徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ラストデイ・・・ 県民百貨店

2015-02-28 16:30:06 | 熊本
 県民百貨店の最終日を見届けたくて出かけた。
 思えば長男が生まれた1973年10月、その同じ月に岩田屋伊勢丹として開店しただけに特別な感慨が湧いてくる。長男が幼かった頃は家内と三人連れでよく出かけたものだ。7階食堂で食事をする時はいつも、長男は海老ドリア。大好物だった。40年も前のことだ。
 買物客でごった返す店内を歩きながらどうしても寂しさだけが募った。


ビルに向かって思わず「ごくろうさん!」と声をかける。


今日はあちこちで記念撮影の風景を見かけた。


センタープラザのエリアは来月末までは営業するようだ。


この絶景ももう見られなくなる。

「わいふのひなまつり」やらなんやら・・・

2015-02-27 17:41:56 | イベント
 2月もあっというまにあと1日。日曜日にはもう高校の卒業式が行われる。今日は久しぶりに晴れ渡った空の下、菊池のコッコファームへたまごを買いに行き、ついでに菊池夢美術館で行われている「菊池わいふのひなまつり」を見て来た。帰りに打越町の熊本電鉄の踏切を渡ったら、明日の「青ガエル」のラストランに向けてか、撮りテツたちがポジション取りをしていた。

※クリックして拡大できます







般若心経三題

2015-02-26 18:13:57 | 文芸
◆山頭火と般若心経
 熊本の報恩寺で出家得度した山頭火は、曹洞宗の雲水として行乞の旅を続けたわけだが、朝に夕に誦経したであろう般若心経が、精神的に山頭火を支えていたのかもしれない。1989年のNHKドラマ「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」では、山頭火の遺骨を前にして、妻咲野さんのこんなセリフがある。

咲野「残された句を、読んでみますと、なんと淋しい句が多いのでしょう。泣きながら、旅をしております。あたたかい団欒を、人一倍欲しがっておるのに、不器用でそれをつくれなかったお人の涙が、このたくさんの句だと思います。結局は帰ってまいりませんでしたが、ずっと待っておってよかったとわたしは思うております。かわいそうなお人でした」

 行乞記(二)には、昭和7年1月20日、唐津市街を行乞した時の日記に
山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
という句が記されている。

◆海達公子と般若心経
 先日98歳で他界された岩本澄さんが著された「天才少女詩人 海達公子と女学生時代を共にして」には、公子の永遠の恋人ともいうべき教師石塚菊二郎との出逢いと別れが記されている。公子が石塚に魅かれる大きなきっかけとなったのが石塚による般若心経の講義。公子の家は熱心な天理教の信者だったが、石塚の講義を受けるうちに疑問を抱くようになり、一人で悩み苦しむ。さらに進学問題では親が勧める天理大に対し、公子と石塚は奈良女高師を目指して個人授業による受験対策を始める。石塚との将来に淡い夢を抱き始めた矢先、突然、石塚に熊本の女性との縁談が持ち上がり、石塚は結婚してしまう。哀しい恋物語だ。

◆3.11と般若心経
 先日の「邦楽新鋭展Vol.4」で、僕が最も心に残ったのは、平成18年の「第12回くまもと全国邦楽コンクール」最優秀賞の北原香菜子さんが演奏した「琵琶経 ~3.11後の供養曲~」。北原さんは佐賀市出身の若手の薩摩琵琶奏者。NHKの邦楽番組出演歴や海外公演歴もあり、世界遺産・平泉中尊寺でこの東日本大震災の鎮魂曲を奉納演奏したこともあるという。最近、琵琶演奏は時々見かけるようになったが、正直あまり演奏に引き込まれることはなかった。般若心経を琵琶の音に乗せて北原さんの透明感のある声で誦経されると、般若心経そのものについてはあまり知らない僕も自然と胸が熱くなり、思わず涙をこぼした。機会があればまたどこかでぜひ聴きたい。
※写真は北原香菜子さん


種田山頭火供養祭

2015-02-25 11:15:16 | 文芸
 大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。
松はみな枝垂れて南無観世音
松風に明け暮れの鐘撞いて
ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる
(草木塔より)


