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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

天守閣前広場で能楽公演!

2025-07-31 21:08:25 | 伝統芸能
 今日の熊日新聞によると、今年11月、熊本城天守閣前広場で能楽公演が行われるそうです。
 記事によると、11月11、12の両日に天守閣前広場(約2千平方メートル)において公益社団法人能楽協会(東京)主催による能楽公演は、約7メートル四方の仮設舞台を設置し、ライトアップされた天守閣をバックに能を披露するということです。両日各200人の来場を予定しており、チケットは一般販売するそうです。
 熊本城での能楽公演はこれまで「熊本城薪能」として、竹の丸や奉行丸そして現在は二の丸広場で行われてきました。例外として2014年の「熊本城薪能」が、台風の影響で急遽本丸御殿に会場移動したことはありましたが、いよいよ正式に本丸に登ることになります。ライトアップされた天守閣をバックに観る能はまた一味違ったものになるでしょう。


熊本城天守閣前広場


二の丸広場での熊本城薪能。熊本地震前までは天守閣を背景に行われていた。

伝統芸能鑑賞会

2025-05-24 23:07:19 | 伝統芸能
今日は城彩苑わくわく座で行われた「伝統芸能鑑賞会」を観に行く。今日のプログラムは次のとおり。
  • 大和楽「城」    立方:藤間誠申
  • 俚奏楽「隅田の流れ」立方:はつ喜月寿々
              地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠
  • 俚奏楽「島めぐり」 立方: はつ喜月寿々・花童ももか
              地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠
  • 熊本賛歌      立方:藤間誠申・はつ喜月寿々・花童ももか
              地方:本條秀美社中・中村花誠・中村弌誠


今日の立方 はつ喜月寿々・花童ももか・藤間誠申のお三方

▼今日の演目より俚奏楽「島めぐり」

伝統芸能の夜

2025-04-07 19:54:47 | 伝統芸能
 昨日は熊本市民会館で行われた「中村花誠六十周年記念公演」を観に行きました。第一部の古典では蓑田司郎(杵屋五司郎)さんを始めとする東音の皆様、第二部では本條秀太郎さんを始め本條流の皆様など、普段熊本ではなかなか観ることができない豪華な地方が揃い、立方の花童&はつ喜の面々も積み重ねた稽古の成果を存分に発揮していました。

 当日の番組は次のとおり
【第一部】古典の世界
  一、長唄 鶴 亀
  一、長唄 藤 娘
  一、長唄 俄獅子
【第二部】熊本お座敷つづれ集
  一、肥後の殿様
  一、つくしんぼ
  一、肥後じまん(オテモチャン・くまもんちゃん)
  一、雨の郡上
  一、とうろう
  一、阿蘇空節
  一、阿波のうずしお
  一、熊本賛歌さわぎ
  一、熊本賛歌

 そのうち2演目をご紹介します。動画を撮りたかったのですが、指定された席からの撮影が難しかったため、「藤娘」の一部だけであきらめました。

◆長唄 俄獅子(にわかじし)
 吉原遊郭の秋の行事である「吉原俄」の情緒の中に、男女の恋模様や人生の哀歓を描いた長唄の名作です。先般、大河ドラマ「べらぼう」の中でも「吉原俄」が放送されましたが、江戸文化研究者の田中優子さんの著作「遊郭と日本人」によれば、歌舞伎の世界から追い出された女性たちが茶屋や遊女屋の経営者たちの手を借り、吉原にかかわる人たちを総動員して演出した一つの劇場それが「吉原俄」だったといいます。



◆長唄 藤娘
 おなじみの歌舞伎舞踊ですが、今回は三人の新名取
  はつ喜月桂華(永野真唯こと)
  はつ喜月 姫(山田阿衣こと)
  はつ喜月 紅(伊藤日菜向こと)
を披露する特別演出で三人で舞います。下の写真をクリックしますと一部の動画をご覧いただけます。


今年の観能記 2024

2024-12-25 21:35:21 | 伝統芸能
 毎年、年末にその年に見た能楽を総括することにしている。ここ数年、コロナ禍もあってほとんど見られない年もあったが、かつては年に4、5回は能舞台を見て来た。
 今年は正月の藤崎八旛宮松囃子に始まり、秋の藤崎八旛宮例大祭御旅所奉納能まで3回だった。3月の熊本城薪能は都合で見逃がしたのは残念。


藤崎八旛宮松囃子 喜多流 舞囃子「東北」(2024.1.5)
 「東北」は和泉式部(霊)が登場する能で、今年は大河ドラマ「光る君へ」に和泉式部も登場したので、今度は舞囃子ではなく能で見たい。


