徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「かもじ」のはなし。

2017-04-30 22:02:15 | 歴史
 そもそも「かつら」の始まりは、アメノウズメが天岩戸の前で踊った時に頭にまとった「真拆の葛(マサキノカヅラ)」が始まりだとも言われている。髢(かもじ)もその一種で、髪を結ったり垂らしたりする場合に地毛の足りない部分を補うための添え髪のことである。今で言う「エクステ」である。
 折口信夫はその著書「はちまきの話」の中で、京都御香宮の巫女であった桂女(かつらめ)がその起源であり、彼女たちが頭に巻いていた「かづら」が「かつら」の語源だと、次のように述べている。

 桂女が巫女であつた事はあたりまへで、柳田(國男)先生が「女性」の七巻五号に「桂女由来記」と言ふ論文を載せられて、色々材料も提供せられてゐるが、女が戸主であつたこと、将軍家に祝福に行つたこと、御香宮に関係のあつたこと、それから巫女であつた事に間違ひはない。社から離れても、巫女であつた事は事実である。そして、かづらを頭に纏いてゐたからかつらめと称したので、かつらまき・かつらおびのかつらも、かづらである。
かづらには、ひかげのかづら・まさきのかづらが古くからあり、神事に仕へる人の纏きつける草や柔い木の枝などで、此が後のかもじとなるのである。髢は、神々の貌をかたどつたから、称するのだといふが、かつらの「か」を取つてか文字と言うたのが、ほんとうであらう。倭名鈔にかつら・すへとある。かつらは頭全体に著けるもので、すへはそへ毛である。又、源氏物語末摘花の巻に、おち髪をためて、小侍従にかつらを与へた、とあるのは、髢である。
桂女の被るかつら、役者の著けるかつらと言ふ風に色々あるけれども、つらはつると同じ語で、かづらはもと「頭に著ける」蔓草と言ふことであらう。

▼「かもじ」を付けた舞踊(はつ喜月若・はつ喜月桃・花童ゆりあ)




藤の花の香り

2017-04-29 19:09:54 | 文芸
 桜の花の名残惜しさもさめやらぬうち、藤の花の季節も過ぎようとしている。とりあえず、近くの監物台樹木園へ行ってみる。ここには三種ほどの藤棚があるが、既に花が散ってしまったものもある。藤の花に魅かれるのは薄紫の花房の美しさもさることながら、甘い香りがなんともたまらない。
 藤の花の花言葉には「優しさ・歓迎・決して離れない・恋に酔う」などがあるという。「万葉集」にも、男性に例えられる「松」につるを巻き付けて寄り添う女性に例えられて詠われている。1200年以上も昔の男性も、その美しい姿と香しさに、たおやかな女性をイメージしたのだろう。










 歌舞伎舞踊「藤娘」の中の見どころの一つである「藤音頭」。艶やかな踊りを見せるのは実は藤の精。そして恋しい殿御に見立てたのは松。少しお酒を呑まされて酔い、初々しい恋心を踊るのである。


あの日の天守閣(4)

2017-04-28 16:47:50 | 熊本
 現在、閉鎖されている奉行丸が、春や秋のお城まつりの主会場となったことはそれほど多くありません。しかし、ここは二の丸や竹の丸に比べ、まつり会場としてコンパクトにまとまっており、僕は好きな会場でした。ここから望む天守閣は、数寄屋丸あたりの木々にさえぎられて大天守の上層階部分しか見えませんが、それがかえって雄大さを感じさせたものです。
 ここで、2012年10月13日に行われた「秋夜の宴スペシャル」は、これまで僕が見たお城まつりの舞台の中でもベストと言っていいくらいの素晴らしい舞台でした。花柳寿太一郎さんや高濱流光華々さんを始め、ザ・わらべ&こわらべらによる舞踊、今藤珠美さんを始めとするそうそうたる顔ぶれの地方の演奏。そしてあの日、夜空に浮かび上がった天守閣の美しさは一生忘れられません。


