が公開されているのは大いに助かった。
 今日では福岡県みやま市瀬高町に唯一残る幸若舞は、毎年1月20日に大江天満神社幸若舞堂で奉納が行われる。


大江幸若舞(大江天満神社幸若舞堂)

   ▼2022年・2021年の最多再生回数動画「幸若舞 敦盛」


   ▼2020年最多再生回数動画「ひえつき節」

ほうがく小噺

2022-12-27 22:34:58 | 音楽芸能
 今月5日は十八代目中村勘三郎の没後10年に当たる日だったのでテレビで追悼番組でもやってくれるかなと期待していたが、特に何もなかったようだ。大河ドラマ「元禄繚乱」総集編でも再放送してくれれば嬉しかったのだが。そんなことを考えていたら、本條秀美さんが出演された場面のことをふと思い出して、あの場面で演奏された曲は何だったのだろうと気になり始めた。このドラマの邦楽指導を務めたのは本條秀太郎さんだったので一門の方が何人か出演されていて本條秀美さんもその一人だった。出演シーンは勘三郎さん(当時は勘九郎)扮する大石内蔵助が京都伏見橦木町遊郭の笹屋で遊興する場面だ。芸妓に扮した本條秀美さんたちが何か演奏していたのだがどんな曲だったのか全く憶えていない。そこで本條秀美さんにおたずねしてみた。秀美さんによれば、演奏したのは既成の曲ではなく、本條秀太郎先生が番組のために創られた曲だったという。さらに、その時の音源を探していただき、「元禄繚乱第32回 更けて郭」というテープが見つかったというご連絡をいただいた。ぜひ一度拝聴したいものだ。


右から二人目が本條秀美さん

二様の石垣の新説

2022-12-26 22:02:21 | 歴史
 今日、「熊本県公式YouTubeチャンネル"くまもとのちゃんねる"」を見ていたら、「その熊本城情報はもう古い?二様の石垣の新説・・・」という動画が目についた。ローカルタレントの慶徳二郎が現場に出向き熊本城総合事務所の下村哲生主幹から「二様の石垣の新説」について説明を受けていた。
 この新説と言うのは3年前の8月23日、熊日新聞に掲載されたのでこのブログでも取り上げたことがある。
 熊本城の竹の丸から本丸へ登る途中の見どころの一つ「二様の石垣」の築造年代は、これまでいわれてきた、傾斜が緩やかな手前の石垣が加藤時代、奥の急傾斜が細川時代と伝えられてきたが、最近の調査研究によれば石垣の特徴や史料の分析から、どちらも加藤時代に築造されたのではないかというものだった。
 そこで疑問。熊本県公式YouTubeチャンネルでその説が紹介されたということは新説が定説になったのだろうか。専門家による議論が深まったという話は聞いたことがない。今後の展開に要注目だ。


二様の石垣


二様の石垣の上には本丸御殿の中庭がある。


2012年春、二様の石垣の上、本丸御殿中庭で行われた「桜の宴」で「肥後の花娘」を踊るザ・わらべ

一期一会

2022-12-25 19:30:41 | 
 最近、なぜか「一期一会(いちごいちえ)」という言葉がよく頭に浮かぶ。
「一期一会」とは、茶道の始祖である千利休の教えといわれ、「人との出会いや機会は二度と繰り返されることがなく一生で一度きりの出逢いだと思い誠意を尽くすべきである」という意味だそうである。
 これまでの人生を振り返ってみると多くの人との出逢いがあったが、一度きりの出逢いも数多い。
 近年の出来事を思い出すと、京陵中学校前の漱石句碑の前で出会った旅の老婦人。京町で筑後柳川への帰り道をたずねてきたスクーターのおじさん。泰勝寺跡(立田自然公園)で突然話しかけてきた謎のご婦人。番所の棚田で出逢った一人旅の若い女性。二の丸広場でなぜか僕にずっと付いて来た見知らぬ男の子等々、「あゝもっとこう言えばよかった」とか「もっと違う接し方があったのでは」などと後になって反省することばかりである。


利休七哲の一人、細川三斎(忠興)公設計の茶室「仰松軒」(立田自然公園内)

「仰松軒」は立田自然公園内にある茶室。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた細川三斎好みのものを大正12年(1923)に復元したもの。

