徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

みわの誕生日!

2011-02-28 17:43:47 | その他
 今日は孫娘みわの7歳の誕生日。といっても本当の誕生日は2月29日だから、来年しかやってこない。だから毎年、その年の都合でお祝いをする日が変わるのが可哀想な気もする。今年は26日の土曜日にお祝いをするということだったが、あいにく久留米まで行けそうもなかったので、早目に久留米のケーキ屋さんに手配して、バースデイ・ケーキを贈った。当日、みわが「ケーキありがとう!」と電話をしてきてくれた。今日は彼女の成長をスライドショーで見ながら、ささやかなお祝いをした。


牛深ハイヤ節の前唄 「牛深三下り」の謎に迫る!

2011-02-27 20:29:40 | 熊本
 2月も明日で終り、いよいよ春本番。一月半ほどで牛深ハイヤ祭の季節がやって来る。
 ところで「牛深ハイヤ節」の前唄といわれる「牛深三下り(さんさがり)」。実は「ザ・わらべ」の踊りを見るまで、僕はこの唄の存在すら知らなかった。妙に心に残るこの唄について調べてみた。ところが、図書館に行ったり、ネットで調べても、この唄についての情報はほとんどない。ただ、レコードやCDは、ソーラン節で有名な伊藤多喜雄さん他数名が出しているようだ。そこで、僕なりの推測も加えながら「牛深三下り」の謎に迫ってみた。
 まず、題名は「牛深さんさがり」であって「みくだり」ではない。「みくだりはん」なんて言葉があるから、つい「みくだり」と読んでしまいそうだ。意味は三味線の三弦を一音下げることらしい。つまり、三味線のチューニングのことだ。こうして弾くと粋な音色になるらしい。「三下り」と付いた民謡は他県にも数多く存在する。
 次にこの唄の起源だが、本唄の「ハイヤ節」が江戸時代、船の往来により海の道を通じて全国に広まり、「佐渡おけさ」や「越中おわら節」や「阿波踊り」などのルーツになったのとは異なり、他の地方から伝来したもののようだ。船乗りか、旅芸人か、流れてきた遊女などが伝えたのかもしれない。
 唄のモチーフは、江戸時代の情死事件を題材にした歌舞伎や落語でもおなじみの「明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき」。吉原の遊女・浦里と富豪の息子・時次郎との悲恋物語だが、調子の良い切口説を使っているだけで、ほとんどナンセンスソングに近い。「都々逸(どどいつ)」の部分と「囃子唄(はやしうた)」の部分とで構成されており、囃子唄の部分には天草弁も使われている。おそらくお座敷での座興唄として遊郭などで歌われていたものだろう。こんなことを考えながら聞いてみると、また味わい深い。
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浦里 嘆けば みどりも嘆く もらい泣きする 明け烏
 
 今来たニセさん よかニセさん 縞の財布を 投げ捨てて
 開けてみたれば 質屋の質札

声高や もすこし話を 静かにしゃんせ 障子一重が ままならぬ
 
 権現山の山椒の木 ぶらりと下がりし 藤の花
 しかと抱きついて 落てついたもんだよ

浅い川じゃと 小褄をからげ 深くなるほど 帯を解く
 
 あこりゃ あこりゃ あこりゃ こりゃこりゃ こんにゃく屋
 味噌をつけたら田楽屋 白箸持って来い ちょいと挟み
 あこりゃ こりゃ・・・

(注)歌詞は聴き取りなので間違っているかもしれない。


ザ・わらべ in 韓国

2011-02-26 19:20:43 | 熊本
 昨年9~10月、韓国の忠清南道で開催された「2010世界大百済典」には、日本からは、百済に縁のある奈良県(平城宮跡)と熊本県(鞠智城)の2県が出展した。そして熊本の伝統芸能を展示する代表団の一員として、子ども舞踊団「ザ・わらべ」も出演し、日頃、稽古を積み重ねた見事な踊りを韓国の皆さんに披露した。また曲間には憶えたばかりの韓国語で挨拶をし、盛んな拍手を受けていた。
 韓国に限らず、国際親善はまず文化交流から。「ザ・わらべ」には、いろんな国際親善の場に出て行ってほしい。
 この程、メンバーの一人、文乃ちゃんのお母様からビデオの提供を受けたので、YouTubeにアップした。




