徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

忘れ得ぬ平成の映像

2019-04-30 19:05:14 | 熊本
 平成17年2月から始めたこのブログも今日で14年と3ヶ月。投稿した記事は5000本を超えていると思うが、それらの記事の中に掲載した映像を一つ選ぶとすればどれになるか。さんざん考えた末、選んだのがこれ。
 熊本城本丸御殿は熊本城築城四百年記念事業として平成20年に復元されたが、この映像は平成23年10月29日、本丸御殿大広間で行われた「秋夜の宴」の模様である。平成28年4月の熊本地震により甚大な被害を被った本丸御殿は、現在まだ復旧の見通しも立っていない。おそらく僕が生きている間にこのようなイベントを再び本丸御殿で見ることはできないだろう。
 そういう意味でも僕にとって忘れることのできない平成の映像なのである。



  立方:ザ・わらべ(くるみ・あやの・かえ)
  地方:本條秀美社中/中村花誠と花と誠の会
  振付:中村花誠

いだてん 「いきなり団子」を食らう

2019-04-29 19:49:47 | テレビ
 昨夜の大河ドラマ「いだてん」で、四三(中村勘九郎)が「いきなり団子」を食べるシーンがあった。マラソンの世界記録を出し、ベルリンオリンピックへ向け、強化練習に励んでいるという四三からの手紙を受け取った妻のスヤ(綾瀬はるか)は、養母(大竹しのぶ)の許しを受け、「♪あの山いっちょ越すとしゃが」とばかりに上京、四三の下宿先にやって来る。その時に手土産として持ってくるのが、熊本名物の「いきなり団子」。四三がおいしそうに頬ばる「いきなり団子」は小麦粉の生地の下にうっすらあんこが入っているようだ。僕らが子供だった頃、食べていた「いきなり団子」は中味はさつまいもだけだったような気がするので、大正初期の「いきなり団子」にあんこが入っていたかどうかは「?」だ。それはさておき、「いきなり団子」のいきなりの意味をよく「突然」とか「急に」といった意味合いで説明されることが多いが、古い熊本弁の「いきなり」は「ザッとした」とか「成り行きまかせ」とかいう意味で使われたらしく、わが祖母もたしかにそんなニュアンスで言っていた記憶がある。




出でよ ニュースター!

2019-04-27 18:13:16 | スポーツ一般
 今日は朝から熊本県陸上競技選手権を観戦するため、県民総合運動公園のスタジアムへ。大会記録もいくつか出たようだが、全般的に低調。男子100mに江里口や末續の名前は消えたし、女子100mの野林や深川も欠場は残念。来年は東京五輪が控え、今まさに県内は「いだてん」ブームだというのに寂しい限り。


男子100mは平野翔大(大東文化大)が制したが混戦模様。


女子400mは新宅麻未(アットホーム)が今年もダントツの強さ。


女子100mは宮﨑亜美香(青学大)が実力を発揮。今年こそは大器花開くか。


 たまたま近くで、かつての日本選手権女子三段跳びのチャンピオン・中尾有沙さんが観戦しておられたので撮影させていただいた。車いすランナーとして2020東京パラリンピックへの出場が適うことを心から祈っている。

天皇・皇后両陛下と熊本

2019-04-26 20:33:22 | 熊本
 天皇・皇后両陛下の御在位もあと4日となりました。
 去りゆく平成時代と両陛下の思い出をブログ記事からクリップしてみました。

▼平成25年(2013)10月、「全国豊かな海づくり大会」へご臨席のため来熊された両陛下は、28日に熊本城本丸御殿を視察されました。
(2013.10.29 熊日新聞より)

▼両陛下は宿泊先となったホテル日航熊本の窓際にお立ちになり、熊本城本丸広場からの提灯奉迎にお応えになりました。不開門から本丸へ登った人波は5、6千人にも達しました。



▼平成28年(2016)5月、両陛下は、熊本地震の被災者を見舞うため、特別機で来熊されました。自衛隊のヘリコプターで上空から被災地を視察された後、南阿蘇村と益城町で避難所を訪ねられ、被災者を見舞われました。

民謡「おてもやん」余話

2019-04-25 22:41:51 | 音楽芸能
 先日、と言っても数ヶ月前になるのだが、祇園橋たもとのポケットパークの前を歩いて通りかかったので、久しぶりにおてもやん記念銅像をしばらく眺めた。銅像下の説明板が以前見た時より読みやすくなっていたので、多分修復されたのだろう。この銅像が出来たのは2007年だったと記憶しているが、12年も風雨に曝されるとあちこち傷んでくるのだろう。説明文を読んでいて「エッ!」と新しい発見があった。今さらの感なきにしもあらずだが。



