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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ザ・わらべのこと ~gooブログじまいに当たり~

2025-08-30 20:48:21 | 音楽芸能
 20年前、明確な目的もなしにダラダラと始めたgooブログでしたが、2009年10月、私は明らかにモチベートされました。それは、熊本秋のイベント「みずあかり」で少女舞踊団「ザ・わらべ」に偶然出会ったことでした。旧NTTビル前庭の特設舞台で彼女たちが踊っていて、まるで童話のような不思議な世界に魅了されました。その後しばらくして、舞踊団のメンバーの一人、文乃さんのお父様とコンタクトでき、彼女たちの活動スケジュールを教えていただけるようになりました。以来、私の「少女舞踊団 ザ・わらべ」の「推し活」が始まりました。おかげでこのブログも彼女たちの話題を発信できるようになりました。それから15年の月日が流れ、「少女舞踊団 ザ・わらべ」は「舞踊団花童」へと変わり、ほとんどのメンバーが巣立って行きました。現在も彼女たちの後輩たちが頑張っていますが、私自身の体力も衰え、かつてのように舞踊団をフォローすることが難しくなったのは残念です。
 gooブログじまいに当たり、あらためて思いますのは、もし、「ザ・わらべ」に出会っていなければとっくにブログはやめていたかもしれません。永い間、ご好誼を賜った舞踊団主宰の中村花誠先生を始め、歴代のメンバーの皆様、そして舞踊団の活動を支えていただいたご父兄の皆様、また、舞台を引き立てていただいた邦楽演奏家の先生方、その他多くの関係者の皆様に心より厚く御礼申し上げます。もちろんこれからも可能な限り公演を見に行かせていただきます。


2011.10.1 熊本城竹の丸「くまもと秋のお城まつりオープニング」

  • 松(本條流祝儀曲)
  • 藤寿三番叟(藤本流祝儀曲)
  • 牛深三下り(牛深民謡)
  • ポンポコニャ(熊本民謡)
  • 伊勢音頭(伊勢民謡)
  • 熊本自転車節(熊本民謡)
  企画演出・振付:中村花誠
  立方:少女舞踊団 ザ・わらべ(中村くるみ・上村文乃・堀尾嘉恵)
  地方:本條秀美と秀美社中/藤本喜代則と喜代則社中/中村花誠と花と誠の会 他

夏といえば…この歌!

2025-08-10 19:21:17 | 音楽芸能
 昨今の猛暑でブログネタも夏枯れ気味。好きな音楽でも聴いて脳に刺激を与えようと、YouTubeで10数曲を選んでひと時を過ごした。その中から夏の思い出とともに忘れられない次の3曲を選んでみた。

 夏の定番曲と言えばまずサザンオールスターズの「真夏の果実」。ちょうど僕が東京から佐賀県鳥栖に転勤した夏、流行っていたこともあって印象深い。

 2曲目はザ・ビーチボーイズの「サーファー・ガール」。この曲がリリースされたのは僕の学生時代。彼らの曲の中では最初は印象が薄かったのだが、旅番組などで海が見える場面でBGMとして使われるようになり、夏や海といえば外せない曲になった。

 今週末には「山鹿灯籠まつり」が行われる。「灯籠踊り」の中で主に踊られるのが「よへほ節」。
お盆休みの最後に行われるので、東京にいた頃は帰省した熊本からUターンする日と重なり、横目で見ながら帰らなければならなかった思い出がある。

いかとり唄

2025-08-08 21:03:08 | 音楽芸能
 﨑秀五郎さんが「いかとり唄」のハモリバージョンをアップされた。この唄は神奈川県逗子市の小坪漁港に古くから伝わる民謡だが、聴きながら、ふとブリヂストン時代にお世話になった産業医の酒井恭次先生のことを思い出した。先生は10年前に他界されたが、ずっと逗子市にお住まいだったからだ。度々二人で横浜を飲み歩いたが、一度逗子のご自宅にお伺いしたいと思いながら、とうとうそれはかなわなかった。
 今夜は酒井先生を偲びながら「いかとり唄」を聴いていた。