2012年10月13日 奉行丸広場 秋夜の宴スペシャル(開演準備中)今村孝明さんのブログより


#東北でよかった

2017-04-26 19:37:01 | Web
 今村前復興相の失言(ホンネか?)の「東北でよかった」を受けて、Twitterでは多くの人が「#東北でよかった」をポジティブな意味に転換して東北のよさをtweetしている。
 僕はTwitterはやっていないので、ブログでそれに倣ってみた。


青森県の重要無形民俗文化財「ねぶた」が熊本地震からの復興を支援するためにやって来た。(2016年9月3日)



一昨年、知人が東北まつりツアーに行った時、写真をたくさん撮って来てもらった岩手県の「盛岡さんさ踊り」



岩手県大槌町出身の歌手、臼澤みさきさんの唄う「さんさ里唄」

あの日の天守閣(3)

2017-04-25 19:27:28 | 熊本
 「秋のくまもとお城まつり」の目玉イベントの一つである「熊本城薪能」は、熊本藩主細川家の御流儀だった金春流と喜多流が1年おきに演じています。これまで、まつり主会場の変遷に伴い、竹の丸、奉行丸、二の丸と特設舞台が設えられましたが、いずれもライトアップされた天守閣が背景になっていました。しかし、昨年の熊本地震により、二の丸広場西側に東向きの特設舞台が作られ、これまでのように背景に天守閣を望むことは出来なくなってしまいました。下の写真のように2015年の舞台が、最後の天守閣背景の舞台となってしまいましたが、またいつの日かこんな舞台が復活することを期待してやみません。


2015年10月10日 二の丸広場 熊本城薪能 金春流「鵜飼」

あの日の天守閣(2)

2017-04-24 17:46:16 | 
 「城下町くまもと時代絵巻」は九州新幹線開業記念として2011年3月に開催される予定でしたが、東日本大震災のため中止され、翌年、九州新幹線全線開業1周年記念に加え、政令指定都市くまもと誕生記念、加藤清正生誕450年記念も合わせて開催されました。
 この「城下町くまもと時代絵巻」は、熊本駅から熊本城二の丸広場までの道のりを、加藤清正率いる200名の甲冑武者隊や熊本ゆかりの偉人、花魁道中、奴道中、花笠道中、黒留袖道中などが練り歩く絢爛豪華なイベントでした。2012年から2014年まで3回行われましたが、主役の加藤清正は1回目が俳優の藤岡弘さん、2、3回目は大衆演劇役者の玄海竜二さんが務めました。二の丸広場での武者揃えは、大小天守や宇土櫓を背景に、往時もまたさもありなんといった壮観さでした。


2014年3月22日 城下町くまもと時代絵巻2014

あの日の天守閣(1)

2017-04-23 21:44:52 | 熊本
 もうやがて、その雄姿をしばらくは見ることが出来なくなる熊本城天守閣。思い出に残る天守閣の写真を少しずつ蔵出ししていきます。
 今日の写真は、2011年10月1日、熊本城・竹の丸広場で行なわれた「秋のくまもとお城まつりオープニング」から。この日は快晴に恵まれ、石垣の間から顔を覗かせた天守閣が、特設舞台の見事な背景となっていました。


ザ・わらべの祝舞と錚々たるメンバーによる地方の皆さん

心配になる低調さ 

2017-04-22 21:41:27 | スポーツ一般
 熊本県陸上選手権兼国体一次予選を見に行く。ここ数年で一番低調な大会の印象。見るべき記録も出なかったし、期待を抱かせるような新しい力の台頭も見られない。ちょうど人材が途切れる谷の時期にあるのかもしれない。もう一日あるが、はたして盛り返しが見られるだろうか。



女子100mは実力者の深川恵充(環太平洋大)が昨年に続き連覇するも12秒40と平凡


男子は新しい力の台頭が見られない


女子400mでは新宅麻未(アットホーム)が貫録の優勝だが記録は56秒49と平凡

2017陸上シーズン幕開け!

