徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

3月31日という日

2021-03-31 11:58:02 | 熊本
 今日は3月の晦日。過去のこの日を振り返ってみると、忘れられない思い出が並ぶ。

▼2018年3月31日 熊本地震義捐能
 熊本地震からやがて2年というこの日、復興支援を目的とした能公演が水前寺成趣園能楽殿で行われた。出演は観世流女性能楽師の菊本澄代さんを始めとする能楽師の皆さん。桜が舞い散る中、シテの天女を務めた菊本澄代さんのたおやかな舞に魅了された。




▼2017年3月31日 熊本地震復興支援コンサート
 前年7月にも熊本復興支援のコンサートを開き、大好評を博した“佐渡裕 指揮 スーパーキッズ・オーケストラ”が再び来演。会場の熊本県庁ロビーには入りきれないほどの観客。アンコールも含め6曲を披露。演奏に合わせて会場全員で歌った「花は咲く」では会場が感動に包まれた。




▼2016年3月31日 熊本地震の2週間前、最後の熊本城の桜
 2週間後、大地震に見舞われるとは誰も思わず、満開の熊本城の桜を見ようと、小雨の中を傘をさした人たちが続く。その数の多さに驚く。残念ながらいつもの花見風景は見られないが、あちこちで桜と熊本城を背景に記念撮影していた。




▼2015年3月31日 センタープラザ閉店の日
 桜町地区再開発事業に伴い、解体されることが決まっている交通センター地下の「センタープラザ」がこの日閉店し、1969年のオープン以来46年の歴史に幕を閉じた。多くの市民が別れを惜しみ、テレビやラジオの特別番組が現場から放送された。




▼2012年3月31日 第1回城下町くまもと時代絵巻
 前年発生した東日本大震災のため1年延期された「城下町くまもと時代絵巻」が行なわれた。俳優の藤岡弘さん扮する加藤清正公に率いられた甲冑武者行列や熊本ゆかりの人物たちが人力車で続くなどの時代絵巻が繰り広げられる一方、熊本城二の丸広場では「城下町くまもと踊り」が華やかに行われた。桜も見頃の熊本城周辺は一日中、時空を超えたエンタテイメントパークの様相を呈していた。


立田山に還る

2021-03-30 17:55:49 | 
 昨日は葬儀を執り行っていただいた子飼の浄照寺へ、弟の家族とともに出かける。お礼参りと合わせ、東京へ帰らなければならない甥一家のために初七日の法要を行う。
 それに先立ち、一人で立田山のわが家の墓にお参りし、父や祖母やご先祖様に弟がそちらへ旅立ったことを報告。墓誌の余白を確認し、やがて行う納骨に備え、墓誌の書入れを石材店にお願いする。
 わが家の本籍となっている発祥の地は立田山の麓。弟も立田山へ還ったし、いずれ自分もここへ還って来るのだなぁという思いを深くする。


立田山の桜

もみじの木

2021-03-28 20:46:17 | 
 弟が逝った。たった一人の男兄弟だった。一昨日の朝、妙に弟のことが気になって弟の妻に電話をかけた。すると即座に「さっき亡くなった」と衝撃のひと言が。入院していたが、今、家族もろくに面会できない状況で、死に目にも会えなかったという。
 昨日今日と続いた通夜と葬儀を済ませ、火葬も終えて帰宅し、母に報告をする。母は気丈に「ご苦労さま」と言った。寂しさと悲しさがこみ上げる。
 弟との思い出は枚挙にいとまがないが、そんな中になぜか1本のもみじの木の思い出が。昔、わが家と隣りの家の間に生えていたもみじの木だ。僕と弟がともに小学生だった頃、この木の下でよくキャッチボールをした。段々力が入って来て、僕の投げる球のスピードが速くなる。しばらくは怖いのを我慢してグラブを差し出していた弟が突然、グラブを投げ出して脱兎のごとく逃げて行く。そんなことが何度もあった。三つ違いだったから無理もない。
 弟の遺影を見ながらつぶやく。「僕の弟に生まれてきてくれてありがとう!」

助産師合格を祝う!

