徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

今日は一日 熊本さわぎ! ~ 城下町くまもと時代絵巻 ~

2012-03-31 17:46:56 | 熊本
 熊本は昨夜の激しい雨も嘘のようにカラリと晴れ上がり、今日は1年待たされた「城下町くまもと時代絵巻」が行なわれた。俳優の藤岡弘さん扮する加藤清正公に率いられた甲冑武者隊が熊本駅で出陣の儀を行う頃、メインステージの熊本城二の丸広場では様々な熊本の伝統芸能を華やかに披露する「城下町くまもと踊り」が始まった。桜の花もちょうど見頃の熊本城周辺は一日中、時空を超えたエンタテイメントパークの様相を呈していた。


メインステージは見物客でぎっしり


華やかな花魁道中が登場


よへほ節に乗せて山鹿灯籠踊りも


明治・大正時代の熊本ゆかりの偉人たちも人力車で到着


葦北鉄砲隊の行軍


青の武者隊の行軍


赤の武者隊の行軍


加藤清正公に扮した藤岡弘さんの勇姿


ザ・わらべの演目は「肥後の花娘」

朝ドラ「カーネーション」のエンディング

2012-03-30 20:17:46 | テレビ
 半年間楽しみに見てきた「カーネーション」がいよいよ明日最終回となる。ほぼ毎回見た朝ドラは珍しい。それだけ面白かったのだろう。その最大の理由はやはり渡辺あやの脚本にあると思う。もともと彼女の脚本が大好きで、これまで脚本を担当した映画やドラマは全部見ているが、そのいずれの作品も登場するキャラクターたちが実に面白い。映画の「ジョゼと虎と魚たち」もそうだし、「天然コケッコー」や「メゾン・ド・ヒミコ」もそうだし、テレビドラマの「火の魚」や「その街のこども」もそうだし、もちろん今度の「カーネーション」もキャラクターたちの面白さが際立っている。彼女はインタビューなどでよく「脚本を書いていると、キャラクターたちが勝手にしゃべりだす」というようなことを言う。おそらく自分の中でキャラクターたちのイメージがしっかりできあがっているから、場面場面でそのキャラクターが言いそうな言葉が自然に浮かんで来るのだろう。ともかくこの「カーネーション」も期待を裏切らなかった。さて明日のエンディングは何かひと仕掛けがあるだろうか。

伝説の試合 ~ マジック・マジャール ~

2012-03-29 21:12:26 | スポーツ一般
 まだテレビもなかった僕の小学生時代、話では聞いていたが一度も見たことはなかった伝説のサッカー試合を初めてYouTubeで見ることができた。それは1953年11月、ロンドンのウェンブレー競技場で行なわれた「ハンガリー代表対イングランド代表」の試合。ハンガリーが6-3と圧勝し、イギリス国民が悲嘆にくれたというサッカー史上の伝説となった試合。プスカシュ率いるハンガリーは当時“マジック・マジャール”と呼ばれた黄金時代にあった。サッカーの母国として世界最強のナショナルチームを自認していたイングランドはこのハンガリーに完膚なきまでに叩きのめされたのだった。70年代に入るあたりから、このハンガリーがなぜ急激に弱くなってしまったのか不思議でならない。



おはぎ山行

2012-03-28 21:49:03 | 熊本
 好天も今日明日までらしいので、今日は思い切って家内と小萩山へ登ることにした。家からずっと徒歩で登るのはおそらく小学生の時以来だろう。何でもない山だと思っていたが、この歳になるとさすがにキツイキツイ。昼なお暗い竹藪の山道をやっとの思いで頂上へたどり着いた。しかし、展望台からの眺望はまさに絶景。桜の木々はつぼみが膨らみ始めたばかりといった状況だったが、久しぶりに山に登ったという実感を味わった。帰りは柿原の養鱒場へ立ち寄り、健磐龍命(たけいわたつのみこと)や加藤清正公ゆかりの湧水「お手水(おちょうず)」で文字通り手を洗い喉をうるおして帰った。


鬱蒼とした竹藪が続く山道


頂上の展望台で熊本市方面を望む


西側の山々の向こうには金峰山が顔をのぞかせている。


柿原養鱒場の桜はもうだいぶ開いていた。


加藤清正公が喉をうるおしたお手水の湧水

和楽の下ざさえする三つの鼓(つづみ)

