徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

学生時代のお気に入り音楽

2024-07-18 19:54:13 | 音楽芸能
 2008年7月のブログを見ていたら、「学生時代のフェイバリット・ソング」と題して下の3曲をあげていた。この3曲が大好きだったことはよく憶えているが、学生時代から60年が経ち、後期高齢者となった今でもその気持ちは変わっていないのだろうかと聴いてみた。最近のポップスで感動したことのない僕には、1周廻って新しく聴こえる。聴いている間は学生時代の街の風景や友の顔などが浮かんできて、ひとときの学生気分にひたっていた。


① 愛なき世界(1964年)ピーターとゴードン
 ピーターとゴードンはいわゆるリバプールサウンドの一員。この曲はレノン&マッカートニーが作った。ピーターの妹とマッカートニーが恋仲だったため提供したといわれる。


② マジック(1965年)ラビン・スプーンフル
 当時はイギリスのリバプールサウンドが世界を席捲しつつあったが、その一方でアメリカンポップスを代表するグループの一つとして、新鮮なサウンドを作り続けていた。


③ 赤ずきんちゃん(1966年)サム・ザ・シャム&ザ・ファラオズ
 独特のサウンドで人気のあったアメリカのバンド。1967年の映画「夜の大捜査線」で監督のノーマン・ジュイソンはこの曲を使いたかったらしいが、高額な使用料を要求されて断念し、ほとんどパクリのような「Foul Owl on the Prowl」という曲を使った。

最近のトピックス

2024-07-17 21:26:58 | Web
 最近の個人的トピックスといえば、一つはYouTubeマイチャンネルの登録者数がいつの間にか1万人を超えていたことです。2008年12月に初めて投稿してから16年。始めた時はこんなに多くの方に登録していただけるとは想像もしませんでした。登録していただいた皆様に深く感謝申し上げます。
 二つ目は昨年12月にYouTubeに投稿した「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」が、投稿後7ヶ月にして視聴回数11万回を数えたことです。この動画は12年前に投稿していたものですが、昨年暮れに見直して画質の悪さが気になり、幸いオリジナル映像が残っていたので画質の精度を上げて再投稿したものです。まさか再投稿版がこんなに多くの方に見ていただけるとは驚きでした。
 また、多くの方からコメントもいただきました。好評価が多いのですが、中には「年端も行かない女児に芸者のマネをさせる」ことへのお叱りもいただきました。12年前も同じようなご意見はいただいておりました。それから12年経ち、しかもメンバーの多くが既に舞踊団を卒業した現在、今さらとは思いますが、あえてご説明させていただきます。この舞踊団花童の主宰である中村花誠先生のお考えは、この舞踊団の本旨は「歌舞伎舞踊」であり、それを基本として育成を図っておられました。しかし、当時は年間200回を超える公演があり、会場も観客層も様々であり、普段日本舞踊とは縁のない方も多く見に来られました。そこで先生は1公演で10数曲の演目を、「歌舞伎舞踊」「各地の民謡」「端唄・俗曲」「童謡」そして誰でも知っている「歌謡曲」などをバランスよく配したプログラムを組んでおられました。この「お座敷小唄/芸者ワルツ」は歌謡曲の中の一つとして演じられたものです。しかし彼女らの踊りは先生の厳しい指導を受けた基本的な所作です。「三つ振り」ひとつとっても誰でもすぐにできるものではありません。そうした点も踏まえていただきあらためてご覧いただければ幸いです。


八丈島の歴史と民俗

2024-07-15 18:02:34 | 音楽芸能


 NHK-BS「英雄たちの選択」は「島々の歴史を探る旅シリーズ」第一回の今夜は八丈島。関ヶ原の戦いに敗れた宇喜多秀家が徳川家康により島流しにされてから流刑地になった八丈島。江戸時代におよそ1,900人が八丈島へ流刑になったという。流人たちは島でどんな人生を歩んだのか。最初の流人・宇喜多秀家と最後の流人・近藤富蔵の生き様を通して、流刑の実像と八丈島の歴史を検証していた。

 僕が八丈島に行ったのは36年ほど前の東京勤務の頃に一度きり。会社の水泳仲間とダイビングをするのが目的、往復飛行機で一泊二日の旅だった。日中はほとんど海の中でろくに観光もしていない。したがってそんな八丈島の歴史を知る由もなかった。

