徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

加藤清正公石曳きの段

2014-04-30 21:35:58 | 歴史


 この清正公の名古屋城築城時のエピソードについて「肥後史話」(卯野木卯一良著・昭和56年発行)には次のように記されている。

 この時の清正の工事の活動振りは目ざましいものであった。かつて熊本大築城の経験もあり、慶長11年には江戸城の築城にも参加していたので、今度の工事は知れたものである。自ら進んで天守閣の築造を引き受け、寵臣である飯田覚兵衛をして朝鮮陣の当時に習得したという築造法の手腕を振わしめ、その成績は人目を驚かした。そうして巨大な角石などを運搬する時には、ことさらに華々しい装いをして人目をそばだたしめた。まずその大石を赤い毛氈で包み、大きな青色の綱でからげて、その上に突っ立ち上って大音声で、木遣り音頭などを唄われる。5、6千人の老若男女、いずれも華美な衣装に身を飾って、唄に合わせて綱を引く。酒は飲み次第、行商や露店の飲食物を値段かまわず買い上げて、食い放題飲み放題というので、後には見物人も商人も飛び込んで綱にとり付き、手拍子合わせて浮かれながら、えいやら声でみるみるうちに、大石を名古屋に運び着けるという賑わい。こうしてさすがの大工事も同年3月から8月までの間に無事竣成して、9月清正は熊本へ帰国せられたのである。

  ♪音に聞えし名古屋の城を踏みや馴らいた肥後の衆が
    及びなけれど万松寺の花を折りて一枝ほしうござる

これは当時、名古屋市中で謡われた小唄である。万松寺というのは清正の本陣で、その寺の庭に大木の桜があったのを、美しい肥後武士によそえて謡った肥後衆賛美のものであるという。

万田坑の 「世界遺産」 登録を願う!

2014-04-29 19:24:02 | 熊本
 夕方のTVニュースで、今日、荒尾市の万田坑で「万田坑市民まつり」が行なわれたというニュースが流れていた。先日、群馬県の富岡製糸場が「世界文化遺産」に登録の見通しとなった。同じく「近代化産業遺産群」の一つとして「世界文化遺産」への登録を目指している万田坑にとっても、登録が現実味を帯びて来たことで、まつりも大いに盛り上がっているようだ。
 僕自身にとって万田坑は2008年10月に行われた映画「信さん・炭鉱町のセレナーデ」のロケにエキストラで参加した思い出深い場所。世界遺産登録が実現して日本中、いや世界中から多くの観光客が訪れる日が来ることを願ってやまない。


撮影後のエキストラ集合写真(万田坑口前で)



「道成寺」 と 「ロング・グッドバイ」

2014-04-28 16:34:34 | テレビ
■古典芸能への招待 「能 道成寺 ~喜多流~」(NHK-Eテレ)
 昨日4月27日は和歌山の道成寺で「鐘供養」が行なわれたそうで、これに合わせたのか、「能 道成寺」が放送された。能の中でも最も人気の高い演目の一つといわれるが、「安珍・清姫伝説」に材を取ったこの能楽をもとに、歌舞伎や浄瑠璃などの「道成寺もの」へと発展している。僕はこの能を全編を通して見たのは今回が初めて。ストーリーは分かっているだけに没入して見ることができ、見せ場の乱拍子や鐘入りのスリリングな場面を十分堪能することが出来た。


蛇体に変身した女が柱に巻き付く「柱巻き」の場面


■土曜ドラマ 「ロング・グッドバイ」(NHK総合)
 2年間待っていた渡辺あや脚本のドラマ。今回はレイモンド・チャンドラー原作のフィリップ・マーロウもののドラマ化である。僕はフィリップ・マーロウが登場するアメリカの映画やテレビドラマは沢山見ているが、この「ロング・グッドバイ」は原作を読んだこともないし、映画化作品も見たことがない。で、いったいどんな作品になるのか期待と不安が相半ばした。昭和30年頃の東京を舞台に設定されているが、朝ドラ「カーネーション」のような庶民の生活感は微塵もなく、思いっきり「無国籍で異形の世界」を楽しめばいいドラマのようだ。おそらく渡辺さんのねらいはそこらへんにあるのだろう。
 主役の探偵を演じる浅野忠信がいい。大正解のキャスティングではないだろうか。傷だらけの顔は、ちょっと「チャイナタウン」のジャック・ニコルソンを思い出させるが、淡々とした探偵像が余計存在感を際立たせる。他の出演者も小雪を始め、大変失礼だが「異形」の怪優たちがズラリ。まだ2回目が終わったばかりで、これからの展開が大いに楽しみだ。「あまちゃん」で話題となった大友良英の音楽は画面の雰囲気には合っていて悪くはないのだが、ちょっとベタな感じはしてしまう。

