キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

小澤先生 94歳 お祝いの会 in 箱根

2024年09月14日 | └─恩師
8月24日土曜日、恩師小澤先生の 94歳のお祝いの会が箱根湯本で開かれ、夫婦で行ってきました。
先生はしばらく前に体調を崩されて入院中とのことでしたが、無事開催され、全国から大勢の人たちが お祝いに駆けつけました。







私も大学の同期と誘い合いましたが、 一緒にヨーロッパに行った 皆さんや色々お世話になった方々に再会できたことがとても嬉しく、あちこち挨拶に忙しくとても楽しい会となりました。


会場は 箱根湯本駅に近い湯本富士屋ホテルの大宴会場。




34個並んだテーブルには、それぞれ グリム童話のお話のタイトルがつけられていました。われらのテーブルは「おおかみと七ひきの小やぎ」。
大学時代の友人たちといっしょです。

先生 は 医療スタッフに助けられながら車椅子で入場され、皆からの祝辞などを嬉しそうに聞いていらっしゃいました。
また 誕生日ケーキも用意されていて、 お孫さんたちからの祝福の言葉や 花束贈呈などもありました。

88歳の米寿のお祝いの時は先生の講演会が催されましたが、 今回も先生からのお話の時間があり、後進へのメッセージを力強い言葉で話されていました。





ご家族によれば 、ご体調は 一進一退のようですが 、この会を非常に楽しみにされて リハビリなども頑張って来られたとのことでした。
まだまだこれから やりたいお仕事の話なども、意欲的にされていました。

そのあとは先生の活動の関係者や、(私とは違い)立派な研究者となられている教え子の皆さんからの祝辞が続きました。ドイツの研究者仲間のウター 先生からのお祝いビデオメッセージなども届いていました。

米寿のお祝いの時は、私たち筑波の教え子たちにも声がかかり、同期の友人が祝辞を述べました。今回はそういう オファーがなかったので、ないものだと気楽に構えていたら、 会場入りした後 お世話係の方から 「祝辞の時間ありますよ。お願いしますね」と簡単に言われてしまいました。

えー 聞いてないし!

でも、こういう会で話をさせてもらえるのはとてもありがたいこと。
私なりに精一杯努めました。ぶっつけだったので、話はまとまらずボロボロでしたけど、まぁ気持ちが大事ですよね。 こういうものは 。

1人当たりの時間は2分ぐらいということでしたが、適当に話したら 5分も喋っていました。こんな機会はもうないと思いますが、何があってもいいように練習しておきたいと思いました。





参加者は全国から 300名ほどが集まったということです。
昔ばなし大学も今年で32周年、 そのお祝いも兼ねての会なので、昔ばなし大学の皆さんが中心で、数年前に「中欧の旅」をご一緒した皆さんも何人ももいらっしゃっていましたし、7年前の25周年大会でお目にかかった秋田の方々、小澤昔ばなし研究所の皆様との旧交を温めました。

私のテーブルはつくばの仲間たち、その他先生が筑波にいらっしゃる前の日本女子大学時代の教え子の皆さんのテーブル もありました。

会の終盤には先生の息子さん(!)のギター弾き語り などもあり、 なかなかのサプライズ。先生も最前列でとても嬉しそうにご覧になっていました。

会の時間は12時から4時までの4時間もとってあり、参加者とゆっくり話をすることができました。長丁場 なので 先生は途中で一旦が退席なさり、控え室で休まれていたようです。

最後は先生の弟さんの幹雄さんの指揮で賛美歌の「山辺に向かいて」 を歌いました。この歌は昔話 大学の会合では必ず歌われれるものです。

先生の体調を考慮して、先生に個人的に声をかけるのは遠慮しました。
(コロナやその他の感染などを避けたいということでマスクも推奨されていましたし)

いつも通り、愛と情熱のあふれる会で幸せな気持ちになりました。



会の終了後は、同じホテルに1泊の予約をしていたので、チェックインして、しばし筑波の友人と部屋でおしゃべり。
日帰りの人はだれもいなくて、みな箱根に宿を取っているとのこと。
湯本の駅前商店街で軽く飲もうかと繰り出しました。

箱根湯本も外国人観光客がいっぱいで、お店にも英語メニューが標準装備。日本の観光業界の進化はすごいですね。



昭和感漂う居酒屋で二次会。
学生に戻ったような気分でした。

箱根もまだまだ暑く、結局今回の箱根行きは、先生の祝賀会と友人たちとの居酒屋と、翌朝の温泉街散歩だけでおわりました。
もう少し気候の良いときにまた遊びに来たいなと思いました。


ほんとに今年の夏はあつすぎます。























夏休みの一泊ひとりたび つくば学園都市へ

2024年08月14日 | ☆旅行─国内旅行
今年の夏休みは土日祭日を入れて6 連休。
とっても暑いので何もする気にならず、特に計画も立ててなかったのですが、
「つくばに行ってこようかな、のんびり 1泊で」と思いつきました。

今年は同級生がお店を出したこともあり、大学時代の友人に会う機会が増えました。(先日のブルーベリー狩りも大学の友人つながり)それで 大学時代を過ごしたつくばに行ってみようかなと思ったわけなんです。

卒業後も何度か行ったことはありますが 、今回は1人旅で自分のペースで訪れたいと思います。


宿の予約サイトで日航ホテルが結構安かったので 予約。このホテル、私がつくばにいた頃は「つくば 第一ホテル」でした。その後 オークラグループになり、今は日航。ホテルってどんどん運営会社が変わりますよね。

当日は午前中に新橋で人に会い、午後イチ、秋葉原からつくばエクスプレスに乗りました。

つくばエクスプレスの沿線は新しい開発がどんどん進んでおり、ファミリー層に人気のマンションがたくさん 建っています。休日ということもあり 車内にはベビーカーや 子供連れがたくさん。ここだけ少子化が関係ないような世界でした。私が子供の頃は日本中がこんな感じだったんでしょうけどね。

2時前につくば駅に到着。



ホテルのチェックインは2時からなのでちょうど良かったです。
今回は先払いプランで、1泊シングル 素泊まりで7500円ぐらいでした。




茨城県にあるつくばは、東京 横浜 に比べれば 気温も1度ぐらいは低いようですが、こう 天気がいいと容赦なく 暑い!

部屋で少し休憩して 今日の行動を考えます。お昼を食べていないのでまずは食事ですね。Google マップでレストラン情報をチェック。
どうせ行くなら学生時代からあるお店に行こうと思います。バスに乗って30分くらいで着けそうです。

つくばセンターにはバスターミナルがあります。
バスターミナルのそばに観光案内所がありました。
ここでバスの情報が手に入ります。


「筑波大学循環」という路線に乗って北上します。
一番北側にある農林技術センターで下車。


大学構内の道路の樹木がとても大きくなっています。鬱蒼としていると言っていいほどですね おかげで日陰が多くて助かりました。


バス停から北に10分ほど歩くと目指す和食屋さんに到着。「割烹 一の矢」という店です。午後3時過ぎという中途半端な時間だったので営業しているか電話して確認しておきました。