ウォーターポロ レジェンド ~古荘次平~

2011-02-25 22:00:15 | 水球
 先日、「Water Polo legends」というヨーロッパのブログ(ギリシャの元水球選手が運営しているようだ)を見ていたら、古荘次平さんの写真が出てきて驚いた。古荘次平さんと言えば、1936年のベルリン・オリンピックに日本代表の水球ゴールキーパーとして出場した、いわば日本水球の祖の一人である。熊本商業から早稲田大学に進み、名もない平泳ぎの選手から水球のゴールーキーパーに転じ、猛練習を重ねてオリンピックの日本代表に登りつめた立志伝中の人だ。彼が水球のゴールキーパーとして成功した要因の一つは、熊本伝統の小堀流踏水術の心得があったからだとも言われている。水球の基本中の基本は巻き足を使ったフローティング技術。これが最初から出来ていたのは大きかったのかもしれない。ちょうど僕らが高校時代、忙しい社長業(白屋/現シロヤパリガン)の合間を縫って練習を見に来ていただいた。技術面よりも精神面のご指導をよく憶えている。古荘さんの言葉の中で一番忘れられないのは「負けて新聞記事になるようなチームになれ!」だった。

遠い日の大浜の風景

2011-02-24 19:46:30 | 文芸
    「川口」
    ときわの穂が
     夕風になびいてゐる川口へ来た
    あびてゐるみんなの声をとほして
     高々と帆をあげる音
    吹きとばされさうになつた
     帽子をおさへた
    沖の光にかもめが飛んだ

 これは「赤い鳥」の昭和3年12月号に載った海達公子の詩である。彼女が尋常高等小学校6年の時の作品で、僕は彼女の作品の中でも最も好きな詩の一つだ。これには理由があって、実はこの詩に描かれた情景は僕の原風景といってもいいのである。彼女が行ったという川口というのは、実はどこの川の川口なのかはさだかではない。しかし、僕が幼い頃、夏を過ごした母の実家がある玉名の大浜。この菊池川川口一帯には、この詩に描かれた情景そのままがあった。そして公子も女学校時代、親友とともに大浜までの菊池川下りを楽しんでいる。
(注)
 ・ときわ・・・ときわすすき。すすきに似ているが夏に咲くイネ科の植物。
 ・あびてゐる・・・水浴びをしている。


旧川口辺りから新大浜橋を望む

くまモンキャンドル & 博多織屋次平 & 結婚式前撮り

2011-02-23 19:20:18 | 熊本
 熊本県伝統工芸館でくまモンのキャラクターを使った工芸品を展示し、人気投票をやっているというので、さっそく出かけて、キャンドルハウスさんの“くまモンキャンドル”に投票した。出品者の皆さんの多様なアイディアの工芸品に感心した。地下の和室で「博多織屋次平展」をやっているという掲示が目に入った。2年ほど前、NHK福岡局の「博多 はたおと」という星野真里が出演したドラマが印象に残っていたので覗いてみた。展示場にいた四代目次平さんはなんと、あの谷汲観音の着物を修復した方だった。さっそくお話を聴いてみた。松本喜三郎が作った淨国寺の谷汲観音と来迎院の聖観世音菩薩の二つの活人形の着物を修復するのに約2年の歳月を要したそうだ。匠の世界の話には引き込まれてしまう。そう言えば昨年、谷汲観音を観に行った時、住職が着物の修復の話をされたのを思い出した。
 工芸館を出ると、隣のKKRホテルの前で結婚式の前撮りをやっていた。これから気候もよくなるので、前撮り風景も多く見られるようになるだろう。
■くまモンキャンドルのお問い合わせは
  CANDLE HOUSEブログへ


淨国寺の谷汲観音


熊本城をバックに絶好のロケーション

山頭火の妻 ~種田咲野~

2011-02-22 20:04:54 | 文芸
 けふも托鉢こヽもかしこも花さかり (耕畝/山頭火)

 先日、横手町の知人の家に出かけた折、すぐそばの安国禅寺に立ち寄り、種田山頭火の分骨墓、というより種田家のお墓にお参りした。この寺の前をよく通るのだが、今まで一度も入ったことはない。お墓の場所がわからなかったので、坊守さんに案内してもらった。山頭火が亡くなった後、妻の咲野さんが分骨を納めたそうだ。山頭火は“漂泊の俳人”などと呼ばれているが、咲野さんはどんな想いで納骨したのだろう。山口から何のゆかりもない熊本に連れて来られ、奇行、放浪、離婚、出家などと振り回され続けた人生だったようだ。佐波郡和田村というから今の周南市の旧家の娘として生まれ、美人の誉れ高く、しっかりした女性だったらしい。手を合わせながら、どちらかというと咲野さんの人生の方に思いを馳せていた。


山頭火が出家得度した報恩禅寺に建てられた句碑


安国禅寺にある種田家の墓

「くまモン & ザ・わらべ」 大阪で踊る!