 毎月朔日に母と藤崎宮にお詣りをするが、すぐ近くの碩台小学校のそばを通ると、なぜか山頭火のことを思い出してしまう。1989年にNHKで放送されたドラマ「山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」で、フランキー堺さん演じる山頭火が、額縁を売りに来たのにどうしても校門をくぐれないのがこの碩台小学校だ。実際にそうだったらしく、下通に開いた「雅楽多」という店も妻咲野に任せるのみで自分は専ら酒ばかりをあおる毎日だったようだ。泥酔しては無銭飲食で友人知人に迷惑を掛けたり、ついには市電に立ちはだかるという事件をおこし、報恩寺の望月義庵禅師のもとに預けられ、出家得度することとなる。そしてやってきたのがこの植木にある味取観音堂だったのである。






坂東三津五郎と越後獅子

2015-02-23 16:18:19 | 音楽芸能
 昨日、「邦楽新鋭展」での素晴らしい演奏を聞きながら、家を出掛ける直前に聞いた坂東三津五郎さんの訃報が頭の片隅に引っかかっていた。昨日の演目の中には地歌三絃曲「越後獅子」や同じく地歌「晒(さらし)」をもとにした「さらし幻想」などが演奏されたが、これらの地歌はいずれも歌舞伎舞踊「越後獅子」のもとになったといわれている。聞きながらふと、「越後獅子」は坂東三津五郎といわく因縁のある演目であることを何かで読んだ記憶があることを思い出した。
 帰ってからネットで調べてみた。こういうことらしい。江戸時代後期の文化文政時代、三世坂東三津五郎の七変化舞踊が市村座で大当りをとっていた。おかげで客足が落ちた中村座は、その対抗策として三世中村歌右衛門が急遽、地歌の「越後獅子」「晒(さらし)」や民謡などをもとに江戸市中を歩く角兵衛獅子の姿を描いた「越後獅子」を含む七変化舞踊を創作、大当たりをとった。つまり、三世坂東三津五郎の人気が宿敵の三世中村歌右衛門に火をつけ、「越後獅子」が生まれたというわけだ。
 その後は代々の坂東三津五郎も「越後獅子」を演じ、得意な演目の一つとなったという。昨夜はそんなエピソードを思い出しながら、先日の「第50回熊本県邦楽協会演奏会」における「越後獅子」を見直し、十世坂東三津五郎さんの在りし日の姿を偲んだ。合掌

※晒(さらし)
  染物に用いる布を川に晒すこと。これを模した角兵衛獅子の芸が歌舞伎舞踊などにも取り入れられた。


「第50回熊本県邦楽協会演奏会」における全出演者による合同演奏「越後獅子」

超絶技巧の数々 ~ 邦楽新鋭展Vol.4 ~

2015-02-22 20:08:15 | 音楽芸能
 熊本市鍛冶屋町に生まれた、地歌三絃の伝説の名人長谷幸輝大検校を記念して、平成5年から始まった「くまもと全国邦楽コンクール」は、今年第21回目が開かれる。僕は平成23年の第17回から見始めたが、毎年、出場者のレベルの高さに驚かされる。
 これまで5年毎に、毎年の最優秀賞受賞者を集めて東京で「邦楽新鋭展」が開催されてきたが、今回初めて熊本で「邦楽新鋭展Vol.4」として開催された。
 コンクールの時は毎年、観客が少ないのが不満なのだが、今日はさすがに会場の森都心プラザホールはほぼ満員。毎年の最優秀賞受賞者たちがユニットを組んでの演奏は予想をはるかに超えるハイレベルの演奏が続き、3時間のプログラムがあっという間に過ぎた。
※写真はいずれもクリックして拡大できます


