徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

水辺の涼

2021-07-31 21:18:48 | 
 今日の暑さはまた特別だった。エアコンを入れた部屋から出ると息苦しいほど。テレビではオリンピックで大騒ぎしている一方、新型コロナの新規感染者数が全国で12,000人を超え、過去最高を更新したという。いったいこの国はどうなっているんだ。
 熊本は83人とかろうじて二ケタ台にとどまっているが、はたしていつまでもつだろうか。この前再開されたばかりの熊本城特別公開も来週から再び中止されることになった。ユーウツな日々が続く。今日は過去の涼しげな水辺の写真を並べてみた。


池のほとりを薪能に向かう女性二人


上江津湖で水遊びする女子たち


夕暮れの水前寺成趣園

歌生まれし彼の地 ~淡海節~

2021-07-30 23:25:58 | 音楽芸能
 この写真は大正初期の大和座である。明治41年、熊本市練兵町(現在の中央区辛島町・ホテルクラウンヒルズ熊本の位置)に建設された歌舞伎専用の劇場。定員2500人、来熊の歌舞伎役者はほとんどここの舞台を踏んだという。昭和18年に歌舞伎座に改称。昭和36年に閉館するまで市民娯楽の殿堂だった。
 大正6年この劇場で公演した関西の喜劇役者・志賀廼家淡海(しがのやたんかい)は劇中で「ヨイショコショ節」を初めて唄い、それが評判を呼び、昭和に入った頃「淡海節」と呼ばれるようになった。今では彼の出身地滋賀県の民謡として定着している。
 しかし、もともと「ヨイショコショ節」は山口県で唄われていた民謡。NHKの「新日本風土記アーカイブス『みちしる』」では山口県周防大島に伝わる民謡として紹介されているが、元治元年(1864)の第二次長州征伐(四境戦争)において大村益次郎率いる長州軍が 「石州口の戦い」で幕府軍を破ったとき、奇兵隊の一員として参戦していた人が陣営で唄われていたこの唄を持ち帰ったものという説があるという。
 のちに「淡海節」として名古屋で流行ったそうで、下の東海風流プロジェクトの映像で、崎秀五郎さんが、名古屋甚句と同じ手付(三味線演奏用の作曲)という話をされているが、おそらくその頃に手付が行われたものと思われる。
 唄の歴史を遡って調べると実に興味深いことが次々と出てくる。


大正初期の大和座の賑わい


   ▼志賀廼家淡海が唄う「淡海節」


   ▼東海風流プロジェクトが演奏する「淡海節」

ユーウツな夏

2021-07-29 20:40:15 | 熊本
 今日は全国で初めて1万人を超える新型コロナウイルス感染が発表された。爆発的な感染拡大がしばらく続くという。わが熊本も毎日増え続けており、今日は63人。県は不要不急の外出を控えるよう呼び掛けている。せっかくワクチンの2回接種も終えたというのに、この状況では巣ごもりの夏になりそうだ。
 今日は、過年度の夏の風景を眺めながら過ごした。


各地区ごとの夏まつり


加藤神社・清正公まつり神輿の宮出し。


北岡神社・祇園まつり御神幸出発。


水前寺成趣園能楽殿での出水神社薪能。


山鹿灯籠まつり・鹿本農高郷土芸能伝承部による流し踊り。


鞠智城と赤米

民謡「五十四万石」~城に輝く宇土櫓~

2021-07-28 18:24:44 | 音楽芸能
 最近、熊本の代表的な民謡の一つ「五十四万石」についておたずねをいただいたので、2016年12月6日の記事を再編集して再掲した。

