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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

伊豆の踊子が踊る曲

2025-04-24 21:42:39 | 音楽芸能
 今日、NHK-BSのプレミアムシネマで吉永小百合版「伊豆の踊子」が放送されました。映画化された戦後の「伊豆の踊子」5本すべて見ていますが、この小百合版だけでも既に5、6回は見ています。しかし、今日も見逃すわけにはいきません。この映画が公開されたのは僕が高校3年の時。小百合さんは1級上なので既に18か19歳、原作の14歳の踊子・薫が17、8歳の設定に変えられていました。
 「踊子」という役柄上、踊るシーンは欠かせませんが、「伊豆の踊子」全5作の中で、この小百合版が一番、踊るシーンが多かったと思います。お座敷で踊ったのは「ノーエ節」、「串本節」そして「ハイカラ節(自転車節)」の3曲。温泉町を流している時に踊っていたのは「ストトン節」ではなかったかと思います。いずれも原作者の川端康成が伊豆の旅をした大正7年頃流行っていた歌で、当時の時代背景を表しているのでしょう。その中から、今日は「ノーエ節(農兵節)」と「ハイカラ節(自転車節)」の2曲を添付してみました。

◇ノーエ節(農兵節)
 民謡歌手の水野詩都子さん(昨年7月没)と三味線奏者の﨑秀五郎さんによる東海風流プロジェクトの曲として、水野さんが亡くなったその月にアップされました。在りし日の水野さんを偲びながら聴きたいと思います。静岡県民謡。


◇「ハイカラ節(自転車節)」
 明治40年代、自転車の時間貸しが大流行、明治42年(1909)には、こんなハイカラ風俗を風刺した演歌師、神長遼月が作った「ハイカラ節」が流行します。翌43年(1910)には「自転車節」として広く歌われていたといいます。この「自転車節」の熊本バージョンが「熊本自転車節(別名:おても時雨)」です。

ふるさと遥か 民謡の旅(2)

2025-04-20 22:19:44 | 音楽芸能
 今年の「牛深ハイヤ祭り」は今日の総踊りで閉幕しました。

 3月2日の記事「民謡の旅(1)」に続き、今日はその続き「ふるさと遥か 民謡の旅(2)」をアップしてみました。
 前編では九州の西海岸や日本海沿岸を北上する北前船に乗って、寄港地伝いに伝播していった「牛深ハイヤ節」が、ついには1600㌔も離れた津軽地方に到達し「津軽あいや節」と姿を変えて唄い継がれていることを紹介しましたが、旅はこれで終わりではなかったのです。

牛深高校郷土芸能部による「牛深ハイヤ節」

 津軽海峡を回った「ハイヤ節」は東廻海運に乗って太平洋側の南部地方・八戸辺りの港に伝わり「南部アイヤ節」となります。江戸時代の南部地方は現在の青森県と岩手県にまたがっており、岩手県の宮古辺りにも青森県とはちょっと異なる趣の「南部あいや節」が伝わっています。

◇南部アイヤ節(NHKアーカイブスより)
 九州から東北にかけて広く歌われる「ハイヤ節」の中で、「南部アイヤ節」は、酒田を出て津軽海峡を抜けて江戸へ向かう千石船の船乗りが八戸近辺に伝えた「ハイヤ節」であると言われています。港町の酒席での酒盛り唄として歌われてきました。 


 太平洋側を南下した「南部アイヤ節」は宮城県の塩釜港辺りで「塩釜甚句」として唄い継がれます。

◇塩釜甚句(NHKアーカイブスより)
 宮城の民謡。塩釜市で歌われてきた唄です。鹽竈神社の社殿落慶の祝典の余興として、伊達四代藩主綱村が、文人粋客らに歌詞を作らせ、当時海岸地方に流行していた「南部アイヤ節」の曲を付けて、塩釜の芸妓に唄わせたのが、この唄の始まりだということです。 


 仙台藩(宮城県)から江戸へ送る米を千石船に積んで送られて来た潮来(茨城県)には、宮城県の「塩釜甚句」も一緒に伝わり、「俚謡の古里」と呼ばれた潮来で洗練され「潮来甚句」として唄い継がれます。