期待の熊本の若手演奏家たちによる「初鶯」
左から渡部祐子、小路永和奈、谷富愛美、釼光嗣朗の皆さん


お母様の小路永こずえさんとともに舞踊団花童の舞台にも地方を務めていただく小路永和奈さん


尺八演奏のイメージを覆す「五人の尺八奏者のための『陰陽句』」
左から石垣征山、松本宏平、田辺頌山、岩田卓也、川村葵山の皆さん


「五節の舞」
僕が初めて見た第17回で最優秀賞を受賞し、僕が邦楽にハマるキッカケとなった佐藤亜美さん


「さらし幻想曲」
左から第19回最優秀・前川智世、第18回最優秀・中彩香能、第16回最優秀・石垣征山の皆さん


「琵琶経 ~3.11後の供養曲~」
第12回最優秀・北原香菜子さん


「御山獅子」
人間国宝・米山文子さん

世界人

2015-02-21 20:34:45 | 音楽芸能
 目下の要チェック番組の一つ

 ミニ番組「世界人」 BS-TBS
    毎週土曜日 20:54~21:00

 この番組で、昨年10月に熊本城本丸御殿で行われた「熊本城薪能」において「枕慈童」のシテ方を演じた喜多流初の女性能楽師・大島衣恵さんが取り上げられた。その映像が最近YouTubeにアップされたので紹介したい。


今日は何の日? お江戸初の歌舞伎公演

2015-02-20 18:10:39 | 歴史
 ザ・わらべの動画を紹介していただいている「江戸東京下町文化研究会」さんのサイトのトップページに、「2月20日は慶長12年(1607)出雲の阿国が江戸城本丸・西の丸で歌舞伎踊りを演じた日」であると書かれていた。江戸時代だから旧暦の日付ではあるが、「へぇ、そうなのか」と思いながら文献で確認してみる。
 江戸時代前期に書かれた「当代記」に下記のような記述があった。書かれた時代が出雲阿国の時代とそう変わらないので信頼に足る記述だと思われる。また、これもほぼ同じ時代に作られたといわれる「歌舞伎草紙」には、絵図などとともに阿国歌舞伎の踊り歌が記載されている。
 江戸城での勧進歌舞伎から3年後、加藤清正に招かれた阿国歌舞伎が熊本へやって来る。太夫は「八幡の国」を名乗るが、この人物が江戸城で踊ったお国と同一人物かどうかは未だ謎である。ただ、「出雲阿国」という名前が定着するのは、ずっと時代が下ってからのことであり、日本各地を興行して巡ったお国が何と名乗っていたかはわかっていない。


▼2月13日より江戸城本丸と西の丸の間において観世流・金春流の勧進能が行われた。「御所の桟敷あり」とあるので二代将軍秀忠も見たのだろう。勧進銭のくだりで「ややこ踊りも同様」とあり、阿国歌舞伎も行われたことがわかる。



▼20日、国という歌舞伎女が江戸において踊る。先に行われた能と同じ場所で勧進歌舞伎を行なう。



▼「歌舞伎草紙」に残る阿国歌舞伎の踊り歌の歌詞(一部)






世界一スカートを愛する島 エストニア・キヒヌ島

2015-02-19 23:30:23 | テレビ
 今夜のNHK「地球イチバン」は映美くららさんが旅人となってバルト海に浮かぶ北欧エストニアのキヒヌ島を旅した。この島の女性はおそろいの赤いスカートをはくことで知られている。冬は長く厳しく、訪れる人もまばらなこの島で暮らす女性たちが幸せそうに見えるのはなぜだろう。こういう映像を見せられると、人間の幸せってなんだろう、豊かさってなんだろう、と考えさせられる。






YouTube 500本!

2015-02-18 14:35:38 | Web
 昨日、YouTube のマイチャンネルを見て投稿動画の本数がちょうど500本になっていることに気付いた。公開しているのはたしか430本くらいだから、公開していないプライベート映像と合わせた本数だ。特に感慨もないが、投稿を始めた頃は、自分が500本も投稿することになるとは思ってもみなかった。
 なんといっても僕の投稿動画の大半は「ザ・わらべ」の関連動画。「ザ・わらべ」に出逢わなければこんなに投稿することはなかっただろう。ビデオ撮影そのものは2008年頃から、ミニDVテープ式の古い型のビデオカメラで撮っていた。ただ、その頃は明確な目的意識もなく、当時の映像はほとんど残っていない。2009年10月に「ザ・わらべ」に出逢い、しばらくは見るだけだったが、彼女たちの存在を一人でも多くの人たちに知ってもらいたいと、一念発起して撮り始めたのは2010年8月8日の普賢寺で行われた「城華まつり」からである。以来、彼女たちの舞台に足を運んではせっせと撮りまくり、4年半も経てばこの程度の本数になるのは当たり前といえば当たり前。肝心の投稿した動画への反応だが、最初の頃は、日本舞踊や邦楽への関心の低さに、まぁ驚いた。多くの人たちに見ていただいていることを実感できるようになったのは最近のことだ。この間、僕の動画が彼女たちの知名度アップにはたしてどれだけ貢献できたのだろうか。
 2011年からは陸上競技の撮影にも手を染めた。もともと陸上短距離が好きで、時々競技会を見に行っていたのだが、この年、野林祐実というニュースターが登場したことがきっかけとなった。彼女が九州学院に在籍した3年間、熊本県内で行われた彼女のレースはほとんど撮影した。彼女の後を継ぐスターの登場を待ち望んでいる。

