徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

城下町くまもとゆかた祭

2022-07-30 18:55:53 | イベント
 今日も熊本は新型コロナ感染者が4,000名を超え、一向に勢いが衰えない。さすがにこの状況を見て夏のイベントが次々に中止となっている。そんな中、毎年この時季恒例の「城下町くまもとゆかた祭」が始まった。街中を行き交う人々もマスクを着け、密を避けるような行動が見られる。びぷれす広場で行われていた舞踊団花童の舞台だけを見て早々に帰路についた。


花童あかり・花童かな


花童もえ・花童はるか・花童あおば


俚奏楽 とうろう ~山鹿とうろう踊りによせて~ 本條秀太郎作詞・作曲

郷土芸能の伝承

2022-07-29 22:08:12 | 伝統芸能
 今日の熊日電子版に、3年生が卒業し部員ゼロとなった牛深高郷土芸能部に16人が入部。31日に初舞台を迎えるという記事が載っていた。
 6月2日に行われた熊本県高校総合文化祭パレード・郷土芸能部門の常連である牛深高郷土芸能部と鹿本農高郷土芸能伝承部が妙に寂しかったことが気になっていた。
 牛深高については今日のニュースで事情がわかってホッとした。一方の鹿本農高も31日から東京で始まる「とうきょう総文2022(第46回全国高等学校総合文化祭)・郷土芸能部門」に出場することが決まっているので部員も揃ったのだろう。郷土芸能は伝統を繋いでいくことが大変だと聞く。両校とも頑張ってまた次の世代に繋いでいってほしい。

 2014年の熊本県高校総文祭パレードにおける両校の様子を振り返ってみた。




涼を求めて

2022-07-28 21:34:13 | 
 猛暑がこうも続くと何にもやる気がしない。何か涼しげな映像でも眺めて気分だけでもリフレッシュしようと、YouTube動画の中から選んだのが下の2本。
 1本目は夏の定番避暑地、菊池渓谷の映像。阿蘇の伏流水を水源とする菊池川上流の清流とその音だけの映像だが、ただじっと眺めているだけで十分に涼しさを感じる。
 2本目は本條秀美さんの新作民謡「ハイヤ追分」に乗せて、海を走る船上からの映像。遠い昔、父に連れられてどこかへ船で行った思い出が甦るようなノスタルジックな映像。




朝のチャレンジ

2022-07-27 22:18:21 | 
 今日は、先日、熊本市の新型コロナワクチンコールセンターに問い合わせてわかった追加ワクチンの受付日。朝8時30分から受付開始なので、5分ほど前からパソコンの前に座り、コロナワクチン予約システムのページを開いて接種券番号やパスワードを打ち込み、開始を待ち構えた。8時30分ジャストにログイン。まず過去3回の接種を受けたかかりつけ医を確認したが追加ワクチンの配布がなかったのか、受付していなかった。近場を探すと最近開業した医院が受付していてファイザーも選択可能だったのですぐに予約処理を行なった。8月29日に4回目接種を受けることになりひと安心。


赤米と鞠智城

鶴岡の地に眠る清正公

2022-07-26 22:18:43 | 歴史
 先週土曜23日は加藤清正公の御逮夜、菩提寺本妙寺では頓写会が行われ、翌24日の御命日には加藤神社で清正公まつりが行われた。残念ながら新型コロナ感染者急増のため御神幸祭は中止となったが、先週末は清正公ゆかりの各地において追悼行事が行われた。

 その中で、嗣子加藤忠廣公の配流先で、加藤家終焉の地となった山形県鶴岡市では清正公没後411年「天澤寺・令和4年清正公本祭」が3年ぶりに開催されたそうだ。これは山形県酒田市にお住いのブログ友・cake様からの情報である。それによれば同じく酒田市にお住いのRicoさんがこの祭に参加され、ブログに詳しく書いておられるとのことだったのでRicoさんのブログを訪問し、記事をつぶさに読ませていただいた。簡にして要を得た文章と鮮明な写真で実にわかりやすい。
 もう10年ほど前になるが、僕の知人が東北地方を旅行し、鶴岡の清正公ゆかりの場所を巡ったことがあった。熊本へ帰ってからの第一声が、鶴岡の人々の清正公尊崇の念の厚さに頭が下がったという話だった。日頃、セイショコさん、セイショコさんと親しみを込めて呼んでいるが、われわれにはいったいどれほどの尊崇の念があるのだろうか、としきりに反省していた姿を思い出す。

 Ricoさんのブログを拝見後、コメントを送ったところ、過去の天澤寺関連の記事アドレスを教えていただいた。
●2021年12月1日
 加藤清正公が眠る山形県鶴岡市『天澤寺』さんへお伺いさせていただきました。
●2016年7月23日
 『清正公大祭お逮夜(丸岡城址・加藤清正公墓碑)2016.7.23』に参列させていただきました。
●2016年4月28日
 熊本城を築いた加藤清正公墓碑のある鶴岡市丸岡『金峰山 天澤寺』へ墓参&募金
●2015年7月18日
 『清正公大祭お逮夜(丸岡城址・加藤清正公墓碑)』に参列させていただきました。