2012-03-27 20:39:28 | 音楽芸能
 僕が和楽に魅かれるようになった大きな要素の一つが三つの鼓だ。和楽においては、鼓が全体の進行をコントロールしているようだ。
 小鼓(こつづみ)は右肩の上に構え、調緒(しらべお)と呼ばれる麻紐を左手で持って右手で打つ。張られた革は湿度で微妙に音色が変わるそうで、よく奏者が革に息をかけて湿気を保つ姿を見かける。大鼓(おおつづみ)は左手で持って左ひざの上にのせ、右手に指皮(ゆびかわ)を付けて打つ。小鼓に比べ硬い金属的な音色が特徴。太鼓(たいこ)は台に乗せて床に据え2本の撥(ばち)でたたく。



 上の写真は、明治時代に活躍した写真家、玉村康三郎(たまむらこうざぶろう)が撮影した「鼓を打つ芸奴」という写真。三つの鼓を操る若い芸妓の様子を写したもので古写真マニアの間では人気が高い一枚。



奇跡の・・・塩こうじ(木屋本店)

2012-03-26 18:56:42 | 熊本
 週刊文春の「人気の麹食品」という企画で全国1位となった山鹿・木屋本店の塩こうじ。新聞で取り上げられたり、テレビでも取り上げられるなどの人気ぶり。ミーハーの心がうずいて、家内、母を伴い山鹿へ買いに出かけた。木屋さんには随分前から時々味噌を買いに行くのだが、この塩こうじのことは知らなかった。ついでに菊鹿町の「社方豆腐店」に寄って、寄せ豆腐とがんもどきを買って帰り、夕食で寄せ豆腐に塩こうじをかき混ぜて食べた。その何とも表現しにくい旨味はくせになりそうだ。




今年も華やかに「春の宴」

2012-03-25 18:46:43 | 音楽芸能
 熊本城本丸御殿では今年も4月13日(金)から5月26日(土)までの毎週末「春の宴」が開かれる。いろんな演目が予定されているが、今年もメインキャストを務めるのは中村花誠さん率いる「花と誠の会」。ザ・わらべやこわらべたちがまた一段と成長した姿を見せてくれるだろう。「花と誠の会」の出演予定は下表のとおり。
 この他、鹿児島おはら節、津軽三味線、天草ハイヤ、小倉祇園太鼓、山鹿灯籠踊りなどの演目が予定されている。


見どころ多い本妙寺

2012-03-25 17:33:07 | 熊本
 今日は風は冷たいものの青空が広がったので、来月行う予定の山歩きの訓練を兼ねて本妙寺に登った。たしか熊本は今日が桜開花の予報が出ていたと思うが、参道沿いの桜の木々はだいぶ花が開き始めている。花見シーズン近しを思わせる。最近は7月の頓写会の日、暗くなってからしか登ったことがないので、久しぶりに昼登ってみるとここは見どころが多い。


 清正公銅像が真下の浄池廟やその向うの熊本城と城下町を見下ろす広場。中学生の頃友達とよくここまで登ったものだが、その頃はまだこの銅像は復元されていなかった。


 参道沿いの東光院の枝垂桜はもう見頃。来週末は恒例の本妙寺桜灯籠(はなどうろう)で賑わうことだろう。この寺には清正公と因縁の小西行長公の墓もある。


 胸突雁木(むなつきがんぎ)沿いの六喜廟(加藤忠広公などを祀った場所)の傍には太平洋戦争で戦死した巨人軍伝説の名捕手・吉原正喜さんの記念碑がある。


 参道沿いの雲晴院には神風連百二十三志の中の岸和田出身、小篠(おざさ)四兄弟と義犬の墓がある。向かって左から、長男小篠一三、次男山田彦七郎、三男小篠清四郎および四男源三の墓が並ぶ。そして一番右が源三の愛犬「虎」の墓。標柱には次のように書かれている。