「五十四万石」 歌われなくなった三番

2014-04-27 21:51:13 | 音楽芸能
 今日では熊本の代表的な民謡の一つ「五十四万石」。これは昭和初期の「新民謡」づくりブームの中で作られたといわれるが、初めて世に出たのは昭和10年の1月。野口雨情の詩に大村能章が曲をつけ、藤本二三吉が歌いコロンビアレコードから発売された。昨日、ご紹介した「新興熊本大博覧会」の直前のことである。ということは、博覧会開催にタイミングを合わせて製作されたのかもしれない。
 この「五十四万石」の歌詞の中で、最近ではあまり歌われなくなったのが三番の歌詞。一、二、四番の歌詞はいつの時代に聞いても特に違和感を感じない普遍的な内容であるのに対し、三番は昭和10年頃の熊本市を題材にしているので、今日では歌いにくいのかもしれない。ちなみに「東雲(しののめ)」とは当時二本木にあった遊郭「東雲楼」のことだと思われる。



▼東雲楼の庭園




花魁道中と「新興熊本大博覧会」

2014-04-26 21:40:25 | 歴史





 桜の馬場城彩苑を中心に行われている「坪井川大園遊会」を見に行った。呼び物の花魁道中におけるMCのアナウンスによれば、昭和10年(1935)の「新興熊本大博覧会」の時に、二本木遊郭で実際に花魁道中が行われた記録が残っているという。まもなく戦時体制に入ろうかという時期なので、これが熊本最後の花魁道中だったのかもしれない。
 「新興熊本大博覧会」というのは、昭和10年3月25日から5月13日までの50日間、水前寺公園北郊で開かれた熊本市主催の博覧会で「国産の振興とと文化の発展観光と進展に資し併せて新興熊本を紹介する」という目的のもと、市は36万5千円の予算で5万坪の会場に8000坪の建物を造り、出品点数約26万点、出品者は国内をはじめ満州、南洋にまで及んだ。遊覧飛行などが人気を集め入場者は約106万人(市人口の5倍)、入場料16万円に達したという。当時、九州の中心都市で軍都でもあった熊本の勢いを示すビッグイベントだったのである。



 当時、盛んに歌われていたという下記の「熊本市歌」は、戦後もしばらくはよく聞いたものだ。

熊本市歌(昭和5年3月制定) ※クリックすると再生します。

世阿弥は岩戸山を訪れた!?

2014-04-25 15:49:44 | 音楽芸能
「これは肥後の国岩戸と申す山に居住の僧にて候。さてもこの岩戸の観世音は、霊験殊勝の御事なれば、暫く参籠し所の致景を見るに、南西は海雲漫々として万古心のうちなり。」

 これは謡曲「檜垣」の冒頭、ワキの僧による名のりの一節である。僧は自らが参籠する岩戸山周辺の風景を「この上なくすばらしい絶景であり、南西方向に見える海面も天空もひろびろとしてはてもなく、往古の趣きをそのまま心に味わうことができる。」と言っている。もちろんこれは室町時代の世阿弥の創作なのだが、まるでロケハンでもしたのかと思わせる表現だ。いや実際に来たのかも。
 昨日、母と一緒に訪れた岩戸の里の、のどかで美しい春の風景を眺めながらそんなことを考えていた。帰りにみかん山を越える時、まさしく南西の方向に有明海が光って視界に入った瞬間、鳥肌が立つのを覚えた。


