そもそも「かつら」の始まりは、アメノウズメが天岩戸の前で踊った時に頭にまとった「真拆の葛(マサキノカヅラ)」が始まりだとも言われている。髢(かもじ)もその一種で、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪のことである。今で言う「エクステ」である。
折口信夫はその著書「はちまきの話」の中で、京都御香宮の巫女であった桂女(かつらめ)がその起源であり、彼女たちが頭に巻いていた「かづら」が「かつら」の語源だと、次のように述べている。
桂女が巫女であつた事はあたりまへで、柳田(國男)先生が「女性」の七巻五号に「桂女由来記」と言ふ論文を載せられて、色々材料も提供せられてゐるが、女が戸主であつたこと、将軍家に祝福に行つたこと、御香宮に関係のあつたこと、それから巫女であつた事に間違ひはない。社から離れても、巫女であつた事は事実である。そして、かづらを頭に纏いてゐたからかつらめと称したので、かつらまき・かつらおびのかつらも、かづらである。
かづらには、ひかげのかづら・まさきのかづらが古くからあり、神事に仕へる人の纏きつける草や柔い木の枝などで、此が後のかもじとなるのである。髢は、神々の貌をかたどつたから、称するのだといふが、かつらの「か」を取つてか文字と言うたのが、ほんとうであらう。倭名鈔にかつら・すへとある。かつらは頭全体に著けるもので、すへはそへ毛である。又、源氏物語末摘花の巻に、おち髪をためて、小侍従にかつらを与へた、とあるのは、髢である。
桂女の被るかつら、役者の著けるかつらと言ふ風に色々あるけれども、つらはつると同じ語で、かづらはもと「頭に著ける」蔓草と言ふことであらう。
▼「かもじ」を付けた舞踊(はつ喜月若・はつ喜月桃・花童ゆりあ)
折口信夫はその著書「はちまきの話」の中で、京都御香宮の巫女であった桂女(かつらめ)がその起源であり、彼女たちが頭に巻いていた「かづら」が「かつら」の語源だと、次のように述べている。
桂女が巫女であつた事はあたりまへで、柳田(國男)先生が「女性」の七巻五号に「桂女由来記」と言ふ論文を載せられて、色々材料も提供せられてゐるが、女が戸主であつたこと、将軍家に祝福に行つたこと、御香宮に関係のあつたこと、それから巫女であつた事に間違ひはない。社から離れても、巫女であつた事は事実である。そして、かづらを頭に纏いてゐたからかつらめと称したので、かつらまき・かつらおびのかつらも、かづらである。
かづらには、ひかげのかづら・まさきのかづらが古くからあり、神事に仕へる人の纏きつける草や柔い木の枝などで、此が後のかもじとなるのである。髢は、神々の貌をかたどつたから、称するのだといふが、かつらの「か」を取つてか文字と言うたのが、ほんとうであらう。倭名鈔にかつら・すへとある。かつらは頭全体に著けるもので、すへはそへ毛である。又、源氏物語末摘花の巻に、おち髪をためて、小侍従にかつらを与へた、とあるのは、髢である。
桂女の被るかつら、役者の著けるかつらと言ふ風に色々あるけれども、つらはつると同じ語で、かづらはもと「頭に著ける」蔓草と言ふことであらう。
▼「かもじ」を付けた舞踊(はつ喜月若・はつ喜月桃・花童ゆりあ)