 説明版には次のように書かれている。

▼おてもやんと永田いね
 江戸末期の米屋町三丁目に、「糀屋」というみそ製造所があった。この永田家には細川家に多額の御用金を献納して、名字帯刀や家紋三柏の使用を許されていた。
 永田いねは、元治元年の年の瀬も迫った十二月二十四日、「糀屋」の主人永田大八の一人娘として出生した。母・辰さんの希望で、四才の時から踊りを習い始め、やがて琴・三味線・笛・太鼓等幅広く芸事に精通していった。
 井芹川で舟遊びしていて唄ったのが、横手の細川邸まで聞こえ、殿様(護久公)の所望によって舞や唄を披露し、脇差を戴いたこともある。
 明治十五年には、亀甲屋嵐亀乃助と名乗り、女芝居一座を組んで、大阪・名古屋方面まで巡業に出た。一座を解散した後は、沢山の弟子をかかえて踊りや三味線・唄の師匠としていたが、その稽古は厳しく、少しでも間違えると扇子や煙管でビシビシ叩いて特訓をしていたので、「気〇がい師匠」のあだ名があった。
 民謡「おてもやん」は、いねが春日の五反で師匠をしていた頃作られたもので、この節が名古屋さんざい(名古屋甚句)によく似ておるのは、名古屋巡業の際に影響を受けたのであろう。


 これは、熊本市立五福小学校が創立100周年を迎えた1977年に発行された記念誌に書かれている文章である。
 今さらながら興味をそそられたのは、最後の「この節が名古屋さんざい(名古屋甚句)によく似て・・・」のくだりである。おてもやんの節が名古屋甚句や金来節からの系統であることは既知であるが、「名古屋さんざい」とはいったい何?名古屋甚句の元唄あるいは別称なのか?そもそも「さんざい」とは「散財?」あるいは単なる囃子言葉なのか。もとをたどれば、江戸時代末期の「そうじゃおまへんか節」が源流だという説もある。新しい発見につながるかもしれないので、また文献等で調べてみよう。


消えるNTT桜町ビル

2019-04-24 18:50:14 | 音楽芸能
 NTT西日本桜町ビル(熊本市中央区桜町)が、九品寺に新築するビルへの機能移転に伴い、2年後に解体されることが先月発表された。跡地利用については未定だという。
 このビルの前庭は僕が「わらべ(現舞踊団花童)」と初めて出逢った思い出の場所。今から10年前、2009年10月のイベント「みずあかり」の時だった。すっかり日も暮れた桜町ビル前庭に設えられた特設ステージのスポットに照らされてわらべの子らは踊っていた。「俵はごろごろ」のメロディと太鼓の音に惹かれ、幾重にも重なった人垣のすき間からのぞき見た。そこでは可愛らしい女の子たちが、まるでおとぎ話のような世界を繰り広げていた。その日から僕はすっかりわらべの世界のとりこになってしまった。
 そんな思い出の場所もやがて無くなってしまう。世の中はどんどん変わって行く。嗚呼…

 
みずあかり2010のアトラクションでNTT桜町ビルの前庭で踊る4歳の頃の花童ゆうあちゃん


2021年に解体されることが決まったNTT桜町ビル


花童ゆうあちゃんはもう中学生!2018年「古謝美佐子 熊本城島唄コンサート」で「童神」を踊る。

カバー写真 ~かきつばた~

2019-04-23 20:33:54 | 文芸
  ら衣 つつなれにし ましあれば るばる来ぬる びをしぞ思ふ(古今 在原業平)

 毎年、この時季になると立田山湿性植物苑のかきつばたを見たくなる。今年はちょっと早いかなと思ったが行ってみると、もう満開に近いほど咲いていた。折しも小雨がパラツキ始め、花びらの上を雨粒が転がり始めた。平日ともあって人っ子一人いない。ゴールデン・ウィークにはきっと親子連れで賑わうことだろう。いつものことながら、在原業平のこの歌を思い出した。


船場菅原神社ゆかりのタヌキ像

2019-04-20 19:14:06 | 熊本
 新町の船場菅原神社に、「肥後の手まり歌」に登場する船場のタヌキに因んで、熊本市内の篤志家から寄進されたタヌキの石像を設置したという話題が昨日の熊日新聞に載っていた。地元ではタヌキ像を神社および地域の盛り上げに活用したいという。
 さっそく船場菅原神社に参拝に行ってみた。ここにお詣りするのは何年ぶりだろう。久しぶりに行ってまず感じたのは、随分と殺風景になったなということだ。かつては「料亭すざき」さんが隣接していて、それなりの雰囲気もあったが、その「すざき」さんも廃業され、今は駐車場になっている。地域の名所にするには雰囲気づくりに工夫が必要だなと感じた。
 また、船場には慶長十五年(1610)春、加藤清正に招かれた「阿国歌舞伎」が熊本で初めて行われたという歴史もある。これも地域の盛り上げに活用できるのではないかと思うのだが。


タヌキの石像が設置された船場菅原神社


料亭すざきで踊るザ・わらべ(写真提供:田尻善裕さん)

新緑が眩しい午后

2019-04-19 18:21:15 | 熊本
▼ビエント くすのきコンサート
 新緑の季節恒例の「ビエント くすのきコンサート」が熊本県伝統工芸館の中庭で行われた。相変わらずの美しいビエントサウンドと饒舌な吉川万里さんの熊本弁MCで楽しい午後のひと時を過ごした。
 ≪演奏曲≫
  グリーンスリーヴス、断崖の翼、川の流れのように、コンドルは飛んでいく etc.