昼ご飯も食べてなかったのでお腹がペコペコ、カツオの刺身にカレイの煮付け それに アジの開きとカニ汁 という 豪華な定食を食べました。 これで2000円弱。


せっかく ここまで来たので 平安時代に創建されたという 一ノ矢八坂神社によってみました。学生時代に来た記憶はあまりないんですけどね。立派なお社でした。


お腹もいっぱいになりましたので、ここからはゆっくり徒歩で大学構内を通ってホテルへ戻りたいと思います。
筑波大学は南北4キロあると言われています。


まずは 私が2年間住んでいた一の矢学生宿舎へ。


学外の皆様へ という 注意書きを見つけました。禁止されてる行為はあるものの、散歩は問題ないようですね。よかった。


筑波大学は 開学 51年。
当初からあった学生宿舎は相当老朽化しています。私の時代はほぼ100%近い新入生が宿舎に入ってましたが、そのごだんだん、宿舎はオンボロだというので、入居する学生は多くなく、 もっぱら留学生などに利用されているという話を聞きました。
何年か前に、宿舎に住む学生さんの YouTube 発信を見たことあるんですが、部屋が相当 ボロボロだったのに衝撃を受けました。国立大学もお金がないんですよね…。

【補足】
いまは学生宿舎の改修もすすみ、用途に合わせて色々な使い方をされているようです。


私の入居していた建物は見た目は昔のままでした。 エアコンは各部屋に入っているようで、部外者が侵入できないようセキュリティー強化されていました(私の頃は誰でも自由に出きりできました)
調べてみたら今この棟は、短期留学生向けの宿舎として使われているようです。


ここの308号室に1年間住んでいました。

こちらは 2人部屋。
面積が1人部屋の3倍あってベランダ付。
ペイントされてますね。中はちゃんと綺麗になっているんでしょうか?すべて空き室に見えますが、どういう用途に使われているのでしょうね。


次にこのエリアの共用棟へ。
歩いて行ける距離にお店が何もなかった私の学生時代、この共用棟が生活を支えてくれていました。銭湯、 食堂、 売店、 床屋、喫茶室、 電話、郵便受けなどなどが揃っていました。今はどうなってるでしょうか?


共用棟の前には リヤカーが何台も。
私たちもこれを使って引っ越しなどをしました。 今でも健在ですね。


共用棟のロビーは広々してました。一番奥にあった喫茶コーナーは廃業して久しいようです。(床がベリベリ剥がれていて立ち入ることもできない感じだった)

朝食から夕食まで出してくれていた食堂。
今は食堂ではなく、フリースペースとして使われてるようでした。
学生さんたち、ご飯はどうしてるんでしょうね。自炊かな?


売店は山崎 ショップが入ってるようですね 
この他に電気屋さんと 床屋さんもありました。




銭湯は コインシャワーに変わっていました。留学生が多くなって 共同浴場 形式はニーズが少ないのかもしれませんね。そして今は各棟にコインシャワーの設置があるみたいです。


共用棟の事務室。
ここの雰囲気は変わっていませんが 私たちの頃は ここに各棟ごとの郵便受けが置いてあり、また実家からの伝言などの張り紙もあったりで、毎日ここに立ち寄る必要がありました。今は 各宿舎の入り口に郵便受けが設けられ、電話も各部屋に引けるようです(もういらないでしょうけどね)。



思い入れが強すぎてずいぶん長居してしまいました。
これから 学内を南北に貫く歩行者専用道路(自転車も通りますが)ペデストリアンデッキ(通称 ペデ)を通って大学 中心へ 向かいます。

一の矢学生宿舎を出るとすぐに池があります。
筑波大学というか 学園都市全体に言えることですが、土地を造成した時にたくさんの人工池が作られました。
ここは兵太郎池。写生に来たことがあります。水面が見えないほど 水草で覆われてました。宿舎から 校舎エリアまでは徒歩約10分くらいなのですが、入学したばかりの頃は暗くなると歩いて帰るのが怖くて嫌でした。今ならむしろ自然いっぱいなのが嬉しくて、気持ちよく歩くところですけどね。


ペテはこういう車道の上を 陸橋で越えていきます。

学内のバス道路(ループ)を超えると もう校舎が立ち並ぶ エリアになります。



この案内表示のデザインは変わってないですね。



第2 第3エリアへ到着。
ちょうどこの日から大学 全体が盆休みで、図書館や事務の人たちも休みになっていたようで本当に人の少ない校内でした。

藤棚 が立派!


草ボーボー で近づくことすら ためらわれる ベンチ。

ここも水面に水草がいっぱい。


ガマの穂がたくさんありました。これは自然に生えてきたんでしょうか? それとも景観を作るために植えたのかしら??


今回は一人なので、すこしマニアック(笑)な場所にも行ってみました。
ここは 休みの日や夜間などでも出入りできる校舎の裏口です。いつもここに 原チャリを停めてました。駐輪する時に操作を間違えて壁に激突させてしまったこともありましたっけ。

昼間なので 表も開いていたんですが、懐かしくてこの裏口から入ってみることにしました。


壁の色は綺麗に塗り直されていましたが 昔のままですね。


学生課の場所。
よく図書館の本を延滞して張り紙されたりしました。

建物の入り口がほとんど 自動ドアになっていました。


学食の裏にウッドデッキ スペースができてました。おしゃれですね。


学校全体がお休みモードでしたが、図書館広場前の噴水は動いていました。


図書館前の石の広場。
そろそろ 夕焼け。


ループ 道路に出て、1学エリアへ向かいます。
つくば時代後半は、自転車を手放し、バイクに乗っていたのでこの道路のほうが馴染みがあります。
大学本部棟。
ほとんどの学生は足を踏み入れることのない場所ですが、サークル連合の委員をやってる頃に大学側との懇談会とかで来たことがありました。


文化系サークル会館。
普通の校舎じゃないせいか、老朽化が激しすぎます。

学生さんの姿はなかったのですが、開いていたので ちょっと入ってみました。
文サ連執務室。自分のサークル活動もそっちのけでここに詰めていることが多かったですね。


写真があんまりないんですけど 1学エリアの松見池前です。
池がうつってなかった…


この後 天久保3丁目を少しうろうろして、昔 アルバイトしていた 丸善ビルの跡やアティック 401のあったビルの跡などを探しましたが、古いビルはなくなっており、もう記憶もおぼろげでした。

友達がアルバイトしていたランプという喫茶店は昔のままありましたが もう 営業時間が終わっていました。

大学会館エリアへ。
昭和なテイストが色濃く残る 案内板。


大学会館のエリアは旅行会社や書店、画材屋さん、郵便局などいろいろな生活サービスがあり、不便な大学の中にあって少しワクワクする場所でした。


保険管理センターは今でも学生の健康支えてるようですね。


体育芸術(タイゲイ)エリアへ。
大学の中で一番最初に建てられた校舎だったとはずです ここ。築50年を超えてるということですね。


写真ではまだ明るいですがだんだん薄暗くなってきました。
誰か 練習している人がいるかな と思って グランドに行ってみましたが、テニスコートも誰もいませんでした。
このグランドでは 陸上運動を2年間とり、テニスの授業も1年間(と言いたいところですが 朝1限目で1学期で履修放棄!)一般学生も使える施設です。


遠くのサッカー場だかには ライトがついていて練習している声が聞こえました。

タイゲイエリアを抜けるとまた学生宿舎があります。
ペデを歩いていると自転車に乗った 学生さんたちが時々通ります(歩いてることはほとんどいない)ほとんどが外国人のようでした。

学生宿舎の手前にスーパーとカフェがあります。
これは最近できたもの のようです。
オアシスですね!
スーパーはお休みでしたが カフェは営業していました。


平砂学生宿舎。
所々 明かりのついてる窓もありましたが、ほとんど学生さんがいませんでした。

平砂共用棟。
もう暗いので 中には入りませんでした。
(私のいたエリアではないですしね)


平砂エリアにはグローバルビレッジと言って留学生と日本人学生が共同生活をする新しい宿舎群が立ち並んでいます。ここだけ建物もピカピカで別世界のようです。どんな学生生活を送ってるんでしょうね?