出水神社薪能 金春流 能「田村」(2024.8.3)
 わが父の思い出の曲だが、過去に見た「田村」と比べると明らかに不出来。楽しみにしていただけに残念だった。次回の演能を楽しみにしたい。


藤崎八旛宮例大祭御旅所奉納能 喜多流 半能「敦盛」(2024.9.16)
 半能「敦盛」を見るのは3回目か4回目か。全編も見てみたいが、「敦盛」はどうしても幸若舞の印象が強いので…

   ▼特別観能(テレビ視聴)

熊本ゆかりの能「檜垣」を「古典芸能への招待」(Eテレ 2024.2.25)でやっと見ることができ念願がかなった。

「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」のナゾ

2024-10-15 20:37:12 | 伝統芸能
 江戸幕府の第8代将軍・徳川吉宗の対抗馬と目された尾張徳川家の徳川宗春という大名の尾張藩における治世を研究した「徳川宗春の実像」というサイトがあります。主宰者は名古屋在住の歴史研究家の方だろうと思います。
 この中に「伊勢音頭」が名古屋繁栄のキーワードとして登場します。そしてそこには本條秀美さんが唄われた「伊勢音頭」が埋め込まれています。YouTubeには「伊勢音頭」は多数投稿されていますが、そんな中で加藤清正が築城した熊本城本丸御殿でのこの「伊勢音頭」が選ばれたことはとても意義深いと感じています。
 この研究論文は下記アドレスで読むことができます。

【なごや新地巡り】西小路(2)伊勢音頭の謎
「西小路・富士見原の競合と伊勢音頭の成立」(eBook)

 私は「伊勢音頭」の歌詞について疑問を持っていることがあります。
 それはよく知られている「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」というフレーズです。ネット上でも時々議論になっているようですが、これは現在では伊勢市と津市の地理的(伊勢街道入口)な互恵関係ととらえる向きが多いようです。
 疑問のまず一つは伊勢音頭に唄われた「津」というのは本当にそうなのだろうかということです。伊勢音頭のもとになったのは「川崎(河崎)音頭」だというのは上記の研究論文にも書かれています。「津」というのは昔の言葉で「湊(みなと)」のことですが、河崎自体も勢田川舟運の要衝だったと言われています。つまり、河崎を「津」と言っているのではないかとも思われます。
 疑問の二つ目は「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ」という歌詞は別の原詩を言い換えたのではないかということです。
 国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している「レファレンス協同データベース」には「伊勢音頭」についてのQ&Aが載っており、その中に次のような一節があります。
ーー「尾張名古屋は城でもつ」の由来は?
『伊藤整全集 23』に収録されている随筆「観海流発祥地の水難」p.417に「伊勢は津で持つ……名古屋は城で持つ」という歌も、土地の物知りの説明によると、加藤清正が名古屋城を築いた時に「石は釣って持つ、釣って持つ石は、尾張名古屋は城で持つ」というのを歌ったのが原形で」――
とあります。
 つまり、この原詩をもとに語呂合わせしたのではないかということです。

加藤清正石引の図

2012.5.26 熊本城本丸御殿 春の宴
立方:少女舞踊団ザ・わらべ
地方:本條秀美と秀美社中/中村花誠と花と誠の会

雛帆さん

2024-10-02 17:30:13 | 伝統芸能
 今日から鶴屋百貨店で始まった毎秋恒例の「大京都展」を見に行く。6階の催事場をひと回り見て回った後、1階のサテライトスタジオで行われるお目当ての舞妓さんによる舞披露を見に行った。今回でたしか6,7回目の鑑賞になる。今回は五花街のうち祇園東の雛帆(ひなほ)さんという今年1月にデビューした初々しい舞妓さん。なんと16歳。高知県土佐清水市の出身だそうだ。しかし、今まで見た舞妓さんの中では一番背が高い。スッと立った姿が美しい。陸上競技をやっていたそうでなるほどと思わせる。
 今日の演目は「松づくし」「萩桔梗」「京の四季」の3曲。いずれも過去何度か見たことのある舞妓さんの必修科目とでもいうべき演目だ。まさに今の季節、秋の七草である「萩桔梗」を舞ってくれたのも嬉しかった。