▼今日現在のStatistics
  動画本数 500本
  チャンネル登録者 950 人
  視聴回数 1,563,394 回


2010年8月8日、古桶屋町の普賢寺で行われた「城華まつり」で本格的にビデオ撮影を始める。


2012年6月2日、熊本県高校総体でインタビューを受ける野林祐実選手。陸上はマイビデオの柱の一つ。



2010年8月8日、普賢寺「城華まつり」でのザ・わらべのパフォーマンス

シンクロ混合デュエット!?

2015-02-17 20:22:08 | スポーツ一般
 昨日、テレビで久しぶりにシンクロの足立夢実選手のニュースを見た。なんでも今年7月に行なわれる水泳の世界選手権に出場するシンクロ混合デュエットの日本代表選考会で1位になり、ほぼ代表入りが確実になった。「シンクロ混合デュエット?」まずこれが耳新しい。つまり女子の競技だったシンクロに男子が登場するわけだ。数年前、映画やドラマで「ウォーターボーイズ」というのがヒットしたが、今回、男子の1位となり同じく代表の座を確実にした安部篤史選手はドラマに出演した人らしい。あのドラマのシンクロはまね事に過ぎないが、その後、本気で競技に取り組んだ人がいたわけだ。
 それはさておき、足立夢実選手のことをこのブログで取り上げたことを思い出し、調べてみたら2009年7月8日のこと。もう6年も前のことだった。「シンクロ、足立夢実選手の凄さ!」。当時から小柄ながら類まれな身体能力に期待をかけられていた。その後、世界選手権やロンドン五輪などにも出場したが、メダルには届かずじまい。今、26歳だそうだから現役生活ももうそんなに長くないだろう。もう一度この新しい種目でモチベートされて最後のチャレンジに臨んでほしいものだ。

母の誕生日

2015-02-17 00:08:10 | ファミリー
 昨日、母が満93歳の誕生日を迎え、ささやかなお祝いをした。一つの目標だった祖母の享年をクリアすることはできたが、このところ体調があまり芳しくない。かかりつけの病院へ連れて行くことが多くなり、本人もしきりに「自分はもう長くないからそのつもりで」と口にするようになった。友人知人も次々と鬼籍に入り、寂しさも募っているのだろう。家族としては後で後悔することのないよう、できるだけのケアをしていくつもりだ。暖かい季節になれば、また本人の気力も回復するかもしれない。

花道のはなし。

2015-02-16 21:21:06 | 音楽芸能


 歌舞伎の舞台には花道と呼ばれる道がある。観客席を縦に貫いて正面の舞台へ役者が出入りする道のことだ。江戸時代初期、出雲阿国によって創始されたという歌舞伎は、江戸前期にはほぼ今日と同じような舞台の形が出来あがったという。出雲阿国は能舞台と同じ形の舞台を設えて興行していたらしく、歌舞伎の花道は、能舞台の「橋掛かり」の形を変えたものという説もある。たしかに「阿国歌舞伎図屏風」を見ると地方の四拍子の左側に「橋掛かり」があり、その説もうなずける。
 一方、花道は芝居を野天でやっていた時代の名残りで、もともと役者に花や祝儀を贈るための通路であったという説もある。おそらく屋根付きの芝居小屋が普及し始めた頃、その両方の性格を併せ持った道が考案されたのかもしれない。
 いずれにせよ、花道は客席に近く、役者を間近で見ることができるし、何といっても出と入の客の視線を集めて華やかな雰囲気づくりには欠かせないものとなっている。


阿国歌舞伎図屏風(一部)