雲厳禅寺の銀杏の大木越しに眺めた岩戸の里。正面の低木群の辺りが檜垣の山下庵跡


南西は海雲漫々として万古心のうちなり

目には青葉 山ほととぎす・・・

2014-04-24 19:18:16 | 熊本
 今が盛りだという玉名市山田日吉神社の「山田の藤」を見に母を連れて行く。平日とは思えない人出で10分ほど駐車場の順番待ち。藤棚の下は車座になって弁当を広げた人たちで埋まっている。藤の花の甘い薫りは昨年と同じだが、垂れた長さが昨年よりもやや短く、紫色が薄く感じたのは気のせいか。
 藤を見た後、河内経由で帰ることにする。親父が好きだった河内川沿いの県道を山越えする。途中、鮎帰橋のそばの水車に気付いて車を停める。掲示板に、昔は河内川沿いに80基ほどの水車があり、米や雑穀をつく動力としていたと書いてある。鼓ヶ滝をちょっとのぞいた後、霊厳洞の方へ。雲厳禅寺でひと休み。岩戸の里の青葉が目に沁みる。近くの林で鳴くホトトギスの声が耳に心地よい。下りは「檜垣のこぼし坂」を通る。はるか彼方に有明海が光っていた。


今が盛りか・・・ 山田日吉神社の藤棚


参拝したあと、後ろを振り返ると人人人


河内川(鮎帰橋付近)


往時を偲ばせる水車


木陰に座って眺めているだけで癒される岩戸の里の風景


はるか彼方の有明海

「 峠の茶屋 」 もあった漱石ゆかりの新坂!

2014-04-23 21:09:11 | 熊本
 わが家の前を通る坂道「新坂」は、その昔、夏目漱石が、眼下に広がる風景を眺めて「森の都」と言ったという時代とはすっかり様子を変えてしまった。今では自動車がわがもの顔に行き交う道路になってしまったが、僕が幼かった戦後間もない頃は、たまに木炭バスが通るくらいで荷馬車や歩行者が中心の道路だった。道の脇には大きな木々が並び、木陰では馬車引きが馬を休ませて一服する光景をよく眺めたものだ。坪井方面から登って来ると、登り切って道が左に曲がるあたりに竹藪や木々に囲まれた「八景園」という茶屋があり、戦争が始まる頃まで営業していたという。うどんなどを出していたらしい。上熊本駅と熊本市街との間を往来する行商人などにとっては格好の「峠の茶屋」だったのだろう。
※挿絵は夏目漱石記念館(内坪井町旧居)パンフレットより

 明治41年2月9日の九州日日新聞(現在の熊本日日新聞)の記事に、次のような漱石の話が残されている。



 新坂について、熊本県大百科事典には次のように紹介されている。

▼新坂
 熊本市の上熊本駅から内坪井までの京町台地にかかる坂。明治24年(1891)九州鉄道が熊本まで開通するに当たり、池田駅(現上熊本駅)から熊本市街地へ通じる新道として造られた。夏目漱石が初めて熊本に来たとき、京町柳川から下るあたりで熊本の町を眺め、その緑の多いのに驚いたという。昭和の初めまで坂はうっそうとした木々と竹ザサのトンネルだった。日中は格好の涼み所で、冷やし飴などを商う屋台が旅人や馬方、人力車夫などを憩わせていた。(杉野勝典)


漱石が見た光景とは様変わりしてしまった熊本の街(遠く阿蘇を望む)


漱石ゆかりの坂であることを示すプレート


車の交通量が多く、歩行者や自転車は要注意

野林祐実さん まもなく関西インカレデビュー!

2014-04-22 17:13:39 | スポーツ一般
 5月7日から大阪の長居競技場で始まる第91回関西学生陸上競技対校選手権大会(関西インカレ)で野林祐実さん(九州学院高→立命館大)がいよいよ本格的に大学デビューする。
 今回は100mと4×100mリレーの2種目のみのエントリーのようだ。昨年まで常にダントツの1位を占めていた熊本でのレースと異なり、回りは強敵ぞろい。100mにエントリーしているメンバーの参加資格記録上位20名は下表のとおりで、野林さんは全エントリー選手中3番目である。特にトップの木村茜さん(大阪成蹊大)の記録 11.70 は、奇しくも野林さんのベストタイムと同じ。昨年の日本選手権のファイナリストでもある木村さんは、野林さんにとって絶好の目標となるだろう。