 この歌が世に出たのは昭和10年1月、コロンビアレコードから藤本二三吉の歌で発売された。この頃、「新民謡」今でいう「ご当地ソング」づくりがブームになっていて、この歌もそんな流れに乗ったものだったのだろう。ただ、熊本市ではその年の3月から5月にかけての50日間、水前寺公園北郊で「新興熊本大博覧会」が開催されており、それにタイミングを合わせた発売だったのかもしれない。
 作詞したのは童謡・民謡の作詞家として北原白秋、西條八十とともに、三大詩人と謳われた野口雨情。作曲は組むことが多かった大村能章。
 まず、歌い出しの「♪ 五十四万石~」から「細川様は」と来る。熊本ではだいたい「セイショコさん」が先に来るのが普通。なぜ「細川様」なのか。茨城県出身の雨情が、熊本の清正公人気を知らなかったとも思えない。おそらく、五十四万石の大大名である細川様。そして、その礎を築いたのは清正公だという構成になっているのだろう。
 三番の歌詞が最近あまり歌われないのは、この部分だけが昭和10年頃の熊本市の風景を描いており、二本木遊郭を表す「東雲(しののめ)」や当時熊本一の繁華街「新市街」といった今日的ではない言葉が使われているからだろう。
 四番の最後に登場するのが宇土櫓。この歌が作られた昭和10年頃は、西南戦争で焼失した大小天守閣はまだ再建されていない。第三の天守と呼ばれた宇土櫓で最後を締めくくるしかなかったのだろう。


大小天守が復元される前の宇土櫓(熊本城と言えば宇土櫓のことだった)


   五十四万石(作詞:野口雨情 作曲:大村能章)


    2014年10月25日 熊本城本丸御殿 秋夜の宴
    【振付】中村花誠
    【立方】花童(くるみ・あやの・あかね・ゆりあ)
    【地方】  唄:西村直子・吉里満寿美・宮本道代
        三味線:本條秀美・本條秀咲・蒲原サヤ子・勇美智子
        鳴 物:中村花誠と花と誠の会
          笛:今井冽

8月の音楽イベント

2021-07-27 17:55:42 | 音楽芸能
 8月は楽しみな音楽イベントが二つ。
 一つ目は全国トップレベルの実力を誇る「玉名女子高校吹奏楽部2021サマーコンサート」。昨年は全国コンクールや主な演奏会も中止となり、彼女たちの実力をほとんど発揮できなかったと思われる。久しぶりにナマ音を聴けるのが楽しみだ。
 二つ目は「くまもと大邦楽祭2021」。昨年はメインのプログラムである「くまもと全国邦楽コンクール」が延期となり、昨年の本選出場予定者がそのまま今回出場する。出場者にとって一年の延期は間違いなく演習を積み重ねているはずなので例年以上に高いレベルの演奏を期待したい。

 どちらも事前の申し込みが必要。また、新型コロナ感染拡大の状況によっては中止または内容変更の可能性あり。

  🎼玉名女子高校吹奏楽部2021サマーコンサート


  🎼くまもと大邦楽祭2021
     日時:2021年8月21日(土)13時より
     会場:熊本市民会館シアーズホーム夢ホール



      長谷検校記念  第26回くまもと全国邦楽コンクール
       ◆本選出場者


監物櫓(けんもつやぐら)の復旧工事

2021-07-25 20:50:39 | 熊本
 熊本地震で被災した監物櫓復旧工事が行われている。そのため、令和3年6月1日から令和6年3月末までの間、監物台樹木園は休園となり、樹木や草花の愛好家には寂しい3年間となる。

 監物櫓は国の重要文化財に指定されている。江戸時代には豊前街道・豊後街道脇に位置し、熊本城北端の守りを固めていた。平成28年熊本地震で外壁が破損し、建物本体が傾いたため、平成31年(2019)3月に建物が解体され、復旧工事まで格納庫で保管されている。
 しかし、この監物櫓、下の図のとおり、長岡図書邸にあり、正しくは「長岡図書預櫓(ながおかずしょあずかりやぐら)」という。明治時代に熊本城を管理していた陸軍が隣の長岡監物邸と間違えたまま、それが定着したのだという。
 江戸時代には監物櫓の下に新堀御門があり、参勤交代の御行列もここから出入りした。さぞや壮観であったろう。

 さて、2年前に櫓が解体されて以来、放置状態が続き、石垣も見えないほど雑草に覆われていたが、やっと石垣の補修工事が始まり、復旧に向けて歩み始めたことは喜ばしい。3年後、監物櫓が再建される日が待ち遠しい。


旧藩時代熊本城全図(一部):熊本市史より



雑草に覆われていた石垣が再び顔を見せた。


2016年4月、熊本地震直後の監物櫓


2015年3月、熊本地震1年前の監物櫓


2015年4月、監物台樹木園の内側から見た監物櫓


   ▼肥後細川藩の御行列を描いた「肥後の殿様」

東京オリンピック あの日あの時(再編集版)

