徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

桜と菜の花と芝桜

2023-03-31 20:58:33 | 熊本
 熊本市北区の「高平・坪井川遊水地花公園」は今、桜と菜の花と芝桜が咲きそろい、鮮やかなコントラストが観る人を楽しませています。
 土手道の向こうに見えるのは古刹浄国寺。江戸末期から明治時代に活躍した生人形師・松本喜三郎の傑作「谷汲観音」が鎮座する寺としても知られています。
 花公園を見物ついでに「谷汲観音」にお参りなどいかがでしょうか。


鮮やかな色模様を楽しんでいると時の経つのを忘れる


土手の向こうに見えるのが浄国寺


谷汲観音様にはいつも「すべてお見通しだ!」と言われそう。



柳暗花明又一村(りゅうあんかめい またいっそん)

2023-03-30 21:07:24 | 
 買い替えるプリンタの品定めに北熊本の家電量販店へ行ったついでに桜が見ごろの立田山へ登った。曇り空がちょっと残念だったが今年も美しい桜の風景が展開していた。その後、麓の小峰墓地へ足を伸ばした。ここの桜も美しい。その昔、この下立田に生まれ育った父は、「この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に『柳暗花明又一村』の感懐を抱かせたのでは…」と書き遺している。
 この「柳暗花明又一村」という表現は南宋時代の中国の詩人陸游の「遊山西村」の中の一節で、「柳が生い茂り、明るく花が咲いている村がまた現れた」という旅人の気持を明るくさせる美しい風景を表現しているらしい。
 小峰墓地は五高教師時代のラフカディオ・ハーンが度々訪れ、辺りの里山の風景や石仏(鼻欠け地蔵)などで癒されていた場所。今は民家や集合住宅などが建て込んだが、往時も今と変わらぬ春の風情を楽しんでいたに違いない。
 帰りは小峰墓地から裏道を通ってわが母黌・済々黌の正門前に抜け、在学時と同様、寺原田畑を通るかつての通学路を何十年ぶりか歩いて帰った。


立田山の桜


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)も桜を愛でてござる


済々黌正門の桜

男なら ~女ながらも武士の妻~

2023-03-29 16:28:33 | 伝統芸能
 民謡歌手「水野詩都子」さんと三味線演奏家「﨑秀五郎」さんのコンビ「しずごろう」によるチャンネル「しずごろう民謡わがままチャンネル」の最新アップ曲は山口県民謡「男なら」です。

 この「男なら」は文久3・4年(1863・1864)に攘夷思想にはやる長州藩と英仏蘭米の列強4国との武力衝突事件、いわゆる「馬関戦争」の際、外国船の攻撃に備え、萩の菊ヶ浜に土塁を築いた武家の妻女たちによって唄われた作業唄だと伝えられています。「おなご台場」とも呼ばれるこの土塁を築いた女たちの唄が「男なら」なのです。ですからこの唄はやっぱり女性に唄っていただきたいと思います。

 この唄の節は「二上り甚句」系といわれています。NHKの「民謡魂 ふるさとの唄」では「二上り甚句」系の民謡として次の5曲が挙げられていました。
  • 酒田甚句(山形)
  • 名古屋甚句(愛知)
  • 日高川甚句(和歌山)
  • 男なら(山口)
  • おてもやん(熊本)


毎年2月、萩観光シーズン開きで披露される「男なら」(萩城趾指月公園)


 この「男なら」を僕が初めて聞いたのは、高校3年生だった昭和38年の山口国体の時でした。宿舎となった美祢市の旅館で地元の女性の皆さんが、この唄と踊りを披露されました。それ以来、僕にとって山口県の民謡と言えば「男なら」なのです。
 ところが、10年ほど前、久しぶりに「男なら」を聴きたくなってYouTubeで探したのですが、出てくるのは「よさこいバージョン」ばかり。少々頭にきて、山口県文化振興課に、いったいホンモノの「男なら」はどこで聴けるのか、とクレームまがいのメールを送りました。担当者もこちらの趣旨を理解されたようで、県内の関係団体などを調べ上げた懇切丁寧なお返事のメールをいただきました。そのメールに添付されていたのが上の「萩城趾指月公園」の写真です。


土塁を築いた菊ヶ浜(萩市堀内)


菊ケ浜 御台場の碑

桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに

2023-03-28 20:47:03 | 日本文化
 熊本城の桜もほぼ満開。桜の花の命は短いけれど美しいその姿のまま散ってゆく。昔から日本人はその儚さと潔さに魅かれてきた。
 そんな心情を詠んだのが下の歌

  桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命をかけて わが眺めたり(岡本かの子)

 今日、桜を眺めながら行幸坂を下っていると、胸の前に遺影と思しき写真を抱えた老婦人が上ってきた。すれ違いざまに見るとご主人のようだ。最近亡くなったのだろうか。ご主人が熊本城の桜を見たいと願っておられたのだろうか。お二人で来られる予定でもあったのかもしれない。などと想像して胸が熱くなった。