 八丈島はその昔、「女護ヶ島」ともいわれ、美しい女性ばかりが住み、男性が足を踏み入れると二度と島を出られないという伝説も残っている。八丈島の代表的民謡に「八丈ショメ節」(東京都無形民俗文化財)という唄がある。盆踊りや宴会などで即興で歌われた唄で、何百という歌詞があるというが、多くの島ことばが使われていて、その中に「めならべ」という島言葉がある。「女童」あるいは「美並」とも書いて若い娘のことだそうだ。前述の流人・近藤富蔵が書き残した「八丈実記」には「めならべ」とは「美並」と書くという一節もある。

▼ショメの由来
「ショメ」という囃子ことばの語源は「塩梅」、「潮目」、「処女」、「所望」など諸説あるらしい。


森田曠平 「八丈のめならべ達」


2014年10月25日 熊本城本丸御殿「秋夜の宴」
 【立方】花童くるみ・花童文乃
 【地方】唄と三味線:本條秀美と本條秀美社中  鳴物:中村花誠と花と誠の会

百人一首の絵札

2024-07-14 16:45:53 | 日本文化
 大河ドラマ「光る君へ」を見ながら、ふと梅林天満宮(玉名市津留)のことを思い出した。梅林天満宮は承平6年(936)太宰府天満宮より、没後33年目の菅原道真公の御分霊社をいただいたことがその起源とされている。紫式部や清少納言が登場する「光る君へ」は今、11世紀に入る前後、つまり梅林天満宮の創建から60~70年が経過した頃の物語だと思われる。
 毎年秋、11月25日に行われる梅林天満宮例大祭はほぼ毎年見に行っているが、参拝した後に必ず見るのが拝殿の長押に貼られた百人一首の絵札である。そしていつも一番注目するのが紫式部と清少納言の歌(下図)。百人一首に選ばれるという事は二人の代表作なのだろう。これらの歌が選ばれた理由などを調べてみたい。


梅林天満宮例大祭において太宰府天満宮より派遣の巫女舞。向こうの拝殿の長押に百人一首の絵札が見える。



廻り逢ひて見しやそれともわかぬまに 雲がくれにし夜半の月かな
【解説】
 「久しぶりに会って、昔の友だちかどうかわからないうちに、雲に隠れる夜更けの月のようにあわただしく帰ってしまいましたね」という意味。幼なじみとのつかの間の再会を、月になぞらえて詠んだ歌です。紫式部の代表作は、『源氏物語』と『紫式部日記』。若くから和漢の学に秀でていました。



夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
【解説】
 「夜の明けないうちに、(中国のことわざのように)鶏の鳴き声をまねしてだまそうとしても、逢坂の関は通しませんよ」という歌。男性の言い訳に対し、相手の言葉を使って一矢報いるべく「私は関所を通さない=会いません」と伝えたのです。作者は『枕草子』の著者でもあります。

※解説は学校向けコンテンツ「NHK for School」から引用

忘れ得ぬ大先輩

2024-07-13 22:51:32 | 友人・知人
 社会人時代にお世話になった方は数多いが、中でも僕たち夫婦が結婚式を挙げる時、実質的な仲立ちの労をとっていただいたNさんは特に忘れられない。Nさんはもともと労働省系のお役人だったのだがワケあって退職し、創業したばかりのブリヂストン熊本工場に人事労務担当として転職して来られた方だった。社員は入社仕立ての僕ら若手ばかりで、総務部門のリーダー的存在だった。特に僕は人事労務担当に配置されたので公私にわたってお世話になった。仕事の面でもちろんいろいろ教えていただいたが、アフター5も仕事以上にみっちり仕込んでいただいた。週末の夜はNさんが僕ら若手を数人ひきつれて熊本の街へ繰り出すのがお決まりになっていた。下通あたりを歩いているといつも何人もの人がNさんに頭を下げた。わけを聞くとNさんは「戦後間もない頃、職安で仕事を世話した連中だよ」と言った。ある店の店主の証言では、Nさんは本当に親身になって仕事を探してくれたと感謝していた。
 Nさんが僕らを連れて行くのは普通の飲み屋ばかりではない。今でいうゲイバーのような店もあった。実はそこのママさん、といっても旧日本陸軍の猛者だった人なのだが、やはりかつてNさんにお世話になった人だった。そして最後の締めは二本木の「トルコ風呂」(今のソープランド)というのもお決りだった。当時は赤線が廃止されてもう10年以上経っていたが、いつも行くなじみの店はかつて二本木遊郭の妓楼だったところで、Nさんはその頃から通っていたのだろう。いつも行くとまず二階の部屋にみんなで上がって、ビールやおつまみを持って来させてしばらく談笑した。その後、めいめい風呂に降りて行くという段取りだった。
 あれから50年。そのNさんも亡くなって20年以上過ぎた。あの頃のNさんや仲間の顔を最近しきりに思い出す。