ここから学外へ出ます。3〜4年生の頃に住んでいた、天久保2丁目の辺りを散歩します。

妻木バッティングセンター。 1回だけ行ったことあるような気が。


このエリアのアパート たちも どんどん 新しく建て替わっていて、そのころのお店もほとんど残っていないのですが、友達の住んでいた このアパートだけは変わらずありました。細田 グリーンコーポ。

私の住んでいたアパートはついに取り壊されて新しい建物が建築中でした。なんだか寂しいけどおそらく 築50年ぐらいだったので仕方ないですね。
塀だけは昔のままでした。

ここまでで大学のエリアはおしまい。
すっかり暗くなっているのですが、もう 汗だくになってるし バスには乗らずに歩いて ホテルまで帰りたいと思います。

メディカルセンターのところからまた ペデに戻ります。
松見公園の栓抜き棟は健在です。

つくばエキスポセンターの前の池、 噴水が綺麗でした。


やっとつくば駅に到着!
ビールが飲みたい。
どこか テラス席 みたいなところでビールが飲めるお店ないかしら??


1回ホテルに戻ってシャワーを浴びて 着替えてから出直そうか?

色々考えましたが、結局駅前のコンビニで夜食とビールを買い込んで、 ベンチで飲んでしまいました。
美味しかった!


午後4時半から歩き始め、4時間 近く経過していました。歩数を見ると 23000歩 ぐらいでした。
暑さもあったので くたびれました。
この夜は風も涼しく、夜風に吹かれながらのビールは最高でした。

この後 部屋に戻り シャワーを浴びてもう1本 ビールを飲んでから寝ました。



2日目。
6時起床。
ホテルのチェックアウトは11時なので、それまでにもうひと散歩して、シャワーを浴びてからチェックアウトしたいと思ってます。

6時半に出発。
今度はホテルのあるセンタービルから南にペデを歩いて洞峰公園まで行きたいと思います。Google マップによれば 片道30分くらいらしい。

センタービルの中庭。
大学1年の時にクラスのみんなで映画を作ったんですがそのロケ地です。
見た感じはあまり変わっていません。



筑波大学出身のアーティスト 明和電機 さんのオタマトーンの巨大なオブジェがありました。


このペデ(歩行者専用道路)を歩いて行きます。街路樹があるので日陰を選んで歩け そうです。

つくばセンターより南側のエリアは学生の頃はほとんど 足を踏み入れたことがなかったので新しい町のような気分で歩くことができます。

ジョギングをする人や散歩する人、通勤なのか 自転車で爆走していく人などたくさん出会いました。そしてこのペデは歩行者用の通路と自転車用の通路が分けられていて比較的安心して歩くことができます。

二の宮公園の時計台これには 見覚えがある。


洞峰公園前にあるウエストハウスという洋食屋さんです。
ここは私の学生時代からあって、カリフォルニア風のおしゃれなお店という記憶です。Google を見ると今も人気店のようです。

洞峰公園にも池があります この池も人工的に作られたものです。

ここまで30分。
公園で少し休んで同じ道を引き返します。

コーヒーが飲みたい。
考えたら 昨日の朝も コーヒーを飲まなかったので、カフェインが切れています(笑)さすがにこの時間に空いてる カフェ はまだ なさそうです。
コンビニでもいいのだけど、来る途中で全く コンビニは見かけませんでしたね。

つくば国際会議場の前に建設 功労者の記念碑がありました。
見てみると鳶の人とかの名前から書いてありました。こういう記念碑は珍しいいのでは?



結局 コンビニはないまま、センター地区まで引き返してきました。
今度はペデを西の方へ歩いて行きます。
陸橋の上から、いかにも 「昭和の頃の最先端」の建物が見えました。私がつくばにいた頃はたくさんあったなー。

近づいてみることにします。
「桜村共同溝管理センター」と書いてあります。つくば市になる前 ここは 桜村だったんですよね。一応 桜村のところは セメントで塗ってありますけど…




最近まで市の施設として使われていたようですが 今は空き家で廃墟になっていました。こういう建物は予算が取れたら 取り壊されちゃうんでしょうね。

中を覗いたらなんだかすごく斬新な設計の建物でした。中央の三角のところ共同溝の様子が見えたりしたんでしょうか?


この四角く尖った 窓も斬新です。
お金かかったでしょうね。

こういうコンクリートとタイルと鉄柱に色を塗ったものの組み合わせが 昔のつくばにはたくさんありました。
妙に懐かしくなって しげしげと 見ちゃいました。





うろうろしていたら8時過ぎました。
センター地区のカフェも開く時間です。歩き回ったので また汗だくになりました テラス席のあるカフェはあるでしょうか。

つくば駅前のトナリエという商業施設のスターバックスにテラス席がありました。
2日ぶりのコーヒーを飲みます。
朝でそれほど暑くないとは言っても テラス席で飲んでいるのは私だけでした。
つくば駅への通路になっているのか、目の前を通る人がちらほら。

一人のご年配の女性が私を見るなり びっくりしたような顔をして話しかけてきました。
「まあ!奥様、なんて色が白いの?日焼けしないんですか??」

奥様って私のこと? 色が白い?!
え?!
めっちゃ 日焼けしてますけど(笑)

とっても 山の手風の話し方でした。つくばにはこういう上品な方が昔からいらっしゃいますよね。



ホテルのあるつくばセンタービルの低層階にはアイアイモールという商業施設がのがありましたが、周りに強力な商業施設ができたせいで集客できなくなり、10年くらい前に来た時にもうすでに空きテナントだらけでした。
今はどうなってるんだろうと思っていたんですが、見事に再開発されていました。

つくば市の市民センターが入居し、市民に解放された図書スペースや キッズスペース、自習スペースなどが配置されていました。
さらにスタートアップ企業に向けたであろうオフィススペースがあり、そこに隣接してコワーキングスペース、ホテルに繋がるカフェスペースなど、今の時代にあった建物の利用がされていて素晴らしいと思いました。




ホテルに戻り シャワーを浴びてのんびりしてからチェックアウトしました。




筑波大学 お酒も作ってるんですね。
今度買ってみよう。

滞在時間 24時間の 筑波一人旅となりました。
やったこと といえば1回 レストランで食事したのと、筑波研究学園都市を南北に貫く 「つくば公園通り」という歩行者専用道路を 7〜8km歩いたくらい。
(大学内はあちこち歩き回りました)

思い出探訪 という意味でも楽しかったし、
つくば という発展する街に触れたことも楽しかったです。
学生の頃は住んで豊かな生活が送れる街とはとても思えなかったですが、 今のつくば なら 十分生活を楽しめる街になっていると感じました。
またここに住んでみたいな などと思いました。


使ったお金 メモ
ホテル1泊7500円
つくばエクスプレス 往復2410円
バス 310円
1日目 食事 2000円
1日目 ビールとおつまみ 1200円
2日目 カフェ 1000円
散歩中の水など 300円

以上 合計14720円でした。







ブルーベリーの収穫体験 旧交を温める

2024年07月11日 | アウトドア活動
大学時代、サークルに入っていました。
その頃は絵を描くのが好きだったので美術部 みたいなのに入ってました。
自分のペースで好きな絵を描くのですが、人物画を練習したい人のために、毎週1回 部費でモデルさんを頼んでました。その他、年2回夏と冬に絵を描く合宿、学園祭など年に2回の展覧会を開いたり という活動でした。