2017-04-21 21:29:11 | スポーツ一般
 明日から「熊本県陸上選手権兼国体一次予選」が始まり、陸上競技の新シーズンがスタートする。
 今年も短距離を中心に見て行きたいと思っているが、今年は、男子は昨年のインターハイ200mで優勝した齊藤勇真(九州学院高)や、女子では国体で4位入賞したこともある宮崎亜美香(必由館高)ら実力者が大学へ進学した。熊本地震の影響もあって、昨年は競技場へ出かけたのは1回きりだったし、熊本陸上競技協会が最近、年間ランキングを発表しなくなったので、勢力地図がどうなっているのか全くわからない。2011年に高校進学して一躍スター選手となった野林祐実のような逸材が登場するのを期待しているのだが。


シートで覆われる熊本城

2017-04-20 23:15:25 | 熊本
 熊本城天守閣は復旧工事のため、間もなく工事用シートで覆われる。完成予定の3年後まで熊本城の雄姿は拝めなくなる。平成19年に天守閣屋根改修が行われた時も、シートで覆われたことがあったが、今回は屋根だけではないので、おそらくスッポリ被ってしまうのだろう。


▼築城400年を迎え、平成19年に「熊本城天守閣屋根改修工事」が行われた。



▼こんな風景が見られるのはいつの日?



美術品の変色事故

2017-04-19 22:05:57 | ニュース
 今朝、熊日新聞で目を疑うような記事を見た。熊本市現代美術館が高知県から借りていた美術品を変色させてしまったので修復したというもの。だいぶ前に見たことのあるニュースだなぁと思いながら、たしかブログに書いたことがあるなと探してみたら、なんと7年も前のブログ記事だった。

 2010.9.18「ショッキングな屏風絵の変色事故!」

 小泉八雲の生誕160年と来日120年を記念した催物「へるんさんの秘めごと」展の時だ。展示された美術品の中に絵師金蔵の屏風絵があった。「蘆屋道満大内鑑 葛の葉子別れ」というタイトルのおどろおどろしい絵だった。実は僕が見た時には既に変色事故が起きており、展示されていたのはレプリカだったということを後で知り、二重のショックを受けた覚えがある。
 あれから7年、いろんな経緯があったのだろう。だが、それにしても7年というのはあまりにも長過ぎやしませんか。民間企業だったらありえない話だ。

熊本城再建の工法

2017-04-18 20:51:34 | 熊本
 先日放送されたNHKスペシャル「熊本城再建 “サムライの英知”を未来へ」。



 番組の中で、石垣の、裏込栗石の沈み込みによるハラミをどうやって防ぐかという話を見ながら、ふと次のようなことを思い出した。
 一つは熊本城築城に携わった高瀬の大工棟梁・善蔵の話。清正公も裏込石には相当神経を使っていたことが偲ばれる。

「大工善蔵より聞覚控」より
 栗石の細かいものや大きな裏石などを入れ込む時には、天気の具合と潮時を御殿様はようく見ておった。水呑場台やら角石などの置き方と縄張りの時、やり方がまずいと何べんも何べんも据え方をやり直したり、また自分で手を下しておられた。今時の人の出来る事じゃない。あの御殿様は凡人じゃなかった。

 もう一つは「穴太衆石積みの歴史と技法」という福原成雄氏の研究論文の中から。今回、熊本城では栗石の間にシートを敷いて、沈み込みを防止する計画が話されていたが、他の城ではこんな工法が採られているという事例。

 近代になりコンクリートの出現によって裏込栗石を裏込コンクリートに変えた練積みと呼ばれる工法が多く見られるようになった。練積み工法によって土留めの強度が高まり裏込めの心配が無くなり石積みの意匠にも変化が現れている。


▼二様の石垣

永遠のヒーロー! シェーン!! カンバック!!

