徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ちょっと気になるニュース

2019-07-31 23:49:46 | ニュース
 小学6年生と中学3年生を対象にした「全国学力テスト」の今年の結果が公表され、熊本県の小学生の国語の平均正答率は全国平均を上回った一方で、中学生の数学と英語の平均正答率は全国平均を下回ったという。特に中学生の数学が全国平均を下回るのは3年連続ということで、どうやら熊本人は数学が苦手?。僕自身も数学が苦手だったが、社会に出てから「もっと勉強しとけばよかった」と最も思ったのは数学だった経験からも、ぜひ中学・高校で数学をしっかり学んでおいてほしいと願うばかりだ。


山鹿灯籠まつりポスターの10年

2019-07-30 21:50:37 | イベント
 今や山鹿の夏の風物詩となった「山鹿灯籠まつり」のポスター。まつりのイメージづくりには欠かせないアイテムだ。グラフィックデザイナー鶴田一郎さんの世界、この10年を振り返ってみた。

 
2019年                    2018年

 
2017年                    2016年

 
2015年                    2014年

 
2013年                    2012年

 
2011年                    2010年

「かっぽれ」が結ぶ縁

2019-07-29 22:19:30 | 日本文化
 盆踊りのシーズンになりました。東海地方のある町からこんな依頼が来ました。
 
-- YouTubeにアップされている舞踊団花童の「かっぽれ」を地区の盆踊りに使いたい。ついては音源を提供いただきたい。--

というものです。ご依頼主は花童の隠れファンのようです。さっそく音源を作成された中村花誠先生にお願いして音源をコピーしていただき、提供することになりました。既にYouTubeの映像を見ながら振りもだいぶ練習されているようです。4年前、細工町の西光寺で行われたはつ喜月若さんの名取披露で撮影した映像が、遠く離れた町の盆踊りでお役に立っていることに不思議な感動を覚えました。





清正公まつり

2019-07-28 20:13:39 | イベント
 宮出しの午後3時頃は、神幸行列コースとなる舗装道路上の体感温度はおそらく35~6度に達していたと思われ、酷暑の中、神幸参加者は大変だったろう。参加人員もだいぶ絞ったのか、例年に比べ、子供や女性の姿が少なかった。清正公の命日に由来した日程なのでやむをえないが、今後、開始時間の見直しも検討の余地がありそうだ。


第20回 熊本いのちの電話 チャリティ公演

2019-07-27 21:22:48 | イベント
 毎年夏恒例の、「熊本いのちの電話 チャリティ公演」は今年、第20回を迎え、「華の熊本 城下町めぐり」と題して、8月17日(土)くまもと森都心プラザホールで行われます。メインキャストの少女舞踊団花童のほか、熊本県吟剣詩舞道連盟の皆さん、熊本国府高校吹奏楽部の皆さん、菊陽武蔵剣豪太鼓の皆さんなど多彩な出演者により、熊本の夏を彩る音楽と踊りの世界が繰り広げられます。多くの皆様のご来場をお待ちしています。


第60回記念 出水神社薪能

2019-07-26 17:12:17 | 音楽芸能
 2019年8月3日(土) 18:30~(雨天決行)
 水前寺成趣園 出水神社能楽殿 

 【番 組】
  仕 舞「高 砂」築地豊治 
  仕 舞「弱法師」本田布由樹
  舞囃子「熊 坂」田中秀実
  狂 言「彦一ばなし」茂山千五郎
   能 「羽衣 替ノ型」シテ 本田光洋






那須野の夏

2019-07-25 20:57:55 | 
 テレビが、上皇様と上皇后様が那須御用邸で静養されているニュースを流している。御用邸内を散策されるお二人の姿を見ながら、30数年前、三度過した那須野の夏を思い出した。那須は僕が転勤して回った中でも最も夏が過しやすいところで、ある年の夏、那須から九州・久留米への出張があった。那須の気候にすっかり馴染んでいた僕は、九州のむし暑さに耐えきれず、一日も早く帰りたいと思ったものだ。そして、出張が終わり、那須塩原の駅へ降り立った時の生き還ったような爽快感は今でも忘れられない。
 上皇様は、天皇陛下時代の2017年正月の宮中歌会始で次のような歌を詠んでおられる。

