徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今年もお世話になりました!

2017-12-31 18:28:58 | 
皆さま、今年も当ブログをご訪問いただき心より御礼申しあげます。
熊本地震発生から1年8ヶ月が過ぎ、時々余震はあるものの、今年は何とか無事な1年となりホッとしています。手付かずの状態が続いていたわが家の墓も先月やっと修理が終わりました。
新年も熊本の復旧復興がこのまま順調に進むことを願っています。
新年が皆様にとって安穏で健やかな1年になりますことを心よりお祈りいたします。
どうか引き続き当ブログをよろしくお願い申しあげます。
筆主敬白


初詣の準備もすっかり整い、早くも参拝客が絶えない今日の加藤神社

漱石記念年の思い出

2017-12-30 10:56:14 | 熊本
 2016・2017の2年にわたった「漱石記念年」が終わった。おそらく僕にとっては最後の「漱石記念年」になるだろう。プレイベントも含め、いろんな行事に参加させていただいたが、なかでも僕にとって一番の思い出は昨年9月、熊本県立劇場演劇ホールで行われた浜畑賢吉さん主演の舞台劇「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」だ。この公演はその後、東京でも行われたが、その時の模様をレポートしていただいたAさんのブログ記事を、ちょうど1年前に紹介している。記念年の終了に当たって再編集し、再掲してみた。

▼漱石 & 熊本 & かっぽれ(2016.12.30)
 先週土曜日、城彩苑で出逢った千葉県在住の熱烈な花童ファンのAさんご夫妻。ご自身のブログ空はどこから~その後に、12月17日、東京新宿区の四谷区民ホールで行われた舞台「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」東京公演の克明な観劇レポートを掲載しておられる。花童ファンの一人として大変ありがたい。

 Aさんはこの記事の中で、花童の二人(あかね&ゆりあ)が踊った「肥後の通り名」という曲の中に、なぜ熊本とは関係のない「かっぽれ」が含まれるのか疑問に思われたようだ。それは至極もっともな疑問だと思う。
 「肥後の通り名」という曲はこの舞台劇のために作られた曲ではないが、加藤清正の熊本城築城に始まる400年の歴史を言祝ぎ、城下町の移ろいを「通り名」に寄せて唄い踊る。
 一方、「かっぽれ」は江戸時代、大坂の住吉踊りに端を発し、願人坊主らによって大道芸として江戸に伝わり、洗練されて江戸芸として発展した。明治中期には全国で大流行し、祝事には必ず唄い踊られるようになったと伝えられる。漱石の「坊っちゃん」にも登場することをご存じの方も多いだろう。
 漱石が熊本にいた頃、東阿弥陀寺町にあった東雲座(明治21年開業)で鏡子夫人が女歌舞伎を見物したという史実があり、その頃、既に九代目市川団十郎も歌舞伎舞踊に「かっぽれ」を摂取しており、それは当時、熊本で大人気の少女歌舞伎にも当然取り入れられていたであろうことは想像に難くない。当時の世相を表現するのにもっともふさわしい曲だったと言えるかもしれない。


「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」熊本公演


「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」東京公演


「捜索者」 これぞ映画!

2017-12-29 21:01:50 | 映画
 先日、BSプレミアムでジョン・フォード監督の「捜索者」を放送していたので久しぶりに見た。劇場、ビデオ合わせて10回以上は見ているだろう。見る度に僕の個人的な評価はどんどん上がって行く。僕はフォード西部劇の中では「荒野の決闘」と「駅馬車」が双璧だとずっと思ってきた。僕が小学生の頃、フォード監督が記者のインタビューで「あなたのベスト作品はサーチャーズですか?」と聞かれているのを見て、「ヘェ!アメリカでは捜索者の評価が一番なんだ!」とびっくりした思い出があるが、僕もそれに近づきつつあるのかもしれない。
 映像が素晴らしいことはどのフォード映画にも共通しているが、彼のカラー作品の中では出色だと思う。また、ドラマ性が素晴らしい。プロローグのシーンだけでも、ドアを開けるとモニュメントバレーの荒野が広がる有名なシーン(エンディングのドアが閉まるシーンと対応している)に始まり、南北戦争前に家を出たイーサン(ジョン・ウェイン)が帰って来る。それを迎えるのは弟嫁のマーサ。どうやらこの二人、昔は恋人同士だったようだ。家を出たわけもそのことと関係ありそう。その経緯を知っているのはテキサス警備隊を率いる旧知のクレイトン牧師だけ。そして、このイーサンとマーサの再会は悲しい別れでもあった。南北戦争が終わって3年の間、どうやらイーサンはヤバい仕事をしていたらしく、発行されたばかりの金貨をドッサリ持っている。ふと「三人の名付親」を思い出す。
 そんな感じで、特に説明もないのにドラマを感じさせるしかけが施してある。コッポラやスコセッシやスピルバーグらがお手本にしているのはそんなところにもあるのだろう。



