昨年春、復旧工事閉鎖中で見ることができなかった監物台樹木園の「祇王寺祇女桜」の開花を今日見ることができた。実は、昨年10月、異常な暑さが続いたので季節を勘違いしたのか、3輪の花を開いているところを偶然目撃していた。そして今回は春本番、満開の花を咲かせてくれた。


日本花の会の「桜図鑑」によれば、「桜守として名高い佐野藤右衛門が京都市右京区・嵯峨の中院に自生していたものを発見し、祇王寺の庭に移植したもので祇王の妹・祇女に因み佐野が名付けた。」とある。平清盛の寵愛を受けた姉の祇王がその後、暇を出され、母娘三人草庵で悲哀をかこつたという伝説がもとになっている。白拍子だったという祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。白拍子の起源について「平家物語」には次のように書かれている。
―― そもそもわが朝に白拍子の始まりける事は、昔、鳥羽の院の御宇に、島の千歳、和歌の前、これら二人が舞ひ出だしたりけるなり。はじめは水干に立烏帽子、白鞘巻をさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。しかるを中頃より烏帽子刀をのけられて、水干ばかり用ゐたり。さてこそ白拍子とは名付けけれ。――
祇王の物語のあらすじは「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」をご覧ください。
下の舞踊は、島の千歳と和歌の前による白拍子舞を長唄舞踊化したもので、祇王・祇女の姉妹に見立てると一層味わい深いものがある。


日本花の会の「桜図鑑」によれば、「桜守として名高い佐野藤右衛門が京都市右京区・嵯峨の中院に自生していたものを発見し、祇王寺の庭に移植したもので祇王の妹・祇女に因み佐野が名付けた。」とある。平清盛の寵愛を受けた姉の祇王がその後、暇を出され、母娘三人草庵で悲哀をかこつたという伝説がもとになっている。白拍子だったという祇王・祇女の姉妹がその名の由来である。白拍子の起源について「平家物語」には次のように書かれている。
―― そもそもわが朝に白拍子の始まりける事は、昔、鳥羽の院の御宇に、島の千歳、和歌の前、これら二人が舞ひ出だしたりけるなり。はじめは水干に立烏帽子、白鞘巻をさいて舞ひければ、男舞とぞ申しける。しかるを中頃より烏帽子刀をのけられて、水干ばかり用ゐたり。さてこそ白拍子とは名付けけれ。――
祇王の物語のあらすじは「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」をご覧ください。
下の舞踊は、島の千歳と和歌の前による白拍子舞を長唄舞踊化したもので、祇王・祇女の姉妹に見立てると一層味わい深いものがある。
花童あやの(左)と花童くるみ