徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「八重の桜」異聞 ~ ラフカディオ・ハーンと秋月悌次郎 ~

2013-01-31 18:23:53 | 歴史
 大河ドラマ「八重の桜」に秋月悌次郎(あきづきていじろう)という会津藩士が登場する。北村有起哉(きたむらゆきや)が演じているが、この人は会津藩主・松平容保の側近として仕え、戊辰戦争では軍事奉行添役をつとめ、会津落城後は戦争責任を問われ、江戸の熊本藩邸での終身禁固刑となった。その後、特赦によって赦免されると教育者として活躍した。熊本の第五高等学校に在勤中は同僚だったラフカディオ・ハーンから「神様のような人」と称されたことで知られる。そのハーンが「東の国から」に収められた「九州の学生とともに」の中で秋月悌次郎について次のように述べている。

 「この学校の漢文の老先生で、みんなからひとしく尊敬されている人がある。この人の、若い生徒たちにおよぼしている感化というものは、これはじつに大きなものがある。この人がひとこといえば、どんな怒りも爆発でもしずめることができるし、この人がにっこり笑えば、どんなのんき坊の大器晩成先生でも、うかうかしてはいられなくなる。それはつまり、この老先生が、ひと時代まえの武士生活における剛毅、誠実、高潔の精神―――いわゆる昔の日本魂の理想を、青年層にたいして、みずから身をもって体現しているからなのである。
 秋月というこの老先生の名前は、郷党仲間のあいだでも、そうとうひろく知れわたっている。この人の小影を入れた、人物月旦のような小さな書物なども、げんに刊行されている。秋月氏は、もと、会津藩の高禄の士であった。若くして信任厚く、権勢の地位にのぼった。藩兵の長となり、諸藩のあいだを商議談判に馳駆し、また藩政にもあずかる一方、領内の知行となるなど、封建時代の武士のやることは、ひととおりみなやってのけ、そして、平生、軍務政務のひまには、おおむね、人に物を教えていたものらしい。こうした経歴をもった教師は、こんにちでは、まことにすくない。また、こういう人に教えを乞う弟子も、今日では、その数がいたってすくない。ところが秋月氏は、そのような異数の人物でありながら、こんにち、その人をまのあたりに見て、これがむかし、自分の配下のたぎり立った剣士たちに愛されもし、畏れられもした人物とは、およそまず信じられまい。若いころ、峻厳をもって鳴らした戦場の古強者(ふるつわもの)が、年老いて温和怡然となったものほど、人の心をふかくひきつけるものはなかろう。
 この秋月氏は、武家制度がのるかそるかの最後のいくさをしたおりに、藩公の命にしたがって、おそろしい戦争に出陣した人である。この戦争には、会津藩では、婦女子から小さな子どもにいたるまでが参加したのである。しかし、剛勇と剣とだけでは、さすがに新しい戦法には勝てなかった。会津勢はついに敗れた。そして、賊軍方の指揮者であった秋月氏は、国事犯として、長い間囹圄(れいご)の身となったのである。
 この人の教えをうけた弟子のうちで、すでに鬼籍に入ったものも、幾人かはあるけれども、秋月氏はしかし、老後の孤独を感ずるようなことはすこしもなかった。自分の息のかかった教え子が、みな肉親の子とおなじように、師になつき、尊敬していたからである。そんなぐあいで、秋月氏はしだいに齢を加え、高齢となり、だんだん神さまのような風貌を呈してきた。
―――――中 略―――――
 かりに諸君が、そんなら、ごくふつうに見られる伝統的な神のすがたというのは、どんなかっこうをしているかと訊くとしたら、わたくしは、こうそれに答えたい。それは、「長い、白いヒゲをたらして、白装束に白の束帯をしめ、ひじょうに柔和な顔をした、しじゅうにこにこわらっている、高齢の老人だ」と。