▼タイトルバックでSons of the Pioneersが歌う「Ride Away」
What makes a man to wander?
What makes a man to roam?
What makes a man leave bed and board
And turn his back on home?
Ride away, ride away, ride away


今年いちばん残念だったこと

2017-12-28 18:04:27 | 友人・知人
 それは、5月に「評伝 海達公子」の著者 規工川佑輔先生が旅立たれたこと。10年ほど前からご厚誼を賜っていたが、先生のライフワークともいうべき海達公子の研究と顕彰にまつわるエピソードをお聞きするのが楽しみだった。そんな話のなかには、著書や研究論文等で発表された話もあれば、公にすることを差し控えておられた話も含まれていた。まだまだ話尽くしてはおられなかったと思うので、それがもう聞けないと思うと残念でならない。


 海達公子は、大正から昭和初期にかけて天才詩人と謳われた少女だが16歳で夭折した。その後、戦中戦後の激しい歴史の波に飲み込まれ、その存在は忘れられていた。規工川先生の生涯をかけた研究がなければ、今日のように広く知られることはなかっただろう。
 RKKテレビが熊本県内の小中学校教材として、郷土の伝統文化や先人たちの生き方を紹介する番組「熊本の心」でも先日、海達公子を取り上げていたが、規工川先生の研究がもとになっている。


「『めごいにゃあどん』ときつね」民話(天草市)Time 01:18~
「金色の海」海達公子(荒尾市)Time 05:03~
「版木は生きていた」鉄眼(宇城市)Time 11:27~
「クモの糸」大西嘉幸(熊本市)Time 18:36~

人間五十年 げてんのうちをくらぶれば

2017-12-27 20:52:30 | 音楽芸能
 全国で唯一残る「幸若舞(こうわかまい)」は2018年1月20日、福岡県みやま市の大江天満神社(瀬高町大江1488)で行われます。
 お問い合わせは‎ みやま市教育委員会・社会教育課(Tel:0944-32-9183)へ

 廃れかけた幸若舞を再興したと言われる高野辰之が著した「歌舞音曲考説」(大正4年出版)には次のような一節が書かれている。

――武全盛の室町時代及び徳川の初世に於ては、武家には(幸若舞が)能楽よりも喜ばれたものである。幸若記事の記録上に見えるのでは応仁後記や前記に見えるのが最も古く、室町季世の事蹟を記した書物にはかなり多く見えている。天性峻辣の信長は殊にこの舞を喜んだのである。天澤という清洲近くの坊さんが甲斐の国へ行った時、信玄が信長の数奇は何かと聞くと、舞と小歌でござると答えた。そこで幸若太夫が来るかと聞くと、いや清洲の町人の友閑というものをたびたび呼んで舞わせられるが、中でも敦盛が一番好きで、「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」という句を吟じながら自分でも舞われると話したことが信長公記に見えている。また信長が義元を迎えて鷲津丸根を攻めにかかる時、やはりこの敦盛を舞って、前の句のところで、「夢幻の如くなり一度生を得て滅せねもののあるべきか」とて、螺を吹け具足せよとそのまま馳せ向った。――


出陣前に幸若舞「敦盛」を舞う信長(清洲城展示)


わらべ との8年 そして「くまもとサプライズ 」

2017-12-26 17:03:01 | 
 2009年10月に「ザ・わらべ」に出逢って8年が過ぎた。2010年、翌年の新幹線開業に向け、熊本振興プロジェクトの一環として小山薫堂さんの提唱する「くまもとサプライズ」がスタートした。そのイメージキャラクターとして登場した「くまモン」が予想をはるかに超えるサプライズとなり、「くまもとサプライズ」そのものの趣旨が忘れられた感は否めない。本来、「身近なものに工夫をこらしてちょっとしたサプライズに仕立てよう!」という運動。僕はその頃、まだあまり知られていなかった「ザ・わらべ」を、インターネットを通じて県内外の人にも知らしめよう、それが僕の「くまもとサプライズ」だと決めた。それまで触ったこともなかった姉のビデオカメラを借り、動画を撮影し、ユーチューブに投稿し始めた。同時に数年前から始めていたブログにも「ザ・わらべ」の紹介記事や活動のフォロー記事を載せ始めた。以来、ユーチューブには400本を超える「ザ・わらべ」関連の動画を、500本を超えるブログ記事をアップしてきた。当初はほとんど反応はなかったものの、8年経った今では全国の多くの方々に知っていただいたようだ。
 というわけで、僕の「くまもとサプライズ」は一定の目的を達成したと判断し、今年一杯を以って一応の区切りを付けることにした。もちろん、「ザ・わらべ」今では「花童」の応援は1ファンとして続けて行くつもりだ。