◇潮来甚句(線翔庵サイト民謡コレクションより)
 これは牛深ハイヤ節を源流とする「ハイヤ節」が元であるといいます。潮来は、奥州仙台藩から江戸へ送る米を千石船に積んで送られてきた場所であって、宮城県の騒ぎ唄である《塩釜甚句》が潮来にも持ち込まれ、潮来化したものと言われます。本来の「ハイヤ節」のような「ハイヤー」という歌い出しは失われていますが、もともとの威勢よさや、賑やかな唄ばやしがつくあたりは、「ハイヤ節」の名残は伝わっています。「潮来音頭」と「潮来甚句」はそれぞれ別に歌われることが多いのですが、続けて組唄のように演奏される場合、「潮来あやめ踊り」として演奏されます。その場合、《潮来音頭》の最後の歌詞を、「さらばこれよりションガイ節(音頭)をやめて 次の甚句に移りましょ」として、返しを付けずに甚句に移ります。また、三味線の調子は「潮来音頭」が二上りで、「潮来甚句」が本調子ですので、音頭が終わると途中で、三味線の調子を変えて続けて演奏します。どちらも潮来ならではの雰囲気を醸し出す唄に仕上げられ、しかも個性ある音頭と甚句を続けることで、音楽的にも面白い構成となっています。

潮来音頭/潮来甚句

※さらに旅は続きますが、それはまた後日。

今日のマイミックスリスト

2025-04-15 20:55:50 | 音楽芸能
 一昨日アップした記事「ブラタモリ伊勢路編・第二夜」に貼り付けた「俚奏楽 伊勢土産」をYouTubeで視聴していたら、サイドバーに「マイミックスリスト」が表示されたので久しぶりにクリックしてみた。50曲に近い動画がリストアップされたが全部見るわけにもいかないので、その中から下記の3曲を選んで視聴した。

◇長唄「五條橋」
 弁慶と義経の出会いを描いた謡曲「橋弁慶」をもとにした長唄「橋弁慶」のうち五條橋の対決シーンに焦点を当てた長唄です。杵屋五司郎さん率いる蓑里会の三味線、杵屋六花登さん率いるうらら会の唄、中村花誠さん率いる花と誠の会の囃子、藤舎仁鳳さんの笛という名手が揃った演奏です。

◇バディ・ボールデンズ・ブルース(Buddy Bolden's Blues)
 19世紀末期のニューオリンズはジャズの揺籃期。ニューオリンズジャズを確立したのがジャズ王とも呼ばれたコルネット奏者のバディ・ボールデンです。そのボールデンの代表曲「Buddy Bolden Blues」をクラリネットの名手、田村麻紀子と P Time Selectionで。
 ラフカディオ・ハーンは1880年代の終わりごろまでニューオリンズにいましたので、どこかでボールデンと出会っているかもしれませんね。

◇鹿北茶山唄
 熊本県内の茶どころでも「鹿北茶山唄」で知られる鹿北町の茶畑には、県内外から多くの労働者が出稼ぎにやって来て賑わったといいます。特に明治の頃は天草の人を雇わぬ人はなく、一軒に多い時には数十人が働いていたそうです。その天草の人たちが茶摘みに来たときに歌った歌が「茶山唄」です。
 本條秀美会と花と誠の会の演奏で舞踊団花童が踊ります。

2025年1~3月 動画視聴ベスト10

2025-04-06 20:32:24 | 音楽芸能
 今年に入ってから3ヶ月のYouTubeマイチャンネルの視聴分析結果が判明しました。
 1~3月期のチャンネル総視聴回数は 308,206 回。ベストテンは下記のとおりですが、相変わらず
「お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)」がダントツで93,035回を数えました。以下、上位はほとんど入れ替わりがなく、そろそろ上位に入るような新ネタをリリースしたいと思っているところです。 

1.お座敷小唄/芸者ワルツ(リマスター版)(93,035回)


2.こわらべ ~ 江津湖音頭 ~(17,232回)


3.花童 ~ 肥後のタンタン節 ~(12,301回)


4.こわらべ~ お座敷小唄/芸者ワルツ ~(11,785回)