“スーパーサブ”な女優たち

2013-01-30 21:23:58 | テレビ
 僕が注目する若手女優は、主演もこなせる実力がありながら、いま一歩トップ女優になり切れない人たちだ。僕はそんな女優を勝手に“スーパーサブ”な女優と呼んでいる。また僕はトップ女優にのし上がると、とたんに興味がなくなる悪いくせがある。今、注目している若手女優は何人かいるが、そんな中から今日は3人あげておきたい。
 一人目は徳永えり。まだ20代なかばなのでこれからだが、早くからしっかりした演技で注目されていた。すでに「春との旅」など映画の主演作もあり、ドラマも朝ドラ「梅ちゃん先生」、「四十九日のレシピ」など特にNHKでの活躍が目立つ。朝ドラ主演の話が来てもおかしくない有望株だ。
 二人目は伊藤歩(いとうあゆみ)。この人は20年くらいのキャリアがあり、もはや若手とは言えないかもしれないが、どんな映画やドラマで見ても、なぜかホッとするような存在感がある。どんな大役が来てもさりげなくこなす実力が感じられ、いつかそんなチャンスが来ることを期待している。
 三人目は奥田恵梨華(おくだえりか)。NHKの「サラリーマンNEO」でよく知られるようになったが、8年ほど前、平井堅の「瞳をとじて」のPVでの彼女の姿を想い出すと胸がキュンとなる。映画やドラマにも多数出演しているが、まだ実力のほどは未知数。いつか実力のすべてをさらけだすようないい仕事に巡り合うことを期待している。

  
左から徳永えり、伊藤歩、奥田恵梨華

映画「東京家族」と結婚記念日

2013-01-29 19:01:46 | 映画
 昨日は結婚40周年の記念日だった。しかし、何も特別なことはしなかったので、今日は久しぶりに二人で映画を観に行くことにした。観たのは山田洋次監督の「東京家族」。この映画は小津安二郎監督の名作「東京物語(1953)」をベースとしており、老夫婦の話でもあるので、まぁある意味、結婚記念日にふさわしい映画だったかなと思う。
 「東京物語」の設定を現代に変えているが、「東京物語」では戦死したことになっていた次男を生きていることにし、山田監督の名作「息子(1991)」の要素を足したようなストーリーにしたところが新味か。「東京物語」で描かれた、田舎で暮らす両親と東京で暮らす子供たちの微妙な意識のズレみたいなものを象徴するキャラクターとして杉村春子が演じた長女の役がキーマン的な役どころだったと思うが、今作でその役を演じた中嶋朋子は杉村春子ほどのアクの強さがなく、良くも悪くもちょっと優しい印象が気にはなった。「3.11」の話もさりげなく織り込んであり、さすがは山田監督、そつなくまとめられたドラマで、これはこれで十分感動できる映画だと思う。

「して来いな~」  ~ 供奴(ともやっこ) ~

2013-01-28 18:17:41 | 音楽芸能
 昨日の熊本県邦楽協会演奏会の演目、「して来いな~」の掛け声で始まる「供奴」を見ながら8年ほど前のことを思い出していた。あれは熊本市民会館ホールで行われた中村勘三郎が勘九郎名跡での最後の特別公演だった。息子の七之助が「藤娘」を踊り、中村橋之助が「供奴」を踊った。そして最後に勘三郎(勘九郎)と七之助の親子で「連獅子」を踊った。「供奴」の演奏をナマで聞くのはその時以来だ。「あ~お~!」という、こわらべたちの元気のよい掛け声と太鼓の響きを聞きながら、今は亡き中村勘三郎の舞台姿や、8年前には生まれてもいない子供たちの演奏を思うと「無常感」を感じずにはいられなかった。


■■唄:宇野民子・今村梨江子・亀谷タツ子
三味線:安藤典子・木庭順子・山口嘉子
鼓:柿原伶奈・木村優亜・倉橋奏・倉橋功
鼓:上村文乃
鼓:後藤未和
■■笛:藤舎仁鳳