二本木遊郭ゆかりの「東雲節」

暑中お見舞い申し上げます!

2024-07-12 19:28:55 | 日本文化
 暑中お見舞い申しあげます。
 各地で続く猛暑の一方、豪雨災害のニュースもありますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 激しい気候の変化に既に夏バテ気味の方もいらっしゃるかと思いますがどうぞご自愛くださいます
 よう願いあげます。
筆者 敬白

 今日はお盆の墓参りを済ませてきました。わが家の墓地は三方を放置された無縁墓に囲まれ、笹や葛が侵食してきて除去に大変な手間がかかってしまいました。無縁墓の増加は社会問題になりつつあると聞きますが今のところ手の出しようがありません。
 それはさておき、「暑中お見舞い申しあげます」と聞きますと、われわれの世代はすぐにキャンディーズ のヒット曲を思い出します。今から16年前、妻とともに薄命の少女詩人・海達公子のルーツを探して徳島県美波町を訪ねた時、温かく迎えていただいた郷土史家の真南先生のお話で、公子の父親は美波町阿部地区の名家・喜多條家の出であり、有名な作詞家喜多條忠氏(2021年没)も同じ一族であることを知りました。
 喜多條忠氏が作詞したのは「暑中お見舞い申し上げます」の他、かぐや姫の「神田川」、「妹よ」、「赤ちょうちん」。キャンディーズの「やさしい悪魔」、柏原よしえの「ハローグッバイ」、梓みちよの「メランコリー」などがあります。公子のルーツを訪ねた旅先で不思議な縁を感じたものです。


ハーンが見た雨乞太鼓 ~宇土の雨乞い大太鼓~

2024-07-11 16:55:17 | 熊本
 先日、近場の親戚にお盆の挨拶回りをした。とにかく暑い日で車内はがんがんクーラーを効かせて走った。松尾町の坪井川河口辺りで車窓から百貫港が見えた。ふとラフカディオ・ハーンが明治26年7月20日、ここから長崎を目指したことを思い出した。クーラーもない人力車や船を乗り継いで、さぞや暑かったことだろう。長崎のベルビューホテルの暑さに耐えかね早々に熊本へ戻る途中、三角の浦島屋で甘美なひと時を過ごした後、美しい女将が手配した人力車で宇土半島の海岸沿いを一路熊本へ向かうのだが、その途上の村々で行われていた「雨乞い太鼓」を目撃したことが「夏の日の夢」に書かれている。

—―車輪が回転する鋭い音も、ドーン、ドーンと腹に響くような音にかき消されるようになった。ある村のはずれにさしかかったとき、私は開けっ放しの納屋の中で裸の男たちが、たくさんの太鼓を叩いているのを見た。
「オーイ、車屋サン!」と、私は叫んで、「アレデス。アレハ何デスカ?」と訊ねる。車屋は、停止もせずに走りながら、叫んで答えた。
「どこでん、今は、同じこつばやっとります。もうずいぶんなとこ、雨が降っちゃおりまっせんけん、雨乞いばしよるとです。そんために太鼓ば打ちょっとです。」
 他のいくつかの村も通り過ぎたが、そこでも大小様々な太鼓を見たし、音も聞いた。そして、水田の遙か向こうの、見えない村々からも、あちこちの太鼓の音が山彦のように響き、こだましていた。――

 この年、熊本は旱が続いていたため村々で「雨乞い」の太鼓を叩いていたものらしい。「夏の日の夢」を読むとおそらく赤瀬か網田あたりの村を過ぎる時だったと思われる。今日では稲作にかかわる「雨乞い」は廃れてしまったが、「宇土の雨乞い大太鼓」として当時使われていた大太鼓が国重要有形民俗文化財として保存されているという。