大学にはたくさんのサークルがあり、体育会、芸術系サークル連合 文化系サンクール連合と3つのサークル組織がありました。私の絵を描くサークルは芸術系 かと思いきや 文化系サークル連合 に属していました。
各サークルから1人ずつ委員が出て、サークル連合を運営するのですが、どこに行ってもそういう役回りになる私は 委員として派遣され、さらにサークル連合の執行委員にもなってしまいました。

主な仕事は、各サークルへの補助金分配、新入生歓迎行事や学園祭、三系合同企画(アイドルコンサート)の準備 実行 など。結構忙しくて、自分のサークルに顔出すよりも この執行委員として活動する時間が長くなりました。この委員として集まったメンバーが楽しかったということもあり、任期1年なのに、2年やってしまいました。

 私はこの活動の他に学部の企画委員もやっていて、こちらはこちらで 学園祭企画や新入生歓迎など忙しかったんですが、 今にして思えば 学業そっちのけで学生生活をフルに謳歌していたんですね(笑)

(タイトルのブルーベリーの話がなかなか始まりませんね)

その頃の執行委員仲間のうち私を入れて4人とは卒業後も仲良くしています。

そのメンバーの一人に長く海外で農業指導員などをしていた人がいます。20代の頃に 海外青年協力隊に応募したことをきっかけに、その後農業指導の専門家になったそうです。
ただこの仕事は契約雇用が不安定で、派遣される国もいろいろ、期間もいろいろで家庭生活なども大変だったようです。人生後半の生活を見据えて自ら農業を始め、ブルーベリーに取り組んでいるとのことで、「うちの畑に遊びに来ない?」と誘われたので 行ってきました。

日程の関係で都合のあった3人で集まりました。
土曜日の朝 茨城県の古河駅に集合。
ブルーベリーの彼が迎えに来てくれてました。

古河駅には初めて降り立ち そこから畑へ向かう 40分ほどの道のりは興味をひかれるものがいっぱい。
まっすぐな道路がたくさん走っている場所もあれば 古い集落 そのままの くねくねした道もあったり。初めて行く土地は わくわくしますね!
工場の誘致が進んでいる場所だということで日野自動車とかプラスチック工場、セメダインの工場、ギンビスの工場などたくさん。山崎パンの工場は相当 古いようで、敷地の周りの桜が立派な老木でした。

その工場が誘致後に整備された立派な道路のすぐ脇に友人の畑はありました。
友人の家は代々この辺りで農業をやっていた地主さんの分家にあたり、祖父母の代から勤め人で、土地は全て貸していたそうです。最近、その土地が返されたこともあり自分で始めたのだそうです。
本家では農地を転用して、工場向けの倉庫業をやっているとか。




畑に到着。
全面に鳥よけのネットがはってあります。
帽子、日焼け止め、それにまだ午前中だけど虫除けスプレーなどもつけて、いざ 畑に入ります。

この畑だけで 15種類の品種のブルーベリーが植えてあります。この樹高になるまで 8年ぐらいかかっているそうです。

7月に入って急に気温が上がったため、収穫が追いつかないとのこと。
彼一人でやっているので大変そうです。
地面を見るとたくさん 実が落ちていました。あーもったいない。


このぶどうのようななり方のをみて「すごーい!」と思ったんですが、ブルーベリー農家としてはあんまり良くないらしい。



ブルーベリーのなり方は、こっちの少しまばらになっている方が望ましいそうです 実がぎゅーって詰まらない方がいいんですね。


熟れている実はちょっと手のひらを添えてあげるだけでポロポロっと取れます。それを何粒もいっぺんに口に入れてもぐもぐして食べると美味しいよ!
とすすめてくれました。

生のブルーベリーをこんな風に食べるのは初めてです!
さわやかで甘くて美味しい。
よく冷凍で売ってる外国産のは粒も小さいのが多いですが、彼の作ってるブルーベリーは 粒が大きいものがたくさん。


収穫 風景。



15品種ある中で、今が収穫時期である4 品種 取らせてもらいました。

チャンドラー
リバティ
ピンクレモネード
あともう一個 名前忘れてしまいました…

1時間ぐらいいろんな話をしながら収穫し、その後は彼の実家(作業場)へ向かい冷房のあるところで選果です。

無農薬で作っているので 所々クモの巣がついたりしています。運ぶ途中で潰れちゃったものとか、もう干からびちゃってたものとかをより分けていきます。

見てくださいこの山盛りのブルーベリー!

ぺちゃくちゃ おしゃべりしながら、作業するのもなかなか楽しいです。

もう一人の友人はある大手のIT企業勤め。すでに役職定年を迎え 現在 ほぼ リモートワークで月に1回ぐらいしか会社に行ってないと言ってました。
大手たし優秀な人だから順風満帆なサラリーマン人生かと思ったら、強烈なパワハラを受けて激痩せしたこともあったそうです。やっぱり組織は色々ありますね。 


農業指導員の友人の話も知らないことばかりで刺激的でした。。
ブラジルの奥地での車のトラブルとかブータンの話とか知らないことばかり。

このブルーのトレーは梅を干すためのもののようですが 友人はブルーベリーの選果に使っているようです。
このトレーに3個分も取ってましたよ。
強欲(笑)!!

友人には「2 L ぐらいの容器を持ってきてね」と言われていたのですが、取ったものは それをはるかに超える分量。
結局 持ってきた容器だけでは足りず、ジップロックの袋などをもらって詰めて帰りました。8 Lぐらい あったんじゃないかな?

調子に乗って 取りすぎました。
売り物なのに良かったんだろうか??


その後スーパー銭湯で汗を流し、それから 近隣をちょっと観光して、駅前の居酒屋で軽く食事をして別れました せめてものお礼として 友人の分はご馳走しましたが 全然足りなかったんじゃ?

袋に詰めたものが潰れるんじゃないかとドキドキしてましたが、帰宅後確認すると、案外大丈夫でした。
さーっと水洗いして小分けにして冷凍保存。あとで ジャムにしてもいいし ジュースにしてもいいけど 案外そのまま食べてしまいそうです。


同級生3人で過ごした1日、とても楽しかった。喋りすぎてなんだか喉が枯れてましたよ。

メモ:横浜⇔古河 JR休日お出かけパスが安くて便利
普通なら片道1694円×2=3388円のところ、
2720円(668円オトク)で、しかもエリア内乗り降り自由。
得した分で、帰りはグリーン車(1000円)に乗ってしまいました。

スーパー銭湯:八千代グリーンビレッジ憩遊館
茨城県結城郡八千代町松本592
露天風呂もある天然温泉。 700円(JAF会員証で100円引き)

逆井城跡:戦国北条氏の支城。
中世の櫓等が復元されている
茨城県坂東市逆井1261


橘川先生の講演会「地域を考える、町田から考える」へ行ってきました

2024年06月18日 | ☆学ぶ!