「小坪漁港」坂田 融

 この「いかとり唄」について、「日本の民謡 ~ CDで聴くふるさとの唄」には次のように解説されている。
「いかとり唄」(神奈川)
沖に見えるは いか採り船か さぞや寒かろ 冷たかろヨイヨイ
 今朝も早よから この浜伝い ねんねこ寝るまでヨ 守り仕事ヨイヨイ
逗子市小坪の子守唄。夕暮れの浜風に吹かれながら子守娘が唄う。小坪の高橋サク(1900-?)が伝えていた。
大崎公園のあたりは、昔、小坪の女達の憩いの場で、三月三日には、お花見と称して弁当と雛人形を携えて登り、人形に“西向け!東向け!”と声をかけて海を眺めさせる風習があった。日頃、労働に明け暮れる漁村の女性たちの何よりの楽しみであった。奉公に出ていた娘達も、暇を貰って宿下りした。いかとり唄には、この日を待ちわびる子守娘の気持ちがこめられている。
小坪の小さい入江は、白鷺が舞う“鷺の浦”と呼ばれ、大崎から飯島、稲村ガ崎にかけての磯は棚が発達して、魚貝類や海藻の生育に適した漁場であった。今では小坪湾の大半が埋め立てられ、逗子マリーナとなっている。
  • 作曲家・福田和禾子(1941-2008)が「いかつり唄」として編曲。民謡愛好家の裾野を広げている。
  • 高橋キヨ子、本條秀太郎採譜・編曲、尺八/三橋貴風、藤崎重康、米澤浩、ギター/本條秀長。
    少しかすれた声が渋い味を出している。お座敷調の子守唄。子守少女の気分と雰囲気は乏しい。
  • ダ・カーポ(榊原まさとし、広子)「イカ採りの唄」
   ▼「いかとり唄」パート2(﨑秀五郎)

   ▼小坪いかとり歌(花童舞踊)

酒田甚句とおてもやん

2025-08-07 23:00:04 | 音楽芸能
 今週火曜日(5日)にNHK-BSで「新日本風土記~最上川~」が放送されました。


 山形県を流れる最上川は、流域に暮らす人々の暮らしを支え、文化を運び、風土を育んできました。江戸時代舟運で栄えた河口の港町酒田では少女たちが酒田舞娘の伝統を継承すべく稽古に励んでいます。僕は酒田には行ったことがありません。にもかかわらず、彼女たちが踊る「酒田甚句」には不思議な懐かしさを覚えるのです。


 5年ほど前、熊日新聞の連載企画「肥後にわか~笑いの来た道~」に、東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)さんが「おてもやん」の音楽的系譜について寄稿されました。それによりますと

――明治20年頃「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」という曲が流行りました。上方の噺家・初代芝楽が京都から江戸に移り、この唄を披露し、花柳界から瞬く間に全国に届くほど大流行しました。この「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流とするといわれるのが、酒田甚句(山形)、名古屋甚句(愛知)、日高川甚句(和歌山)、男なら(山口)、おてもやん(熊本)などの民謡です。――

 日頃、わが熊本の「おてもやん」に慣れ親しんでいる者にとって、遠く離れた山形県酒田の地で唄われる「酒田甚句」に懐かしさを覚えるのはごく自然なことなのかもしれません。

   ▼酒田甚句
山形県民謡「酒田甚句」
   ▼おてもやん
熊本県民謡「おてもやん」

「よへほ節」のはなし。

2025-08-03 21:11:40 | 音楽芸能
 八月になったかと思えば来週末は早くも「山鹿灯籠まつり」の季節。かつては毎年見に行ったものだが、コロナ騒動あたりから足が遠のいた。今年は久しぶりに見に行ってみようかと思っている。
 その「山鹿灯籠まつり」で踊られる「山鹿灯籠踊り」の代名詞ともなっている「よへほ節」について山鹿市発行のリーフレットにはその名前の由来について次のように説明されている。

【よへほの意味・由来】
 元唄は、男女の逢瀬・呼び合いを歌った土俗風のものだったが、明治から大正にかけて座敷唄へ、その後酒造り唄へと転用されたと考えられます。
昭和の初め野口雨情が改詞したものが、今の「よへほ節」。「よへほ」は、その囃子詞。また一説には「酔え+ほ」ではないかと言われています。まず「ほ」は、肥後弁特有の相手の気を惹いたり、注意を促す場合の「ほら、ほら」です。「酔へ」はこの踊りを見て「あなたもお酔い」、あわせて「あなたもお酔いよ、ホラッ」といったニュアンスになります。