 「邯鄲の 鳴く音聞かむと 那須の野に 集ひし夜を なつかしみ思ふ」

那須街道   あの空に背伸びして」さんよりお借りしました。


 那須与一ゆかりの「那須温泉神社」、九尾の狐伝説の「殺生石」、那須岳、沼ッ原湿原、そして那須湯本温泉等々、那須高原にはなつかしい思い出がいっぱいだ。

     ▼能「殺生石」

清正公頓写会

2019-07-23 20:45:07 | イベント
 今日は第409回の清正公頓写会。熊本地震で損壊した仁王門がいまだ手付かずのままで通れず、今年も出店はない。本堂で参拝してから一気に胸突雁木を登り、浄池廟で参拝。降りがけに御宿廣嶋屋でラムネを飲む。いつも美味い。まだ時間も早かったので参拝客も少ないが、それでも数名の知り合いと出会う。

▼胸突雁木を一緒に下った老女(今年80歳らしい)の話
 今年で75年くらい頓写会に来ているが今年が一番寂しい。出店はなくても地震直後はまだ参拝客は多かった。参道が人で溢れた頃の頓写会がなつかしい。子供の頃はまだ参道の片隅に敷いたゴザの上に数人のハンセン病患者が喜捨を求めていた。親からは行ってはいけないと言われていたが、子供たちはお構いなしにはしゃぎまわっていた。出店がなくなってもう4年だがこれも歴史の1ページなのだろう。いつになるかわからないが、かつての頓写会が復活することを願っている。


夕方の鐘を撞く僧侶。遠くに熊本城や阿蘇の山々を望む。


御宿廣嶋屋で飲むラムネはいつも美味い

東海道五拾三次 ~歌川広重の世界~

2019-07-21 20:11:20 | 日本文化
 熊本県立美術館本館で始まった「歌川広重展」を観に行く。「東海道五拾参次」の他、「五拾参次名所図会」、「名所江戸百景」など約200点が展示されていた。写真撮影OKというので張り切って撮りまくっていたが、撮った写真を確認してみると、どれも表面のガラスに照明などが映り込んで使えそうもないのであきらめ、一つ一つの作品を至近距離からつぶさに観ることに集中した。すると、今まで見えなかったその時代の風俗などが見えてきて時間の経つのも忘れるほどだった。

▼東海道五拾三次のうち一番目の宿場「品川」(部分)
 飯盛女を大勢抱えた旅籠が立ち並ぶ街道筋を大名行列が通り過ぎてゆく。それを待ちかねた茶屋の客引女は手ぐすね引いて旅人を待ち構えている。束の間の緊張から日常のさざめきが戻る瞬間をとらえていて面白い。



▼東海道五拾三次のうち三十六番目の宿場「赤阪」(部分)
 赤阪宿(愛知県豊川市)のある宿屋の風景。左の部屋では夕食の膳が運ばれ、手配した按摩も顔を出している。右の部屋は客に備えて化粧をする娼婦たち。それを覗きこむ遣り手婆は支度を急がせているのか。街道筋の宿屋ではこんな風景が日常茶飯事だったのだろう。



▼歌川広重が「品川宿」を描いていた頃、品川宿で唄われていた「品川甚句」
 1863年、品川宿に逗留していた長州藩の高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔(博文)ら尊王攘夷派が、御殿山の英国公使館を焼打ちする事件が起きた。この「品川甚句」は長州弁で唄われている。