吉原雀 ~ 熊本県邦楽協会演奏会より ~

2013-01-27 20:42:06 | 音楽芸能
 今日は毎年恒例の「熊本県邦楽協会演奏会」を観に行った。今日の演目の中で僕が出色の演奏だと思ったのは「囃子・長唄 吉原雀」だ。「吉原雀(よしわらすずめ)」とは、江戸の吉原遊郭において「張見世(はりみせ)」と呼ばれた遊女が待機する道路に面した部屋の、太格子の間から、覗くだけ覗いておいて結局登楼はしない、いわゆる「冷やかし客」のこと。吉原を葦原(よしはら)にかけ、夏の葦原に群生する「よしきり 別名 よしはらすずめ」に見立て、廓の情景を描いた長唄。江戸時代中期、今から240年ほど前に作られた大変古い曲だという。
 ザ・わらべの文乃ちゃんの囃子方ぶりも随分板についてきた。また、今日はこわらべの女の子たちも「長唄・囃子 供奴」で元気いっぱいの太鼓方ぶりを見せてくれた。

※右の絵は鈴木晴信の「張見世」



三味線 谷優子・田辺みゆき・杵屋五司幸・杵屋五司起久・緒方修・杵屋五司郎
■■唄 杵屋六花登・杵屋五司城・宇野民子・今村梨江子
鼓 今井冽・上村文乃・中村弐誠・中村花誠
鼓 今村孝明
■■笛 藤舎仁鳳

映画音楽と僕 ~ schola 坂本龍一 音楽の学校 ~

2013-01-26 18:58:21 | 映画
 「schola 坂本龍一 音楽の学校」は毎シリーズ楽しみに見ているが、今回のシリーズのテーマは「映画音楽」。映画音楽というのは、記憶の中の映画を具体的にイメージする媒体として、映画そのもの以上に愛着が深いものだ。今回のシリーズを見ていると、僕の映画鑑賞歴60年を通じて経験的に知っていた映画音楽の技法をアカデミックに説明してくれるので、ひとつひとつ腑に落ちる思いがする。
 例えば草創期のハリウッド映画でおなじみのオープニングの音楽が19世紀ロマン派、ワーグナーらの音楽をベースとしているのは、当時映画音楽に携わった人たちにドイツ系やオーストリア系が多かったことや録音技術が未熟だったため、音が立つ金管楽器を主体とした音楽にせざるを得なかったためだとか、キャラクターを際立たせるための「ライトモチーフ」の技法だとか、雰囲気を盛り上げる「アンダースコア」の技法などだ。そう言えば中学生の頃、音楽の授業でワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」などを聞かせられると、まるで映画音楽のようだなぁと思ったりしたことを想い出す。番組ではマックス・スタイナーの「キングコング」を例にあげて解説していたが、僕は高校生の頃になると観た映画は映画監督と音楽担当をセットで憶えていたような気がする。例えば「風と共に去りぬ(1939)」のヴィクター・フレミング監督と音楽のマックス・スタイナー。「北北西に進路を取れ(1959)」のアルフレッド・ヒッチコックとバーナード・ハーマン。「シェーン(1953)」のジョージ・スティーブンスとヴィクター・ヤング。「荒野の決闘(1946)」のジョン・フォードとアルフレッド・ニューマン。「赤い河(1948)」のハワード・ホークスとディミトリ・ティオムキン等々。
 これからも映画音楽は僕にとって映画のクォーリティを決定づける最重要のファクターであり続けることは間違いないだろう。

▼「風と共に去りぬ」のオープニング(音楽:マックス・スタイナー)

楽しみな春の邦楽イベント!

2013-01-25 21:08:52 | 音楽芸能
 今日も風は冷たかったが確かに春の足音が近づきつつある気配を感じる。今年も春のイベントシーズンのたよりが届き始めた。なかでも僕の一番の期待は3月3日に行われる「饗宴!ひなまつり絵巻」だ。長唄三味線の今藤珠美さん、筝の下田れい子さん、囃子の中村花誠さんという3人の名手が揃い、加えて立方として花柳琴臣さんが参加するという邦楽ファンにとっては嬉しい顔合わせ。しかも今回はこのイベントのために「鶴女房伝説」を題材として創作された「創作長唄 雪の鶴」が披露されるという。これは見逃せない。

▼画像クリックすると大きなサイズを開きます


 今年も少女舞踊団ザ・わらべ、子供舞踊団こわらべは出演予定が目白押しのようだ。主なものだけでも下記のようなスケジュールが予定されている。また一つ年齢を加え成長した踊りが見られるだろう。