 10年ほど前、山鹿の文化振興に永年携わって来られた元山鹿市立博物館長の木村理郎先生のご自宅を訪問したことがあった。山鹿灯籠まつりの再興に与って力があった先生のお父上・木村祐章先生の書かれたNHKラジオドラマ「ぬれわらじ」の脚本原稿を見せていただくためだった。理郎先生は、山鹿灯籠おどりについてとても興味深い話をされた。その一つは、山鹿灯籠おどりで主に踊られる「よへほ節」は、今日では野口雨情作詞となっているが、実は野口雨情が作詞したものも含まれると表現した方が正しいそうだ。たしかに昭和9年に雨情を招聘して作詞を依頼したそうなのだが、それ以前に山鹿協友会という地元の町興しグループが作った「山鹿温泉小唄」というのがあり、それに雨情が作詞した「山鹿小唄」を合わせて今日の「よへほ節」が出来あがったという。また、明治初期頃からお座敷唄として芸者さんたちが唄っていた古調の「よへほ節」も当初は「ようへほ節」と呼んでいたらしく、その由来はよく言われる「酔え、ホー」と酒を勧める言葉ではなく、酒造りの時の囃子詞から来ているという説もあるという。たしかに下の古調「よへほ節」を聞くと「よへほ」という囃子詞のあとに「こりゃこりゃ」という合いの手が入る。いかにも米どころ、酒どころ山鹿の酒造り唄を思わせる。

   ▼古調「よへほ節」

   ▼千人灯籠踊り「よへほ節」

水野詩都子さんを偲んで

2025-07-25 12:55:05 | 音楽芸能
 昨日は、昨年7月24日に他界された民謡歌手・水野詩都子さんの1周忌でした。水野さんを偲ぶ記事にふさわしい映像をと、あれこれ選択するのに時間がかかってしまい、アップが今日になってしまいました。水野さん!申しわけない!
 結局選んだのは2018年11月に水野さんの本拠地名古屋で行われた「やっとかめ文化祭2018」における「まちなか披露~なごやうた~」の舞台映像です。長年の相方となった端唄三味線の﨑秀五郎さんと登場した水野さんは、秀五郎さんと軽妙なトークを交えながら見事なMCぶりです。演目は下記のとおりですが、合間には「津軽じょんがら節」や「猫じゃ猫じゃ」などのひと節を披露するサービスもあります。
 尾張藩第七代藩主・徳川宗春の治世のもとに花咲いた「芸どころ名古屋」の伝統芸能を継承するお一人として活躍された水野さん。その早世が惜しまれてなりません。
 演目については秀五郎さんに監修をお願いしました。個別の演目を視聴されたい場合は開始時間をクリックしてご覧ください。

03:42「名古屋名物」前弾き
10:03「伊勢音頭(さわぎ)」 〽︎伊勢は津でもつ〜 〽︎伊勢は良いとこ〜
15:40「岡崎五万石」アカペラ 〽︎五万石でも〜
18:16「名古屋名物(うみゃ~もん)」〽︎うみゃーもん〜 〽︎知っていりゃーす〜
23:40「越中おわら節」(出会い)〽︎おわら踊りの笠着て〜 (見送りましょうか〜)
27:08「志貴の庄よしこの」(夜這い)〽︎蓑着て笠着て〜 〽︎草履を懐で〜
34:18「名古屋名物」(倦怠期)
38:17「俗曲名古屋甚句」(別れと未練)


コニー・フランシスさん!

2025-07-18 21:06:13 | 音楽芸能
 今朝の新聞でコニー・フランシスさんの訃報を知る。87歳だったそうである。
 コニー・フランシスさんといえば、僕が中・高・大学の頃、アメリカン・ポップスの代表的なスターだった。彼女の歌を主題曲とする映画にも出演し、よく見に行ったものだ。また、彼女の歌は日本でも多くの歌手がカバーし、草創期の日本ポップス界を牽引した。
 僕は歳をとってからも時々急にコニー・フランシスさんの歌が聴きたくなり、「YouTube」でよく検索した。彼女の歌を聴くと「わが青春!」って感じでノスタルジックな気分になる。アメリカンポップスが日本に定着したのはこの人の功績が大きいんじゃないだろうか。イタリア系の彼女の歌はカンツォーネの香りがするところがまたいい。特に好きな10曲をピックアップしてみた。
 わが青春の思い出を飾ってくれたコニー・フランシスさんのご冥福をお祈りするとともに心からの感謝を捧げたい。