メキシコ五輪の真実

2019-07-20 22:50:24 | スポーツ一般
 僕の高校の大先輩である菅原平さん(85)が母黌・済々黌の水球部員に講話をされるというので聴きに行った。僕自身、校門をくぐるのは何十年ぶりだろうか。菅原さんは1968年のメキシコ五輪で日本水球が五輪初の勝利をあげた時の監督であり、また済々黌の水球部が昭和26年(1951)に初めて全国制覇した時のメンバーでもある。そんな経験を、現役の高校生に聴いてもらい、今後の活動のヒントになればという趣旨で開かれたもの。
 講話の中で最も興味深かったのは、現在放送中の大河ドラマ「いだてん」の主人公、田畑政治さんの逸話。メキシコ五輪の時、いったんは選手派遣が見送られた水球を復活出場させ、日本水球界にとって恩人となった田畑さんの政治力。(備考:田畑政治さんとオリムピック噺を参照)
 菅原さんによれば、田畑さんという人はドラマで描かれている通りの破天荒な人で、一見暴論に見えながら理に適っているので、しまいにはみんなを納得させてしまうような人だったらしい。
 エントリー枠11名に対して9名登録しか許されない厳しい条件で臨んだメキシコ大会は、高地の低酸素に悩まされながら、ここで結果を出さなければ日本水球の明日はないという決意で全員が一致団結、欧米の屈強なチームを相手に徹底した守備で応戦。結果、予選リーグで五輪初の3勝をあげるという成績を残した。菅原さんは、これは監督がどうこうというより選手一人一人が覚悟のうえ臨んだ成果だと述懐された。

おてもやん ~トモ・イネ物語~

2019-07-19 14:43:05 | 音楽芸能
 劇団ひまわり熊本の今年の夏公演は「おてもやん」だそうです。熊本人としては「待ってました!」と掛け声をかけたい題材です。しかも、おてもやんのモデルになった女性とその作者にスポットを当てた劇は、私の知る限り初めてではないかと思います。
 今や全国的に知られる熊本県民謡「おてもやん」ですが、モデルや作者がいたことが知られるようになったのは意外にも近年のことなのです。昭和も後期になった50年代、作者の親戚筋から情報を得た郷土史家が地元ミニコミ誌に発表。しかし、昭和57年に発行された「熊本県大百科事典」の「おてもやん」の項目には、作者やモデルのことはひと言も触れられていません。そして平成の世になって17年、おてもやんに興味を抱いた小山良先生(脚本家・作詞家)が執念のフィールドワークによってまとめた「くまもと人物紀行 おてもやん」を発表。これが世に広まり、作者&モデル存在説がやっと定説となりました。
 作者の永田イネとおてもやんのモデルとなった富永トモ(チモ)。この二人の出逢いと友情、そして「おてもやん」がどのようにつくられていくのか、とても楽しみな舞台です。
 今回の舞台にも、元花童の東島希海・愛海姉妹が重要な役どころで出演しています。3回の公演(下のパンフレット参照)はダブルキャストですが、3回目の公演では、希海さんがトモ(チモ)を、愛海さんがイネを演じる予定です。「おてもやん」や「ポンポコニャ」を踊る場面もあるそうですから、それもまた楽しみです。







花童時代の東島希海・愛海姉妹

人間五十年 げてんのうちをくらぶれば

2019-07-18 21:36:30 | 音楽芸能
 人間五十年 げてんのうちをくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり

 これは有名な幸若舞「敦盛」の一節だが、「天上界の時間軸で見れば、人間界の50年などあっという間で儚いものだ」というような意味らしい。「げてん」というのは幸若舞では「化天」と、「信長公記」では「下天」と表記される天上界を表す仏教用語だそうだ。
 文学者で芸能史家でもある高野辰之が大正4年に出版した「歌舞音曲考説」の「幸若舞曲」という章には、織田信長が、鷲津砦・丸根砦にて今川義元に攻めかかる時、この「敦盛」を舞ってから身支度を整え出陣したという話も紹介されている。
 齢70を超えるとこの謡の意味を切実に感じるようになった。