 ひと通り目を通したが、どれも素晴らしい記事ばかりである。


僕の知人が鶴岡旅行の時、もらってきたパンフレット

長唄「加藤清正公」

不思議な高浜虚子の句

2022-07-25 21:35:55 | 文芸
 昨日のブログ記事「オシロイバナ(白粉花)」で取り上げた高浜虚子の俳句

  おしろいを つければ湯女や 五加木(ウコギ)つむ

 という句は不思議な句で、いくつか「??」となるところがある。
 まず、「おしろい」は「白粉」そのものなのか「オシロイバナ」のことなのかハッキリしない。例句集などでは「オシロイバナ」を秋の季語とする句に分類されている。ところが下五の「五加木(ウコギ)」は春の山菜であり季語でもある。つまり「季重なり」となるのだが、虚子が自らの俳句論を著した「俳句とはどんなものか」のなかで「季重なり」はあまり気にする必要はない、てなことを述べている。そのことよりも「オシロイバナ」が咲く秋と「ウコギ」をつむ春のどっちの季節の句なのだろうか。謎である。
 湯女(ゆな)は中世から温泉宿などで始まったらしいが、アカすりや髪すきのサービスをする女性が、今日いうところの風俗産業化し、さらに私娼化して御上の規制を受けるようになるというおきまりの経過をたどる。虚子がおしろいをつけた湯女を見たのは明治・大正・昭和のいずれかの時代だが、ふるさと松山の道後温泉だったのかそれともどこか別の温泉地だったのだろうか。
※右の絵は「千と千尋の神隠し」に登場する湯女


オシロイバナ(白粉花)

2022-07-24 23:14:57 | 日本文化
 夕方、散歩みちの道端に今年もオシロイバナが咲き始めていた。まだ花の数は少ない。オシロイバナは仲秋の季語になっていることを昨年調べたことを思い出した。そういえばあと2週間ほどで立秋。もうそんな時季になっていたのだ。

 昨年調べたオシロイバナを使った俳句には次のような句があげられていた。

  白粉の花ぬつてみる娘かな (一茶)
  おしろいは妹のものよ俗な花(正岡子規)
  おしろいをつけれは湯女や五加木(ウコギ)つむ(高濱虚子)

 これらの句からオシロイバナはどうやら素人女性のイメージではないようだ。

 江戸時代の頃、実際にオシロイバナの種子をつぶして白粉として使っていたことがあるらしい。花びらに鼻を近づけると微かに甘い香りがする。その香りを嗅ぐと花魁道中を思い出すのは、花魁が目の前を通り過ぎて行く時の微かな残り香と似ているのかもしれない。


花魁道中

甥の結婚 ~いつくしみ深き~

2022-07-23 20:51:09 | 音楽芸能
 今日は甥賢太の結婚式。結婚式なんぞに出席するのも10年に一度あるかないかになった。しかも今日はホテル日航熊本でのチャペルウェディング。キリスト教スタイルは何10年ぶりだろう。
 熊本も新型コロナ感染が爆発的に拡大する中、防止策に最大限の神経を使いながらだから準備や進行も大変だったろう。
 チャペルでのセレモニーでは、讃美歌もナマのオルガンやトランペットに女声合唱だからさすがに胸に迫るものがある。讃美歌「いつくしみ深き」は文部省唱歌 「星の界(ほしのよ)」としてよく知っている歌でもあり感動した。クリスチャンでもないのに思わず「アーメン」と口走っていた。




いつくしみ深き 森山良子

グレートラン!

2022-07-22 20:58:45 | 
 今日、新型コロナワクチンの4回目接種案内が届いた。すぐに熊本市の接種予約サイトから予約を試みるがどの医療機関も空いていない。どうしようもないので市のコールセンターに電話してみた。やっぱりファイザー希望だと8月末まで予約がいっぱいだという。じゃあどうすればいいのかと質すと、モデルナだったら少し空きがありますという。3回目までファイザーだったので今さらモデルナは、と言うと、それじゃ毎週水曜日に数は少ないが8月29日以降分の追加受付をやっているのでそれに挑戦してみたらいかがという。ただし、競争が激しいので受付開始と同時にアクセスしても予約できるかどうかわからないという。それしかないなら来週水曜日に挑戦してみるけれど、「西部開拓時代のグレートラン」かッ!と思った。
 またしても政府・行政の対応が後手後手にまわっていることを思い知らされる。

中学時代に見た映画「シマロン」のグレートランのシーン

あの娘が眠る丘

2022-07-21 13:35:35 | 友人・知人
 こんな夢を見た。これは漱石の「夢十夜」の書き出しだが、そんな不思議な夢を見た。

 シチュエーションがよくわからないのだが、どうやら僕が防府に勤務していた45、6年前のようだ。当時所属していた課の慰安旅行で木造の洋風建築に宿泊している。まるで学校の一室のようだ。もちろん実際にはそんなところに泊ったことはない。そして気が付くと僕のそばに一人の女性が寄り添っている。彼女は会社で僕と机を並べていたOさんだ。当時、高校卒業したばかりの18歳だった。
 実は彼女は15年前に48歳で他界している。だが夢の中の彼女は初々しい18歳のままだ。そのうち同僚たちは町へ繰り出していった。そして部屋に残されたのは僕と彼女の二人だけ。この状況はマズいぞ、と思っているうちに目が覚めた。