2021-07-24 15:14:46 | スポーツ一般
 1964年10月18日。東京オリンピックの水泳競技最終日、僕は会場となっている代々木競技場のプールで大会スタッフのアルバイトとして働いていた。この日まで日本は1個のメダルも獲れないでいた。いよいよ最終種目の男子800mリレー。日本にとってはまさにラストチャンスだ。スタートの号砲が鳴る。最終種目とあってか、会場はもの凄い声援の嵐。僕ももう仕事なんかそっちのけ、仮設スタンド脇の黒山の人だかりのすき間からレースを覗き見る。日本は福井、岩崎、庄司と繋ぎ、アメリカ、ドイツ(東西連合)に続き3番手でアンカーの岡部へ。悲願のメダルへ手が届きそうだ。その時だった。誰かが仮設スタンドの上から僕を呼んでいるのに気付いた。見ると外国人の男性客が僕にスタンドに上がって来いと言っているらしい。そして僕に手を差し伸べた。僕も躊躇している場合ではないと思い、手を差し出し、仮設スタンドの鉄パイプをハシゴがわりにして客席まで引っ張り上げられた。男性は何かしきりに英語でまくしたてたが、どうも「日本がメダルを獲りそうだから、ここからしっかり見ていろ!」と言っているらしかった。僕は「サンキュー」とだけ言ってレースに集中した。岡部は3番手の位置を保ったまま、最後のターンを終えた。するとそれまでにも増してもの凄い声援と指笛が大音響となって会場を包んだ。日本人、外国人関係なく会場すべてが日本を応援しているようだった。そして日本は3位でゴールインした。引っ張り上げてくれた男性やその周囲の観客たちが、僕に「コングラチュレーション!」の嵐。僕はその人たちと握手しながら「サンキュー!サンキュー!」というのが精一杯だった。そして僕はその時、スポーツの存在意義を実感した。

 あれから57年、今また東京オリンピックがやって来た。しかし、あの日の感動の中心にいた福井さんと岡部さんは今は亡い。ご健在の岩崎さんと庄司さんはどんな思いで今大会をご覧になっているだろうか。
 後年、僕はその庄司さんと同じ職場で働くこととなった。既に水泳はやめておられたが、東京オリンピックについてあまり多くを語られなかった。最近、ブリヂストン・ブログに登場された庄司さんのお姿に懐かしい思い出が甦った。


3位でゴールしたアンカーの岡部選手をねぎらうチームメンバー


左から岡部、庄司、岩崎、福井の800mリレーメンバー


数十年ぶりに拝見した庄司さんの近影(ブリヂストン・ブログより)


7月23日の思い

2021-07-23 22:08:32 | 
 2回目のワクチン接種を受けて2日経ったが、1回目より少しダルい感じがあったが、それ以外は特に異常なし。全国的に感染拡大が続いているようだが、熊本の感染者も再び2ケタ台に戻った。デルタ株が増え始めたのが気になる。
 そんな中、東京オリンピック2020が開幕した。パンデミックの中での開催という不運な与件はあるものの、8年前の招致決定から今日までの不祥事続きは目に余るものがある。1964年の東京オリンピックに多少なりとも関わった一人として怒りを通り越して悲しくなる。アンチ五輪キャンペーンを展開していたテレビも掌を返したように提灯番組を始めた。しかし、とてもそんな気分にはなれない。
 さて、今日は加藤清正公のお逮夜。本来なら日が暮れるころから本妙寺の頓写会に出かけるのだが、ここ数年、夜に行っても寂しいだけなので今日は午後3時頃にお参りに行って万灯供養だけした。夕食後には加藤神社へ出かけてお詣りを済ませた。
 なんだかいろんな思いが交錯した一日だった。


本妙寺大本堂・万灯供養


加藤神社

民謡をたずねて ~滋賀県米原市編~

2021-07-22 12:21:16 | 音楽芸能
 東海風流プロジェクトでおなじみ、民謡歌手の水野詩都子さんが昨年12月に出演されたNHKFM「民謡をたずねて」滋賀県米原市編が今日から3週にわたって再放送されます。
 今日、水野さんが唄われるのは「日高川甚句(和歌山県民謡)」です。この唄は幕末頃に流行った「そうじゃおまへんか節」を源流とする一連の民謡の一つです。われわれ熊本県民としては源流を同じくする「おてもやん」との共通点や違いに注目して聞きたいと思います。
【放 送】
  7月22日(木) NHK FMラジオ 17時30分~18時


