徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

年末のご挨拶

2012-12-31 15:33:13 | 音楽芸能
本年も多くの皆様方に当ブログをご訪問いただき心より御礼申し上げます
来年も相変わらぬご愛顧を賜りますようよろしくお願い申し上げます

今年の最後は祝儀曲で締めさせていただきます
皆様どうかよいお年をお迎えください!


2012年5月26日 熊本城本丸御殿 「春の宴 千秋楽」
演目:千秋楽口上および祝儀曲「松」
作詞・作曲:本條秀太郎/作詞:堅田喜三久
振付:中村花誠
立方:少女舞踊団ザ・わらべ
地方:中村花誠と花と誠の会/本條秀美と秀美社中/藤本喜代則/中山康子

Another Part Of Me

2012-12-30 19:02:31 | 音楽芸能
 金曜日の深夜、NHK総合で「マイケル・ジャクソン BADのすべて」というドキュメンタリーを放送していた。アルバム「BAD」を制作した時のバックステージを関係者が次々と証言していた。たしか1988年頃だったと思うが、僕はまだ東京で働いていて、毎日の電車通勤には必ずウォークマンで音楽を聞くのが楽しみだった。MJのアルバム「BAD」もその中の一つで、中でもこの「Another Part Of Me」が一番好きだった。それはアルバムが発売される前から東京ディズニーランドの3D映画「キャプテンEO」でこの曲を知っていたからでもある。まだウォークマンもカセットの時代で、今でもどこかにカセットを持っているはずだが残念ながらそれを再生できるプレーヤーがない。そんなことを考えながら久しぶりに「Another Part Of Me」を堪能した。


大河ドラマ「元禄繚乱 総集編」を一気に見る

2012-12-29 20:53:25 | テレビ
 今日の午後はBSプレミアムで放送された中村勘三郎さん主演の「元禄繚乱 総集編(全4回)」を一気に見た。4時間があっという間だった。平成11年(1999)の大河ドラマだが、「忠臣蔵」ものを題材にする大河ドラマはこれが4回目だそうだ。それだけ国民的人気がある題材ということなのだろう。よく知っている話なのにやっぱり感動するのはまさに「歌舞伎的」だ。僕はこの「元禄繚乱」は本放送の時はほとんど見ていないので違った意味でとても新鮮だった。勘三郎さんの演技を見ていると、表現は適当ではないかもしれないが、どんな場面でも安心して見ていられるという、まさに稀代の名優であることがあらためてよくわかる。13年前の作品なのでブレイク前の今日のトップスターたちがズラリと顔をそろえているところも見ごたえがあった。
 個人的には大石内蔵助が京の遊郭で放蕩三昧をするシーンで、本條秀美さんが芸妓として出演されているシーンを見つけられたのは嬉しかった。


右から二人目が本條秀美さん

金春流 能舞台 & 玉名女子高吹奏楽部コンサート

2012-12-28 20:02:58 | 音楽芸能
 年明け早々1月14日は、熊本県立劇場で行われる「金春流若楠会 鑑賞能」と「玉名女子高吹奏楽部ニューイヤー・コンサート」を両方とも観に行くことにした。玉名女子高コンサートの方が2時間遅れで開演するが、どうしても1時間半ほど重なることになる。能はおそらく最後の演目がお目当ての「田村」だろうから、これを見逃すわけにはいかず、玉名女子高コンサートの前半は残念だけれどあきらめざるをえない。
 わが父の想い出の能「田村」は父になり代わってしっかり観ておきたいと思う。そのためには少し予習もしておかなくてはと、能の専門サイト「the能.com」で勉強しているところだ。


▼「田村」あらすじ
 東国の僧が都に上り、春のある日、清水寺を訪れました。そこで箒を持った少年と出会い、聞けば、地主権現に仕える者であると応えます。清水寺の来歴を尋ねる僧に、少年は、坂上田村麿[田村丸]が建立した謂れを語りました。また問われるまま、少年が近隣の名所を挙げるうちに日は暮れ、やがて月が花に照り映える春の宵を迎えます。少年と僧は「春宵一刻値千金」の詩文を共に口ずさみ、清水寺の桜を楽しみます。少年は折からの景色を讃えながら舞いを添え、田村麿ゆかりの田村堂という建物に入っていきました。
 残された僧の前に清水寺門前の者が現れて、清水寺の縁起を語り、少年は田村麿の化身だろうと述べ、回向を勧めます。夜半、僧が法華経を読誦していると、武者姿の田村麿の霊が現れます。田村麿はかつて、鈴鹿山の朝敵を討ち、国土を安全にせよ、との宣旨を受けて、軍勢を率いて観音に参り、願をかけたことを語ります。その後、見事に賊を討ち果たした有様を見せて、これも観音の仏力によるものだと述べて、物語を終えます。
the能.comより)