奉行丸西南端の未申櫓下の桜も満開。奉行丸西側石垣の復旧が待ち遠しい。


奉行丸東側に並んだ桜に目を奪われる。かつてその下で花見客が筵をぎっしりと敷き詰め弁当を開いた光景を思い出す。


花見客も以前のように国際色豊かに。ヒジャブを纏った女性も。

民謡少女

2023-03-27 22:24:21 | 音楽芸能
 今日、YouTubeで民謡の検索をしていた。すると思いがけない映像に出逢った。それは東京浅草の民謡酒場「和ノ家追分」のチャンネルの中だった。10数年前から熊本のイベントや民謡コンクールなどでよく見ていた梅元遥香さんだった。「おてもやんコンクール全国大会」で優勝したこともある。民謡竹峰流家元の福島竹峰先生の秘蔵っ子で、たしか彼女が中学に上った頃から、いろんな舞台で唄っている姿を見ていたが、実力派「民謡少女」として印象深かった。大学進学したという話も聞いたことがあるが、おそらくもう20代半ばになっているはずだから卒業したのだろう。最近、熊本では見かけなくなったなぁと思っていたが東京へ出て行っていたとは。新天地で大いに力を発揮してほしい。熊本から応援しています。


2009年10月12日 熊本城竹の丸 くまもと秋のお城まつりで歌う梅元遥香さん


梅元遥香さんが唄う「牛深ハイヤ節」

8年ぶりの祭り風景

2023-03-26 19:12:30 | 熊本
 昨日は本妙寺で4年ぶりに桜灯籠(はなとうろう)が行われた。そして熊本地震から7年ぶりに仁王門をくぐることができた。熊本地震で被災した仁王門は昨年10月に修復工事が終わっていたが、石段下のバイパストンネル工事が行われていたため通行できない状態が続いていた。トンネル工事もやっと終わり、仁王門前の祭り風景は実に8年ぶりとなる。
 昨夜は雨も予想されたので、開始時刻の午後6時より1時間も早く着いて、準備真っ最中の参道を見て回った。花園地区で保育園を経営している親戚とバッタリ会った。園児たちが作った和紙灯籠を奉納しに来たそうだ。しばらく立ち話をしたが、本妙寺のイベントも運営メンバーの高齢化などで段々厳しい状況になっているらしい。


8年ぶりに見る仁王門前の祭り風景


仁王門から門前町を眺めるのも8年ぶり


桜馬場にギッシリ置かれた和紙灯籠


   ▼過去の頓写会や桜灯籠の状況がわかる映像です。

キミだけ応援団 ~牛深高校郷土芸能部~

2023-03-25 20:21:23 | 伝統芸能
 今朝、NHK総合の九州・沖縄で放送された「キミだけ応援団」は郷土の伝統である“牛深ハイヤ”を守る熊本県立牛深高校郷土芸能部の活動にスポットを当てた。
 天草伝統の唄と踊り“牛深ハイヤ”を守る牛深高校郷土芸能部は、全国高校総合文化祭に25回出場し、日本一に輝いたこともある名門。しかし現在は少子化の影響で生徒数が減少し、存続の危機にある。そんな郷土芸能部は、晴れ舞台である全国高校総合文化祭への出場を目指し猛特訓中。熊本県代表選考会に臨むメンバーを、お笑い芸人しゃかりきの二人が応援に訪れる。(初回放送:2023年1月)
 この放送を見ながら、昨年7月29日のブログに次のような記事を投稿したことを思い出した。

 今日の熊日電子版に、3年生が卒業し部員ゼロとなった牛深高郷土芸能部に16人が入部。31日に初舞台を迎えるという記事が載っていた。
 6月2日に行われた熊本県高校総合文化祭パレード・郷土芸能部門の常連である牛深高郷土芸能部と鹿本農高郷土芸能伝承部が妙に寂しかったことが気になっていた。
 牛深高については今日のニュースで事情がわかってホッとした。一方の鹿本農高も31日から東京で始まる「とうきょう総文2022(第46回全国高等学校総合文化祭)・郷土芸能部門」に出場することが決まっているので部員も揃ったのだろう。郷土芸能は伝統を繋いでいくことが大変だと聞く。両校とも頑張ってまた次の世代に繋いでいってほしい。


 今日の番組を見て、牛深高郷土芸能部や鹿本農高郷土芸能伝承部を始め、郷土芸能の伝承に励む各学校の生徒たちを応援しなければという気持がより強くなった。


熊本県代表選考会における牛深高校郷土芸能部


人力車のはなし。

2023-03-24 20:58:24 | 歴史
 最近、加藤神社付近で人力車に乗った観光客をよく見かけるようになった。全国の観光地で人力車は今や欠かせない観光のアイテムになったようだ。熊本では「肥後力俥」さんが頑張っておられる。
 明治時代中期、熊本で五高教師として暮らしたラフカディオ・ハーンや夏目漱石などのエピソードには人力車が欠かせない。そんな熊本における人力車の歴史を熊本県大百科事典より転載してみた。