2021-03-27 07:06:35 | 友人・知人
 昨日、中村くるみ(はつ喜月若)さんから助産師国家試験に合格した旨の連絡をいただきました。
 一年前の看護師合格に続き、見事に目標を達成されたことに心からお祝い申し上げるとともに、今までのご努力の積み重ねにあらためて敬意を表します。
 4月からいよいよ助産師としてスタートを切られることになりますが、いまだ続くコロナ禍のなか、医療現場でのご活躍を心よりお祈り申し上げます。また、今後、可能であれば舞踊家としての活動もぜひ拝見したいというのがくるみファンとしての切ない願いです。


春街diary

2021-03-25 20:16:11 | 
▼成道寺川
 昨日、約半年ぶりに成道寺川を見に行った。この川は熊本市内では数少ない希少生物が生息する清流。半年前に見た時、特定外来生物のブラジルチドメグサが繁茂しつつあるように見受けられたが、今では川を覆いつくすのも時間の問題に思われた。さっそく、熊本博物館の動物担当学芸員である清水稔先生に現況をメールしたところ、先生も先日確認されたそうだが、まだ手を打てていないとのこと。4月に先生が関わっておられるNPOが成道寺川で観察会を行うので、とりあえずその前に駆除作業しようと思っているとのことだった。




▼本妙寺の桜
 本妙寺の桜馬場は今が桜の見ごろ。しかし、今日行ってみると訪れる人も数えるほどで寂しい限り。毎年この時期の恒例だった「桜灯籠(はなどうろう)」は昨年に続き今年も中止となった。コロナ感染防止に最大限の注意を払わなければならない今こそ、混雑することもなく桜を愛でることができる本妙寺は穴場だと思うのだが。




▼映画「海街diary」
 一昨日、BSPで「海街diary」を放映していた。劇場公開を見逃し、6年前に一度、レンタルビデオで見て以来の再見だ。やっぱりいい映画だ。是枝裕和監督の小津安二郎や成瀬巳喜男など、日本映画が世界に誇る巨匠たちへのオマージュが感じられる。6年前にもブログに書いているが、是枝監督にとって、古びたあの日本家屋、そして舞台の鎌倉は絶対はずせなかったのだろう。しみじみそう感じられた。菅野よう子の音楽も良いし、画面の抑えた色調も良い。間違いなく名作。


名曲とちょっと変わった作詞家のものがたり

2021-03-24 20:47:23 | 音楽芸能
祇園小唄
 この唄の作詞者長田幹彦は熊本ゆかりの人物である。彼自身は東京で生まれ育っているが両親は菊池の出身。祖父は菊池神社の初代宮司で「菊池俗言考」など多くの著書も残した長田穂積。菊池神社の一角には「祇園小唄」の歌碑も建てられている。長田が京都を初めて訪れたのは大正の前期。祇園に魅了されて「祇園夜話」「絵日傘」などの小説を書いた。その小説が映画化されるにあたり、主題歌として作詞したのが、昭和5年に世に出た「祇園小唄」。この歌は大ヒットし、今日では祇園を象徴する曲となり、長田にとっても代表作となった。




菊池神社


春の小川
 「春の小川」は大正元年(1912)尋常小学唱歌として発表された。作詞者の高野辰之は「おぼろ月夜」や「ふるさと」といった作品でも知られているが、当時、豊かな田園が広がっていた今の渋谷区代々木に住んでおり、よく散歩していた河骨川(こうほねがわ)をモチーフに「春の小川」を作詞したといわれる(諸説あり)。河骨川は渋谷川の支流で、10年ほど前放送された「ブラタモリ渋谷編」では、現在はそのほとんどが暗渠化された渋谷川の痕跡を辿っていたが、河骨川も同様、今は暗渠化され、歌が作られた当時の面影はない。
 また、高野辰之は日本の古典芸能や伝統芸能の研究者として「歌舞音曲考説」など数多くの著書を残しているが、明治時代末期、福岡県瀬高町大江に伝わる「大江幸若舞」を訪ね、幸若舞が芸能史上特筆すべき古典芸能であることを広くPRしたことが、幸若舞を存続の危機から救い、今日も国内唯一この地に幸若舞が残った大きな要因といわれている。




春の小川・成道寺川(熊本市西区)


大江幸若舞

Legendary beat

2021-03-22 19:05:01 | 音楽芸能
Hal Blaine's most legendary beat is the primordial thump-thump-thump-crack heartbeat in the first four seconds of the Ronettes’ “Be My Baby” Here’s just a fraction of what Blaine tapped into musical history.