   ▼「宇土の雨乞い大太鼓」を使った演奏

久々の「能 田村」

2024-07-10 18:41:54 | 古典芸能
 8月の第一土曜日(8/3)は毎年恒例、水前寺成趣園の夏の風物詩「出水神社薪能」が開かれる。
 そして今年のメイン演目は「能 田村」だそうだ。この「田村」は先々月、二十五回忌を行なった亡父が幼い頃、立田山麓の長岡邸(現細川家立田別邸)の謡のお稽古で聴き覚えた思い出の謡曲でもある。二十五回忌の供養にはちょうどよかった。
 今から100年も前、謡のお稽古の末席に侍し、門前の小僧よろしく「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節を聞いていた幼い父の追体験をするつもりである。
「出水神社薪能」ではこれまで何度も「田村」が演じられてきたそうだが、僕は8年ぶりに見ることになる。






2016.8.6 水前寺成趣園能楽殿 第57回出水神社薪能における金春流能「田村」


古歌・古謡の道

2024-07-09 19:42:28 | 日本文化
 今日は玉名市大浜町の母の生家へ行った帰り、河内川沿いの道(県道101号)を通って山越えした。途中の天ヶ庄には鮎帰の滝があり、鮎帰橋のそばに「だいら水車」と呼ばれる水車がポツンと1基。昔は河内川沿いに80基ほどの水車があり、米や雑穀をつく動力としていたらしい。このあたりの地区を平(だいら)地区と呼ぶ。南北朝時代にはこの辺りを菊池氏の家来、天乃氏が治めていたので「天ヶ庄」と呼んでいたという。この地区には古くから子守歌が歌い継がれていて「天ヶ庄の子守歌」と呼んでいた。天乃氏が菊池家の幼君を預かっていた頃の名残りだという。今日では歌う人もなく、歌詞の一部が残るのみでメロディは失われている。歌詞の内容を読むと、昔はこの辺りまで船がのぼって来ていたようだ。「天ヶ庄の子守歌」と同じく、天ヶ庄で歌われていたという古謡が、檜垣媼と関連性があるという。それが下の「あの山に」と「山寺に」の二曲。「新熊本市史」の「民俗・文化財」編に紹介されており、明治から昭和にかけて活躍した熊本出身の文学者・狩野直喜博士によると「庵の燈の光り」の部分は庵主である歌人檜垣のことであるという。なお、この「あの山に」と「山寺に」は「エントコ節」として今日も歌われている。
 県道を熊本へ向かってもう少し進むと、歌枕として知られる「鼓ヶ滝」がある。その先を右折して橋を渡ると檜垣嫗や宮本武蔵の伝説が残る岩戸観音の霊厳洞へと登る山道である。鼓ヶ滝を見降ろしてひと休みしながら、平安時代の女流歌人、檜垣が詠んだとも伝えられる歌を思い出した。
   音にきくつゝみか瀧をうちみれは たゝ山川のなるにそ有ける
「檜垣嫗集」に載せられたこの歌は、実は肥後國司でもあった清原元輔がこの地を訪れた時、一人の法師がこの滝を見て詠んだとして「拾遺和歌集」にも掲載されているが真相はわからない。能に「鼓の滝」を主題とした「鼓滝」という作品があり、世阿弥作とも言われるが、摂津国有馬が舞台となっている。その中に古歌として「津の国の鼓の滝をうちみればただ山川のなるにぞありける」という歌が登場し、和歌にも詠まれた名所だという設定になっているが、この歌の元となったのは、「拾遺和歌集」などにも収録されている肥後国の鼓ヶ滝を詠んだ前述の歌と言われている。つまり平安時代に肥後の名所だった鼓ヶ滝を詠んだ歌を借りて、中世に有名な温泉場だった有馬に舞台を置き換えたものだそうだ。
 今日は時間も遅かったので岩戸観音の方へは登らず、直進して「峠の茶屋」近くの「大将陣の棚田」を眺めてから帰路についた。