叔父が好きだった「真室川音頭」

2025-07-11 21:01:44 | 音楽芸能
 今日はお盆の親類挨拶回りをした。玉名の母の実家では叔母としばらく世間話をしたが、御殿場で一人暮らしをしている叔父のことが話題になった。帰りの車の中で、ふと、叔父が若い頃よく口ずさんでいた「真室川音頭」のメロディが頭に浮かんだ。あれはたしか叔父が二十歳前後の頃だから、70年も前のこと。当時、林伊佐緒の「真室川音頭ブギ」が大ヒットしていて、ラジオでもよく流されていた。僕も1番だけだったら今でもソラで唄える。
「♪ 私しゃ真室川の梅の花 コーオリャ・・・」
 それはさておき、YouTubeで「真室川音頭」を探していたら、熊本出身の民謡歌手・梅元遥香さんが東京浅草の民謡酒場「和ノ家追分」のメンバーとして太鼓で参加している動画が見つかった。聴きながら、まだ僕が小学3・4年生の頃がいろいろ思い出された。


田植えが終わったばかりの玉名の田圃の先に雲仙岳を望む。

唄:髙森彩花 三味線:山中裕史 太鼓:梅元遥香

水野詩都子さんのベスト動画

2025-07-07 21:48:17 | 音楽芸能
 民謡歌手の水野詩都子さんが他界されて早くも1年が経とうとしています。今でも時々、YouTubeで﨑秀五郎さんとのコンビによる「東海風流プロジェクト」や「しずごろう民謡わがままチャンネル」などの映像を楽しませてもらっています。その中で、僕がベスト動画と思っているのが、明治時代に流行った「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流とする各地の民謡を紹介した「唄は伝わり思いは繋がる。日本列島唄比べ。」です。

「そうじゃおまへんか節」が日本全国に伝播し、名古屋では「名古屋名物」になり、熊本県「おてもやん」、山形県「酒田甚句」、和歌山県「日高川甚句」等々それぞれが独自の進化を遂げて行きました。

 2018年5月から2020年6月まで26回にわたって熊日新聞夕刊に連載された「肥後にわか~笑いの来た道~」に、東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)さんが「おてもやん」の音楽的系譜について寄稿されました。その要約は次のとおりです。

――明治20年頃「きんらい節」という曲が流行りました。上方の噺家・初代芝楽が京都から江戸に移り、「きんらい節」を披露し花柳界から瞬く間に全国に届くほど大流行しました。蓄音機ができる10年前ですから、広範囲で流行したというのは凄い事だと思います。曲のおしまいに呪文のような囃子言葉があります。
「キンムクレッツノスクネッポ スッチャンマンマンカンマンカイノ オッペラポーノ キンライライ
 そおじゃ おまへんか アホらしいじゃ おまへんか」
 そして「きんらい節」は「そうじゃおまへんか節」とも言われました。
 この「そうじゃおまへんか節(きんらい節)」を源流とするといわれるのが
  酒田甚句(山形)、名古屋甚句(愛知)、日高川甚句(和歌山)、男なら(山口)、おてもやん(熊本)などの民謡です。
 これらの唄は、必ず「そうじゃおまへんか節」の旋律が入っています。
  「名古屋名物」では「おそぎゃあぜえも」。
  「おてもやん」では「花盛り花盛り」「それが因縁たい」。
  「男なら」では「オーシャリシャリ(仰る通り)」
  「酒田甚句」では「繁盛じゃおまへんか」「ハーテヤテヤ」
の部分です。――

 「そうじゃおまへんか節」に源を発するこれらの唄を「詩都子節」で聴き比べするのもおつなもの
です。

唄:水野詩都子 三味線:﨑秀五郎


※gooブログ終了に備え、「はてなブログ」にてテストランを実施しています。
 徒然なか話(はてなブログ版)

神田福丸さんと笹木美きえ師匠

2025-07-05 10:27:38 | 音楽芸能
 今日、江戸端唄・俗曲 師範の笹木美きえ師匠のFacebookに、落語家の柳家小三治師匠、浪曲師の玉川福太郎さん、それに端唄の神田福丸さん、それぞれの名入り手拭いの写真が紹介されていた。お三方とも既に鬼籍に入られているのだが、美きえ師匠とのご関係も書き添えてあった。
 神田福丸さんといえば、2012年10月に熊本城本丸御殿でザ・わらべが「さのさ」を踊った時、その音源が神田福丸さんだったことを後になって知った。神田福丸さんの端唄を聴いたのはそれが初めてだったが、とても印象深かったので、どんな歌手なのか調べてみたら何とその年の初めに亡くなっていた。
 美きえ師匠のFacebookには、神田福丸さんについて「福丸姉さん(神田明神下の芸者さん)」と書かれていたので、あらためてご関係をおたずねしてみた。いただいたお返事によると、大師匠の日本橋きみ栄師匠のもとで福丸さんと美きえ師匠は姉妹弟子のようなご関係だったことがわかった。何と40数年前から福丸姉さんの伴奏をされていたという。
 神田福丸さんが唄われる「さのさ」の作詞は、「祇園小唄」で知られる熊本ゆかりの長田幹彦氏であり不思議なご縁を感じた一日だった。