▼玉名女子高吹奏楽部ニューイヤー・コンサート

ラフカディオ・ハーンとジャズと民謡

2012-12-27 18:57:57 | 文芸

 僕は立田山の泰勝寺跡を訪れる時、ついでに小峰墓地の「鼻欠け地蔵」によくお参りしに行く。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「石仏」に出てくるあの仏さまだ。そしていつも想うのは、ハーンがここに立って眺めた周囲の景色のことだ。彼の視界には、泰勝寺の山門にほど近い僕の父の生家が入っていたに違いない。もちろん今はその家もなく、視界をさえぎるものも多いのだが。
 その「石仏」にも書かれているようにハーンはその作品の中に日本の文化を表現し、紹介しているわけだが、異文化に対する興味は日本に来る前から強かったらしく、アメリカの新聞記者時代も、ニューオリンズ付近の民謡や習俗の採集を行ないメディアで発表していたという。今日のジャズのもととなったクレオールの民俗音楽も採集して発表している。ハーンとジャズ、ちょっと興味深い取り合わせだ。
 下の「銚子大漁節」は日本においても民俗音楽を熱心に研究し、採集した中の一つで「漁師の数え歌」としてわざわざ英訳までして発表している。

一つとせ 一番づつに積み込んで 川口押し込む大矢声 浜ァ 大漁だね
二つとせ 二葉の沖から外川まで 続いて寄せ来る大鰯 浜ァ 大漁だね
三つとせ みな一同にまねをあげ 通わせ船のにぎやかさ 浜ァ 大漁だね
四つとせ 夜昼焚いても焚きあまる 三ばい一ちょのおお鰯 浜ァ 大漁だね
五つとせ いつ来てみても干鰯場は あき間もすき間も更にない 浜ァ 大漁だね
(以下省略)

Firstly,
  The first ship,filled up with fish,
  squeezes her way through the river-mouth,with great shouting.
  O this ship of great fishing!

Secondly,
  From he offing of Futaba even to the Togawa,
  the ships,fast following,press in,with a great shouting.
  O this ship of great fishing! 

Thirdly,
  when,all together,we hoist our signal-flags,
  ee how fast the cargo-boats come hurrying !
  O this ship of great fishing!

Fourthly,
  Night and day through the boiling be,there is still too much to boil-oh,
  the heaps iwasi from the three ships together.
  O this ship of great fishing!

Fifthly,
  whenever you go to look at the place where the dried fish are kept,
  never do you find any room-not even a crevice.
  O this ship of great fishing!



こころにしみる歌声 臼澤みさき

2012-12-26 17:47:01 | 音楽芸能
 今朝は寒かったが心地よい目覚めだった。というのはいつものように目覚めとともにテレビをつけると「NHKニュース おはよう日本」をやっていて、ちょうど一人の女の子が歌を歌い始めたところだった。初めて聴く曲だったが、妙にこころにしみるようなメロディと歌声なのだ。それが下の臼澤みさきさんという中学生が歌う「故郷 ~Blue Sky Homeland~」という歌であることが後でわかったのだが、そう言えば東日本大震災の被災地の避難所を慰問してまわる民謡の女の子がいるというニュースをどこかで見たことがあるが、あれがこの子だったのかとひとり合点。臼澤みさきさんは津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町の中学校に通う14歳で、今年7月歌手デビューしたという。「復興の歌姫」などという形容詞がついているようだが、ぜひ本職の民謡でも活躍して、かつての金沢明子さんのような歌手になることを期待したい。