鮎帰の滝


だいら水車




鼓ヶ滝


大将陣の棚田

あらためて地図を見ると天ヶ庄と岩戸観音の直線距離は驚くほど近い

茶室仰松軒

2024-07-08 21:26:17 | 日本文化
 「仰松軒(こうしょうけん)」は細川家菩提寺の泰勝寺跡である立田自然公園内にある茶室。もと京都の天龍寺塔頭真乗院に建てられていた細川三斎(忠興)設計の茶室を大正12年(1923)に復元したもの。内部を見られる機会は滅多にないが、茶事などが行われている日にあたると内部をじっくり見ることが出来る。
 わが家の本籍地となっている父の生家が泰勝寺境内に隣接していたこともあって、泰勝寺跡には度々訪れるが、仰松軒の内部を見ることができたのはまだ4、5回ほどしかない。
 ちょうど5年前にこんなことがあった。お盆前の墓参りを済ませて泰勝寺跡に立ち寄り、いつものように仰松軒をしばらく眺めていると、一匹のハクビシンが姿を現わした。こちらに気付いても驚く様子もなくじっと見ている。しばらく見合っていたがやがて竹林の方へと歩き去った。四つ御廟へお参りして帰るかと引き返そうとした時だった。不意にご婦人が現れた。園内には他には誰もいないと思っていたので一瞬ドキッとした。近づくと、僕より高齢に見えるが凛とした佇まいだった。婦人の方から声をかけられた。
 「タヌキみたいな動物ご覧になりました?」
 「ハクビシンですね」と答えた。
 「管理が全然なってませんね。あんな動物がわがもの顔に歩き回るなんて」
 「そうですね。地震の後始末も手付かず状態ですからね」と水を向けると
 「よく名所を回るんですが、どこも手付かずですからね」さらに僕が
 「熊本城ばっかり力を入れていますが、他の観光名所も早く復旧してほしいですね」と言うと、わが意を得たりとばかりに話が盛り上がった。10分ばかり立ち話をした後、挨拶を交わして婦人と別れたが、白いシャツに黒っぽいスラックス姿を見送りながら、ふと明後日は「ガラシャ忌」であることを思い出した。


現在の茶室仰松軒


5年前(改修前)の茶室仰松軒

創作舞踊「細川ガラシャ」

七夕に

2024-07-06 22:44:01 | 季節
 天の川 紅葉を橋に わたせばや たなばたつめの 秋をしも待つ(古今和歌集・詠み人しらず)
 ▼訳
 天の川に紅葉の葉が散ったのを水に浮かべて、橋のように渡すからなのだろうか、
 おり姫は恋人の訪れるという秋をひとしお待っていることよ。(古語辞典より)

 明日は「七夕」。これから猛暑のピークが来るというのに「七夕」は秋の季語。これはもともと旧暦7月7日の節句だった名残り。今年に読み替えると8月10日だそうである。つまり立秋を過ぎているので秋の季語というわけ。
 下の端唄「もみじの橋」は上述の和歌をモチーフに織姫と彦星の天の川での七夕の逢瀬を唄ったもの。歌詞には深まりゆく秋の情景が唄われており、今日的には違和感も・・・


つなぐ伝統 ~山鹿灯籠おどり~

2024-07-05 21:29:05 | 伝統芸能
 5月30日に熊本市の中心街で行われた高校総文祭パレードに常連の鹿本農高郷土芸能伝承部の姿がなかった。毎年、郷土芸能部門の一校として「山鹿灯籠踊り」を披露していた。部員が揃わなかったのだろうかと気になったので、以前、メールでやり取りしたことのある顧問の中川先生におたずねのメールを送ってみた。するとすぐに返事をいただいた。それによると、全校生徒がかつての4分の1ほどになるなど部員確保には苦労しておられるようだが、現在なんとか10名の部員がいるとのこと。だが、今年総文祭に参加しなかったのは別の事情があったようだ。コロナ明けした一昨年から以前と同じように県内外で活動しているそうで安心した。活動状況がわかる映像の紹介もあったので下に添付した。彼らの郷土芸能伝承活動が次世代、次々世代へと繋がって行くことを願ってやまない。