However, in Japan, the same rhythm is beat in the performing art "Sanbaso" that has continued for 1300 years.



The Ronettes' "Be My Baby"



"Sanbaso" (Click to Movie)

東海風流(民謡SONICより)

2021-03-21 13:02:03 | 音楽芸能
 昨日の午後は、日本民謡協会主催「民謡SONIC」のオンライン配信を視聴。日頃、FBやブログで交流させていただいている東海風流プロジェクトのお二人(水野詩都子さんと﨑秀五郎さん)も出演されたので、秀五郎さんによる「細棹三味線」のワークショップとお二人のコンサートを楽しんだ。
 コンサートでは下記の13曲を披露されたが、なかでも「そうじゃおまへんか節」を源流とする「名古屋名物」「日高川甚句」「酒田甚句」「おてもやん」という一連のメドレーは、聴き比べしながら、日本における民謡伝播の一典型を見るようでとても興味深かった。
  • 平針木遣音頭
  • 名古屋甚句
  • 名古屋名物
  • そうじゃおまへんか節
  • 日高川甚句
  • 酒田甚句
  • おてもやん
  • 伊勢音頭さわぎ
  • 伊勢音頭(関東節)
  • 高山音頭
  • 大津絵飛騨節
  • 岡崎五万石
  • 十四山音頭(トウカテンテン)


東海風流プロジェクトのお二人。水野詩都子さんと﨑秀五郎さん

桜を愛でながら(駄考)

2021-03-20 20:11:46 | 日本文化
 朝から小雨が降っていたので、桜散らしの雨になるかもしれないと思い、傘をさして熊本城へ。まだ満開とはいえない状況だが、案の定、二の丸広場の入口で係員さんが「だいぶ散りました」と。やはり花見時期としては見物客は少ない。
 今日から行幸坂の一般開放が始まるとのことだったが、開放時間はなんと午後5時から午後8時の間だという。なんで昼間の一番映える時間にやらないのだろう。意味不明。
 城彩苑に行ってみるとかなり多くの客で賑わっている。まるでコロナは終息したかのよう。熊本もおそらくリバウンドが始まるのだろうなぁ。
 渡辺直美の容姿侮辱発言問題の話題がテレビやネットでまだ続いている。いろんな人が発言を批判したり、この問題の裏を勘ぐったりしていたが、それよりも何よりも、開会式を仕切るはずだった大物クリエーティブディレクターと称するS氏の企画センスのなさに驚く。
 またまた、麻生財務相が記者に「マスクはいつまでやるの?」と逆質問したことが物議を醸している。この人はこんな人だからしょうがないとして、問われた記者が「当分」と答えていたが、なぜ「ご自分で考えなさい」と言わないのだろう。




錦坂余情

2021-03-19 19:20:07 | 熊本
 僕の散歩コースの一部でもある「錦坂(にしきざか)」。今では坪井方面と京町台を往来する人の近道となっている急坂だが、かつて京町台に沿って流れていた坪井川を舟で遡上して来た加藤神社の参詣客をここから登らせるために出来た坂なのである。明治に入り陸軍が熊本城本丸に鎮台を構えたため、明治7年に錦山神社(加藤神社)が城内から新堀に遷座した。下を流れる坪井川の船着場には、天草、島原を始め九州各地から錦山神社の参詣客が次々と舟付けし、錦坂を登ったのである。そして、京町の本通りには公許の遊郭が出来、妓楼は20余軒に及んだ。西南戦争の戦火で焼失する明治10年までのわずか3年余の間、京町・新堀は港町、門前町、商業の町、そして遊郭の町として栄えたのである。なお、錦山神社が加藤神社に改称されたのは明治42年。

 また、ここは僕が幼い頃の思い出の場所でもある。千葉城町の幼稚園の帰りにこの坂を登った。当時すでに坪井川は流路が変わっており、小さな泥川が残っていた(現在は暗渠化されている)。今日のようなきれいに舗装された坂道ではなく、土が踏み固められた山道だった。道幅も今の半分くらいだったと記憶している。坂を登りきると右手に加藤神社の石段があり、そこを上って境内を通り抜け、裏口から裁判所の前へ出るのがいつものコースだった。