米原から伊吹山を望む

▼東海風流プロジェクトの相棒、崎秀五郎さんとのリモート共演で「そうじゃおまへんか節」系の
 「名古屋名物」「おてもやん」「酒田甚句」「日高川甚句」を続けて唄う貴重な映像。
 なお、この他、京都の「宮津節」や山口の「男なら」なども同系統といわれています。


山鹿湯籠踊り

2021-07-21 00:16:42 | 伝統芸能
 山鹿灯籠まつりのメインイベント「千人灯籠踊り」などが2年連続で中止されることとなった。大宮神社での「奉納燈籠」などの神事は例年どおり実施されるという。実行委事務局によれば、全国各地から訪れる約16万人に対し、感染防止策を徹底することは不可能と判断。また、これまで参加した踊り手の半数近くが「参加できない」と答えたという。
 来年以降を待つしかないが、まつりなどのイベントが途絶えているこの時期を利用して、過去の映像の画質を改善したり、歌詞を付けたりして修正版の再アップ作業を進めているが、なかでも、2013年7月6日に、山鹿温泉さくら湯・池の間での舞踊公演「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」は、山鹿民謡の組曲ともいうべき曲で、次代に残しておくべき映像だと考え、映像にも登場する民謡三味線の本條秀美さんに歌詞を送っていただき、画質向上と歌詞付のリマスター版をアップした。
 俚奏楽というのは、三味線音楽の大御所、本條秀太郎さんが創始した新しいジャンルの三味線音楽。「俚」は「さとび」とも読み、「雅(みやび)」の対義語。つまり「雅」が都会的なさまを表すのに対して、田舎びたさまを表す言葉。全国津々浦々に消えてなくなりそうな古い民謡・俗謡がある。それらを掘り起し、新しい現代的な解釈で甦らせ、継承していこうというのが本條さんの提唱する「俚奏楽」の考え方。
 この「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」は次の七つのパートで構成されている。
 ・出端(プロローグ、出囃子)
 ・いらんせ
 ・古調よへほ節
 ・山鹿ねんねこ節
 ・山鹿盆踊り唄
 ・よへほ節
 ・入端(エピローグ、入囃子)


本座と新座

2021-07-19 18:28:01 | 伝統芸能
 北岡神社の例大祭(祇園まつり)は昨年に続き今年も神事のみが行われ、神幸行列や芸能行事などは行われないようだ。ただ、8月3日の献幣祭の能舞は行われるという。
 祇園まつりや藤崎宮例大祭では喜多流と金春流による能舞が奉納されるのが習わしとなっているが、これには古い歴史がある。
 平安時代前期、京より祇園宮が肥後国に勧請されるにあたり、六人の楽人が供奉して肥後に定住し、彼らは延年・猿楽などを代々継承した。やがて室町時代になると能楽が盛んになり、新しい流派も興ってきた。熊本では前者を「本座」、後者が「新座」と呼ばれた。祇園宮や藤崎宮の祭礼では本座・新座の順に演能していたが、加藤清正公の時代、藤崎宮の祭礼では新座は氏子である自分たちが先座を務めたいと申し出た。しかし、本座はそれを受け入れず激論が闘わされた。清正公の裁量を仰ぐこととなったが、祇園宮は本座、藤崎宮は新座という清正公の裁定に本座は、たとえ国主の命令であろうと本座が先座を務めるのが末代までの社例であると譲らなかった。その間、激しい言葉のやりとりもあって清正公は激怒。本座に厳罰を加えようとされたが、臣下のとりなしもあって、本座の藤崎宮での演能差し止めと河川改修などの課役が命じられた。とにかく両座は張り合っていたようで、祇園宮の祭礼ではなんと、両座がそれぞれ「翁」を演能したこともあるという。
 ちなみに祇園宮勧請に供奉した楽人の家の一つが友枝家である。

 藤崎宮例大祭における演能。本座の流れをくむ喜多流と新座の流れをくむ金春流が交互に演能する。

金春流「高砂」


喜多流「敦盛」

さらば ガラケー!