神奈川大学のエクステンション講座(公開講座)で、連続受講している橘川先生の講演会があるというので町田まで行ってみました。

神奈川大学の公開講座、春の5回シリーズは先週で終わったのですが、ちょうど6回目のような位置づけ。

主催は神奈川大学の同窓会町田支部(?)のようです。
だれでも無料で参加OKとの話だったので、お言葉に甘えて。

会場は@「町田ぽっぽ」という半分公共の場所のような施設、中庭に面してスタバがあっていい雰囲気です。
町田駅にはおそらく初めて下りたったのですが、ものすごくひとが多くて「都会!」というのが第一の感想。
講演の中でも、町田は古くから「交通の要衝」という話がでましたが、まさにそんな感じです。
















知らなかったのですが、この講演会は同窓会の会合の第2部のような位置づけだったようで、参加者の大半はその関係の皆さんの様でした。
・・・私なんかが来てしまって、なんかすみません。

橘川先生にも始まる前にご挨拶しました。
先生もさすがに私の顔を覚えてくださったらしく
「今日の話はね、先週までやってた話にだいぶかぶるところがあるんだよ。だから、もう聞いた話だなって思うと思うよ」
なんて、わざわざ前振りをしてくださったり。


講演の中で、渋沢敬三宅にあった「日本常民文化研究所」が、神奈川大学に移ったいきさつなどについても聞くことができました。
宮本常一の本でも読んだことのある「九学会連合合同調査」のことなども。

法学部の教授で政治思想が専門の橘川先生が、なぜ常民研の仕事をするようになったのか、のお話も改めてちゃんと伺えて有意義でした。
(わたしも、なんでなんでなろうと不思議に思っていたのです)

にしても、古文書を読むの先生の専門とも関係があったのかな?
こんど機会があったらそんな話も聞いてみたい。



そもそも神大のエクステンション講座で橘川先生の講座を受講するようになったのは、日本の政治思想「ナショナリズム」について興味があったから。
全く触れたことのない分野の話で、チンプンカンプンながらも面白いなと思いつつ受講していたのですが、だんだん回を重ねるごとに民俗学よりになってきて、あれれ?
小澤俊夫先生の「昔ばなし大学」も文学方面だと思っていたら、やっぱり民俗学だったし。

大学生の時に宮田登先生の授業も履修放棄してしまうほど、難しいと思ったのだけど、ここに戻ってきてしまってる感あります。

一周回ってやはりここに来るのか?
などと思うと可笑しい。

JR 大都市近郊区間内いわゆる「 大回り」の旅

2024年05月26日 | アウトドア活動
JR の 首都圏のかなりの範囲を 最低運賃 150円だけを払って ぐるっと回れる いわゆる大回りの旅をやってきました!

大回りとは?
下の地図の範囲のa 駅から b 駅まで行く場合、どんなルートで行っても、最低料金で行けるという特例です。
もちろん 改札を出てはいけませんし、同じ駅を2回通ってはいけないなどのルールがあります。また切符は当日限り有効です(日付をまたいでも終電までは乗れます)




スタートは JR 根岸線 石川町駅です。
Suica や PASMO でも乗れるようですが 旅情を高めるため 150円の切符を買いました。
石川町からですとお隣の駅、関内や桜木町まで行ける切符です。


7:51購入
旅のスタートです。

まず 根岸線の終点 大船へ向かいます。
8時3分 石川町駅発。
日曜日の朝 下り線はガラガラです。

大船 到着8時28分。


朝ごはんを食べていなかったので 大船駅構内のベックスコーヒーで食べます。


朝ご飯 2人で1090円です。


大船からは 東海道線下り、9時発熱海行きに乗ります。
東海道線はそれなりに人がいましたが 何とか 席を確保して 茅ヶ崎へ向かいます。


この 大回りの旅を思いつく きっかけとなったのが、YouTubeの鉄道ファンの人の動画。乗り鉄とか言われるファンの人たちは 「この列車は何系」とかよく話していて、ちんぷんかんぷんですが(笑) それっぽい写真を撮ってみました。

東海道線で乗った車両は「モハ E 230」、
モーター付き ということで、は普通客車ということのようです。
は JR東日本 (イーストのE)
後の数字は 型番や 製造番号のようです。

茅ヶ崎 到着9時15分。


次は 相模線に乗って 終点 橋本まで行きます。
相模線は単線でした。
初めて 乗りました。

相模線はそれほど 本数がないので 茅ヶ崎で少し待ちます。
ホームに財布が落ちていたので 改札の係員の人まで届けたりもしました。

9時27分 茅ヶ崎発橋本行き。


10時半 橋本 到着。
相模線は単線 なので、途中 何度も上下線の待ち合わせをしました。
ずっと空いていましたが、 橋本が近づくにつれ 人がどんどん 乗ってきて この混雑になりました。

橋本からは横浜線に乗って 八王子へ向かいます。



10時40分

八王子駅で八高線に乗り換えます。
八高線は八王子と高崎を結んでいる線ですが 途中 川越線も並走しているようです。

自分でボタンを押して ドアを開けるタイプの車両です。
高麗川で八高線は北へ向かいますが、 この車両は川越線に入って川越へ。


12時24分 川越 到着。
乗ってきた車両はモハでした。



ちょっとお腹が空いてきたので 川越駅をぐるりと 見学。
川越の これ何でしたっけ?
火の見櫓?時計台?
ラーメン屋と蕎麦屋もあったのですが もうちょっと我慢して 大宮でご飯を食べようと思います。

川越駅の乗車位置を知らせる サインは 川越名産のさつまいもの 絵柄が!

川越からりんかい線直通新木場行きに乗って大宮へ向かいます。


この車両も ガラガラ。
大宮駅には20分くらいで到着。
大宮駅はとても大きな乗換駅で新幹線も通ってますから 駅ナカのお店が充実しています。
いろんなお店があったんですが 人もその分 多くて大賑わい。
今日は和食のお店に入りました。


美味しそうです!
贅沢しました!
かなり満足したので大宮から一気に 東京上野ラインで横浜に帰ります。
13時53分発 熱海行き。

14時52分 横浜に到着しました。
運良く1両目のボックスシートに座れました。



横浜から関内まで移動して改札を出ました。出発から7時間以上経ってました。自動改札機ではピンポンと鳴って通ることができなかったので、係の人に「大回りしてきました」と言って出ました。

夫は本を読み進めることができたみたいで喜んでました。
私は車窓の景色を見たりいろんな車両に乗ったりが楽しかったです。

これは前の日にちょっとプランを立てたものです。
この通りには行かなかったけど。

なかなか楽しい遊びでした。 また次は別のルートで回ってみたいと思います。
房総一周とかもやってみたい。



トイレを作って訴えられた三郎兵衛さんの話の続き

2024年05月25日 | ☆学ぶ!
3回目の授業がありました。
今日も 三郎兵衛さんの話の続きからです。
三郎兵衛さんは村でいろいろ 揉め事を起こす問題がある人だったそうですが、
のちのち時代が下ると「三郎兵衛」家ということになって名望家チックになっていくようです。

さて また時 国行けから見つかった 古文書で三郎兵衛さんの家の商売がわかります。


これは 曽々木の 三郎兵衛さんが、同じ能登半島の宇出津の人から
4人乗りの船を買った時の証文です。


さらに下の古文書は三郎兵衛さんがその4人乗りの船を今の山形県酒田沖にある 飛島 という島に冬の間 係留 しておくために 通行手形を求める 願い書 です。



下のは 古文書の資料はついてなかったのですが 翻刻された資料です。
三郎兵衛さんが能登半島から4人乗りの船で松前から若狭のあたりまで色々なものを運んでいたということが この 古文書から分かっているそうです。

この頃の三郎兵衛さんは 「組頭」 ということになっているようです。
トイレを作った人とは別人物かもしれません 代々 三郎兵衛を名乗っているのでしょう。


今日は 能登半島の時国家の話から、
佐渡の船登源兵衛家古文書、
さらに瀬戸内海の 二神島〜二神氏の古文書の話にまで及び、
古文書調査と考古学的な発掘調査を照らし合わせる話など、非常に興味深いものでした。