5.南部俵積み唄(11,078回)


6.伊勢音頭(歌詞付)(9,591回)


7.ひえつき節(7,725回)


8.花童 ~ 絵日傘/数え唄 ~(7,128回)


9.おてもやん(歌詞付)(5,934回)


10.幸若舞「敦盛」(5,484回)

春 麗かに

2025-03-14 16:55:26 | 音楽芸能
 今日の午後は気温22℃に達する陽気で、昨年より開花がだいぶ遅れていた坪井川遊水地の河津桜も見ごろになってきた。来週にはソメイヨシノの開花もチラホラ聞こえてくるだろう。熊本城周辺のソメイヨシノはもちろんのこと、昨年閉鎖中で見られなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」や三の丸漆畑の御衣黄桜など楽しみが多い。二の丸広場では「春のくまもとお城まつり」も始まり、華やいだ雰囲気につつまれている。街中では卒業式帰りと思しき一団もよく見かけるが、彼らのこれからの人生に幸多かれと祈りたい。


坪井川遊水地の河津桜(遥か彼方に金峰山)

マルディグラで踊る間に(While We Danced At The Mardi Gras)P-time Selection

100年後に見た人は・・・

2025-03-07 19:34:50 | 音楽芸能
 Facebookの「思い出」をチェックしてみたら、2013年3月7日の日付で下の動画がリストされていた。この動画は別の日付で2回ほど使っているが、なぜこれが2013年3月7日の日付になっているのか不明。
 それはさておき、アメリカの旅行家、写真家であるバートン・ホームズが1920年代に日本を訪れ、撮影した若い芸妓たちの演奏と舞踊の映像である。つまり、おおよそ100年前の日本の民間芸能の記録ということができる。
 あらためてこの映像を見ながら、今まで、僕自身が撮ってきた映像は100年後(2125年頃)もYouTubeが残っているとすれば、どんな人たちがどんな見方をするのだろうと思うとちょっと怖くなった。


   ▼YouTubeにアップした映像の中から

ふるさと遥か 民謡の旅(1)

2025-03-02 13:48:11 | 音楽芸能
 まだ今日のような通信手段がなかった時代、ある地方の民謡が海路、陸路を往来する人々によって遠く離れた地方に伝わる。そんな例は枚挙にいとまがないほどだが、いくつかの代表的な例をあげてみたい。今日はその第1回として「ハイヤ節」を取り上げてみた。

 天草の「牛深ハイヤ節」は全国ハイヤ系民謡の源流だといわれる。牛深は天然の良港として江戸時代から明治初期にかけて海道の要衝であり、行き交う廻船の船乗りたちが聞き覚えた唄や踊りを日本各地に伝えたといわれる。廻船の寄港地は全国何十箇所とあり、それぞれの港にも民謡はあったはずなのになぜか、「牛深ハイヤ節」が船乗りたちによって各地の港に伝えられたのは、各港での酒席において船乗りたちを高揚させるノリ(グルーブ感)が際立っていたからではないかと思われる。
 牛深を立ち、大坂を経由した廻船は北前船として瀬戸内海を通り、下関を回って日本海を北上した。最終的には北海道の松前に向ったが、津軽地方に入ると、鯵ヶ沢や青森、野辺地などの港へ寄港し、酒席で船乗りと港の女たちが入り混じって盛んに「ハイヤ節」を唄い踊った。そして「ハイヤ節」は、牛深から1600㌔も離れた津軽の風土に晒されながら「津軽あいや節」へと変化して行った。

立方 はつ喜月若・花童あやの・花童あかね・花童ゆりあ
地方 【 唄 】本條秀美・西村直子
   【三味線】本條秀美・本條秀紫・蒲原サヤ子・勇美智子
   【鳴 物】中村花誠と花と誠の会

    若手津軽三味線奏者として今注目されている駒田早代の「津軽あいや節」

今日の「マイ ミックスリスト」から

2025-02-25 21:58:24 | 音楽芸能
 YouTubeの「マイ ミックスリスト」はしばらくチェックしていなかったが、今日はたまたま目にとまったので一覧してみた。相変わらず26曲がリストされていたが、やはり中には「ナゼこれが?」という曲も含まれていた。リストされた曲の中から、今日聴きたいと思った次の2曲を選んで聴いてみた。