2月9日 熊本城稲荷神社初午大祭・初午おどり
2月17日 第2回熊本城マラソン応援ステージ
4月6日 春のくまもとお城まつり・春の宴スペシャル
4・5月(毎週土曜) 熊本城本丸御殿・春の宴


歴史探訪 ~ 繁根木(はねぎ)の由来は?~

2013-01-24 20:16:10 | 歴史
 玉名は母と妻の生まれた地でもあり、僕にとっても在勤、在住合わせると10年ほどを過ごしたほとんど故郷と言っていい。その玉名に関してずっと前から気になっていたことがある。それは「繁根木」という地名の由来だ。繁根木は昔は繁根木村といって、今の玉名市のほぼ中央部、現在、市役所も置かれているところである。繁根木と名のつくものでよく知られているのは、繁根木八幡宮、繁根木川、繁根木古墳などがある。昨年、玉名市の歴史博物館「こころピア」にも聞いてみたのだがよくわからないという。そんならというわけで自分で古文書などを調べ始めた。
 最初の手がかりとしたのは同じ地名が他にあるのかどうか。まず、東京都世田谷区に羽根木という地区があることがわかった。羽根木神社という神社もあるという。その地区では「羽根木」という名前の由来は次のように伝えられているそうだ。羽根木の「羽根」は埴(ハニ)が訛ったもの。埴輪の「埴」。埴とは質の緻密な黄赤の粘土のことを言い、昔はこれで瓦・陶器をつくり、また衣に摺り付けて模様をあらわしたという。そして「羽根木」は「埴黄(ハニギ)」から変化したものと言われているそうだ。「繁根木」と「羽根木」はおそらくもとを辿れば同じ語源だろうと睨んだ。案の定、「肥後國誌」の中には玉名の「繁根木」を「羽根木」と表記したものも散見される。
 その後、まさに灯台下暗しで、熊本でも近い所に同名の「羽根木」という地区があることに気付いた。なんと菊池市七城町にあった。しかも僕は一昨年そこに行っていたのだ。そこは西郷隆盛の祖先の発祥の地として知られる旧西郷村、その西郷のすぐ隣りだったのである。ここでは「羽根木」の由来について、「刎木説」(下記参照)と世田谷と同じ「埴黄説」の二つがあり、結論は出ていないという。
 さらにもう一つ、古文書の中に気になる言葉を発見した。それは「埴木(ハニキ)」。これは櫨(ハゼノキ)のことで、江戸中期に熊本藩主細川公が殖産のため菊池川の堤防沿いなどに盛んに櫨を植樹する以前から、九州各地には原生の櫨が多く、「埴木(ハニキ)」とも呼ばれていたという。
 そこで各説をあらためて整理してみると

1.刎木(ハネキ)説…川などの水量調節をする木製の治水の仕掛けのこと。
2.埴黄(ハニギ)説…質の緻密な黄赤の粘土のこと。
3.埴木(ハニキ)説…黄色の木、すなわち櫨(ハゼノキ)のこと。

 まだどれも決定的なものではないが、これらを手掛かりにさらに調べを進めたいと思う。


玉名郡の西半分。繁根木川をはさんだ高瀬の対岸に「羽根木」と書かれている。(「肥後國誌」より)


高瀬町の絵図。左上に繁根木八幡宮が見える。(「肥後國誌」より)


西郷隆盛の祖先発祥の地。菊池市七城町砂田の若宮神社

失われゆく遺産 “地名”考

2013-01-23 15:06:37 | 歴史
 熊本出身の民俗学者・谷川健一さんによれば、地名は「日本人のアイデンティティ」だという。しかし、永い間、市民に親しまれていた伝統的地名はどんどん失われてゆく。祖母が生まれた一番被分町(いちばんわかされちょう)、また祖母の知人が住んでいた高麗門町(こうらいもんまち)や蔚山町(うるさんまち)など、今では○○1丁目、○○2丁目というような味もそっけもない名前に変わってしまった。とても大事なものを失くしているような気がしてならない。