 四兄弟の長男小篠一三(29才)と次男山田彦七郎(25才)は、事変敗退後島原へ渡り再挙をはかったが、その機会がなく熊本に帰り中島の荒木社で自刃した。三男小篠清四郎(22才)、四男源三(18才)は、同志と金峰山南麓にひそんでいたが、再挙の望みなく谷尾崎の山王社で自刃した。源三の愛犬「虎」は、帰らぬ主人をさがし求め家人が源三の墓を教えると、そこを動かず餓死したという。

 今日はあいにく準備してなかったのでお参りだけしたが、今度来るときは来週で終わる朝ドラ「カーネーション」が好評だった報告もかねてカーネーションでも供えたい。

火の国YOSAKOIまつり2012

2012-03-24 16:49:45 | 音楽芸能
 今日から熊本城二の丸公園をメインステージとして市内の5会場で「火の国YOSAKOIまつり2012」が始まった。今年の参加者は132チーム、3000人にものぼるそうだ。全国に広がる「YOSAKOI」のあまりの勢いに眉をひそめる向きもあると聞くが、僕は若者がそのエネルギーを文化的、音楽的なことに注ぐ場になるならば、それはそれでいいのではないかと思う。
 ただ、僕が個人的に期待した「正調よさこい踊り」を見ることができなかったのは残念だった。せっかく地元の「牛深ハイヤ踊り」が出演していたので、「正調よさこい踊り」もひと組くらい招待してもよかったのではないだろうか。




島原大変 肥後迷惑!

2012-03-23 20:32:00 | 熊本
 「島原大変肥後迷惑」と言い伝えられる1792年(寛政4年)の雲仙岳の火山性地震および眉山の崩壊とそれによる大津波は1万5千人の死者・行方不明者を出したと言われるが、今年はそれから220年。今日たまたま、ラフカディオ・ハーン関連の文献を読んでいたら、彼が熊本にいた1894年(明治27年)8月に友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレンへ出した手紙の中に「阿蘇が爆発して地震が頻発し、庭で夜を明かした・・・」なんていう話が出てきた。熊本はやはり阿蘇を始め火山性地震が怖い。僕が小学2年生の頃、阿蘇の大爆発があった記憶があるが、最近こそあまりないものの、地震が頻発していた時期もあったように記憶している。東日本のような大地震や大津波はわれわれが住む熊本と縁遠い話ではないことをあらためて肝に銘じておかねばならない。


宇土半島から見た雲仙岳

熊本の風景今昔 ~ 桜の馬場 ~

2012-03-22 17:31:43 | 熊本
 開苑1周年を過ぎた桜の馬場 城彩苑は相変わらず好調に来客者数を伸ばしているようだ。この桜の馬場には僕らが中学生だった頃、最初の熊本国体に備えて水泳競技施設ができた。その通称“城内プール”はその後40年以上にわたって熊本の水泳のメッカのような場所になったので、それ以前の姿がどうしても思い出せない。それはともかく、プールが老朽化して解体された後、一時は駐車場になっていたが、昨年、熊本城の観光施設 城彩苑ができて再び人が集まる場所となった。水泳に青春を燃やした僕にとっては複雑な想いはあるが、これも時代の流れ、やむを得ない。今、歴史文化体験施設の湧々座が建っている辺りに50mの公認プールがあり、プールの様子は行幸坂や慶宅坂などからもよく見えた。試合や練習に向かうとき、坂を下りながらプールを眺めるとドキドキしたものだ。プールの中からお城や国立病院の方向をよく眺めていたものだが、その国立病院もすっかり姿を変えてしまった。


坪井川対岸の西嶋三井ビルから見た城彩苑の全景


かつて50mプールがあった湧々座の辺り


昭和35年(1960)熊本国体水球決勝、濟々黌(熊本)対鴨沂高(京都)の熱戦。

くまもと春のイベントシーズン到来!