萩桔梗 中に玉章忍ばせて 月は野末に 草の露 君を松虫 夜毎にすだく
更けゆく鐘に雁の声 恋はこうしたものかいな

つなぐ伝統 ~山鹿灯籠おどり~

2024-07-05 21:29:05 | 伝統芸能
 5月30日に熊本市の中心街で行われた高校総文祭パレードに常連の鹿本農高郷土芸能伝承部の姿がなかった。毎年、郷土芸能部門の一校として「山鹿灯籠踊り」を披露していた。部員が揃わなかったのだろうかと気になったので、以前、メールでやり取りしたことのある顧問の中川先生におたずねのメールを送ってみた。するとすぐに返事をいただいた。それによると、全校生徒がかつての4分の1ほどになるなど部員確保には苦労しておられるようだが、現在なんとか10名の部員がいるとのこと。だが、今年総文祭に参加しなかったのは別の事情があったようだ。コロナ明けした一昨年から以前と同じように県内外で活動しているそうで安心した。活動状況がわかる映像の紹介もあったので下に添付した。彼らの郷土芸能伝承活動が次世代、次々世代へと繋がって行くことを願ってやまない。

2023.3.18 花畑広場「熊本城下のさくらまつり」で山鹿灯籠踊りを披露する鹿本農高郷土芸能伝承部

 そもそも僕が彼らの活動に注目したのは今から8年前。2016年3月10日の熊日新聞に「東日本大震災から5年となる明日、山鹿市の鹿本農高郷土芸能伝承部の生徒たちが、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区で山鹿灯籠踊りを披露する。閖上地区は特に津波の被害がひどく、人口の1割強が犠牲になった。明日行われる追悼イベントで、鎮魂と復興の願いを込めた踊りを披露する」という小さな記事を見た時だった。数日後このことをブログで紹介した。すると、このイベントに参加しておられた名取市在住の方から、次のような温かいコメントをいただいた。


 さらにありがたいことに、当日の様子をブログ「無題・休題-ハバネロ風味-」でリポートしていただき、写真の転載を許可いただいた。遠く離れた人たちと心が通じ合った忘れられない出来事となった。


2016.3.11 宮城県名取市閖上地区で山鹿灯籠踊りを披露

 鹿本農高郷土芸能伝承部の皆様にもこの経緯を手紙でお伝えしたところ、下記のような丁寧なお礼のご返事をいただいた。

 鹿本農高郷土芸能伝承部はその後も数回にわたり鎮魂と復興を祈る踊りを届けるため東日本大震災被災地を訪問した。

▼鹿本農高郷土芸能伝承部の活動を伝えるテレビ番組(2023年11月29日 KKTてれビタevery.で放送)

中村花誠先生と舞踊団花童

2024-03-16 17:20:43 | 伝統芸能
 今朝の熊日新聞・熊本ローカルのページに「舞踊団花童」を主宰する中村花誠先生がクローズアップされていました。これまでも度々メディアに紹介されたことがありますが、花誠先生が熊本で舞踊団を結成されて来年で25年、ご自身の還暦も重なり来年は特別の記念公演を計画されていると聞きます。来年が楽しみです。
 舞踊団花童の前身である「ザ・わらべ」の頃から応援を始めて
14年。このブログでも何度か紹介させていただきましたが、10年前の紹介記事へのリンクを下に張りましたのでご参考まで。



ザ・わらべのこと。 (2014.11.12)

大江幸若舞

2024-01-14 20:52:29 | 伝統芸能
 毎年1月20日は福岡県みやま市瀬高町大江に日本で唯一残る幸若舞「大江幸若舞」が、大江天満神社で行われる日です。
 幸若舞とは室町時代前期、越前の桃井直詮(幼名幸若丸)によって始められたという中世芸能・曲舞(くせまい)の一種です。いくつかの流派が生まれましたが、明治維新後、そのほとんどが途絶えました。唯一、筑後の大江村に伝わった「大頭流幸若舞」が辛うじて今日まで残っています。


大江幸若舞が行われる大江天満神社


由緒を記した石碑


 今年も家庭の事情で見に行けませんが、昨年の映像がYouTubeにアップされていますので、これで雰囲気を味わいたいと思います。毎年5曲ほど演じられ、毎年少しずつ曲目は変わりますが、人気の「敦盛」などは必ず入っているようです。小学生・青年・壮年など幅広い世代が出演しているのも見どころです。

▼映像に収められた内容(2023年1月20日開催)

一 浜出
  別名「蓬莱山」。梶原景季が左衛門司を賜わり、祝宴を催し、第一日は蓬莱山を作って、これに酒を盛り、第三日には、江の島詣でとて浜に出、船に舞台を設け、景季が太鼓役で管弦歌舞を演じたことを書いたもので、祝言曲とされる。

二 日本紀
  古事記・日本書紀から引用され作詞されたもの。いざなぎ・いざなみの尊の国生みの神話を仏教の世界観から大日如来を中心としたマンダラにたとえ、日本国の成立ちを説明したお話。