クリスマスイヴのたわいもない話

2022-12-24 18:13:33 | 
 たまには上通の書店でも覗いてみようと歩いて出かけた。途中、坪井橋のたもとで信号待ちをしていると、セブンイレブンから出てきた綺麗なお姉さんが赤い可愛らしい自転車を手押ししながらとなりに並んだ。ダウンチューブに「chari」の文字が。熊本市がシェアサイクルの実証実験をやっているというニュースが記憶にあったので、これがそうかなと思い「これ、貸し出しのやつですか?」と声をかけた。「そうです!1分6円で借りられますので便利ですよ」と言いながら彼女は自転車にまたがり、信号が青になると颯爽と走り去った。

(写真:熊本市のサイトより)

 書店で何か興味が湧くような本でもないかと見て回ったがこれといってなし。熊本市現代美術館へ移動し、美術関係の図書が豊富なギャラリーへ直行。興味をそそるような図書が並ぶ中、「グレン・グールド 写真による組曲」という写真集が目についた。パラパラとめくっていくと、天才ピアニストと呼ばれた彼の生涯を組曲になぞらえて写真で綴っているようだ。また別の機会にじっくり読んでみたい。
 グールドと言えば、彼が漱石の「草枕」愛読者だったことはよく知られている。彼の死の枕辺には「聖書」と「草枕」の二つが置かれていたという。2014年11月、熊本で行われた「漱石記念年」オープニングイベントでもこのことが話題になった。彼がなぜ「草枕」に魅かれたのか理解しようと、「『草枕』変奏曲―夏目漱石とグレン・グールド」(横田庄一郎著)などを読んでみたことがあるが、結局、「なぜ?」という疑問は解けなかった。今日見つけた写真集が何か手がかりになるかもしれない。
 帰りはバスを利用したら、なんと今日は「バス・電車無料の日」だった。

年賀状の季節

2022-12-23 19:53:49 | 
 そろそろ年賀状を作ろうと思う。同世代の知人は「年賀状終い」を告知される方が増えた。自分はもうちょっと続けてみようと思う。かつては5、6人の方から年賀状の作成依頼があったものだが、それも今年はお一人だけとなった。
 パソコン指導に訪問していたS先生が亡くなられてもう11年経ったが、いまだにこの季節になると、S先生から年賀状作成依頼の電話がかかってきそうな気がする。当時80歳を超えておられたS先生が、毎年描かれる熊本城の水彩画をスキャンし、その画像を年賀はがきに貼り付けて仕上げるのが恒例となっていた。今年はどのアングルから熊本城を描かれたのだろうかと、先生から水彩画を預かる時はワクワクしたものだ。写真を使うのもいいが、絵の持つやわらかく深い味わいは写真では出せない。最後の3年間の作品を並べてみた。


平成22年作 平櫓と不開門下の坂


平成21年作 馬具櫓


平成20年作 大小天守閣

今年忘れられない風景(3)~甥の結婚~

2022-12-22 19:14:37 | 
 今年7月の甥賢太の結婚式も思い出に残る風景となった。結婚式へ出席するのももう随分久しぶりだったし、しかもこれまであまり経験のないチャペルウェディングだったこともある。会場となったホテル日航熊本でのセレモニーでは、讃美歌もナマのオルガンやトランペットの演奏に女性の聖歌隊が雰囲気を盛り上げた。
 新型コロナ第7波のさなかで、感染防止策に最大限の神経を使いながらの結婚式は準備や進行も大変だったろう。
 讃美歌「いつくしみ深き」は文部省唱歌 「星の界(ほしのよ)」としてよく知っている歌でもあり感動もひとしおだった。



 季節はクリスマス。「いつくしみ深き(What A Friend We Have In Jesus)」 を、パティ・ペイジの歌とニューオリンズ・ジャズ・ハウンズの演奏するジャズバージョンで聴いてみた。




江戸時代の貨幣価値

2022-12-21 17:44:28 | 経済
 テレビドラマといえば最近ではほとんどBS放送の旧作時代劇しか見ていません。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「夜桜お染」などのシリーズを楽しんでいます。時代劇を見ていて気になるのが、物の値段がよくわからないことです。よく、茶店でお茶と団子でひと休みした旅人が「おやじ、ここに置いとくぜ」と銭をバンコの上に置いて出て行く場面がありますが、いったいいくら払ったのか、現代のお金に換算するといくらになるのかが気になります。
 江戸時代の貨幣価値を現代の金額に換算した資料はたくさんありますし、ネット上にも多くの解説がありますが、それぞれ微妙に違っていたりしてよくわからないというのが正直なところです。
 落語「時そば」などでお馴染みの屋台蕎麦をとってみても、「二八蕎麦」といわれたように十六文という安価な蕎麦の代名詞となっていたようですが、現代の価格に換算すると時代によって260円位の時もあれば、その倍の520円位の時もあったようです。
※右の絵は歌舞伎「小袖曾我薊色縫」(こそでそがあざみのいろぬい)に登場する蕎麦屋になりすました盗賊「鬼あざみ清吉」(歌川国貞 筆)