道にトイレを作って訴えられた男の話

2024年05月25日 | ☆学ぶ!
能登時国家にて発見された 古文書を使った授業を継続中です。

古文書を読む 授業ではないのですが、資料には 古文書がバシバシ と出てきます。




これは道にトイレを作って訴えられた男の話です。
江戸時代はなかなか 愉快ですね。

【参考】


この授業はこの愉快な話がメインではなくて、「水呑百姓だ 頭振りだ 貧農だ」と思われた人たちがどれだけ 豊かな経済活動をしていたか という証拠の古文書という文脈で登場しています。

この道にトイレをはみ出して作って訴えられた三郎兵衛という男は、
身分こそ農地を持たない 「頭振」ですが、お金はたくさん持っていたらしいです。



奥能登時国家の古文書「えんじろう文書」の話を聞く 神奈川大学公開講座

2024年05月16日 | ☆学ぶ!
先日からまた 神奈川大学の公開講座を受講し始めました。
これまでも受講していた 橘川先生による「日本を知る」という講座です。

先日 第1回目だったのですが、 資料として配られたのが 奥能登の時国家(ときくにけ)の襖の下張りから発見されたという古文書でした。
第1回目ということもあり、能登の震災のことから先生の話が広がっていきました。
橘川先生は もともと政治学者だと思っていたのですが、 神奈川大学に置かれている常民文化研究所の仕事もされていて、所長までなさったということです。 その常民文化研究所の 研究調査の中に奥能登の時国家の古文書を調べるというものがあり、網野善彦さんと一緒にずっと調査をされていたのだそうです。

網野善彦といえば、以前に「日本の歴史を読みなおす」 という本を読んで、大変感銘を受けていたわたくしです。

そもそも 網野善彦さんを知ったのは 「宮本常一の忘れられた日本人を読む」という本を読んだのがきっかけでした。
歴史に対する見方が非常に面白くて。

この「日本の歴史を読み直す」 という本については、このブログに書いたことがあったかもしれません。日本の社会のあり方について、これまで私たちが常識として思っていたようなことが、実はそうではないんだ!と、根底から覆されるようなことが書いてあります。

その1つがこの奥能登の時国家の古文書の調査から分かったことです。

つまり、 「百姓」は「農民」のことではないという発見です。

  百姓≠農民

私たちは「百姓」って聞いたとき、江戸時代の年貢に苦しめられているような、村の中にいる農民の姿を思い浮かべます。(少なくとも私はそうでした)
それは、これまで、教科書や歴史の常識としてそのような理解でずっと考えられてきたからなんですけれど、それが この奥能登の時国家の古文書の中から見つかった資料によって、百姓≠農民の突破口が開かれたというお話です。

最近はテレビの歴史番組などでも、そういう話を聞くこともあり、網野善彦さんの研究の成果が現れてきてるのだなぁと感じています。

百姓≠農民 
が、完全に浸透しているわけでもないでしょうけど、大多数の人はそんなことに興味もないでしょうしね。


今回の橘川先生の講義で一番びっくりしたのが、この証拠になった古文書のひとつ(「円次郎文書」 と言うんですけど)を発見して 網野さんに見せたのが 橘川先生ご本人だったということです。

へーーーーー!!

私は講義を聴きながら、秘かに大興奮していました。


えんじろうもんじょ
「日本の歴史を読みなおす」にも載っています




 





概要を良くまとめてくださってる記事がありましたので引用します。

出典:日本史をかきかえた網野善彦の原点「時国家」(輪島市町野町)
藤井満 note 2024年4月15日
https://note.com/fujiiman/n/n3801c7465674

 1952年、言語学・民俗学・考古学など九学会連合による能登半島総合調査が実施され、民俗学者の宮本常一らが時国家の古文書を借りていったが、宮本が属する常民文化研究所が窮乏化し、その文書を返却できなくなった。「能登に古文書がないのは、常民文化研究所と上杉謙信のせい」とまで言われるようになっていた。
 常民文化研究所は1982年に神奈川大に招致され、それから13年間、網野善彦は文書を返却するために全国をまわった。その過程で網野は1984年に時国家にやってきた。
 時国家では襖をはりかえるとき、以前の襖紙を保存していた。網野はそれに注目する。
 蔵などに保存されている公的な文書史料は、「百姓=農民」という考え方にもとづき、年貢の額などが記録されているが、農民以外、とくにあちこちをわたり歩く人びとの史料はほとんどない。
 公的な文書史料によると、1735年には輪島の町の総家数の71%は頭振(あたまふり)や水呑だった。頭振とは、金沢藩領の無高の農民を意味し「水呑百姓」と同様、一種の蔑称だった。
 ところが、上時国家などにのこされた襖紙文書には、大庄屋である時国家が、貧乏人であるはずの「頭振」から借金をしていたことがわかった。
 輪島は当時、漆器やソーメンの産地としてにぎわっていた。そんな町の7割が頭振・水呑なのは、輪島塗やソーメン、廻船業など非農業的な生業が隆盛をほこり、田畑を所有する必要がなかったからのだということがわかってきた。輪島の年貢の税率が88%という記録があるが、「われわれは別の方面でもうけるから、それでいいですよ」ということだった。
 そして時国家は昔ながらの封建的大庄屋ではなく、北前船(廻船業)や炭焼き、塩田、鉱山、金融業などをいとなむ総合商社のような存在だった。上時国家は北前船を4隻所有し、その船がサハリンまで行っていたことも襖下張文書であきらかになった。
 こうした発見から網野さんは、「百姓」とは農民だけではないことを確認し、コメの石高で豊かさをしめす江戸時代以来の固定観念を否定し、中世社会が、たんなる「稲作社会」ではない多様性をもっていたことをあきらかにしていった。



講義自体は、そのことを先生が自慢するのが主眼ではなくて、
以下に我々が歴史を見る際に、先入観にとらわれているか。
その先入観を打ち砕くには、地道な資料の研究しかないのだ、というお話でした。

でも講義の時間は、時国家のある奥能登の被害が甚大だということとか、古文書研究の思い出話などで占められていたので、次回に持ち越しです。
次回も期待!

資料には、百田尚樹氏の「日本国記」なども用意されていました。
ちらっと読んだだけでも「うへ~っ」と思う文章。

先生のお話は、歴史は「物語」で語ってはならず、 資料に当たらなければならない 証拠を固めていかなければならないという話 でした。
自分に都合よく、物語にするのが上手い人の口車にのせられていくのはとても危険ですね。

◆先生の昔の記事
古文書は嘘をつくことがある それでも事実に迫ることはできる
神奈川大学名誉教授 橘川 俊忠
現代の理論 DIGITAL 2018秋号



2024年能登地震
時国家の母屋がこの地震で倒壊してしまったそうです。
橘川先生によると、段ボールに数百箱の古文書が保管されていたそうです。

◆関連記事
奥能登の歴史「捨てないで」 膨大な古文書、震災で消失危機 「上時国家」8500点下敷き
中日新聞 2024年4月14日



今年度のNHKラジオ古典講読が楽しみ~名場面でつづる「源氏物語」

2024年04月23日 | ☆学ぶ!
4月、本屋にNHKの教育講座のテキストがずらりと並んでしますね。
中学生のころから「基礎英語」とか語学講座のテキストを何度買っては挫折したことか!(笑)

最近は、NHKのテキストを買うことはほとんどないのですが、先日コーナーに行ってみてたら、発見がありました。
教育テレビの「3か月でマスターする世界史」
毎週木曜日です。
アジアから見た世界史、世界文明や世界宗教など、新しい視点でとてもワクワクします。