1曲目は、NHK総合で放送されている紀行番組「小さな旅」のオープニング&エンディングテーマ曲「光と風の四季」を中島愛実さんのフリューゲルホルンで。

2曲目は、田村麻紀子さんのクラリネット&ヴォーカルと後藤沙紀さんのピアノのユニット「紀々音」で「懐かしのニューオリンズ(Do You Know What It Means to Miss New Orleans?)」

    小さな旅~光と風の四季~

    懐かしのニューオリンズ(Do You Know What It Means to Miss New Orleans?)

瞳を閉じて

2025-02-19 17:09:12 | 音楽芸能
 昨日のブログ記事「マラソン大会を支える医療救護体制」に、かつて五島列島でお医者様をされていた方にコメントをいただいた。その中に、奈留島にいた頃、「五島長崎国際トライアスロン」の救護班として会場の福江島に渡ったエピソードが書かれていた。
 奈留島や福江島など五島列島には行ったこともないのに、何だか懐かしい気がした。それはきっと荒井由実時代のユーミンが作った歌「瞳を閉じて」のせいだろう。この歌が作られて既に50年ほど経っているが、ユーミンがこの歌を作ったのは、当時ユーミンがDJをしていた番組に送られたリスナー(奈留島に住む女子高生)からの依頼に応えて作った高校の愛唱歌だったのだが、そのエピソードを紹介したドキュメントを何度か見て以来、この歌を聞くと、行ったこともない奈留島が頭に浮かんでくるようになった。この歌は今では音楽の教科書にも載っているそうである。ユーミンは、優しい潮風に包まれる美しい風景とともに、そこを後にして都会に出てゆかなくてはならない高校生たちへの思いを込めて作ったそうだ。


春は嬉しや

2025-02-12 19:47:05 | 音楽芸能
 今日の雨で今冬の寒さも峠を越したのかもしれない。わが家の近辺はいまだ梅も花開かないし、昨年は今頃既に開き始めていた河津桜もまだ蕾が硬いようだ。今週末には熊本城マラソン2025も控えている。せめてランナーたちに開き始めた梅の花を見て心和ませてもらいたいものだ。
 この季節になると決まって聞きたくなるのが端唄「春は嬉しや」。と言ってもこの唄は春夏秋冬の恋模様を唄っている。春が出だしなので春の唄のイメージが強い。「話を菊の花」や「気を紅葉(もみじ)」などの掛詞(かけことば)を使ったり、「花見、鳴海、月見、雪見」と韻を踏む歌詞があったりして洒落ている。この動画は今から15年前の映像で、立方の「ザ・わらべ」はまだ中学生と小学生だった。注目は地方のメンバー、熊本を代表する邦楽演奏家が揃っている。仮設の舞台が設えられているのは坪井川に沿った熊本城長塀前で、熊本地震以来、この一帯は立入規制エリアである。早い復旧が望まれる。
※右の絵は鈴木春信の「夜の梅」


初午と「はかま踊り」

2025-02-07 20:55:18 | 音楽芸能


 昨日は熊本城稲荷神社の初午大祭が行われ多くの参拝者で賑わっていた。稲荷神の神使はきつねだが、この神社にはそれとは別にきつね伝説がある。加藤清正が24歳の時、太閤秀吉から肥後北半国十九万五千石を与えられ、肥後国に入った時、近江長浜から付き随った二匹の兄弟きつね(霊狐)のうち弟の「緋衣大明神」が祀られている。そんなことを考えながら参拝していると、大河ドラマ「べらぼう」に登場した九郎助稲荷の神使であるきつねの化身、花魁姿の綾瀬はるかが頭に浮かんだ。きつねの化身が女性なのは、稲荷神社の主祭神であるウカノミタマが女神だからなのかななどと思いながら、7年ほど前に城彩苑わくわく座で行われた舞踊団花童の初午おどりのことを思い出した。たしか、はつ喜流月若さんがきつねの舞を披露した。あれは何という舞だったのかが気になり、帰ってから調べてみたが、当時撮った映像の中には見つからなかった。YouTubeを検索してみると志場隆さんが撮られた玄宅寺舞踊会の中にその映像があった。題名は「はかま踊り」とあった。これはそもそもどんな曲目なのか調べてみると、広島県民謡の中に「袴踊り」というのがあった。「はかま」というのは徳利袴のことで、かつては芸妓たちが袴をパカパカ鳴らして唄い踊っていたらしい。元唄は信州長野の馬子唄らしいのでさもありなんという感じだ。広島では名物の「杓子」に持ち替えて踊られているらしい。
「安芸の宮島 まわれば七里 浦は七浦 七えびす」
というフレーズは各地の民謡でも唄われているようだ。
 そんなわけで初午と「はかま踊り」の関係は未解明のままである。今度、中村花誠先生にお会いした時にお尋ねしてみよう。