※写真をクリックすると動画が別ウィンドウに再生されます。

臼澤みさき/故郷 ~Blue Sky Homeland~

熊本民謡「おてもやん」の生みの親

2012-12-25 20:14:24 | 音楽芸能
 昨夜、げんぞーさんが熊本民謡おてもやんの生みの親である永田イネさんの誕生日の宴を開くというご案内をFacebookに載せておられたが、都合が悪くて参加できなかったのは残念だった。
 ところで、今日では「おてもやん生みの親=永田イネ説」が熊本でも定説となったが、実はそうなったのは意外と新しいことなのである。僕らが子供の頃も「おてもやん」は最も親しまれた熊本民謡だったが、生みの親の実名を聞いたことはない。昭和57年(1982)というから僕が既に30代の半ばになっていた頃、発行された「熊本県大百科事典」を見ても「おてもやん」の項目の説明に「永田イネ」の名前は出てこない。記述者の小川芳宏さん(現熊日相談役・熊本さわぎ等の作詞家)は「唄が完成したのは幕末の頃というのが一応の定説となっている。」と説明している。つまり慶応元年(1865)生まれの永田イネさんではありえないということになる。いつ頃から「永田イネ説」が出てきて定説となって行ったのかはわからないが、それまではいろんな説があったらしい。わが尊敬する荒木精之先生などは「勤皇党の忍び唄ではないか」という、ちょっとうがち過ぎとも思える説まであるくらいだ。
 しかし、この唄の歌詞をよく読んでいくと舞台は古町と春日村の一帯であり、そこで生まれ育ち、そして暮らした永田イネだからこそ、この歌詞になったのではないかと思われる。特に僕が注目するのは「川端町つぁんきゃあめぐろ」のくだりと「くまんどんの夜聴聞詣り」のくだりの二箇所だ。「きゃあめぐろ」というのはどこか(多分、普賢寺)へ行くときに回り道をしようという意味だと思うので地元の人間しかこんな歌詞は作らないだろう。もうひとつは「くまんどん」という言い方だ。おそらく当時は城下町の古町と、外れの飽田郡春日村との間には厳然とした区別があったものと思われる。つまり「くまもと」と呼ぶのはまだ城下町に限られていたのではないだろうか。実は僕の祖母(明治16年生)がそんなことを言っていたような憶えがある。いかにも春日村に住む人たちが多少の揶揄を込めて言いそうな気がするのである。いずれにせよ、今後「永田イネ説」が覆ることはないだろう。


マイブログ2012 ベスト10(パート4)

2012-12-24 20:01:34 | その他
華やかに「秋夜の宴スペシャル」!(10月13日)
 さて、最後の一つはやっぱり年間80本もの記事をアップしたイチオシ“わらべ”ネタから。写真はいずれもクリックしてラージサイズへ。

 “わらべ”の踊りを見始めて3年が過ぎた。初めて見たのは2009年10月のイベント「みずあかり」の時だった。“わらべ”はNTT桜町ビル前の特設ステージで踊っていた。「俵はごろごろ」のメロディと太鼓の音に魅かれて幾重にも取り囲んだ人垣のすき間から垣間見た。そこには可愛らしい女の子たちが、まるでおとぎ話のような世界を繰り広げていた。その日からすっかり“わらべ”の踊りと演奏される邦楽の世界のとりこになってしまった。それから3年、“わらべ”はすっかり成長し、今や大人の女性の色香を感じさせるようになった。おかげで僕も日本舞踊や邦楽のことがだいぶわかるようになった。もし“わらべ”に出逢わなかったらそんなことなど一生知らずに終っただろう。












マイブログ2012 ベスト10(パート3)

2012-12-23 11:30:02 | その他
今日は「パート3」として5月から11月の中から3本を選んだ。写真はいずれもクリックしてラージサイズへ。

友との別れ・・・(5月14日)
 同級生が行くのはつらい。四十九日の法要に参列しながら、高校時代の想い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。彼は年齢は一つ上だった。だから同級生ではあるけれど、僕は兄貴のような気がして信頼していた。彼のやさしい笑顔が大好きだった。また彼はチームのキャプテンとして僕らを引っ張ってくれた。インターハイの優勝まであと一歩というところまで行きながら、彼を優勝チームのキャプテンにしてあげられなかったことを、チームの一員として今さらながら悔いた。


