今年の「牛深ハイヤ祭り」は今日の総踊りで閉幕しました。
3月2日の記事「民謡の旅(1)」に続き、今日はその続き「ふるさと遥か 民謡の旅(2)」をアップしてみました。
前編では九州の西海岸や日本海沿岸を北上する北前船に乗って、寄港地伝いに伝播していった「牛深ハイヤ節」が、ついには1600㌔も離れた津軽地方に到達し「津軽あいや節」と姿を変えて唄い継がれていることを紹介しましたが、旅はこれで終わりではなかったのです。
VIDEO 牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」
津軽海峡を回った「ハイヤ節」は東廻海運に乗って太平洋側の南部地方・八戸辺りの港に伝わり「南部アイヤ節」となります。江戸時代の南部地方は現在の青森県と岩手県にまたがっており、岩手県の宮古辺りにも青森県とはちょっと異なる趣の「南部あいや節」が伝わっています。
◇南部アイヤ節 (NHKアーカイブスより)
九州から東北にかけて広く歌われる「ハイヤ節」の中で、「南部アイヤ節」は、酒田を出て津軽海峡を抜けて江戸へ向かう千石船の船乗りが八戸近辺に伝えた「ハイヤ節」であると言われています。港町の酒席での酒盛り唄として歌われてきました。
太平洋側を南下した「南部アイヤ節」は宮城県の塩釜港辺りで「塩釜甚句」として唄い継がれます。
◇塩釜甚句 (NHKアーカイブスより)
宮城の民謡。塩釜市で歌われてきた唄です。鹽竈神社の社殿落慶の祝典の余興として、伊達四代藩主綱村が、文人粋客らに歌詞を作らせ、当時海岸地方に流行していた「南部アイヤ節」の曲を付けて、塩釜の芸妓に唄わせたのが、この唄の始まりだということです。
仙台藩(宮城県)から江戸へ送る米を千石船に積んで送られて来た潮来(茨城県)には、宮城県の「塩釜甚句」も一緒に伝わり、「俚謡の古里」と呼ばれた潮来で洗練され「潮来甚句」として唄い継がれます。
◇潮来甚句 (線翔庵サイト民謡コレクションより)
これは牛深ハイヤ節を源流とする「ハイヤ節」が元であるといいます。潮来は、奥州仙台藩から江戸へ送る米を千石船に積んで送られてきた場所であって、宮城県の騒ぎ唄である《塩釜甚句》が潮来にも持ち込まれ、潮来化したものと言われます。本来の「ハイヤ節」のような「ハイヤー」という歌い出しは失われていますが、もともとの威勢よさや、賑やかな唄ばやしがつくあたりは、「ハイヤ節」の名残は伝わっています。「潮来音頭」と「潮来甚句」はそれぞれ別に歌われることが多いのですが、続けて組唄のように演奏される場合、「潮来あやめ踊り」として演奏されます。その場合、《潮来音頭》の最後の歌詞を、「さらばこれよりションガイ節(音頭)をやめて 次の甚句に移りましょ」として、返しを付けずに甚句に移ります。また、三味線の調子は「潮来音頭」が二上りで、「潮来甚句」が本調子ですので、音頭が終わると途中で、三味線の調子を変えて続けて演奏します。どちらも潮来ならではの雰囲気を醸し出す唄に仕上げられ、しかも個性ある音頭と甚句を続けることで、音楽的にも面白い構成となっています。
VIDEO 潮来音頭/潮来甚句
※さらに旅は続きますが、それはまた後日。