2018.2.3 城彩苑わくわく座 舞踊団花童の初午おどりではつ喜流月若さんが踊った「はかま踊り」

   ▼志場隆さんが撮られた玄宅寺舞踊会での「はかま踊り」(2017.9.29)
〽安芸の宮島 まわれば七里 浦は七浦 七えびす

英国女性ポップス歌手華やかなりし時代

2025-01-31 11:35:07 | 音楽芸能
 今日、ネットニュースで英国の女性ポップス歌手マリアンヌ・フェイスフルさんの訃報を見た。僕と同年齢で学生時代のアイドルのひとりでもあった。波乱の多い人生だったようだ。60年代の前半、英国ではビートルズを始めとするリバプールサウンドが台頭してきた頃だが、女性ポップス歌手も多士済々だった。中でもよく聴いていたのが、マリアンヌ・フェイスフル、ダスティ・スプリングフィールド、ペトゥラ・クラークの3人だ。ダスティ・スプリングフィールドさんはだいぶ前に亡くなったので、ご健在はペトゥラ・クラークさんだけだが、ご高齢で隠遁生活のようだ。わが青春の思い出を彩る女性ポップス歌手の時代も遠い昔のこととなり寂しい限りである。

 今日は3人の代表曲を聴きながら学生時代の思い出に浸った。

リアンヌ・フェイスフル「涙あふれて(As Tears Go By) 」(1964年)

スティ・スプリングフィールド「二人だけのデート(I Only Want to Be with You)」 (1963年)

トゥラ・クラーク「恋のダウンタウン(Downtown)」(1964年)

「芸どころ熊本」とあやこ姐さん

2025-01-28 21:40:24 | 音楽芸能
 このところ眼科や胃腸科など、新町・古町の病院へ行くことが多くなり、必ず新町の福田病院あたりを通る。現在、福田病院の寿心亭があるところは、かつて老舗料亭・新茶屋があった。通る度に昔の趣のある風景を思い出す。
 僕が初めて料亭と名のつく場所に行ったのは、もう50数年も前の大学を出たばかりの頃。父がまだ教員現役で、同勤の先生たちとの宴に連れて行ってもらった。どういう趣旨の宴だったのか思い出せない。熊本に帰って間もなかったので行った料亭もどこだったのか憶えていない。ただ、父があやこ姐さんという芸妓さんを呼んだことだけは憶えている。どうも学校関係の宴会にはあやこ姐さんを呼ぶのがお決まりになっていたようだ。僕があやこ姐さんにお会いしたのは、後にも先にもその時だけで、どんな芸を披露されたのかも憶えていない。後に「熊本最後の芸妓 あやこ姐さん」としてテレビで紹介されたり、上村元三さんがFacebookで紹介されたのを拝見して、有名な方なんだと認識した次第である。ご健在であれば90歳を超えておられるはずだが、あやこ姐さんしか踊れない踊りがあるという話も聞いたことがあり、かつて料亭文化華やかなりし頃の「芸どころ熊本」の至芸を、若い人たちに受け継いでいってもらいたいものである。


かつての料亭・新茶屋(現福田病院内・寿心亭)前を芸妓さんを乗せて走る厚生車(輪タク)