2012.10.20 熊本城本丸御殿 秋夜の宴 ザ・わらべ(くるみ・あやの)


42年前の神田福丸さん(左)と若き日の笹木美きえ師匠(右)

2025年上半期 動画視聴ベスト10

2025-07-02 18:06:54 | 音楽芸能
 今年上半期のYouTubeマイチャンネル視聴分析結果が判明しました。
 チャンネル総視聴回数は 617,357 回。ベストテンは下記のとおりです。
相変わらず「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がダントツで183,598回を数えました。
以下、上位はほとんど入れ替わりがありません。
 上位の曲には根強いファンが定着しておられるようで、とって代わるような新作をと思っていますが容易ではないようです。

1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(183,598回)


2.こわらべ ~ 江津湖音頭 ~(32,845回)


3.花童 ~ 肥後のタンタン節 ~(25,071回)


4.南部俵積み唄(21,238回)


5.こわらべ~ お座敷小唄/芸者ワルツ ~(21,103回)


6.ひえつき節(19,027回)


7.伊勢音頭(歌詞付)(17,251回)


8.花童 ~ 絵日傘/数え唄 ~(15,476回)


9.幸若舞「敦盛」(12,081回)


10.おてもやん(歌詞付)(11,872回)

サマータイム(Summertime)

2025-07-01 20:03:44 | 音楽芸能
 今日は文月朔日のお詣りに藤崎八旛宮へ行った。拝殿でお詣りを済ませ、境内の摂社・末社を巡ったのだが、その間、まさに“キケンな暑さ”。お詣り途中のジジイが熱中症で倒れた!なんてシャレにもならない。早々にお詣りを済ませ車へ退避した。
 ふと、高校に上がるか上がらないかの頃見た映画「ポギーとベス」でダイアン・キャロルが歌った「サマータイム(Summertime)」のメロディが浮かんだ。ジョージ・ガーシュウィンの名曲である。
 今日は、New Orleans Jazz Houndsの演奏で聴いてみた。田村麻紀子のクラリネットが絶品である。


栗田さんの久住高原

2025-06-29 18:06:19 | 音楽芸能
 栗田さん あなたは今どこにいますか?
 大好きだった久住高原あたりをドライブされているのでしょうか。もっとも車は運転できませんので、きっと空中浮遊して自由に飛び回っておられるのでしょうね。奥様とはお会いになりましたか?お二人水入らずで楽しい日々を過ごしておられることでしょう。
 あなたが遺した映像の数々をあらためて拝見しております。今日はあなたがお好きだった「久住高原」の唄に歌詞を付けてみました。ぜひ見てください(^^♪
※栗田弘一さんは2025.5.27に旅立たれました。

ミュージックシーン 60's

2025-06-25 22:53:11 | 音楽芸能
 最近、無性に60年代のポップスが聴きたくなる。今日もYouTubeで検索して数曲を楽しんだが、その中から下の2曲を選んで貼り付けてみた。
 1曲目は当時アイドル的なポップス歌手だったレスリー・ゴーアの「It's My Party」。
日本では「涙のバースデイ・パーティ」というタイトルで、園まりさんや中尾ミエさんなどがカバーしていた。
 2曲目は当時ガールズ・ポップスを代表する存在だったザ・ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー(Be My Baby)」。名ドラマーのハル・ブレインが刻んだ最初の 4 秒のリズム「thump-thump-thump-crack !」が音楽史に残る伝説的なビートとなった。




雨(La pioggia)

2025-06-23 21:41:06 | 音楽芸能
 雨が降り続く中、所用で新町に出かけた。やみそうもない雨空を見上げていると、雨音と車の通り過ぎる音に混じって、若い頃よく聞いたジリオラ・チンクェッティの「雨」のイントロが聞こえたような気がした。


 僕が中・高から大学の頃、つまり60年代には映画や音楽などイタリアの文化がどんどん入って来た。今も入っているのかもしれないが、世界中の多様な文化が入って来る時代なので目立たなくなっているのかもしれない。当時はイタリアの歌はみんなカンツォーネと呼んでいたような気がする。ジリオラ・チンクェッティを始め、ミーナ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクらの歌はよく聞いたものだ。

        ▼ジリオラ・チンクェッティの「雨(La pioggia)」