▼谷川健一さんの論文抄録
 地名は日本人の遺産である。幾十世紀となく日本人が大地につけてきた足跡、それが地名である。その足跡を大切にしないということがあるだろうか。その足跡は縄文時代、いやそれ以前から見られた。人間の社会生活の営まれるところに必ず地名があった。地名はきわめて古い時代が存在した固有名詞である。地名の特質は、先史時代から存在する地名が、21世紀の今日なお使用されている、という事実である。このことは見過ごしがちであるが、驚くべきことにちがいない。日本人の伝統的な遺産である地名は現在も生きた使用価値をもちつづけているのである。日本の地名は場所を指示する単なる記号ではない。古代において地名は、土地の精霊(地霊)の名と考えられた。つまり土地が人格をもっているのである。地名のもっとも重要な点は、その土地にながらく住んできた人たちの共同意識や共同感情がこめられている、ということである。地名は大地に刻まれた人間の営為の足跡である。その足跡は日本人の感情を喚起するばかりではない。これを知識の上から見ると、地名は大地に刻まれた百科事典の索引である。地名という索引からは、民俗学、地理学、人類学、考古学、国文学などさまざまな分野にわたる知識が引き出される。地名には古代史を解く鍵がひそんでおり、地名はまた地下の遺跡や遺物の所在を暗示することがしばしばである。また地名を見ればそこが崩落しやすい危険な地名であることが判断できる。地名が日本人としての証明や自己確認、つまり日本人のアイデンティティに不可欠なものである。

▼熊本城城下町の古い町名を唄い込んだ「熊本さわぎ唄」(写真をクリックすると再生

渡辺あやさんはどうしてる?

2013-01-22 21:01:24 | テレビ
 朝ドラ「カーネーション」が終わってもう随分経つが、作者の渡辺あやさんの情報が全然伝わってこない。島根でおとなしく雑貨屋を営んでいるのだろうか。それとも次回作の構想でも練っているのだろうか。7、8年来の渡辺あやフリークとしては気になってしかたがない。折にふれて傑作ドラマ「火の魚」のDVDを楽しんでいるが、早く“渡辺あやワールド”の新作を観たいものだ。
 下は、以前にも取り上げたが「火の魚」のシナリオで僕が最も好きなくだり。オノマチ演じる折見とち子は、渡辺さんそのものじゃないかという気がしてきた。

老作家(村田省三):原田芳雄
編集者(折見とち子):尾野真千子
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   折見、最後のページを読み終えると原稿を閉じ、
折見「ありがとうございました。では、またゲラの方を後日・・・」
村田「どう思う」
折見「は」
村田「感想を言え。たまには」
   村田、目の奥に敵意を光らせ、折見を見る。
   折見、しばらく考えているが、
折見「大変素晴らしいと思います」
村田「どこが」
折見「まず金魚姫の存在感が光っていますし、展開と構成も・・・」
村田「お前の好きな作家は誰だ」
折見「は」
村田「三人あげろ」
折見「カポーティ、チェーホフ、横光利一、でしょうか」
村田「それを読んで素晴らしいと思うお前が、本当にこれを素晴らしいと思うのか?」
   村田、折見をにらみつける。
   折見、ややあって、口を開く。
折見「申し上げてよろしいのでしょうか」
村田「言え」
折見「実は思っておりません」
村田「なぜ嘘をつく?!」
折見「仕事でございますので」
村田「バカにするな!!言っとくがな、俺には全部わかってるんだ。自分の書くものが実に下劣な、なんら芸術的価値のない売文に過ぎんということも、お前ら編集者が俺という作家を内心見下していることもな!!お前、どうせ俺の本なんて、一冊たりとも読んだことないだろう?どうだ?!俺をなめるな!全てお見通しだ!バカ野郎!!」
   村田、思わず孫の手を壁に投げつける。
   折見、村田の目を見据え、口を開く。
折見「・・・お言葉ですが」
村田「なんだ?!」
折見「先生の作品はすべて拝読しております」
村田「まだ俺をコケにするのか?!」
折見「せっかくの機会ですので申し上げますと」
村田「ああ?」
折見「僭越ながら先生の最高傑作は42歳のときに書かれた<陰影>と存じます。とはいえ、あれに限らず当時の作品はどれも素晴らしいです。一見オーソドックスな官能小説でありながら極めて上質な文体。叙情性とアイロニー。まぎれもなく先生にしかお書きになれない小説世界でした。ところがそれが突然劣化するのは、島に引きこもられてからの作品群です。先生、私は先生を見下してはおりませんが失望はしております。や、正直もう腹が立って仕方ありません。あれほどの作家が一体何を怠けているのかと。真面目にやる気があるのかと。仰るとおり、売文の山です。とりわけ女性の描写のひどいこと。特に金魚娘、あれはいただけません。赤いミニスカートと白い太ももの描写ばかりなのはまだよしとして、あまりに頭がからっぽ。あまりに男に都合が良すぎます。あんなのはいわばメイドカフェのメイドと同じでございます」
村田「めいどかふぇのめいど?」
折見「はい。失礼ですが」
村田「・・・」
   村田、黙って折見をにらみ続ける。そして心の中で呟く。
村田N「・・・めいどかふぇのめいどってなんだ?」