2011-02-21 18:15:29 | 熊本
 九州新幹線全線開業によって、距離感がぐっと近くなる関西地方における熊本の認知度を高めようという、熊本のブランディング戦略の一環として、先週末、大阪ミナミの湊町リバープレイスで「くまもと逸品縁日&ミナミあっちこっちラリー」が開催され、熊本の食と文化を大阪の皆さんに味わっていただいた。ステージでは、大阪で半年間頑張ってきたゆるキャラ「くまモン」と子供舞踊団「ザ・わらべ」の共演もあり、スザンヌの唄う「ダイスキ!くまもとファイヤー」に乗って踊りを披露し、大いに盛り上がったそうだ。新幹線開業までいよいよ3週間。今まで、このプロジェクトに関わってきた人々の努力が報われることを願ってやまない。


ドラマスペシャル「遺恨あり 明治十三年最後の仇討」

2011-02-20 19:13:19 | テレビ
 吉村昭の「敵討」(新潮文庫)の中の一篇「最後の仇討」をドラマ化した「遺恨あり 明治十三年最後の仇討」(テレビ朝日系列)がいよいよ今週末の26日(土)放送される。西南戦争が終って3年、近代国家に向けて歩み始めた日本では既に仇討は禁じられていた。公式の記録としては“日本最後の仇討”事件。シノプシスを読んでみると、原作との主な違いは、主人公・臼井六郎(藤原竜也)を慕い、献身的に支える侍女なか(松下奈緒)というキャラクターを設定してあることくらいか。その他、北大路欣也、吉岡秀隆、小澤征悦など異色のキャスティングが興味をひく。


リルちゃん、初めての里帰り!

2011-02-19 20:51:54 | その他
 甥の一家が久しぶりに休みを取って東京から帰って来た。昨年7月に生まれたリルちゃんは初めてのお里帰り。居並ぶ曾祖母を始め、大叔父、大叔母たちの顔をしばらくまじまじと眺めていたが、ちょっと怖気づいたかリルちゃん、やがて号泣。みんなリルちゃんを抱っこしたいとチャレンジするのだが、誰が抱いても泣き止まない。結局、お母さんの胸に戻るとピタリと泣き止んだ。母の力、恐るべし。初孫にデレデレのわが弟の顔を見ていると、自分もみわが生まれた時はあゝだったんだろうな、いや今でもそうかな。次に帰って来る時はまた随分と成長していることだろう。

ドラマ「四十九日のレシピ」 ~1回目を観て~

2011-02-18 16:41:41 | テレビ
 まだ1回目が放送されたばかりで、あゝだ、こうだ論評するのは拙速かもしれない。しかし、原作を読んだ時の感動があまり感じられないので、その原因を考えてみた。このドラマの要諦は、死んだ妻が、残された夫や娘のために「生きるための処方箋」を書き残していた、という話だ。しかし、それだけでは普通の話で、それほどの感動はない。この原作の優れたところは、それを伝え、確かに実行させるためのアバターを登場させるという設定にある。つまり、このドラマの本当の主役は、夫でも娘でもなく、死んだ乙美であり、そのアバターであるイモトだと思う。妻に先立たれて自堕落になった夫とか、亭主の不倫に悩んで離婚を考えている娘の話は、よくあるメロドラマで、それだけではたいして面白いドラマではない。2回目以降、乙美がイモトを通じて、二人にどう働きかけ、どんなサプライズを起こしていくのか、それを映像化する脚本と演出の手腕に注目したい。

無残に切り倒されたソメイヨシノの標本木!