2011年10月1日 熊本城竹の丸広場 秋のくまもとお城まつりオープニング



2010年8月8日 古桶屋町・普賢寺 城華まつり

正月 ぐち川柳

2017-12-25 17:45:18 | 文芸
 車を運転しながらラジオを聞いていた。某FM局で「正月」をお題にした「ぐち川柳」をやっていて、リスナーからの投稿が紹介されていた。なかでも次の2句は身につまされた。

 元旦は 疎遠な孫も やってくる

 日頃は寄り付かなくなった孫も、お年玉を目当てにやってくる。やつらは現金なものだ。(*゚o゚*)~゚

 孫が来て 諭吉とぶとぶ ばばオケラ

 孫が来るのは嬉しいが、金は飛ぶように消えて行く。
 やせ細ったスネをかじられる爺婆もつらい。(・´ω`・)


2017 舞納め

2017-12-24 16:11:13 | 音楽芸能
2017年12月24日 城彩苑湧々座
舞踊団花童&はつ喜「くまもと四季めぐり 事始めの舞(クリスマスショー)」
【1部】
 越の雪むろ~雪の山中/ひえつき節~荒城の月/カタユキカンコ/かまくらっこ雪まつり/雪んこ/じょんがらまつり
【2部】
 お楽しみ抽選会
【3部】
 弱虫サンタ/All I Want For Christmas Is You/めぐり逢う星の夜/恋ダンス
















玄海竜二さん 熊本でリハビリに励む!

2017-12-23 21:30:51 | 音楽芸能
 今日、KKT(くまもと県民テレビ)で放送されたドキュメンタリー番組「現場発」では、今月やっと熊本に帰って来た玄海竜二さんを取り上げていた。8月、公演先の横浜のホテルで脳梗塞で倒れ、3度も心肺停止となるなど生死をさまよった玄海さん。右半身にマヒが残り、声を出すこともままならないが、再び舞台に立つことを願い、懸命にリハビリに励む姿に胸が熱くなった。
 11月17日、このブログに掲載した記事を編集し直し、再掲することにした。



 彼の本当の悲願は舞台にただ立つことではない。日頃、彼自身が語っているように「大衆演劇」を芸術として広く認知してもらうことだ。いつの頃からか「大衆演劇」と呼ばれているが、これは「大衆歌舞伎」と呼ぶのが正しいと思う。江戸時代初期、出雲阿国という稀代の芸能者によって始められた「かぶき踊り」は、武家の芸能であった「能」に対し、大衆のエンタテインメントとして喝采を浴び、時代の変遷とともに「歌舞伎」として進化してきた。然るに、今日の「歌舞伎」は一部の名家による高尚な芸能となってしまったことは否めない。一方、ずっと大衆の中で生き続けた「大衆演劇」と呼ばれる芸能。元を辿れば歌舞伎と同じ起源なのである。おそらく明治政府の文化政策が今日のような差別的な評価を生んだものと思われるが、「大衆演劇」が正当な評価を受け、玄海さんの願いがかなうことを祈るばかりだ。
 