 江戸時代の人々にとってやはり基準となるのは米の値段だと思います。米価について明治大学博物館の資料には次のように説明されています。

 江戸時代と現代ではお金や品物の価値が違うため、正確には換算できません。今回は目安として、米価と比較して換算した金額で確認してみましょう。幕末の金1両は現在だと約 10,000 円と考えられます。金1両は銀 60 匁なので、銀1匁は約 170 円となります。また慶應二年(1866)秋、米1石(約 150 キロ)の値段は銀 585 匁です。以上を踏まえて、お米の値段を確認してみましょう。江戸の米、150 キロは現代では約 99,450 円になります。5キロにすると、約 3,315 円です。現在のお米は5キロだいたい 2,000 円です。なので、慶応期のお米は、現代のお米の約 1.7 倍で販売されていたことがわかります。

 下の映像「花魁三分二朱」は端唄「奴さん」の替え歌ですが、「奴さん」には多くの替え歌があり、この「花魁三分二朱」はいわば「奴さん」の花魁編です。「花魁三分二朱」とは花魁の揚げ代が三分二朱という意味ですが、1両は四分、一分は四朱ですから、上述のように幕末には1両が今日の1万円くらいということで、三分二朱は約8,750円になるわけです。唄われている花魁の嘆きも分かるような気がします。


寒ッ!阿蘇も雪景色

2022-12-19 22:13:16 | 
 昨日今日と寒い寒い!熊本市の気温も最低は氷点下、最高も7℃くらいまでしか上がらなかった。
 昨夜は早々に床に就き、首だけ出しテレビ鑑賞して夜を過ごした。見逃せない番組が二つあった。一つはEテレの「クラシック音楽館」。N響が井上道義の指揮で伊福部昭の「シンフォニア・タプカーラ」を演奏するという。この曲は実は3年ほど前、筝奏者の佐藤亜美さんからいただいたCDに収められていて二十五絃筝四重奏では何度か聞いていた。しかし、オーケストラで聞くとまた別の音楽世界が展開する。伊福部の原体験であるアイヌ民族の古謡や舞踊が目に浮かぶような気がした。明日は伊福部の曲で最も好きな「琵琶行」を聴こう。
 その後はいよいよフランス vs アルゼンチンのW杯決勝だ。前半は予想に反してアルゼンチンが一方的に攻めまくる。1点目のPKはしかたないとしても、2点目はいいようにパスを回されて決められた。どうしたフランス。2-0で前半が終わったがフランスもこのままでは終わらないだろうと思った。延長戦やPK戦もあり得るなと思われ、これは先が長いぞと思うと力尽きて眠りに落ちた。
 朝、空気の冷たさで目が覚めた。遠くの阿蘇山は雪景色となっていた。


雁木坂のはなし。

2022-12-18 18:31:29 | 熊本
 「津々堂のたわごと日録」さんが「雁木坂(がんぎざか)」(熊本市中央区)の話題をブログに取り上げておられた。熊本地震ですっかり景観が変わってしまってから散歩でもあまり行かなくなっていたことを思い出し、随分久しぶりに雁木坂を歩いてみた。


現在の雁木坂


熊本地震前の雁木坂

 今さら見映えが悪くなったことを嘆いても仕様がなく、安全性が増したことを喜ぶべきなのだろう。
 この坂は歴史のある坂で、石の標柱には次のように記されている。
――雁木坂は内坪井から中坂を通って本妙寺へ通じる唯一の参道であった。坂は石段で作られ梯子坂ともいう。頓写会の夜は雁木坂も軋む程賑ったという。――
 また、熊本市発行の「城下町みてある記」には次のように紹介されている。
――雁木坂とは、急な坂に横木を雁木(階段)のように埋め込んだので付いた名前です。中坂から京町を横切ると雁木坂になり、そのまま水田の中の本妙寺参道となり、参詣人で賑わったといいます。――