幸若舞の謡本に書かれた「人間五十年・・・」の一節


こんまり流整理術

2019-07-17 19:46:40 | 日本文化
 アメリカでは映画のアカデミー賞に匹敵するテレビ業界最大の栄誉、エミー賞の候補に、なんと「こんまり流整理術」で知られる近藤麻理恵さんの番組「KonMari 人生がときめく片づけの魔法」がノミネートされたという。こんまり流の特長は何といっても「ときめき」と「感謝」の二つのキーワードにあると思う。事務的に行いがちな整理をエモーショナルに、そして日本的な万物への感謝の心によって行うこんまり流の思想がアメリカ人にも受け入れられたわけだ。7年前、初めてこんまり流で写真の整理を行なった日のことを、このブログに下記のように記している。

▼こんまり流写真整理術! ~ ときめきますか?~(2012.5.23)
 パソコンを使っていて最近の悩みのタネの一つは、デジカメで撮った写真がどんどん増えてしまうことだ。撮った写真はだいたいその日のうちにパソコンに移すのだが、いったんパソコンの中に収めてしまうと、印刷したりブログに使ったりするもの以外はそのままずっと眠ったままになってしまう。するとあっという間にフォルダの中は何百枚という写真の数になり、今度は前に撮った写真を探すのさえ大変なことになる。整理しようと思っても、せいぜいフォルダ分けするくらいで、削除するのはなかなか難しい。ついつい「いつか使うかも・・・」と思ってしまうからだ。そうこうしているうちに写真はどんどん増え続けるというわけだ。そこで最近話題の整理整頓コンサルタント近藤麻理恵さんが提唱する整理術をやってみた。簡単に言うと、その写真を捨てるか残すかを判断する際、自分の心に「この写真にときめきますか?」と問いかけてみるのだ。すると不思議、極めて判断しやすくなり、どんどん捨てられるようになった。どうもこの「ときめき」という言葉のマジックにかけられているようだ。

老婦人とハクビシン

2019-07-15 20:31:28 | 熊本
 弟の家を訪ねた帰り、立田山西麓のわが家の墓参りをした。一昨日、早朝から墓掃除に行ったのだが、雨が降りだしたので供花をしただけでお参りもそこそこに帰ったのが心に引っ掛かっていたからだ。その後、泰勝寺跡まで足を伸ばした。人っ子一人いない園内は高い木立に囲まれて強い日差しこそ当たらないものの、じっとりと湿気が下から湧き上がるようなむし暑さを感じさせた。茶室仰松軒を眺めていると一匹のハクビシンが姿を現わした。こちらに気付いても驚く様子もなくじっと見ている。しばらく見合っていたがやがて竹林の方へと歩き去った。四つ御廟へ向かって歩き出した時だった。こちらへ歩いてくる老婦人に気付いた。あきらかに僕より高齢に見えた。他にも人がいたことに少々驚きつつ近づいていくと、何か話したそうな顔で会釈をされた。
 「タヌキみたいな動物ご覧になりました?」
 「ハクビシンですね」と答えた。
 「管理が全然なってませんね。あんな動物がわがもの顔に歩き回るなんて」
 「そうですね。地震の後始末も手付かず状態ですからね」と水を向けると
 「よく名所を回るんですが、どこも手付かずですからね」さらに僕が
 「熊本城ばっかり力を入れていますが、他の観光名所も早く復旧してほしいですね」と言うと、わが意を得たりとばかり、熊本城一点主義に対する批判でお互いの話が盛り上がった。
 10分ばかり立ち話をした後、挨拶を交わして老婦人と別れたが、品のある顔立ちと高齢にしては背すじがピンと伸びた佇まい。白いシャツに黒っぽいスラックス姿を見送りながら、ふと思い出した。「明後日はガラシャ忌、ん!?」


泰勝寺の池