 人力車は明治3年(1870)3月に東京で製造が許可されると、たちまちのうちに全国主要地に普及した。県下の人力車第1号は4~5年、東京から移入された。県当局が熊本洋学校のお雇い外人教師ジェーンズの乗用車として購入したのがはじまり。急激な普及で6年5月には県は早くも取り締まり規則を定め、翌年には賃銭の規程を定めた。9年には「人力車夫営業規則」を定めて、交通事故の多発による規制を強めた。20年には離島の天草を除く県下全郡に及び2500台に達する。熊本市内では人口33人に1台というすさまじい普及をみたが、27年をピークとして次第に下降線をたどり、郡部における乗合馬車、熊本市内では軽便鉄道の登場、大正末年には自動車、自転車、バスが普及し、市電の開通で決定的に凋落する。大正末から昭和初年にかけて失業車夫の救済は重大な社会問題となった。

2016年4月13日「漱石来熊120年」記念行事の一つとして上熊本駅から人力車で京町を通り新坂を下る場面が再現された。

2012年3月31日「城下町くまもと時代絵巻」において熊本の歴史を彩った偉人たちが人力車で登場

役者寺と熊本能楽の行く末

2023-03-23 21:50:51 | 伝統芸能
 一昨日、花園公民館図書室へ借りていた本を返しに行ったついでに本妙寺の桜の開花状況を見に行った。ソメイヨシノはまだまだの状態だったが、本妙寺大本堂や塔頭・東光院の枝垂桜は見ごろになっていた。桜馬場を歩いていると塔頭・妙心院の本堂に入って行く人が数人見えた。遅れてきた一人の女性に声をかけてみると「彼岸の法要」があるのだという。数年前、この本堂で金春流中村会の仕舞や連吟を見たことを思い出した。
 この妙心院は別名「役者寺」と呼ばれている。その由来について入口の標柱には次のように書かれている。

――当院は、慶長年間に加藤清正公に伴われて来熊した太閤旧家臣で金春流武家能役者中村靭負(五百石)、嫡子同伊織(細川忠利より千石)、分家同作左衛門(二百石)及び江戸時代初期から共に活躍した友枝家、小早川家の菩提寺である。――

 墓地には明治維新後存続の危機にあった肥後の能楽を支えたシテ方喜多流能楽師・友枝三郎の墓や和泉流狂言方・小早川家累代の墓などもある。

 そんなことを考えていると、ふとその前々日に見た熊本城薪能のことを思い出した。この数年、熊本城薪能は観世流が仕切ることになっているようだが、今、熊本の観世流を実質的に支えているのは菊本澄代・美貴の姉妹。たしかにお二人とも上手だとは思うが、見終わってから今一つ物足りなさが残った。7年前に喜多流の狩野琇鵬先生が亡くなられてから熊本の能楽が下火になっているような気がしてならない。


本妙寺大本堂と枝垂桜


妙心院(役者寺)

桜の開花とWBCと

2023-03-22 17:41:17 | 
 今日熊本も桜の開花が発表された。桜の名所「行幸坂」の開花状況を見てみようと歩いて出かけた。満開まではまだ1週間ほどはかかりそうだ。ちょうどWBCの決勝「日本vs米国」が終盤に差し掛かっている時間だったので、スマホで途中経過を確認しながら歩いた。すれ違う観光客もどうやらスマホで野球を気にしながらという人が多いようだ。観光客の中国語と思しき会話の中で「オータニ」という言葉が聞こえた。思わずニヤリとする。家に帰りつく前に決着がついた。今日は村上選手も値千金のホームランを打ったし、九州学院野球部OBの叔父もきっと天国で喜んでいるだろう。
(追記)
 よくよく考えたら叔父が九州学院を卒業し、ノンプロ野球で活躍を始めるのは昭和6年のこと。その3年後、昭和9年にベーブ・ルースら米大リーグ選抜チームが来日、その2年後、昭和11年に日本の7球団により日本職業野球連盟が創立されプロ野球の歴史が始まっている。叔父はきっと日本が米国に勝つ時代が到来するなどと夢にも思わなかっただろう。だから喜ぶというより驚いているに違いない。