そして、ラジオも新しい番組が始まりました。
今年度の古典講読は、島内景二先生の名場面でつづる「源氏物語」。
今年の大河どらまが紫式部だからかもしれませんね。

一昨年だったかの古典講読が、島内景二先生の「紫式部日記」だったのですが、この先生の話し方がとても聞きやすくとってもファンになったのです。(そのあと本も買いました。このブログにも書いたはず)

島内景二先生再登場!今年は52回にわたってこの源氏物語をやるそうです。たのしみ~~
まだ1回しか聞いていませんが、なんと第1回は「湖月抄」と森鴎外の話からです。引き込まれます。
番組は聞き逃し配信がネットでも聞けるんですよ




NHKは今年は源氏物語関連の番組多くて、別の番組「カルチャーラジオ 文学の世界」でも13回シリーズで、林望さんの講演の番組もあって面白かったのですが、林望先生の話し方は、内容盛りだくさんで早口でちょっと聞き取りに難しいところ有り。録音の問題かもですが、ラジオなので、聞き取りにくいのは大変です。去年の古典講読が万葉集だったのですが、その担当の先生も早口で聴きとりが大変でした。


島内先生はゆっくりしゃべってくれるので、私に合います。


新聞記者の家族が特殊詐欺被害に遭った話

2024年04月18日 | └─政治と社会
数年前から「朝日新聞ポッドキャスト」のファンです。

このメディアは、パソコンやスマホで聴ける音声コンテンツで、ラジオと同様のものですね。
動画がYoutubeなら、音声はPodcastといった時代です。

ポッドキャストは、好きな時間に好きな番組を選んで聴くことができるのがいいんですよね。今は、ラジオ番組もPodcastに保存して繰り返し聴けるようになっているものもあります。

朝日新聞のポッドキャストは、コロナ禍の時期に始まり、記事の背景や、記事では語り切れなかったことを記者自身が肉声で話してくれるというのがとても面白くて、すっかりファンになりました。

2022年には朝日新聞本社で開かれたイベントにも行ったほどです。

はじめのころは配信される番組をすべて聞いていましたが、どんどんポッドキャスト部門も充実してきて番組数も大量になっています。そんな中でも政治記者の秋山さんや冨名腰さんが登場する番組が好きです。
さすがに今は追いきれなくなって、タイトルを見て面白そうかな?というのを拾って聞いているのですが、最近、とても興味深い番組がありました。


朝日新聞ポッドキャストは、記者や編集者経験者から構成されている「音声チーム」員が番組を作っているのですが、チーム員は普段はMCやミキサーを担当し、ほかの部門の記者さんがゲストで登場するのが多いのです。

でも今回は、おなじみのチーム員さん本人が書いた記事についてでした。

聞き進めると、その若手記者の祖母が特殊詐欺(いわゆるオレオレ詐欺)にあってしまったという内容でした。しかも成りすまされた「孫」というのがその記者本人だったという話。

犯人グループの「受け子」が逮捕され、起訴され、判決が下り・・・・

この記者は、被害に遭った自分の家族、そして加害者側の犯人とその家族に取材して10回連載の記事を書いたそうです。(この連載もとても面白かった)


こういうことってあるんですねぇ。
それだけ、この犯罪が頻繁に起きているってことなのだと思いますが。

番組はめちゃ面白かったし、特殊詐欺に騙されないのは難しい、ということもよくわかりました。私の身内も気をつけてほしいなと思いました。


音声番組


【関連記事】
(連載初回)「孫助けたい」信じた電話 100万円渡した祖母と受け子がたどる道
https://www.asahi.com/articles/ASS3M63J2S25DIFI009.html?iref=omny
だまされた人を「ほめてあげて」 特殊詐欺が「間接的殺人」になる時
https://www.asahi.com/articles/ASS3T3CY0S39DIFI001.html?iref=omny

能 葵の上

2024年04月16日 | ☆エンタメー舞台
能を習っている友人の舞台があると言うので 国立能楽堂へ行ってきました。
喜多流一門(?) 発表会のトリにお能があります。





今年の大河は 紫式部が主人公。
源氏物語は10代の頃に漫画の「あさきゆめみし」を少し読んだ程度、あとは 古文の授業で習った 桐壺のくだりぐらいでほとんど内容を知らなかったのですが、最近せっせと 源氏物語の現代語訳とか情報 仕入れています。

今は YouTubeでも解説がいろいろあるし、 現代語訳の朗読も何種類も YouTubeにあるんですよ。

漫画で読んだ時には 「光源氏ってひどい男だ」ぐらいにしか思わなかったのが、さすがに大人になってくると人間の感情のヒダとかわかるようになるようで、今は紫式部ってすごい人だなあと思っています。

さて この「葵上」というお能ですが、
シテは 六条御息所です。葵の上は出てきません、と言うかいる設定なんですけれども 着物(小袖)が1枚 舞台前方に置かれていて、 これが病に伏している 葵の上という設定です。

能のこういう 簡略表現は非常に興味深いですよね。

友人がこのシテを務めます。
素人なのにすごいことですよね!
周りを固めるのはそうそうたるプロの皆さん方。

発表会なので入場無料、
とても 堪能させていただきました。
友人に感謝。


お能の六条御息所は 葵上を取り殺すことなく、横川の僧都に調伏されて成仏するというお話 なんですね。
源氏物語とは違う展開です。


大河ドラマ光る君へのストーリーには源氏物語の盛り込まれているようです。

雨夜の品定めのシーンもありましたね。
鳥籠から雀の子が逃げてしまって出会うというのもありました。

どうも 六条御息所的に生霊になるのは明子女王の線がありそうですね。どんな展開になるのでしょうか?
ワクワク。




有給休暇は半休で消化中!

2024年03月14日 | ☆個人的日記
私の職場は長いこと隔週週休二日制で、第1・3土曜を休んできた。(つまり第2・4・5土曜は出勤)

土曜日は客先からの電話連絡なども少なく、集中して仕事が進むという良い面もあった。通勤電車もガラスキだったし。
平日に有休を割と自由に取って旅行とか行ってたので、まあこの体制も悪いものではなかった。(でもやはり6連勤は体にこたえます)

そんななか、コロナの規制も緩和された昨年春から会社の体制を見直し、完全週休二日体制になった。毎週連休があるのはやっぱりうれしい。
身体も楽!

ところが、スタッフの入れ替わりなどがあり、私自身の平日休みが取りにくくなった。(パートさんが増えて、毎日会社の戸締りをして帰る担当が私しかいなくなったため)

そこで、有給休暇を完全消化するために、平日の午前中に半休をとることにした。だいたい木曜日の午前中は休むことにした。
月火水と3日間働いて、木曜日に半休とって、あと金曜1日働けば、2連休!
いいリズム。
もはや6連勤とかやっていたのが信じられない(笑)


きょうも木曜日で午前休をとった。
のんびり空いた電車で出勤。
ちょっと用事があったので、はやめに会社に顔を出して、それからまた外出して近所を散歩していたら、声をかけられた。

あら!