新緑につつまれて演奏する竹口美紀さんと吉川万里さん


▼千葉城の躑躅
 NHKが去った千葉城跡には今年も躑躅が咲いた。まだ七分咲きといったところだが、来週半ばには満開になるだろう。それにしてもこの土地の再利用の行方が気になる。




▼嗚呼、東十八間櫓
 幼い頃から見慣れた東十八間櫓(国重文)が熊本地震で崩落してもう3年。前を通るたびに寂しい思いにさせられる。あの凛と聳えた姿が復活するのは何年先のことだろう。高橋公園で涼みながらしばらく眺めていた。




踊る花童の後方に在りし日の東十八間櫓が映っている。

熊本弁まるだしの歌 ~阿蘇くぎの花盛り音頭~

2019-04-17 21:40:17 | 音楽芸能
 大河ドラマ「いだてん」のおかげで熊本弁の「熊本自転車節」が注目され、他府県の方から「歌詞の意味を知りたい」などというおたずねもある。熊本弁の歌で全国的に知られていたのは今まで「おてもやん」くらいしかなかったと思う。熊本弁に興味を持っていただくのはありがたいことだ。
 他に熊本弁の歌で何があったっけと考えて思い出したのが、この「阿蘇くぎの花盛り音頭」。これは「火の国旅情」で知られる作詞:中沢昭二、作曲:岩代浩一のコンビによって作られた歌である。熊本人の僕でさえちょっと声に出すのを憚るくらい、阿蘇の方言まるだしのユーモラスな歌詞だ。
 熊本地震で甚大な被害を被った南阿蘇村。今から50年以上前、大学を卒業してトラックディ-ラーに勤めた僕が最初に受け持ったテリトリーが今の南阿蘇村だった。その頃はまだ、長陽村、白水村、久木野村に分かれていた。懐かしい想い出の南阿蘇村の復旧復興が一日も早いことを祈るばかりだ。


南阿蘇の田園風景
(写真:キロクマさんより)



藤祭 藤崎八旛宮

2019-04-15 18:00:25 | イベント
 桜が散ったと思ったら、もう藤の季節になっていた。今日4月15日は藤崎八旛宮の藤祭の日。この祭は藤崎宮鎮座の際、勅使が挿した藤の鞭に芽が生じ枝葉が繁茂したという伝説に由来するもの。神恩に感謝し、五穀豊穣と諸行繁栄を祈願する神事がとり行われた。


境内の藤棚には早くも藤の花が


拝殿・本殿での神事に向かう神職たち


能楽殿での仕舞奉納(喜多流 狩野了一さん)

「音と舞」熊本震災復興祈念大倉会能楽公演

2019-04-14 22:27:02 | 音楽芸能
 おそらく平成最後の観能になるだろう。それなりに見ごたえはあった。でもやっぱり一番でもいいから能を観たかった。
 今日の番組では舞囃子「小袖曽我」がダントツによかった。菊本澄代・美貴姉妹による曽我兄弟の相舞はずっと観ていたいと思ったほどだ。地謡もこれが一番声が通っていたし。「船弁慶」は、今年1月に久留米座で狩野了一さんの能を観ており、まだその印象が強く残っているので…。
 隣の席の90歳に近いというご高齢の男性と会話したが、ご本人は宝生流の謡や仕舞を60年以上やっていたとおっしゃっていた。熊本は喜多流、金春流が盛んなのでちょっと肩身が狭いとも。2年前に亡くなられた喜多流の狩野琇鵬先生には流派に関係なくお世話になったともおっしゃっていた。僕と同じく転勤族だったということで、お互い同じような経験をした話や宝生流と漱石との関係など、いろんな話で盛り上がった。

【番組】
素囃子 :「揉之段および鈴之段」 大倉流
舞囃子 :「高砂」喜多流(友枝雄人)
舞囃子 :「小袖曽我」観世流(菊本美貴・菊本澄代)
舞囃子 :「百万」金春流(松井笙子)
連調  :「熊野」観世流
一調一声:「三井寺」金春流(桜間右陣)/大倉流(大倉源次郎)
舞囃子 :「船弁慶」喜多流(狩野了一)

第二回山鹿をどり

2019-04-13 14:53:41 | イベント
 来たる5月12日、山鹿八千代座で「第二回山鹿をどり」が下のプログラムのとおり開催されます。昨年に引き続き、三味線音楽の大御所・本條秀太郎さんを迎え、粋で華やかな舞台が、この多彩な出演者たちによって繰り広げられます。初夏の山鹿八千代座で日本の伝統芸能を楽しみましょう。

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