▼女子100mエントリー 資格記録順トップ20

存続が危ぶまれる「民謡田原坂全国大会」

2014-04-21 16:05:20 | 熊本
 来る5月18日、植木文化センターにおいて「民謡田原坂全国大会」が行われる。今年で17回目になるこの大会の、来年以降の存続が難しくなるかもしれないという話を、先月、味取観音瑞泉寺で行われた「種田山頭火供養祭」の席で聞いた。
 熊本市が政令指定都市になって2年が過ぎた。熊本市と合併した植木町と城南町は現在、合併特例区として旧町時代並みの事業を行なうことが出来るが、この特例区事業も、合併特例区が終了する平成27年3月22日をもって終了する。それ以降、熊本市の事業として再スタートするのか、地域住民主体の事業として継続するのか、あるいは廃止となるのか、資金的な問題や運営体制の問題などを検討した上で方向が決まるという。
 植木町では、この「民謡田原坂全国大会」の他にも各種のイベントなどをこれまでやってきているが、廃止に追い込まれる事業が出てくるのは必至の情勢のようだ。
 今や「民謡田原坂」は熊本にとどまらず、全国的な文化財と言っていいと思う。何とかこの大会を残し、「芸どころ熊本」の文化を発信し続けてほしいものだ。



▼昨年の「民謡田原坂全国大会」の模様

舞踊 「 舟 」 あれこれ

2014-04-20 15:46:35 | 音楽芸能
 一昨晩、玄宅寺で ザ・わらべ が踊った大和楽「舟」。この4分にも満たない小曲は、彼女らの演目の中でも最も「オジサン趣味」の演目の一つ。いつもこれを見ながら甘美な夢の世界にひたるのが楽しみなのである。

▼くるみさんが「前帯」で出てくる件
 この曲を踊る時、毎回ではないがくるみさんは「前帯」で登場する。中村花誠先生がどういう設定で振付されたのかお聞きしたことはないが、「前帯」は既婚女性か、もしくは遊女だろうと思われる。おそらく二人の登場人物は、大店の女将さんと行儀見習の娘、あるいは花魁と禿という設定なのだろう。この「前帯」スタイルは、くるみさんの背中から腰の見事な曲線が露わになり、えも言われぬ艶かしさを醸し出すのである。

▼歌詞が意味深な件
 冒頭の部分は聞けば聞くほど意味深だ。
♪舟は水棹よ 船頭さんの
 竿の 差しよで濡れもする
 嬉しがらせた 山鳥に
 一つ 進んじょうそれ舟歌を

「水棹(みさお)」というのは、底にさして、舟を操ったり、苫(とま)をかけたりするのに使うさおのこと。船頭さんのさおの操作と舟客との関係を男女関係に見立てているようにも読める。
「山鳥」は日中は「ツガイ」でいるが、夜は別々に過ごすという伝承があるらしい。いつもは一緒に夜を過ごせない男性と、今夜は一緒にいられる喜びを「山鳥」という言葉にかけているようにも読める。

※大和楽と「舟」についての関連記事は2013年11月3日の記事







水前寺競技場の復活!

2014-04-19 20:45:04 | スポーツ一般
 昨シーズン途中から、老朽化のため、日本陸上競技連盟の公認を受けられない状態となり、そのままでは競技会が開けなくなるという危機に瀕していた熊本市水前寺競技場(中央区水前寺)の改修が終わり、今シーズンの開始とともに公認競技場としての再スタートを切った。
 今日行われた熊本市内高校陸上大会で改修後のトラックを初めて見たが、真朱色とでもいうべき鮮やかな色の全天候型トラックは、昨年までのような凸凹やめくれもなく、選手たちも気持ちよさそうに走っていた。約8500万円という巨額を投じたそうだから、それに応えるような走りをみせてほしいものだ。
 僕にとってこの競技場は幼い頃、父に手を引かれて行き初めて見た思い出深い陸上競技場。こじんまりとして選手たちと観客席の距離が近く大好きな競技場だ。また今年も何度訪れることだろう。