2023.3.18 花畑広場「熊本城下のさくらまつり」で山鹿灯籠踊りを披露する鹿本農高郷土芸能伝承部

 そもそも僕が彼らの活動に注目したのは今から8年前。2016年3月10日の熊日新聞に「東日本大震災から5年となる明日、山鹿市の鹿本農高郷土芸能伝承部の生徒たちが、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で山鹿灯籠踊りを披露する。閖上地区は特に津波の被害がひどく、人口の1割強が犠牲になった。明日行われる追悼イベントで、鎮魂と復興の願いを込めた踊りを披露する」という小さな記事を見た時だった。数日後このことをブログで紹介した。すると、このイベントに参加しておられた名取市在住の方から、次のような温かいコメントをいただいた。


 さらにありがたいことに、当日の様子をブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」でリポートしていただき、写真の転載を許可いただいた。遠く離れた人たちと心が通じ合った忘れられない出来事となった。


2016.3.11 宮城県名取市閖上地区で山鹿灯籠踊りを披露

 鹿本農高郷土芸能伝承部の皆様にもこの経緯を手紙でお伝えしたところ、下記のような丁寧なお礼のご返事をいただいた。

 鹿本農高郷土芸能伝承部はその後も数回にわたり鎮魂と復興を祈る踊りを届けるため東日本大震災被災地を訪問した。

▼鹿本農高郷土芸能伝承部の活動を伝えるテレビ番組(2023年11月29日 KKTてれビタevery.で放送)

九州相良の一日も早い復興を!

2024-07-04 21:05:51 | 鎮魂
 令和2年7月に発生した熊本豪雨は、球磨川流域を中心に熊本県内で1万2千人超が被災し、67人(災害関連死2人含む)が死亡した。7千棟超の家屋が被害を受け、今年6月末時点で217戸412人が仮設住宅に入居しているという。あれから4年となった今日、住民らが追悼の祈りをささげた。人吉市をはじめとする被災6市町村はまだ復興半ば。新しい建物が次々と建つ一方、夏草が伸び放題の空き地も目立ってきているという。まだまだ多くの課題を抱えているが一つ一つクリアしながら、一人も取り残されることのない復興を願いたい。

 犠牲者の鎮魂を祈りつつ、一日も早い相良の地の復興を願って民謡「球磨川新調」を聞いてみた。


茄子とかぼちゃ

2024-07-03 19:51:57 | 音楽芸能
 花童サポーター友のNさんから今年も獲れたての茄子をたくさんいただいた。ありがたい。今夜の夕食には茄子の味噌よごしとかぼちゃの煮物が並んだ。夏野菜の代表格「茄子とかぼちゃ」が揃うと必ず思い出すのが俗曲「茄子とかぼちゃ」。
 夏の畑で、茄子とかぼちゃが喧嘩をするというコミカルな曲。幕末より唄い出され、お座敷や寄席でも踊られた。その後、天才女流音曲師の立花家橘之助(1866~1935年) がこの歌詞の最後に「奥州街道・・・」という甚句形式の文句を付け加えて寄席で賑やかに唄い人気を博し、「浮世節」と呼ばれる三味線音楽の一派をなした。
 国文学者であり作詞家でもあった高野辰之の著書「日本民謡の研究」(大正13年)によれば、日本人は古来より「好笑」という性情があり、風刺とか皮肉を込めた滑稽味を歌にすることを好んだという。この「茄子とかぼちゃ」はその一例ともいえる。


2024年上半期動画視聴ベスト10

2024-07-02 20:02:50 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの2024年上半期視聴ベスト10は次のとおりでした。
 この期間の総視聴回数は457,143回。前年同期の約1.5倍という伸びでした。これは、昨年暮アップしました「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がバズり、それによって12年前にアップした初期版にも再びアクセスが急増し、さらにその他のほぼ同時期にアップした動画にも飛び火したような状況になりました。これは一過性の現象だと思われますので、新作のアップとともにリマスターで再評価される動画が他にもありはしないか検索してみたいと思っています。

 サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。

1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(65,931回)


2.こわらべ~ お座敷小唄/芸者ワルツ ~(45,630回)


3.こわらべ ~ 江津湖音頭 ~(24,815回)


4.花童 ~ 肥後のタンタン節 ~(23,429回)


5.花童 ~ 絵日傘/数え唄 ~(17,849回)


6.伊勢音頭(歌詞付)(16,432回)


7.おてもやん(歌詞付)(12,778回)


8.南部俵積み唄(12,605回)


9.ひえつき節(9,433回)


10.幸若舞「敦盛」(8,437回)