時々会社帰りに身体を癒してもらっているアロマセラピストさん。
こんなところでばったり会うのは初めてのこと。
きけば、あちらも陽気に誘われて散歩に出てきたのだとか。

「わたしも今日は午後から出勤なので散歩してるんですよ」

近所の寺院の境内まで散歩するというので、わたしもお供させてもらう。
そのお寺は私もしょっちゅう昼休みの散歩に出かけているところ。
他愛もないおしゃべりをしながら、てくてく。

「ちょっとお線香を買いたいんですよ」

そうか、お寺ってお線香とかも売ってるんだ。あまり考えたことなかった。
アロマセラピストさんなので、香りにはうるさいのだろうなぁ。

「お寺によっては、珍しいお線香を売ってるんえすよ。前にここで買ったこの香りがよかったので、リピートです」

みると何種類かの線香があり、見本も置いてあったので香りを嗅ぎ比べ。


へ~。
犬も歩けばなんとやら、ひとりで散歩しているだけでは体験できないことを体験させてもらった。今度はお寺でお線香買ってみようかしら。







舞台「川辺市子のために」

2024年03月08日 | ☆エンタメー舞台


2月10日、夫に誘われ、新宿のサンモールで上演された舞台「川辺市子のために」を観賞しました。

前情報なく見たのですが、かなりショーゲキ的な経験になりました。

シアターサンモールは地下にある小さな会場です、ステージの前と右側に客席が広がり、舞台と観客との距離が非常に近く、臨場感が際立っていました。

物語は、恋人からのプロポーズの翌日に突然姿を消した女性・川辺市子の壮絶な過去と真実を描いています。物語の展開は予想以上に引き込まれました。








笑いはほとんどなく、キリキリと心臓をつかまれるような緊張感の中、展開するストーリーと役者の演技。演じていた人たちは、きっと毎日相当こころを消耗したんじゃないかと心配になりました。

この作品はもともと2015年の舞台作品で、同じ戸田彬弘が監督もした別のアプローチの映像作品「市子」が昨年末から全国公開されています。杉咲花さんが市子の役に扮しているそうで、その映画も非常に話題になっているようです。

今回の舞台は再演です。
久しぶりにこんな緊張感のある舞台を見ました。
映画も見てみたいと思います。
ちょうど、今日からアマゾンプライムで配信始まったようです。



清水宏 スタンダップコメディ大学「万葉集 VS. サザンオールスターズ」

2024年02月29日 | ☆エンタメー舞台


時々見に行っているスタンドアップコメディアン 清水宏さんのイベントへ行きました。


今回のテーマは 「万葉集 サザンオールスターズ」。
みんなのうた。
みんなの歌とはどういうことか?
そして ゲストは俳人の今井聖さん。
知らない人でしたが 「街俳句会」という句会の主宰をしている方だそうです。清水さんはその句会に時々参加するようになったのだそう。

へー。

実は私も数か月前から、父の主宰している句会に飛び入り参加してるんです。俳句の基礎もわかってないのですけど、みようみまねで。


プロの俳人の方の話を聞くなんて初めて!

受付で紙とペンが配られて「よかったら 俳句をつくって提出してください」と言われました。


前半は 清水さんのスタンダップコメディ。
万葉歌人の気持ちになって裏を読んでいく話面白かった。

休憩をはさんで、後半は今井さんとの対談になり、俳句 をどういうスタンスで作るか、俳句の挑戦の話などになりました。

まず誰かに似た俳句はダメ。
どこかで見たような情景とか 絵はがきのような俳句はダメ。
予定調和、定番は面白くない。
倫理的にまとまっているのは つまらない。

などの話があり、 なるほど俳句とはそういうものか!と目を開かれる感がありました。
今井さんの話し方も非常に面白く、俳句をやらない人たち(今日のお客さんの多くはそういう人だったと思う)も話にひきこまれてたようでした。


最後には俳句の批評がありました。
清水さんが自分で作った俳句を5つほどホワイトボードに書きだします。さすがコメディアンの方の作品で、私なんかとはぜんぜん違う尖った作風。
それをさらに添削しながら尖らせていく先生。
うわーおもしろい!

対談が始まる前の休憩時間に、希望者の俳句が集められました。
私も1分くらいで何とかひねり出して提出したのですが、最後にそちらの批評もしてくれました。
今井さんの句会参加者もいらしていたようで、玄人っぽい句が次々と披露されます。すごいなぁ。
私の作った俳句も取り上げてくれて批評してもらえました。

 春めくやスタンダップに笑う夜

「これは 挨拶句と言います」
俳人が一夜の宿をお世話になる時など、家主に多少のおべっかを使うような感じで挨拶する社交の句、という解説。
なるほど、たしかに。勝手にこのイベントにちなんだ句を作るのだと思ってしまっていました。イマイさんの話を聞く前に作った句なので、趣旨にまったくあってなかったと、自分でも思ったけど。


私も「誰にも似てない句」に挑戦してみたいな、と思いました。

次の句会の題は「春めく」。
頑張ってみよう。


会場の隣町珈琲は、いろいろな文化的イベントが開催されている商店街のブックカフェ。
https://tonarimachicafe.jp/






2週連続で焚き火デイキャンプへ

2024年02月24日 | アウトドア活動
最近とみに仕事のストレスが多いこともあり、解消のために2週連続でデイキャンプです。
先週は久しぶりに車を借りてテントも持ってやってきました。
テント張りもしばらくやらないと忘れちゃいそうだから。
練習練習。
寝袋も一つ買ったので夫に寝心地チェックしてもらいます。

今回は完全に私主導です。普段は夫にお願いする食材準備も自分でやりました。

デイキャンプでゆっくりする時間も取りたいから、網で焼けるエビ、ソーセージ、焼鳥串盛り合わせです。
あとはカップ麺とインスタントコーヒー。

前の日に駅ビルのスーパーで食材を買うついでに、スポーツ用品店で寝袋の下にしくマットも買っておきました。2000円くらい。



今回のサイトは開けた畑の横です。
風もない日でリフレクターはなくても良かったのですが、これがあると温かさが違います。


割と安価に買える赤海老。
家で串にさしてきました。

焼き鳥盛り合わせは冷凍のものを買っておきました。
これまで何度も焚き火をやって、ようやく料理の際には炭にすれば良いと気が付きました。薪を燃やして炭を作って挑戦です。



ご飯を食べたあと、寝袋体験してもらいました。この寝袋は、アマゾンのランキングで一位になってたもの。5000円以下で買える化繊のものです。3000円位のインナーシュラフと合わせます。


夫の感想は、はじめは暖かくて気持ちよかったけど。寝ているうちにだんだん寒くなってきた。夜は無理では?
とのこと。

まあ、テント開けてたしね。
冬の宿泊をするならシュラフカバーとかもっと工夫が必要でしょうね。


最後ににカップ麺で温まってもらいました。

今回の調理は網焼きとメスティンでお湯沸かすだけの簡単なものばかりだったので道具も少なく済みました。でも焚き火で使ったメスティンはすすで真っ黒!!


今週は今から出かけます。
一人で電車で行くので荷物を極力軽くします。
椅子の代わりにマット持参。
幅とるので網棚にのせました。



今日もかまどのあるサイトを予約しました。焚き火 関係のものを持ってこなくていいので楽なんです。
今日の私のキャンプ 風景です。

前回 メスティンが真っ黒になったので、今日はポケットストーブで固形燃料でお湯を沸かすことにします。


かまどは 焼き芋用に。
昨日まで 雨だったから 薪がちょっと燃えにくい。


昨日はみぞれが降るような寒い日だったのですが、今日は春めいた空気。
天気も良くて気持ちいい!
今日は朝10時から午後2時までの4時間。
リフレッシュできました。







YOKOの好きなもの羅列

(順不同)地図、河岸段丘、保存樹木、宮本常一、縄文時代と日本の古代、文明開化と江戸時代、地方語、水曜どうでしょう、シャーロック・ホームズ、SHERLOCK(BBC)、陳昇、John Mellencamp、Kate Bush、イ・スンファン、カンサネ、1997年以前の香港映画、B級コメディー映画、SNL、The Blues Brothers、台湾、旅行の計画、イタリア、エステ、宮部みゆき、ショスタコーヴィチの交響曲5番、森川久美、のだめカンタービレ、くまモン
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