オードリー・ヘプバーン没後20年!

2013-01-21 17:50:26 | 映画
 昨日はオードリー・ヘプバーンの没後20年に当る日だったそうだ。もうそんなになるかとちょっと驚いた。それでも今も僕の心の中に生き続けるオードリーはちっとも色褪せることがない。彼女が全盛を極めていた50年代から60年代の映画を、リアルタイムで見ることができたことを本当に幸せだったと思う。彼女の出演作はどれもいいが、中でも大好きなビリー・ワイルダー監督の「昼下りの情事」をまた見たくなった。「ファッシネーション」のメロディがどこからともなく聞こえてくるようだ。
※写真をクリックすると動画を再生します

白川と長六橋 そして河原町

2013-01-20 21:18:44 | 熊本
 うららかな陽射しに誘われて、今日は散歩の足を延ばし、白川の土手まで行ってみた。長六橋の上から白川の下流方向を眺めていると、思わず熊本民謡「ポンポコニャ」の一節が口をついて出た。

♪ 花の熊本 長六橋から眺むれば オヤポンポコニャ
  下は白川 両芝居 少しさがればな オヤ 本山渡し船
  オオーサポンポコ ポンポコニャ


長六橋の上から白川下流方向を眺める

 慶長6年(1601)、熊本城築城に合わせて架けられた長六橋は、江戸時代後期まで白川に架かる唯一の橋で、ここから眺める風景は城下町の代表的な景観だったという。「両芝居」というのは右岸の下河原にあった上座、下座の二つの芝居小屋のこと。現在、一つ下流に見える泰平橋は無かったので左岸の本山から渡し船が出ていた。下河原は芝居小屋を始め市場も立並ぶ繁華街となり、熊本の繁華街、歓楽街のルーツといわれる。対岸には刑場もあったという。


河原町方面から長六橋を眺める

 木造の橋だった長六橋は白川の洪水で度々流され、鉄骨コンクリート製になったのは昭和に入ってからのことである。


江戸時代後期の古町絵図(赤い部分が河原町)