昭和38年(1963)の済々黌水球チーム


寺川綾&入江陵介&鈴木聡美 ~ 価値ある銅メダル三連発! ~(7月31日)
 今年の最大のスポーツイベントはロンドン・オリンピック。日本選手団はみんなよく頑張った。なかでも、水泳出身者としての贔屓目ではなく日本の水泳チームはよく頑張ったと思う。ピークを過ぎたエース北島の穴埋めをする選手が次々と現れた。金メダルこそ獲れなかったが、11個のメダル(銀3、銅8)を獲得した。僕は金メダルを2、3個獲ってあと入賞者なしよりもよっぽど価値があると思う。いつの大会もメダルを狙える選手が大勢いるような水泳ニッポンであり続けてほしい。


銅メダルを獲得した日本女子400メドレーチーム


山鹿温泉「さくら湯」の復活!(11月14日)
 かつて山鹿温泉のシンボルだった「さくら湯」が38年ぶりに再建された。と言っても昔の「さくら湯」に入ったことはない。40数年前、山鹿に初めて行った時には「さくら湯」は老朽化して廃れていた。そういえばその頃は「八千代座」も廃れていて、話題にもしなかった憶えがある。その頃の寂れた山鹿の街の風景を想い出すと、今日の復興ぶりには目を見張るものがある。あらためて市民の皆さんの復興への強い想いと地道な努力の積み重ねに敬意を表したい。


マイブログ2012 ベスト10(パート2)

2012-12-22 15:14:50 | 歴史
 今日は「パート2」として3月から5月の中から3本を選んだ。写真はいずれもクリックしてラージサイズへ。

朝ドラ「カーネーション」のエンディング(3月30日)
 7、8年前からずっと注目していた女優・尾野真千子。映画「ジョゼと虎と魚たち(2003年)」以来、すっかりハマってしまった脚本家・渡辺あや。この二人が初めて組んだのが2年前のドラマ「火の魚」。この組み合わせの再現を願っていたら、なんと実現してしまったのが朝ドラ「カーネーション」だった。僕にとっては夢のような企画。あっという間の半年だったが、マイベスト朝ドラとなった。


♪ 名前を小原糸子と申します。


野林祐実 新シーズンを好スタート!(4月1日)
 この日の記録会で陸上競技の2012シーズンが幕を開けた。今年も女子短距離の野林祐実(九州学院)に注目。怪我に悩まされた昨シーズンとはうって変わって今シーズンの活躍を期待させる快走を見せた。その期待どおり今年のインターハイでは100m、200mの二冠を獲り、秋の国体では100mの自己最高11秒70をマークした。3年生となる来年はさらにワンステップアップして高校時代の集大成のシーズンにしてほしいと願っている。


熊本選手権(4/14)の100m表彰。左から開かおり(熊大)、野林祐実(九州学院)、北川愛菜(熊大附中)


笠智衆さんの生誕寺をたずねて(5月9日)
 前々から一度訪問したいと願っていた名優・笠智衆さんの生家である玉名市天水町の来照寺。偶然、ブログを通じて知り合ったSさんのご親戚であることがわかり、Sさんのお手配で訪問が実現した。笠さんと同じ玉名出身の母も同行したが、坊守さんの心温まるおもてなしに感動。また生前の笠さんの人間味あふれるエピソードを聞かせていただき、とても楽しく有意義な一日となった。


笠さんが旧制玉名中学までを過ごした来照寺

マイブログ2012 ベスト10(パート1)

2012-12-21 17:49:54 | その他
 今年も総括の時期がやって来た。例年どおり今年このブログに掲載した記事(昨日現在で366本)の中から、特に心に残っているものを10本選んでみたい。今日はまず1月から3月までの中から3本。

長岡家のおぼっちゃま(1月31日)
 この日、久しぶりに立田山の泰勝寺跡を訪れた。だいたい年に10回ほど訪れているが、この日初めて細川家の茶室・仰松軒の内部を間近で観ることができた。たまたま園内の清掃をやっていたおじさんが簀戸を開けてくれ、中で観ることを勧めてくれたおかげだ。本当にラッキーな一日だった。泰勝寺跡に来ると必ず、幼い頃の父の姿を想像する。その父が書き残した幼い頃の想い出をまとめてみた。

▼細川家の茶室・仰松軒(クリックすると大きなサイズを別ウィンドウに表示します)