高橋町ものがたり

2014-04-17 23:24:06 | 熊本


 ここは熊本市西区高橋町の坪井川にかかる高橋稲荷大橋の上。ここから200mほど下流の天満橋まで色とりどりのこいのぼりが600匹、風に泳いでいる。高橋校区町興しの会が端午の節句を盛り上げようと毎年行なっている恒例行事。

 ここ高橋町は今では専ら高橋稲荷神社のある町として知られているが、実は歴史豊かな由緒のある町。古くから高橋の津と呼ばれた港町であり、加藤清正が入国して坪井川を開削したときから本格的な河口港として整備された。加藤氏改易の後に入国した細川忠利は肥後五ヶ町制度を設け、高橋を、熊本、高瀬、川尻、八代と並ぶ町の一つとした。高橋は城下と海路を結ぶ河口港として、城下の日用消費物資の大半を積み降ろし発展した。高橋港は島原、筑後、柳川、天草、八代、芦北などや大坂、鹿児島、長崎からも荷船が入った。貨物の主なものは天草、芦北の薪炭、天草の海産物、鹿児島の泡盛、焼酎、砂糖、三池の石炭、長崎の舶来品、その他陶磁器、瓦、石灰、塩などで、熊本から肥後米、雑穀などが移出された。町には問屋が軒を並べて繁栄し、これらの貨物は、高橋平田船で坪井川を上り下りした。港は明治以降、鉄道の開通で舟運の時代が終わり、急速に衰えた。【参考文献】熊本県大百科事典

▼高橋稲荷神社

「 いざや かぶかん 」 ~ かぶき踊 ~

2014-04-16 20:28:54 | 音楽芸能


 花童のおかげで日本舞踊を楽しむ機会が多いのは幸せなことだ。というわけで今さらながら、日本舞踊の起源について文献などで調べている。日本舞踊というのは狭義では歌舞伎舞踊のことだそうだから、当然、歌舞伎の起源を調べることになる。今日の歌舞伎は出雲阿国が慶長8年(1603)に始めたという「かぶき踊」をもってその起源としている。では創成期の「かぶき踊」とはいったいどんな踊りだったのだろうか。
 江戸時代初期に作製された「歌舞伎草子」などの文献を参考に想像するしかないが、曲目としては「かねきき」、「して」、「いなばをどり」、「忍びをどり」、「ふじのをどり」などと題する歌詞が出てくる。また最も代表的な演目として有名な「茶屋遊び」の歌詞も記述されている。

あただ浮世は 生木に鉈ぢやとなう 思ひまはせば きの毒やなう。
あただ阿國は 柚の木に猫ぢやとなう 思ひまはせば きの薬。
淀の川瀬の水車 誰を待つやらくる/\と。
茶屋のおかかに 末代添はば 伊勢へ七度 熊野へ十三度 愛宕様へは 月参り。
茶屋のおかかに 七つの恋慕よなう 一つ二つは痴話にも めされよなう 残り五つ皆 恋慕ぢや。
風も吹かぬに 早戸をさいたなう ささばさすとて とくにもおしやらいで
あただつれなの 君様やなう そなた思へば 門に立つ 寒き嵐も 身にしまぬ。(浄瑠璃もどき)

 これらの歌詞や、歌舞伎草子の絵巻に描かれた舞台衣装や地方の編成などを参考に、これまで何度も再現が試みられてきた。しかし、それが実際の「かぶき踊」に近かったのかどうかは誰にもわからない。
 特に注目すべきは、まだ三味線が使われていなかったということだ。つまり四拍子(笛、小鼓、大鼓、太鼓)のほか鉦くらいしか使っていなかったようだ。となると能・狂言と同じということになる。メロディーラインは唄や笛が受け持っていたのだろうか。中村花誠先生に一度再現してみていただけるとありがたいな、などと勝手な希望を抱いたりしている。

▼「かぶき踊」をスタイリッシュにアレンジした「阿国歌舞伎夢華」



▼阿国歌舞伎の面影を色濃く残しているといわれる新潟県柏崎市の国指定重要民俗無形文化財「綾子舞」