 現在の長六橋は、この絵図の位置よりも30米ほど上流にある。


かつてこの辺りに下河原公園があった

 僕らの子どもの頃には下河原公園があり、当時は数少なかった市民向けのプールもあった


殿下石…1587年、九州平定を進めていた豊臣秀吉が白川を越える際、小休憩したという石

 太閤秀吉がこの石に座って白川の対岸を眺めたとすれば、当時はかなり広い河川敷だったことがうかがえる。


“吉祥の鳥” 鶴 と 各地の伝説

2013-01-19 16:53:11 | 音楽芸能
 昨夜のEテレ「にっぽんの芸能 芸能百花繚乱」では「新春を寿(ことほ)ぐ 鶴亀の世界」と題して「舞踊・鶴亀」を放送していた。古来から鶴と亀は「鶴は千年、亀は万年」といわれて長寿の象徴として尊ばれてきた。つまり鶴は吉祥の鳥。
 おととい、このブログで取り上げた「羽衣伝説」が、所によっては形を変えて「鶴女房伝説(鶴の恩返し)」となったのも、そんな鶴の縁起が関係しているのだろう。この「鶴女房伝説(鶴の恩返し)」は「羽衣伝説」と同様、熊本にも存在する。県内にいくつかあるようだが、よく知られているのは宇土の民話。宇土市内には野鶴町や鶴見塚、舞出などゆかりの地名も残っている。ただし、宇土版は鶴が嫁になるのではなく、ある夫婦の娘になるという、いわば「かぐや姫」型。あらすじは下記のとおりだが、設定やストーリーの展開には地域の特性が出るのだろう。また、佐渡島の民話をもとにした戯曲「夕鶴」は熊本ゆかりの劇作家・木下順二の代表作でもある。

■宇土の民話「鶴の恩返し」
 今から1100年程前、西暦901年頃の話。宇土の町はずれの白山のふもとに正直者の夫婦が住んでいた。夫は山に出て、柴を刈り、女房は機(はた)を織って暮らしていた。大晦日を迎え、夫は女房の織った反物をもって町に売りに出かけた。その途中、一羽の鶴が若者たちに殺されようとしていた。夫は鶴がかわいそうになり、大切な反物と鶴を取り換え、逃がしてやった。その話を聞いた女房は、ニッコリ笑って「それは本当に良いことをしましたね。」と言った。その夜のこと、トントン、トントンと戸を叩く音がした。夫がそっと戸をあけてみると、美しい旅姿の娘が立っていた。「私は旅の途中です。どうか今夜一晩泊めてもらえないでしょうか。」夫は貧乏暮らしで何の世話もすることができないと断った。すると娘は、「食べ物なら持っています。ご一緒にお正月を迎えましょう。」と言って米一升と糸筒をみやげに差し出した。米三粒を釜に入れると、釜一杯のご飯ができ、また、糸筒は織っても織っても絹が出てくる不思議な米と筒だった。娘は夫婦の養女となって親孝行をした。ある日のこと、夫婦のもとに娘のうわさを聞いた国司の使いがやってきた。そして、国司のもとへ娘を差し出すよう命令した。夫婦が困っていると、娘は夫婦に言った。「どうか、明日の朝早く木原山に登り、小判に似た鶴の葉千枚を取ってきてください。」夫婦は娘が言う通り、翌朝木原の山に登り鶴の葉千枚を取ってきた。すると、それがいつの間にか小判千両に変わっていたのだった。国司の使いが再びやってきたが、夫婦は小判千両を渡し、娘を差し出すことは断った。それからしばらく後のこと、娘は夫婦に言った。「私は実は人間ではありません。去年の暮れ、助けていただいた鶴…」と言い終わらぬうちに、娘の姿は消え、一羽の美しい鶴に変わっていた。鶴はピョンピョンと跳んで今の宇土市神馬町舞出(まいだし)あたりの田んぼまで来ると、勢いよく大空へ飛びあがった。以来、その地を舞出(まいだし)と呼ぶようになった。舞い上がった鶴は、今の宇土市野鶴町鶴見塚あたりで大空のかなたへと消えていった。そのあたりに夫婦がお経を埋めて塚を築き鶴見塚と呼ばれるようになった。


「晴天の鶴」明治17年(1894) 作詞:伊澤修二 作曲:三世杵屋三郎助 作調:三浦正義

「ベン・ハー」の再映画化!