三 安宅
  歌舞伎「勧進帳」「安宅の関」の名で一般的によく知られている場面です。鎌倉殿の追及から逃れ、京を追われた義経主従は山伏姿に変装し、奥州へと落ち延びていく。現在の石川県にある安宅の関の一場面のお話。

四 敦盛
  源平合戦のひとつ「一ノ谷の戦い」捕えられた若き「平敦盛」を討ち取らざるを得なかった源氏方の熊谷直実が後年出家し、世の無常を感じた様子を描いた物語。織田信長が「桶狭間の戦い」の前に軍を鼓舞するために舞ったとされる。

五 高館
  源義経主従が奥州の高館で源頼朝の軍勢を待ち受けながら開いた宴のさなかに熊野より鈴木三郎が到着する。鈴木三郎は、たずさえた鎧の由来を物語り、これを弟の亀井六郎に譲って翌日の合戦では兄弟共に奮戦して果てる。高館を死守する義経一党の獅子奮迅の戦いぶりや義経の最期をもの悲しく書いた物語。


ハーンが見た盆踊り

2023-11-12 21:57:57 | 伝統芸能
 6月3日のブログに「揃うた 揃うたよ 踊り子が揃うた」という題名で、ラフカディオ・ハーンが、五高教師時代に書いた「知られぬ日本の面影」の中に、ハーンが初めて松江へ向かう途中、伯耆上市で見た盆踊りの風景のことを書いた。ハーンはその盆踊りで唄われる歌詞も紹介している。
(原文)
  Sorota swoimashita odorikoga sorota,
  Soroikite, Kita hare yukata.
(和訳)
  揃ふた、揃ひました、踊り子が揃ふた、
  揃ひ着て来た、晴れ浴衣。

 歌詞は明らかに「潮来音頭」や「潮来甚句」などで唄われる
 「揃うた揃うたよ 踊り子が揃うた 秋の出穂より よく揃うた ションガイー」
との関連性がうかがえるが、この唄が何という曲名なのかわからないのでそのうち調べてみようと思っていた。
 以来そのことをすっかり忘れていたのだが、先日、別件で中国地方の民謡を調べていたら、「いさい踊り(ハーン踊り)」という曲目が目についた。ひょっとしてこれのことかなと思い、鳥取県の芸能について調べてみるとたしかにこれがハーンが見た盆踊りだった。地元ではハーンの「知られぬ日本の面影」にこの踊りのことが書かれていることを記念して「ハーン踊り」というサブタイトルをつけたらしい。
 鳥取県の伝統芸能イベントの映像がYouTubeにアップされていたのでさっそく視聴してみた。たしかに「揃うた、揃いました、踊り子が揃うた」という唄ばやしが唄われている。この唄ばやしは福島県の「相馬盆唄」などでも唄われているので、「潮来音頭」が発祥かどうかはともかく、「伊勢音頭」の「めでためでたの若松様よ」などと同様、日本各地に伝播したものとみられる。

鳥取県大山町「中山いさい踊り」

三代目 藤間紫

2023-10-20 20:11:39 | 伝統芸能
 朝ドラ「ブギウギ」に今週からヒロイン・スズ子の幼なじみタイ子が美しく成長して登場。「芸者の子」といじめられていた頃とは見違えるばかり(役者が替わっているから当たり前か)。母の後を継いで芸者見習いをしているらしい。そしてこのタイ子を演じているのが藤間爽子(さわこ)、日本舞踊家としての名前は三代目藤間紫。女優として大活躍されたお祖母様の初代藤間紫さんとは異なる(?)たおやかな女性のイメージ。お名前だけはだいぶ前から存じ上げていたが、これまで出演した朝ドラなどもほとんど見ていないので初見に近い。今後、物語のなかで舞踊を披露することがあるだろうか。
 昨年の舞踊公演の中から「藤娘」を観てみた。8:50あたりから「〽藤の花房 色よく長く」と舞う「藤音頭」の部分が特にウットリする。


タイ子役の藤間爽子


民謡魂 ふるさとの唄~青森県むつ市編~

2023-09-25 19:46:05 | 伝統芸能
 昨日のNHK「民謡魂 ふるさとの唄」は青森県むつ市から。津軽と南部はまさに民謡の宝庫。あいや節、じょんから節、三下り、よされ節など塩っ気の効いた唄と津軽三味線の響きそして手踊りが花を添えて45分間を飽きさせなかった。
 中でも最も興味深かったのは最後に出演者全員で唄った「南部俵積み唄」と「鯵ヶ沢甚句」の二つ。「南部俵積み唄」は僕がYouTubeにアップした中で最も人気の曲であること。一方の「鰺ヶ沢甚句」は、僕の大好きな北海道の「いやさか音頭」の元唄ではないかといわれていること。いずれも僕が住む熊本とは異なる気候風土の中で唄い継がれた名曲である。