2013年の「城下町くまもと時代絵巻」で加藤清正に扮した玄海竜二さん


2010年の「春のくまもとお城まつり」で見事な清正の舞を舞う玄海竜二さん

立方:玄海竜二と一座の皆さん、ザ・わらべ(くるみ・あやの・かえ)
演奏:Viento(吉川万里・竹口美紀)
鳴物:中村花誠・中村弌誠・今井冽
撮影:大山喬

民謡「おてもやん」と紅白歌合戦

2017-12-22 22:36:57 | 音楽芸能
 NHK紅白歌合戦の話題がメディアをにぎわす時季になったが、興味を失って久しく、もう10年ほど見ていない。
 それはさておき、紅白に出ることによって大ヒットにつながった歌はたくさんあるが、実は熊本民謡「おてもやん」も紅白で歌われることによって全国区の民謡になった一つである。「おてもやん」が赤坂小梅の歌でレコード化されたのは昭和10年(1935)のこと。それまでの座敷唄から一般大衆にも知られるようになった。しかし、やがて日本は戦時体制になったため、この類の歌は歌われにくい時代となってしまう。戦後になってラジオのプログラムが充実して娯楽の主役となり、昭和25年(1950)に「おてもやん」がヒットする。NHK紅白歌合戦がラジオで始まったのは昭和26年(1951)。昭和28年(1953)になりテレビ放送も始まる。そしてこの昭和28年の第4回紅白に出場した赤坂小梅が「おてもやん」を歌う。さらに翌々年の第6回で再び「おてもやん」を歌ったことにより「おてもやん」が全国区の民謡となったのである。


「俚奏楽 島めぐり」 と 日本の植民地教育

2017-12-21 20:24:56 | 音楽芸能
 新年早々、1月14日に「第53回熊本県邦楽協会演奏会」が行われるが、今回僕の見どころの一つは、秀美会の俚奏楽「島めぐり」。民謡・端唄の大御所、本條秀太郎さんが創始した「俚奏楽」の中でも、この「島めぐり」は伊豆諸島や小笠原諸島に残る民謡を集めて歌い込んだ異色の民謡組曲。神津節(神津島)、御蔵島節(御蔵島)、八丈ショメ節(八丈島)などの伊豆諸島民謡に、「夜明け前」、「ギダイ」、「ウワドロ」などの小笠原諸島民謡などが織り込まれている。これらの小笠原諸島民謡はミクロネシア人との交流により伝わって来たものだという。ヤップ、パラオ、チューク、ポンペイなどのミクロネシアの島々は1930年代、日本の統治下にあった。そこでは日本の唱歌教育なども行われ、日本語混じりの歌が流行ったという。不思議な日本語で歌う「夜明け前」や「レフト!ライト!」という掛け声に乗って現地語で歌われる「ギダイ」や「ウワドロ」は行進踊りという植民地教育の名残りだという。
 そんな歴史に思いを馳せながら聴く「島めぐり」は実に味わい深い。


 2014年10月25日 熊本城本丸御殿「秋夜の宴」
 【立方】花童(くるみ・文乃・明音・ゆりあ)
 【地方】唄と三味線:本條秀美と本條秀美社中  鳴物:中村花誠と花と誠の会

ドテ検の由来

2017-12-20 19:31:26 | 音楽芸能
 父の回想録に「ドテ検」と呼ばれた町芸者の話がある。祖母がまだ娘だった頃、曽祖父が大江村の村長をやっていて、酒宴によく呼んだ町芸者が皆なから「ドテ検」と呼ばれて人気があったという。
 僕は父から「ドテ検」という呼び名の由来を聞いたことはなかったので、古い資料を調べたり、年配者にたずねたりしたのだがよくわからなかった。かつて二本木で旅館を経営していた知人も、ふだん町芸者のことを「ドテ検」と呼んでいたが、その由来は知らないと言う。
 ところがなんと灯台下暗し。ふだん頻繁に使っている「熊本県大百科事典」の中にちゃんと説明されていた。それによると、
――明治初期、寺原町(現壺川1丁目)に始まった町芸者は同町土手付近に住んでいたことから「土手券」と総称し、全盛時は市内各所に散在し、数々の人気芸者も生み、手軽で便利なことから一時隆盛を極めたが、これは「やとな」(雇い女の略。臨時に雇う仲居の女)の前身というべきものであろう。――
と説明されていた。
※「券または検」とは「検番または券番」の略で芸者の指導・管理監督・派遣などを行う組合のこと

 昭和4年に発行された松川二郎著「全國花街めぐり」によれば、当時熊本には
熊本券番(塩屋町):101名 旭券番(練兵町):90名 二本木遊廓:60名(娼妓650名)の芸妓がおり、その他町芸者(土手券)という芸者とやとなの中間の存在があると書かれている。