2013-01-18 20:46:45 | 映画
 1959年のアカデミー賞において11部門のオスカーを獲得した名作「ベン・ハー」が再映画化の話があるという。実現すればルー・ウォーレス原作「ベン・ハー」の4度目の映画化となる。僕の60年近い映画少年歴の中で、この「ベン・ハー」は「アラビアのロレンス」などと並んで特別な作品。これまで洋画・邦画を問わず、リメイク作品には失望させられることが多かった。今度の「ベン・ハー」がそんなことにならないことを祈りたい。
 そこで気になることをいくつか。まずは監督。前作のウィリアム・ワイラーは映画史上に残る巨匠。今、あの演出力に迫るような力のある監督はいるだろうか。二つ目は誰がベン・ハーを演じるのだろうか。前作のチャールトン・ヘストンは、アメリカ映画史に残る適役だと言われている。彼の存在感に迫る役者がいるだろうか。三番目は今日のデジタル技術を使ってどんな映像化をするのだろうか。前作は70ミリフィルムで製作された。公開時の迫力は物凄いものがあった。今はあの当時の巨大スクリーンを持つ映画館はない。3D技術を使うのかもしれないが、あまり新しい技術に頼ってほしくない。例えば、それは前作のクライマックスである迫力あるチャリオット・レースは“ナマ”でやったからこその迫力なのだ。ジョン・フォードの「駅馬車」で超人的なスタントをやってのけたヤキマ・カヌートが演出した前作のようなレース場面を再現できるだろうか。
 一方では期待したい面もある。55年前の技術では不可能だったリアルな海戦シーンも、今の技術だったらおそらく相当迫力あるシーンが作れるだろう。いずれにせよ、どんなリメイクになるのか興味津々な映画ではある。


クライマックスの4頭立てチャリオット・レース

羽衣(天女)伝説 考

2013-01-17 19:06:48 | 音楽芸能
 先日観に行った「金春流若楠会鑑賞能」の演目の中に「舞囃子 羽衣」があった。「舞囃子」というのは能のシテ(主役)の見せ場の部分だけを面、装束をつけず、紋服・袴または裃のままで、地謡と囃子によって演ずるものだそうだが、「羽衣」はおなじみの「羽衣伝説」に題材をとったもの。能に限らず、歌舞伎、舞踊、長唄など、およそ「羽衣」と名のつくものはすべて「羽衣伝説」をもとにしたもの。
 童話などで一般的によく知られているのは、三保の松原を舞台にしたものだが、「羽衣伝説」は日本中いたるところにあり、熊本では阿蘇の田鶴原神社に伝わる話が「肥後國誌」などにも書かれている。ただ「羽衣伝説」は土地土地で結末が違うところが面白い。ちなみに先日観た能「羽衣」と阿蘇に伝わる「羽衣伝説」を比較してみた。
 なお、「鶴女房伝説」も同類の伝説だと思われるが、男の永遠の願望なのかもしれない。

▼能「羽衣」のあらすじ
 漁夫の白龍(ワキ)が随行の漁夫たち(ワキツレ)と三保の松原に釣に出る。春の朝である。白龍は、空から花が降り、普楽が聞こえ、なんともいえないよい香りがただようなかで、松の枝に美しい衣がかかっているのを見つけ、家の宝にと持ち帰ろうとする。そこに天人(シテ)が現われ、衣を返してほしいと頼む。しかし、白龍は衣を返そうとしない。天人は、嘆き悲しみ、天上世界をなつかしむ。その様子を見て心を動かされた白龍は、天人の舞楽を見せてくれるなら衣を返そうという。天人は喜び、羽衣を着て、月の世界のことや地上の三保の松原をともに讃えつつ「駿河舞」を舞う。天人の舞によって、地上の世界はあたかも極楽世界になったかのようである。天人は月の世界の天子を礼拝し、風にのって、<序舞>・<破舞>と舞いつづける。やがて、天人は、三保の松原から浮島が原へ、富士の高嶺へと舞い上り、大空の霞にまぎれて消える。

▼阿蘇の羽衣伝説
 昔、田鶴原にはきれいな泉がわいていた。ある時、天女が三人舞い降り、ここで水浴びをしていた。これを見ていた新彦命(にいひこのみこと)が羽衣を隠し、一人の天女が天へ昇れなくなった。天女に一目ぼれした新彦命は懇願して二人は夫婦となった。天女は天姫(新比神)と天王(若彦神)の二人の子を産んだ。夫婦は仲睦まじく暮らしていたが、ある日、天女は子守女が歌う子守歌から、新彦命が隠した羽衣のありかを知る。そして天女は新彦命と二人の子を残し天へ舞い戻って行った。阿蘇神社の七の宮に新彦神、八の宮に新比神(にいひめのかみ) 、九の宮に若彦神(わかひこのかみ)が祀られている。


羽衣三番叟