山鹿灯籠踊り ~よへほ節~

2023-08-04 19:04:16 | 伝統芸能
 今月15・16日は熊本県山鹿市の夏の風物詩・山鹿灯籠まつりの日。そして4年ぶりに「千人灯籠踊り」も行われる。きっと4年分の熱気で盛り上がることだろう。
 山鹿灯籠まつりで主に歌い踊られるのが「よへほ節」。この歌はもともと明治初期からお座敷唄として唄われていたもの。昭和初期、かつての温泉町の輝きを失いつつあった山鹿の町を再興させたいと願う町衆が、「よへほ節」をご当地ソングとすべく大作詞家・野口雨情に改作を依頼した。元山鹿市立博物館長の木村理郎先生によれば、実は野口雨情が作詞した「山鹿小唄」と山鹿市民グループが作った「山鹿温泉小唄」を合成して出来上がったのが現在の「よへほ節」だそうだ。
 下に3曲の「よへほ節」を掲載したが、1曲目はまだお座敷唄だった頃の「よへほ節」。2曲目が山鹿灯籠まつりの初日、大宮神社奉納灯籠踊りでの「よへほ節」。そして3曲目がまつりのハイライト「千人灯籠踊り」での「よへほ節」。それぞれ異なる趣が興味深い。

2014.5.31 熊本城本丸御殿 春の宴
振付:中村花誠
立方:中村くるみ
地方:本條秀美と秀美社中/中村花誠と花と誠の会

2012.8.15 大宮神社 奉納灯籠踊り
山鹿灯籠踊り保存会

2011.8.16 山鹿灯籠まつり 千人灯籠踊り
山鹿小学校グラウンド

コンチキチン

2023-07-19 20:36:20 | 伝統芸能
 日本三大祭の一つ、京都の祇園祭が現在開催中とあってテレビでも祇園祭関連の番組が多い。昨夜はBSプレミアムで「Core Kyoto 祇園後祭 山鉾巡行~誇りをかける古都の町衆~」という番組を放送していた。祇園祭をささえる町衆にスポットを当てていたが、なかでも興味深かったのは祇園囃子を奏でる太鼓・鉦・笛のうち、もっとも祇園祭を象徴する鉦(別名コンチキチン)を作る職人の話だった。
 鉦は金属製の打楽器で皿のような形をしている。もともとは仏具で、中世の念仏踊りなどで使われていたそうだが、阿国歌舞伎の念仏踊りで使われるなど次第に芸能のお囃子で使われるようになったといわれる。鉦はまず円形の鋳型を作り、そこに溶かした銅と錫を流し込んで作る。金属が冷え固まった後、鋳型を外し、表面を滑らかに削って完成となる。非常に繊細な作業を要し、出来いかんで音色が変わるという。
 熊本では承平4年(934)に京都の祇園社(八坂神社)の分霊を勧請して創建された北岡神社でも8月1・2・3日の3日間祇園祭が行われる。コロナ禍のため縮小開催が続いたが今年はかつての賑わいを取り戻せるだろうか。


高砂と阿蘇神社

2023-06-19 21:53:24 | 伝統芸能
 またまた前日の記事からの連想で恐縮だが、漱石「草枕」の「鈴鹿馬子唄」のくだりより少し前に巻き戻すと、
 「おい」と声を掛けたが返事がない。
の有名な書き出しで二章が始まる。ここで登場するのが茶屋の婆さん。画工はその婆さんの顔を見て、宝生流の能舞台で見た「高砂」の姥にそっくりだと思う場面だ。

―― 返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
 二三年前宝生の舞台で高砂を見た事がある。その時これはうつくしい活人画だと思った。箒を担いだ爺さんが橋懸を五六歩来て、そろりと後向きになって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。 ――


高砂の浦に現れる尉と姥

 「高砂」といえば熊本ゆかりの能。ワキは阿蘇神社の神主友成である。そういえば、平成28年の熊本地震で倒壊した阿蘇神社の楼門が復元間近だというニュースを最近見た。今年中には一般公開が始まるという。
 阿蘇神社のある一の宮町はかつて僕は仕事で何度も訪れた懐かしい町。阿蘇神社にももう何十年も参拝していない。復興なった時にはまず参拝し、昔お世話になった方を訪ねてみたい。

   ▼「高砂」のエンディング・住吉明神の神舞