葛飾応為「三曲合奏図」

映画少年の原点 ~三人の名付親~

2017-12-19 20:06:54 | 映画
 クリスマスが近づくと必ず思い出す映画がこれ。ジョン・フォード監督の「三人の名付親」である。最初に観たのは昭和28年、小学2年生の時だった。場所は当時、通町筋にあった洋画の映画館・大劇。僕が映画に目覚めた記念すべき一本である。
 物語はハリウッドで何度か映画化された題材だが、銀行強盗をはたらいた三人のならず者が、保安官に追われて逃亡の途中、砂漠で立往生した幌馬車の中で、身重の婦人を見つける。婦人は三人に赤ん坊の名付親になってほしいと頼み、赤ん坊を産み落とすと息を引き取る。三人は赤ん坊に自分たちの名前を付け、無事に町へ届けようと、命を賭して死の砂漠を歩き始める。彼らには想像を絶する過酷な旅が待っていた。そして・・・
 送り届ける町の名前はニュー・エルサレム。辿り着く日はクリスマス。聖書に書かれた、キリスト誕生に立ち会う三賢者を暗喩しているのである。
 以前はクリスマスに近づくと必ずビデオでこの映画を観ていたものだが、ここ数年観ていない。今年は久しぶりに観てみよう。


ハリー・ケリー Jr.、ジョン・ウェイン、ペドロ・アルメンダリス


早坂暁の世界

2017-12-18 17:21:00 | テレビ
 大好きな脚本家がまた一人旅立たれた。早坂暁(はやさかあきら)さんは、60年代の終わり頃から90年代まで、主にテレビで数々の名作ドラマを生み出したレジェンドの一人である。僕が見た早坂作品は数え切れないほどあるが、その中から特に好きな3本を選んでみた。

◆夢千代日記(NHK 1981年)
 日本のテレビ史上、伝説的な存在となったこのドラマシリーズは、吉永小百合が出演した映画・ドラマの中で僕が最も好きな作品だ。このドラマが始まった時、吉永小百合は35歳、いろんな意味でピークの時期ではなかったろうか。胎内被爆者である夢千代は余命2年と宣告されている芸者置屋の女将。当時は裏日本と呼ばれた日本海の冬の景色。寂れた温泉町。どうしようもないほど暗いこのドラマを見るたびに陰鬱な気分になるのだが、だんだんそれがクセになっていく。また、脇を固める俳優陣がすごい。そのどれもがまさに適役なのだ。超一流のスタッフとキャスト。やはり良いものができないわけがない。
 また、「夢千代日記」といえば、はる屋の芸者たちが唄い踊る「貝殻節」が忘れられない。ドラマの舞台となった兵庫県の湯村温泉あたりの民謡かと思いきや、実は「貝殻節」は、湯村温泉とは随分離れた鳥取県の鳥取港あたりで生まれた民謡だという。
 「続・夢千代日記」「新・夢千代日記」とシリーズを重ねるごとに、このドラマの評価は高まり、早坂さんの代表作となった。


夢千代、小夢、金魚が唄い踊り、菊奴が三味線を弾く「貝殻節」



◆田舎刑事・時間よ、とまれ(テレビ朝日 1977年)
 渥美清の田舎刑事シリーズの1本で、僕はテレビドラマ史上、傑作中の傑作だと思っている。このエピソードで小林桂樹が演じたのは殺人犯である過去を消し、別人として有力者に成り上がった男の役だった。渥美清との鬼気迫る対決が印象に残るが、普段は人のよいサラリーマンや人格者的な役どころが多い小林桂樹が、それまでのイメージを払拭するような快演だった。早坂暁による脚本は、まるで松本清張を思わせる迫力があった。



◆山頭火・何でこんなに淋しい風ふく(NHK 1989年)
 フランキー堺さんが種田山頭火を熱演しているが、これはもともと早坂暁さんが、渥美清さんの主演を想定して書いた脚本。諸事情で渥美清さんは出演できなかったが、本人は並々ならぬ意欲を見せていたという。山頭火が一時、堂守を務めていた植木町味取の味取観音堂がある瑞泉禅寺に渥美さんがフラリと訪ねて来たことがあるという。おそらくこのドラマのロケハンだったのだろう。瑞泉禅寺がご実家の民謡三味線・本條秀美さんから聞いたお話だ。


スイーツ甲子園 惜しくも優勝ならず!

2017-12-17 18:01:13 | テレビ
 今日、BSジャパンで放送された「スイーツ甲子園!高校生パティシエNo.1!決定戦」に西日本Bブロック代表として出場した慶誠高校「Lien」チームは惜しくも優勝はなりませんでした。しかし、3年連続で決勝大会に進出した同校の実力は十分発揮できたと思います。
 従姪のまさえもチームの一員としてよく頑張ってくれました。お疲れさま!そして応援してくださった皆様ありがとうございました!