平成の布袋先生逝く!(3月7日)
 母のかかりつけ医でもあり、玉名の同郷で同級の河野龍巳先生が3月3日に旅立たれた。享年90歳だった。患者からは“平成の布袋先生”と慕われていた。わが家は家族ぐるみで懇意にしていただいた。多芸多才だった先生が晩年、特に熱心に取り組まれたのが歌づくり。なかでも「西南の役」の激戦場となった「田原坂」を題材とした歌を作ることが念願だった。その念願かなってCDが完成した時の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。



今日は一日 熊本さわぎ! ~城下町くまもと時代絵巻~(3月31日)
 熊本は前夜の大雨が嘘のように晴れ上がり、昨年、東日本大震災で中止された「城下町くまもと時代絵巻」が行なわれた。俳優の藤岡弘さん扮する加藤清正公に率いられた甲冑武者隊を始めとする時代行列や、メインステージの熊本城二の丸広場での様々な演目が華やかに繰り広げられた。桜の花も満開で熊本城周辺は終日、エンタテイメントパークの様相を呈した。

▼時代行列(クリックすると大きなサイズを別ウィンドウに表示します)

正月三が日の熊本城は!

2012-12-20 20:46:42 | 熊本
 毎年恒例の「冬のくまもとお城まつり」が正月三が日、熊本城一帯で行われます。今回もプログラムは盛りだくさん!初詣かたがたぜひ足をお運びください。

1月1日(火・祝)
■早朝無料開園
  【時 間】午前6時~
  【場 所】頬当御門
■かわらけ配布
  【時 間】午前6時10分~
  【場 所】数奇屋丸前
■新春祝獅子舞
  【時 間】午前6時20分~
  【場 所】天守閣前広場
  【出演者】新町獅子保存会
■天守閣登閣
  【時 間】午前6時30分~
  【場 所】天守閣前広場
■新春太鼓
  【時 間】午前6時30分~、午前7時20分~
  【場 所】天守閣前広場
  【出演者】代継太鼓保存会
■おもてなし武将隊新春演舞とグッズ配布
  【時 間】午前10時00分~、午後1時00分~(計2回)
  【場 所】天守閣前広場
   ※グッズは、演舞後各500個
■新春筝のしらべ
  【時 間】午前11時00分~、午後1時00分~
  【場 所】本丸御殿
  【出 演】箏演奏 藤川いずみ ゲスト 早川みゆき(フルート)

1月2日(水)
■新春の邦楽
  【時 間】午前11時00分~、午後1時00分~
  【場 所】本丸御殿
  【出 演】中村花誠、今藤珠美、下田れい子、向山里水、向山人水、本條秀美、高濱流光華々、ザ・わらべ
  【料 金】熊本城入園料が必要
   ※入場者数制限あり

1月3日(木)
■新春熊本城本丸御殿“能”~第13回初謡in熊本城~
  【時 間】午後1時~
  【場 所】本丸御殿
  【出 演】金春流
  【内 容】連吟「鶴亀」
       仕舞「嵐山」、「弓八幡」、「羽衣」
       附祝言
  【料 金】熊本城入園料が必要
   ※入場者数制限あり


「肥後の俵積出し唄」と「サイコドン節」

2012-12-19 18:43:51 | 音楽芸能
 明治19年(1886)に流行したと言われる「サイコドン節」。「サイコドンドン節」と表記する場合もあるが、この唄は熊本民謡「肥後の俵積出し唄」と同一のものである。「俵積出し唄」に歌われているのは江戸時代に見られた風景であると伝えられているので「俵積出し唄」の方が先にあったのかなと考えられるが、「サイコドン節」も流行するずっと前から俗謡として存在していた可能性もあるので何とも言えない。しかし、どちらが先かなどという議論はあまり意味がない。それぞれがずっと歌い継がれていくことが重要だ。
 それにしても、聴き比べてみると、元は同じ唄がこうも違う味わいになるのかというところが実に面白い。「俵積出し唄」が潮の香りが漂ってきそうな素朴な趣きなのに対し、この「サイコドンドン節」はいかにも端唄らしい粋な音色になっている。 


♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 御倉の米を
  黒船帆まえで 沖で積む
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 

♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 氏神さんは
  積み出す お米の守り神 
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 
   