2012-03-21 16:59:00 | 熊本
 熊本城二の丸公園へウォーキングしに行ったら、多くの家族連れが春の陽光を楽しんでいた。今週末には桜も開花するという予報だし、春のくまもとお城まつりなど多くのイベントも始まる。いよいよ春本番という感じだ。二の丸公園の一角では、イベントの先陣を切る「火の国YOSAKOIまつり」の会場設営が行われていた。翌週にはこの春最大の目玉「城下町くまもと時代絵巻」も控えており、今年の春は見どころテンコ盛りだ。


うららかな日差しを浴びて野球をやったりお弁当を開いたり散歩したり


早咲きの桜は開き始めていた


▼下の画像をクリックすると大きなサイズで見ることができます。

没後79年の海達公子まつり

2012-03-20 17:39:13 | 文芸
 昭和8年に16歳の若さで夭折した天才少女詩人海達公子。今日から命日の26日まで1週間の「海達公子まつり」が縁の荒尾市で始まった。今年も、海達公子の発掘者、規工川祐輔先生を玉名のご自宅まで迎えに行きご一緒した。例年どおりの式典が終っての帰り道、荒尾市境崎の墓碑のそばに新しい詩碑が建ったというので先生と見に行った。 


式典では今年も絵画、書道、俳句、自由詩などの部門別の応募作品の表彰が行われた。


今年の展示の中の一つ。高瀬高女三年の時の書。


墓碑への登り口と墓碑の後ろに、新たに「春雨」と題する俳句二句の碑が建っていた。規工川先生によればこの二句は彼女の辞世の句ともいえる作品だそうだ。

  「巡礼の 御詠歌つゞく 菜種畠」


  「春雨に 石碑を刻む 音寂し」
墓前で手を合わせながら読むと、寂しさに胸がつまる想いがする。

偉大なり!“フジヤマのトビウオ” ~ ロンドン・オリンピック1948から64年 ~

2012-03-19 15:10:02 | スポーツ一般
 ロンドンオリンピック2012まであと4ヵ月余となった。男女のサッカーを始め、楽しみな種目が数多い。
 ところでロンドンでオリンピックが開かれるのは今回で3回目。前の2回、1908年と1948年は日本が参加していないので、日本選手団にとって実は初めてのロンドンオリンピックなのである。しかし、われわれより上の世代の年配者にとってロンドンオリンピックには複雑な想いを抱く方も多いと思う。前回の1948年は終戦直後、敗戦国の日本とドイツは参加を認められなかった。なかでもこの大会の前年、1947年の日本水泳選手権で400m自由形に4分38秒4で優勝し、当時の世界記録を上回る記録を出していた古橋廣之進が参加できないことに日本国民は口惜しい思いをした。そこで日本水泳連盟は日本選手権をロンドンオリンピックの水泳決勝と同日に開催し、古橋は400m自由形で4分33秒4、1500m自由形で18分37秒0を出し、ロンドンオリンピック金メダリストの記録および当時の世界記録を上回ってみせたのである。これが敗戦に打ちひしがれていた当時の日本国民にどれだけ勇気と自信を与えてくれたか、はかりしれないものがある。僕はまだものごころがつく前で、当時の様子は記憶にないが、幼い頃、父や叔父たちによく古橋選手の話を聞かされたものだ。古橋選手が既にピークを過ぎてから参加した1952年ヘルシンキ大会の、大人たちの期待の大きさと8位に終った時の落胆ぶりは今でも鮮明に憶えている。
 幸せなことに僕は学生時代、日本水連の役員を務めておられた古橋さんといろんな水泳競技会や水連学生委員会などで何度もお会いする機会があった。僕らにとっては神様のような存在。ご挨拶する程度でお話をする機会はなかった。そして再びめぐってきた因縁のロンドンオリンピック。古橋さんはどんな想いでご覧になるだろうか。


呉服屋さんのサイトで江戸の風俗を知る

2012-03-18 21:29:14 | その他
 古典芸能に興味を持つようになると和楽にとどまらず、衣装・風俗にも興味が出てくる。そこで日本人でありながら、着物について何にも知らないことを思い知る。せめて外国人に基本的な説明ができるくらいの知識を身に付けようとネットで検索を始めたものの、これがなかなか適当なサイトがない。あっちウロウロ、こっちウロウロしながらやっとたどり着いたのが、下に記した「着物あきない」というサイト。大阪の呉服屋さんが運営しているサイトで実によくまとまっている。特に歴史編などはたんなる読み物として読んでも面白い。着物にとどまらず、髪形や履物などについても記してあり、読み進むにつれ江戸時代の風俗がわかってくると同時に日本文化の素晴らしさに気付いていくのだ。

▼「着物あきない」
 http://kimono-akinai.com/
 
※右の絵は喜多川歌麿の「二美人洗い張り」