2011-02-17 18:51:51 | 熊本
 今月初め、京町測候所として親しまれてきた熊本地方気象台が、熊本駅南側に新しく出来た合同庁舎に引っ越して行った。後には無人化された観測機器が残されると聞いていた。それから約2週間経った今日、いきなり敷地内の木々の伐採が始った。たまたま通りがかって眺めながら、まさか桜開花の標本木となっていたソメイヨシノは切らないだろうと思っていた。ところがである。夕方、前を通った母が、桜の木も何もかも全部切っているというではないか。驚いて駆けつけてみると、ちょうどソメイヨシノが無残にも伐採されているところだった。
 気象庁の資産だろうから、われわれ市民が口を出すべき問題ではないかもしれない。また、跡地利用をどう考えているのかも知らない。しかし、京町に測候所ができて109年、その象徴として親しみを感じていたソメイヨシノが、こうもあっさり切り倒されることがどうしても釈然としない。気象庁の責任者の釈明を聴きたいものだ。

おいでませ!山口国体2011 ~山口国体1963の想い出~

2011-02-16 19:31:36 | 水球
 今年10月には山口県で二回目の国民体育大会が行なわれる。山口県での国体は僕にとって二つの意味で特別な大会。一つ目は48年前の一回目の山口国体は、僕が高校時代に参加した最後の公式試合であり想い出深い大会。そして二つ目は、かつて住んでいたこともある懐かしい土地での大会。山口市と山口県立大嶺高等学校のサイトから写真をお借りして当時の様子を振り返ってみた。僕が参加した水球競技は美祢市で行なわれ、大嶺高校のプールが試合会場となったが、この各写真とほとんど同じような光景が僕の記憶の中にも残っている。それにしても記憶の中の光景は色褪せていないが、こうして写真で見ると、なんとレトロなというか、ノスタルジックな雰囲気には驚いた。今年の秋にはなんとしても見に行きたいものだ。
山口市国体実行委員会のサイト
大嶺高校のサイト


僕らも美祢市民の皆さんから大歓迎を受けた。


まだこんな風情のある街並みが残っていた。


街中はお祭の雰囲気だった。


僕らも市民と交流した記憶がある。ちょっぴりスターになった気分。


小さな町での初めてのビッグイベント。


僕らは旅館に泊まったが、民泊も行なわれたんだなぁ!


試合会場となった大嶺高校のプール。父が見に来た最初で最後の大会。


唯一残っている僕の写真。宿舎の旅館の裏庭で。

新たな観光スポットの開発!

2011-02-15 23:31:18 | 熊本
 今日は天気も良かったので午後から熊本駅周辺の出来上がり具合でも見てみようと歩いて出かけた。熊本城内から藤崎台球場の裏へ廻り、久しぶりに大クスノキ群を見た。樹齢千年を超えるという巨大なクスノキが群生している様はいつ見ても凄い。さすがに大正時代に既に国の天然記念物になっているだけのことはある。しかもここは西南戦争の激戦地。激動の歴史を生き抜いてきた巨木に触れると、そのパワーが伝わって来るような気がする。そうだ!ここはパワースポットと言えるのじゃないだろうか。
 段山から高麗門の方を通ってみた。高麗門の跡の碑が建っているが、ここはそれほど交通量も多くない。清正公が慶長3年(1598)に建てた高麗門を復元できたら、良い観光スポットになるのになぁなどと思いながら通り過ぎる。
 古町に入って細工町の白梅天満宮を覗いてみる。人が一人やっと通れそうな、狭い路地というか、町家の中の通し土間なのかわからないが、その奥に小さな天満宮がある。知らなければ気付かずに通り過ぎそうだ。看板に大宰府天満宮とのゆかりや女人禁制などと書いてあった。
 熊本には、まだまだあまり知られてない観光スポットがありそうだ。


藤崎台の大クスノキ


新町の西の入口だった高麗門跡


町家の奥にある白梅天満宮

グラミー賞!日本人4人受賞!

2011-02-14 13:16:38 | 音楽芸能
 今年のグラミー賞は日本人の受賞ラッシュでちょっと驚いた。「B'z」のギタリスト松本孝弘さんが最優秀ポップ器楽アルバム賞、ピアニストの内田光子さんが最優秀器楽ソリスト演奏賞、琴演奏家の松山夕貴子さんが最優秀ニューエージアルバム賞、ジャズピアニストの上原ひろみさんが最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞。世界の音楽界では最も権威がある賞だと言われているが、映画のアカデミー賞と同じく、あくまでもアメリカの国内業界が選ぶ賞。これまで非アメリカ人にとってはハードルが高い賞だと言われてきた。今回の4人同時受賞は喜ばしい限りだが、来年以降も後に続く人たちが出てくるのかどうか大いに注目される。


1992年のグラミー賞最優秀レコード賞に輝いた「Unforgettable」
ナタリー・コール With ナット・キング・コール