2021-07-18 17:57:39 | 
 先週、大雨が降った夜、ガラケーを駐車場でうっかり落としたことに気づかず、車で踏んでしまった。結果、破壊されたガラケーはお釈迦に。この機種は来年3月にサービス終了となるのでauからは何度も機種変更の案内が来ていたが、まだ半年以上も先のことと先延ばしにしていた。これで決心がついたので、昨日auショップに行って新しいスマホに交換した。
 記憶をたどるとこのガラケーを10年数ヶ月使っていたようで、使い初めは、ちょうど東日本大震災が起こり、九州新幹線が開業したものの祝賀イベントがすべて中止または延期になった2011年春のようだ。4月1日から熊本城本丸御殿で始まった「春の宴」に足繁く通い始めたのも思い出深い。
 ガラケーの用途はほとんど通話だけだったが、10年以上、よく働いてくれた。心から「ありがとう!」と言いたい。


2011年4月1日の熊本城天守閣


    2011.4.15 熊本城本丸御殿 春の宴
    立方:少女舞踊団ザ・わらべ
    地方:藤本喜代則と喜代則社中・中村花誠社中

TBS「音楽の日」@加藤神社

2021-07-17 16:09:39 | テレビ
 TBSの「音楽の日」が5年ぶりに加藤神社へやって来た。
 前回は熊本地震から間もない2016年7月16日だった。
 今回は久留米出身の女性シンガーソングライターの家入レオさんが登場。熊本城天守閣をバックに「Shine」を熱唱した。


小雨パラつく中、リハーサルが始まる


MCの糸永有希アナ(RKK)


家入レオさんとくまモンも登場

7月16日という日

2021-07-16 20:06:40 | 
 7月16日という日は僕にとって特別な日。51年前の1970年、転職して横浜へ赴任した日、いわば人生の大きなターニングポイントとなった日である。新人研修先がブリヂストン横浜工場。ここで半年間の研修を受けた。この半年間は楽しかった。人事労務部門への配属は決まっていたので、研修部署は横浜工場総務部労務課。人事給与、安全衛生、教育研修、広報など、諸先輩から担当職務のご指導を受けた。また、アフターも大変お世話になった。研修期間中に全社スポーツ水泳競技大会が那須工場で行われ、横浜工場チームの一員として那須へ行ったのも忘れられない。
 多くのお世話になった方々を思い出すが、中でも最も印象深い方が、総務部長を務めておられたS部長。イケメンで長身、とにかくカッコいい部長さんで、いつも金魚鉢の中で書類に目を通されたり、部下と打ち合わせをされている姿に憧れたものだ。就業時間が終わる頃になると必ずバスケットをしに体育館へ。1時間ほど汗を流した後、コーヒーの紙コップを手に席へ戻られるのが日課だった。後年、このS部長と不思議な縁ができることになる。ちなみに、このS部長、実は元宝塚トップスターで女優の日向薫さんのお父さんである。
 この1970年の思い出とともに忘れられない曲が下の2曲。「ブルー・ライト・ヨコハマ」は前年に大ヒットしたが、この年も変わらぬ人気を博していた。「I'll never fall in love again」はバート・バカラックのヒット曲で、ディオンヌ・ワーウィックのLP盤を擦り切れるほど聞いていた憶えがある。

     ▼ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)


     ▼I'll never fall in love again(ディオンヌ・ワーウィック)

明後日はガラシャ忌

2021-07-15 21:17:58 | 歴史
 明後日17日は421回目のガラシャ忌。しばらくコロナ感染拡大防止のため閉鎖されていた泰勝寺跡(立田自然公園)は先月下旬に再びオープンされたのでお詣りに行きたいと思う。
 ただ、茶室「仰松軒」が改修工事中のため見ることができないのは残念。また、最近改修工事が終わった細川家立田別邸の塀が、以前の竹垣から鉄製の角柱に変わり、邸内が外からも覗き見出来るようになったものの、風情に欠けているのも残念だ。


泰勝寺跡(立田自然公園)


泰勝寺山門(細川家立田別邸門)


夏目漱石「草枕」の鏡ヶ池のモデルともいわれる泰勝寺の池


細川三斎(忠興)公好みの茶室「仰松軒」





園内の竹林


園内回遊路


細川家初代幽斎(藤孝)公夫妻および二代忠興公夫妻を祀った四つ御廟


ガラシャ廟