今日の錦坂




かつては錦坂の下を坪井川が流れていた

翁プロジェクト熊本公演(続)

2021-03-18 23:15:20 | 伝統芸能
 先日、ざっくりとした観能記を書いたが、それを補足する意味で再度取り上げてみた。
 神さびた翁が天下泰平、国土安穏を祈念し、大人の風格(友枝昭世さんのオーラ?)を漂わせながら退場すると、次に登場するのが三番叟。この三番叟が実質的な主役ともいえる。今回演じるのは大蔵流狂言師の山本則重さん。大蔵流では「三番三」と書くらしい。実は野村萬斎さんの三番叟を映像で7~8回は見ているので、どう違うのかも興味があった。なかなか気迫もこもっているし、舞にも切れがある。近くの座席の能か狂言の経験者と思しき年配の女性が、「山本さんところはやっぱりしっかりしている…」と宣っているのを聞きながら、「へぇそうなんだ。」と思いながらも、萬斎さんと比べると緩急の付け方がちょっとな、なんて思ったりした。それでも見事な舞だった。ただ、残念だったのは囃子方。小鼓方の大倉源次郎さんが急に欠席となったが、そのせいでもあるまいとは思うのだが、楽しみにしていた「揉みの段」の独特のリズム感がいまいち乗らない。もう少しグルーブ感が高まるかと思ったのだが。なんだかんだ言っても初めてのナマ翁に十分満足した。


その名も花の園

2021-03-17 21:24:31 | 熊本
 熊本は今日、桜の開花宣言があったが、目を野山に向けるとまさに春爛漫といった風情。熊本市西区の本妙寺一帯の地名は「花園」。明治7年、四つの村を合併して「花園村」が誕生。その名の由来は、京町台から眺めると色とりどりの花が咲き乱れ、「花園」のような景観を呈していたからだという。
 毎年桜の時季の名物行事「本妙寺桜灯籠」は今年も中止となったのは残念だが、もうやがて桜馬場の桜並木も見ごろ。ぜひ参詣を兼ねて本妙寺の桜見物はいかが。


本妙寺塔頭・東光院のしだれ桜も満開


本妙寺に続く丘は桜と菜の花の競演(花園6)


柿原の桃畑も桃の花が満開(花園柿原)

卒業ソング

2021-03-16 22:07:26 | 音楽芸能
 先週末までは街中で袴姿の女子大生を見かけたが、そろそろ卒業式のシーズンも終わりか。卒業式といえば、僕は中学校までしか卒業式の思い出がない。高校卒業の時はちょうど東京オリンピックの年で、シーズンインが早かったので2月には上京して大学の合宿所に入ったし、大学卒業の時は、就職の都合で早めに郷里へ帰ったので卒業式には出ていない。
 よくテレビで「あなたにとっての卒業ソングは?」なんて企画をやっているが、僕にとっての卒業ソングは「仰げば尊し」しかない。数年前、「仰げば尊し」の原曲はアメリカの歌だと聞いたことがあったが、実際にその原曲を聞いたことがなかった。最近になって原曲を聴く機会があり、その素晴らしさにすっかりハマった。ますます僕にとっての卒業ソングは「仰げば尊し」しかない。



     ▼仰げば尊し 原曲「Song for the close of school」

「九州八景」ふたたび

2021-03-15 18:13:04 | 音楽芸能
 昨日の幸若舞「敦盛」に続き、コマ割りされたYouTube動画を見つけた。それは下の「九州八景」。

 この映像は2012年10月に熊本城奉行丸で行われた「秋のくまもとお城まつり」のプログラムの一つ、「秋夜の宴スペシャル」。
 九州一円の風物や歴史を唄い込んだこの曲を、今藤珠美さんや今藤美知央さんら今藤流の皆さんの演奏に、中村花誠さん率いる花と誠の会の鳴物が呼応し、ザ・わらべの二人が踊る。もう9年も前のことになる。懐かしさとともに、しばらくは熊本城でこの様な公演を見ることはできないのが残念だ。