   ▼あやこ姐さんも踊ったであろう「五十四万石」

吉原遊郭と音楽

2025-01-27 22:38:19 | 音楽芸能
 大河ドラマ「べらぼう」は4回まで放送されたが、音楽文化の発信基地でもあった吉原遊郭の中にいまだそれらしいシーンが見られない。このドラマの音楽は「麒麟がくる」も担当したアメリカの作曲家ジョン・グラムが担当している。しかし、彼はドラマの本筋を彩る音楽を担当しており、歌舞伎の下座音楽に当たる部分は日本人が受け持つと思われる。スタッフの中に「芸能指導」として薩摩琵琶演奏家の友吉鶴心氏がクレジットされているが、吉原遊郭の音楽を主に担っていたのは三味線。今後、吉原遊郭の三味線音楽が見られるだろうか。

 江戸末期、吉原固有の唄だった「さわぎ唄」。正式名「吉原さわぎ」は、他所の遊里などで唄う場合は吉原の許可を必要としたという。各地に広まっていくと遊里や酒宴の席などで、座を盛り上げるために三味線や太鼓に合わせてにぎやかに唄われた。吉原でも当初は音曲のみ、しかも太鼓のみで歌う短い曲だったそうだが、その後三味線が加わり、さらに振りを付けて、踊るようになったので曲が長くなったそうだ。歌舞伎の下座音楽としても、揚屋・茶屋などの場面で、酒宴・遊興の騒ぎを表現するために使われるようになったという。

 下の絵は江戸前期の浮世絵師・菱川師宣が描いた、吉原遊廓での人々の生活風俗を題材にした揃い物のなかの一枚。座敷では三味線二挺と鼓が演奏し、遊女が踊っている。「さわぎ唄」でも唄って座を盛り上げているのかもしれない。


 「さわぎ唄」は各地の遊里に広まり、その土地土地でアレンジを加えながら唄い継がれた。下の映像は平成時代に作られた「熊本さわぎ唄」。おそらく数多のさわぎ唄の中で最も新しいと思われる。
 作詞:小川芳宏 作曲:今藤珠美 作調:藤舎千穂


 下の絵は葛飾北斎の娘、葛飾応為の代表作「吉原格子先之図」※「素見=冷やかし」が集まる


 その「吉原格子先」いわゆる「張見世」の様子を唄った「長唄 吉原雀」は江戸中期の明和五年(1768)に作られたもの。

マイミックスリスト

2025-01-23 22:18:09 | 音楽芸能
 YouTubeの「マイミックスリスト」機能によりリストアップされたタイトルを時々チェックしている。ネット上には個人のお気に入りをまとめたものというような説明もあるが、自分でお気に入りに選んだ覚えはない。中には一度も再生したことがないものも含まれており、再生歴からAIで僕が好みそうなものを選んでいるのだろう。先日リストされていた下記の26タイトルの中から3タイトルを選んで視聴した。

  • 喜代節
  • 熊本民謡おてもやん
  • 鹿児島三下り~田助ハイヤ
  • After You've Gone - P Time Selection
  • 東海風流チャンネル「下田節」
  • ひえつき節(宮崎県民謡)
  • ザ・わらべ~さのさ~
  • 熊本自転車節(歌詞付)
  • 花童~肥後のタンタン節~
  • 花童~キンキラキン~
  • ザ・わらべ~津軽あいや節~
  • 伊勢音頭(歌詞付)
  • こわらべ~江津湖音頭~
  • 長崎浜節/長崎ぶらぶら節
  • 端唄 せつほんかいな
  • 牛深高校郷土芸能部 牛深ハイヤ節
  • 民謡「鹿児島小原良節」
  • 花童~絵日傘/数え唄~
  • 花童~小坪いかとり歌~
  • こわらべ~京ものがたり~
  • 新保広大寺~八木節
  • おてもやん 田中祥子
  • 東海風流チャンネル「碧南木遣節」
  • Clarinet Marmalade, Shotgun Jazz Band with Makiko Tamura
  • ざ・わらべ&こわらべ~河内音頭~
  • 豊浜須佐踊り

   ▼After You've Gone - P Time Selection

   ▼東海風流チャンネル「下田節」

   ▼ザ・わらべ~さのさ~