2017-04-17 17:13:45 | 映画


 昨年4月10日、待望久しかった名作西部劇「シェーン」のデジタルリマスター版が全国順次公開されるという記事を投稿した。ところが、その4日後に発生した熊本地震でそれどころではなくなり、いつしかそのことはすっかり忘れてしまっていた。熊本で公開されたのかどうかも知らない。
 これがなんと先日、BSのスターチャンネルでこのデジリマ版「シェーン」が無料放送された。僕がこの映画を初めて劇場で見たのは1961年。その美しい映像に感動した。以後、VHSやDVDなどで何度も見ているが、いつも劣化した画面に落胆したものだ。今回放送されたデジリマ版では56年前に劇場で見た鮮明な映像が見事に甦り、遠いあの日の感動も甦った。

 この映画は、アメリカでは今日でも根強い人気があり、それだけにネットなどで流布されるトリビアは多い。
 その中のいくつかを挙げてみると
◇製作された頃はハリウッドにマッカーシーの赤狩り旋風が吹き荒れていて、この映画の内容が問題視 される恐れがあったため、公開を1年延期した。
◇監督のジョージ・スティーブンスは当初、シェーン役にはモンゴメリー・クリフトを考えていた。
◇スターレット役には最初、ウィリアム・ホールデンがオファーされたが、引き立て役であることを嫌い、断った。
◇射撃シーンのスタントを務めたのは、スティーブンス監督の次回作「ジャイアンツ」に起用されるジェームス・ディーンだった。
◇シェーンは酒場でのガンファイトで瀕死の重傷を負っており、ラストシーンでシェーンが向かう先は墓場である。
◇パラマウント社は経営が苦しくなると、その都度「シェーン」を再上映して凌いだ。等々。

「シェーン」は、その後の多くの映画に影響を与えており、映画史に残る名作であることは間違いない。


細川家立田別邸 ~ 父の幼時を追体験 ~

2017-04-16 19:20:53 | 熊本
 陶芸家・細川護光さん(細川護熙元総理の長男)の陶展を細川家立田別邸(泰勝寺跡)でやっているというので、母と家内を連れて見に行った。目的は作陶そのものよりも普段は入ることができない細川邸を見ること。今から100年ほど前、幼い頃の父が、長岡家(細川刑部家)のお坊ちゃまの遊び相手として毎日通った想い出のお屋敷。幼い父の目にはどう映っていたのだろう。そんな思いで屋敷内を見て回った。

明治初期の廃仏毀釈によって泰勝寺は既に廃寺となっていたが、名残りの山門を父は毎日くぐっていたのだろう。石段を登るのも小さな子供には大変だったかもしれない。

山門をくぐると右手にお庭や神殿に通じる中門がある。

祀りは神事によりとり行われていたと父の備忘録に記されている神殿。神仏習合の痕跡でもある。

このお屋敷の一室で行なわれる謡いのお稽古に、父も侍らされていたという。

お抹茶。お座敷から庭を眺めながら味わう抹茶はまた格別。

オリジナル和菓子「立田の春」。父も毎日、午前・午後の二度出されるお菓子が楽しみだったと記している。当時の名店、福栄堂や米屋のお菓子が出されていたらしい。

新緑の若葉が目に優しいお庭の風景

子供たちの遊び場の一つだったであろう竹林。

藤崎八旛宮 藤祭り

2017-04-15 18:29:22 | イベント
 承平5年(935)、山城国の石清水八幡大神が肥後国の茶臼山西側段丘(今の藤崎台)に勧請された。その鎮座の日、勧請の勅使が藤で作った神馬の鞭を、三つに折って三ヶ所に埋めたところ、その中の一つからやがて芽が出て枝葉が繁茂したので藤崎宮の名称が付いたという伝承がある(歴史家の異説あり)。この神恩に感謝し、五穀豊穣と諸行の繁栄を祈願する祭りとして、毎年、藤の花が咲く4月に行われるのが「藤祭り」。
 今日、その「藤祭り」が藤崎八旛宮でとり行われた。あいにく今年は花の咲くのが遅れており、境内の藤の花はまだ咲いていないようだが、ちょうど熊本地震1年ということもあり、復興祈願祭も合わせて行われた。

▼祭祀をとり行う神職たち





▼仕舞奉納(シテ方喜多流能楽師・狩野了一さん)