 かつてこの坂は内坪井から中坂を通って本妙寺へ通じる唯一の参道であり、多くの歴史的な人物も通っている。吉田松陰は、志を同じくする宮部鼎蔵を内坪井の居宅に訪ねた時、弟敏三郎の病気平癒を願い、加藤清正を祀った本妙寺浄池廟に二度参詣した際、この坂を通っている。その他、江戸時代後期の歴史家・頼山陽や幕末の越後長岡藩士・河井継之助らもここを通って本妙寺浄池廟に参詣した。


雁木坂から本妙寺浄池廟への道

 ところで、津々堂さんのブログには本妙寺の「胸突雁木」について細川重賢公が「雁木ではなく石段というべき」と言われた話が紹介されていた。森鴎外は「小倉日記」の中で本妙寺を訪れて登った「胸突雁木」を「石級(せっきゅう)」と表現している。
 横木から石へそして今はコンクリートになった「雁木坂」だが、そもそも「雁木」という表現が何を表すのかが気になった。
 goo辞書には
 1 空を飛ぶ雁 (がん) の列のようなぎざぎざの形や模様。
とある。つまり、木や石などの材質は問うていないようだ。



 ちなみに、川尻(熊本市南区)の御蔵前船着場は「河川舟運としては全国最大の雁木港であり、一級河川の現役堤防に残る構造物としては初めて国史跡に指定された。」と紹介された立派な石の雁木が残っている。


川尻の雁木港

 その他、各地には「雁木坂」や「雁木」と名の付くものが沢山あり、goo辞書にも2番目に
 2 雪の多い地方で、雪よけのために家々の軒から庇 (ひさし) を長く差し出して造り、下を通路とするもの。
というような雪国特有の「雁木」もある。

 結論めいたことを言うと、「雁が音(かりがね)」などと同じような、雁の習性に擬えた慣用句みたいなものではないかと思われる。


今年忘れられない風景(2)~雨のくまもと花博~

2022-12-17 17:30:44 | 
 3月19日から始まった全国都市緑化くまもとフェア「くまもと花とみどりの博覧会」は5月22日までの二ヶ月余、「街なかエリア」「水辺エリア」「まち山エリア」の三つのエリアに分かれて開催された。
 「くまもと花博」2日目の3月20日、「街なかエリア」の花畑広場会場を見に行った。あいにく小雨そぼ降る天気に見物客もまばらな中、美しい花々が雨のしずくを湛えながら健気に咲いていた。


そぼ降る雨の中、熊本城もかすんで見える。


しずくを湛えながら健気に咲く花々


「くまもと花博」開催に合わせ、城彩苑わくわく座では舞踊団花童&はつ喜による創作舞踊公演が行われた。

今年忘れられない風景(1)~御衣黄桜~

2022-12-16 19:18:54 | 
 今年もいくつかの忘れられない風景があるが、中でも白眉といってもさしつかえないと思うのが4月18日に見た御衣黄桜(ぎょいこうざくら)である。御衣黄桜はこれまでも毎年のように見ているが、今年、熊本城三の丸の漆畑で見た御衣黄桜は特に美しかった。「萌黄(もえぎ)」とも呼ばれる御衣黄の色合いはいつ見ても爽やかで心が洗われる思いがする。



 御衣黄の名前の由来は、平安時代の貴族の着物の色「萌黄(もえぎ)」に似ているからだという。「萌黄」を辞書で調べると「襲 (かさね) の色目の名。」とある。服飾関係のサイトで調べてみると、十二単(じゅうにひとえ)の構成は、「唐衣(からぎぬ)・表着(うはぎ) ・打衣(うちぎぬ)・五衣(いつつぎぬ)・単衣(ひとえ)・長袴(ながばかま)・裳(も)からなる」とあり、そのうち「表着」に「萌黄」色を使うと書かれていた。
 「2019 全日本きもの着付選手権熊本大会」における十二単の着付を撮影していたので確認してみると、たしかに萌黄の表着を着た上に赤い色の唐衣を着付けている。


「2019全日本きもの着付選手権熊本大会」における十二単の着付

 ちなみに小説「虞美人草」で夏目漱石は「藤尾はすうと立った。朧とも化けぬ浅葱桜が、暮近く消えて行くべき昼の命を・・・」とヒロイン藤尾のイメージを表現している。この浅葱桜(あさぎざくら)は御衣黄桜のことらしい。