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 娘がほしや
  俵積み出す 若い衆が
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン


♪ 恋の痴話文なぁ 鼠に引かれ 猫を頼んで取りに遣る
  ずいとこきゃ言わいでも構うことねぇ
    サイコドン サイコドン サイコドンドン ササ サイコドンドン

♪ 羅生門よりなぁ 晦日が怖い 鬼が金札取りに来る
  ずいとこきゃ言わいでも構うことねぇ
    サイコドン サイコドン サイコドンドン ササ サイコドンドン

♪ すねておこらせなぁ わしゃ気がもめる こいつはすねなきゃよかったね
  ずいとこきゃ言わいでも構うことねぇ
    サイコドン サイコドン サイコドンドン ササ サイコドンドン

民謡ポンポコニャの謎

2012-12-18 20:51:09 | 音楽芸能
 熊本民謡「ポンポコニャ」についてはこれまでも何度かこのブログのネタにさせてもらったが、今日よく唄われている歌詞以外にも多くの伝承があり、民俗学の観点からも興味は尽きない。この唄についての研究としては一昨年に他界された郷土史家・鈴木喬氏が「市史研究くまもと(1994年3月号)」に発表した研究論文「熊本民謡『ポンポコニャー』と熊本名所地名考」を超えるものはおそらくないだろう。歌詞に歌い込まれた地名や固有名詞などから微に入り細を穿ってこの唄の発生時期を考証している。この論文の中に熊本出身の醸造学の権威・住江金之(すみのえきんし)が「日本談義(1951年2月号)」に寄稿した「肥後古民謡」に関する小文が紹介されている。これが気になったので僕も図書館でその現物を読んでみた。それによれば、住江が大叔母から聞いたという「ポンポコニャ」は歌詞に欠落した部分があるというものの随分趣きが異なるのである。

♪長崎に オランダペレトン始まりて 台場/\にゃ大きな石火矢 ポンポコニャ
  オーサ ポンポコポンポコニャ
♪おさんどうんが さつまのお芋をたんとたべ 大きなおならを ポンポコニャ
  オーサ ポンポコポンポコニャ

 ここに出てくる「ペレトン」、「台場」、「石火矢」などの言葉から、住江本人は黒船が来た頃の唄と推察しているが、それは大叔母の生きた時代からみて、長崎周辺に外国船が出没することに危機を感じた幕府が嘉永2年(1849)に海防強化令を出したことに関連するものとして、住江説は間違いないだろうと鈴木もこれに同意している。
 ちなみに「ペレトン」は「ペレット(pellet)」のことだろうと鈴木は推測している。「ペレトン=pellet on」か。また「台場」は砲台や要塞のこと。「石火矢」は大砲のことである。
 鈴木のこの研究の主目的は「ポンポコニャ」が江戸時代に生まれたものかどうかを考証することである。従って、もともとこの唄がどこで誰が歌い始めたのかについては追究していない。そこで僕はそれが知りたくなり、今、いろんな文献等を漁って調べているところだ。また、歌詞についても上の紹介歌詞に「長崎」や「薩摩」が出てくるように、もともと今の熊本名所めぐりのような歌詞ではなく、九州全域を歌い込んだものではなかったのかという気もする。僕は二つの仮説を立てている。いずれにしてもこの唄の発生はお座敷唄としてであろうと考えているが、一つは長崎の「九連環」系。そしてもう一つは江戸もしくは京の「端唄」系である。はたしてこれを立証できるだろうか。(続く)


中村勘三郎さんの大河ドラマ「元禄繚乱」再放送!

2012-12-17 15:23:45 | テレビ
 12月5日に亡くなった十八代目中村勘三郎さんが、まだ勘九郎を名乗っていた平成11年(1999)に主演したNHKの大河ドラマ「元禄繚乱」がBSプレミアムで再放送される。

▼「元禄繚乱 総集編」(全4回)
 2012年12月29日(土)午後2時から一挙4本放送

 勘三郎さんを偲んで先日放送された歌舞伎「髪結新三」と「春興鏡獅子」や映画「やじきた道中てれすこ」なども観たが、テレビドラマの代表作はこの「元禄繚乱」。放送された当時、僕は仕事の関係でこのドラマはほとんど見ていない。それだけに、総集編とはいえ一挙放送は楽しみだ。