行幸坂から熊本城天守閣を望む


備前堀と桜


号外が発行された

最後の熊本城島唄コンサート

2023-03-21 20:00:32 | 音楽芸能
 2001年に始まった「古謝美佐子・熊本城島唄コンサート」は熊本地震や新型コロナなどで中止された年もあったものの、今回で20回目を数え、ラストコンサートが二の丸広場で行われた。僕は2010年から見始め、たしか今回が10回目となる。その2010年に竹の丸で行われたコンサートも雨が降った記憶があるが今日もとうとう最後まで雨が降り止まなかった。その2010年からゲストとして登場した舞踊団花童(当時は少女舞踊団ザ・わらべ)は今回まで毎回出演した。
 「熊本節」「春の唄」「花」「童神」などすっかりお馴染みになった曲が次々と演奏され、雨の中詰めかけたファンから盛んな拍手が送られた。花童は「春の唄」「花」で踊りを添え、またフィナーレを華やかに盛り上げた。
 島唄ファンの一人としてこのコンサートが終わるのはやはり寂しい。


フィナーレ


「春の唄」リハーサル



ムシロば早よう敷かなんたい

2023-03-20 20:41:23 | 音楽芸能
 今日、所用で出かけた帰り、熊本城二の丸の桜の開花状況を確かめてみたくなり、車を停めて見に行った。山桜など数本の早咲きの桜は既に開花しているが、ソメイヨシノはまだ数日かかりそうだ。平日にもかかわらず桜の木の下でお弁当を広げて花見を楽しむグループもいくつか見かけた。明日から雨の予報が出ているが、週末から来週にかけて4年ぶりの花見の人出が見込まれる。熊本地震による熊本城の立入規制エリアも多いので、下の唄「とっとっと」のような場所取りの光景が見られるかも。

ここなら 花見のちょうどよか
ムシロば 早よう敷かなんたい
一杯飲んで 待っとこばい
とっとっと とっとっと ホラ とっとっと


熊本地震前の花見時季の行幸坂

とっとっと」(1998) 作詞:佐藤幸一 作曲:今藤珠美 作調:中村寿誠

熊本は賑やかに春のまつり!

2023-03-18 20:59:09 | イベント
 今日は熊本城二の丸広場で行われている「春のくまもとお城まつり」と花畑町の花畑広場で行われている「熊本城下のさくらまつり」をハシゴした。
「お城まつり」の今日のプログラムは「チアダンスDAY!」。県内の7つのチアダンス団体が一堂に会し競演した。かたや「さくらまつり」の方は古典芸能や郷土芸能、ダンスパフォーマンス、ロックミュージック他と盛りだくさんのプログラム。少々疲れたが本格的な春到来を感じさせた。


二の丸広場「チアダンスDAY!」でチアダンスを披露する九州学院ミリアムズ


「熊本城下のさくらまつり」で山鹿灯籠踊りを披露する鹿本農高郷土芸能伝承部

聖パトリックとハーン

2023-03-17 19:17:28 | 熊本
 今日は「聖パトリックの日」なんだそうな。そういえば数日前、熊本市の街中を「聖パトリックの日」のパレードが行われたというTVニュースを見た。聖パトリックとはアイルランドにキリスト教を広めた聖人で、命日は「聖パトリックの日」としてアイルランドでは盛大なフェスティバルが行われるらしい。熊本はラフカディオ・ハーンの父の祖国という縁があって、25年ほど前に設立された熊本アイルランド協会という団体が主にパレードを実施しているそうだ。
 実はハーンの本来のファーストネームは「パトリック」。父が聖パトリックにちなんで付けたものだそうだが、両親の離婚や生い立ちなどからハーンはカトリックに疑問を抱いており、後年、「パトリック」は使わなかったそうだ。

   アイルランドの代表的な民謡「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」
ルーシー・ホルシュのリコーダーとルートヴィヒ管弦楽団


   僕にとってアイルランドと言えばコレ!「静かなる男」
ジョン・フォード監督 ジョン・ウェイン モーリン・オハラ

さまざまの桜

2023-03-16 20:26:06 | 文芸
 熊本城二の丸広場の早咲きの桜も白い花びらを開き、来週前半には熊本も桜開花宣言が聞けそうだ。
 春の季語「桜」を題材とした名句は数多いが、そんな中から今日三つ選んでみた。

 さまざまの 事思ひ出す さくらかな(松尾芭蕉)

 今、熊本城では「春のくまもとお城まつり」の真っ最中。桜のたよりを聞くと、毎年桜の季節に行われたさまざまなイベントを懐かしく思い出している。

 さくらさくらと 唄はれし老木哉(小林一茶)

 熊本城内の桜も老木が多くなった。ほとんどの桜の幹に「落枝注意」の標識が付けられている。近年、伐採される桜も多くなったようだ。少しづつ代替わりしていけばいいのだが。

 さくら咲いて、なるほど日本の春で(種田山頭火)

 桜の花に気分が高揚するのは日本人だけなのだろうか。コロナも収まりつつあり今年は賑やかな花見風景が見られそうだ。


熊本城二の丸広場の早咲きの桜