 2009年の正月、防府時代の同僚からの年賀状によって彼女の死を知った。まだ48歳、あまりにも早過ぎる旅立ちだった。
 1976年の5月、僕は熊本から防府へ転勤し、そこで机を並べたのが新入社員のOさんだった。まだ女子高生そのままの雰囲気だった。明るくて笑顔がチャーミングな娘だった。転勤したばかりで様子がわからない僕に、自分も入社したばかりなのに一生懸命サポートしようとする姿がいじらしかった。その2年後、僕が東京へ転勤した後、しばらくして寿退社をしたという知らせを聞いた。ご主人も僕が知っている人で、子どももでき幸せな家庭を築いていると思っていた。
 訃報を聞いてから数ヶ月後、僕は防府へ墓参りに行った。周防灘へつながる中浦湾を見下ろす小高い丘の上に彼女は眠っていた。28年ぶりの悲しい再会だった。五十路にもまだ届かぬ歳で愛する家族と別れなければならなかった胸中を察するにあまりあるものがあった。真新しいお墓に香華を手向け手を合わせると、机を並べていた頃の、愛らしい顔が微笑んだように思えた。

 今まで彼女が夢に出てきたことは一度もない。なぜ今?あれこれ思いめぐらすうちに夜が明けた。


彼女が眠る丘から中浦湾を望む。遠くに浮かぶ佐波島が寂しげに見えた。

内視鏡検査

2022-07-20 13:42:21 | 
 昨日は1年ぶりに大腸・胃内視鏡検査を受けた。昨年の入院加療の経過観察でもあった。幸い特に異常なし。ひと安心だ。
 大腸内視鏡検査で苦痛なのが、あらかじめ渡されている腸管洗浄液を1.5㍑も飲まなければならないことだ。毎回これがひと苦労。トイレの往復を何度か繰り返し、やっとの思いで水のような排便になったところで病院へ。昨日は大雨の予報だったせいか受診者も少なく、ほとんど待ち時間なしに検査台へ。点滴を挿し鎮静剤が入り始めるとあっという間に前後不覚に。再び気が付いた時はすべてが終わっている。僕はこの鎮静剤がいつも効きすぎるほど効くのでなかなか元の状態に戻らない。家内の送り迎えなのでボーッとしたままでも安心なのだが。生きている間にあと何回かこれを繰り返さなくてはならないのだろう。


泰勝寺山門跡

ガラシャ夫人御廟参り

2022-07-18 21:26:51 | 歴史
 昨日の忌日に行けなかった泰勝寺跡(立田自然公園)のガラシャ夫人御廟に今日お参りした。今年3月に訪れた時、渇水のため涸れた状態になっていた池も雨水が溜り、元の姿を取り戻していてホッとした。また、3月に見た時は、葺き替えられたばかりの茶室仰松軒の茅葺屋根が妙に浮いた感じがしていたが、4ヶ月過ぎるとだいぶ落ち着いた風合いになってきた。
 園内には細川家初代および二代のご夫妻を祀った「四つ御廟」のほか細川藩歴代藩主の墓地があるが、これまで園内で出会った来園者に来園目的をたずねた限りでは、ほとんどの方が「ガラシャ夫人御廟」参りが目的だった。そんな来園者に気を配ってか園内の案内板もガラシャ人気対応になっている。


満々と水を湛える泰勝寺の池の姿を取り戻す


今年3月の泰勝寺の池は渇水のため涸れた状態になっていた


葺き替えられて新しくなった茶室仰松軒の茅葺屋根


園内の案内板もガラシャ人気対応

細川ガラシャ夫人没後422年

2022-07-17 21:21:54 | 歴史
 今日は細川ガラシャ夫人が慶長5年(1600)7月17日に亡くなられて422年の日。泰勝寺跡(立田自然公園)のガラシャ夫人御廟には3月にお参りしたきりなので近々またお参りするつもりだ。
 夫人が詠まれた歌三首をあらためて読み直しお人柄を偲んだ。

▼味土野の山中に幽閉時の歌二首
  • 逢うと見て かさぬる袖の移り香の 残らぬにこそ 夢と知りぬる
  • 身をかくす 里は吉野の奥ながら 花なき峰に 呼子鳥鳴く
▼辞世の歌
  • 散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ


幽閉された味土野

 2016年に放送された大河ドラマ「真田丸」では、細川忠興公の留守宅で、ガラシャ夫人がミサをやっている場面があった。歌われていた讃美歌はグレゴリオ聖歌の一つ「Tantum Ergo/この大いなる秘蹟を前に」。この「Tantum Ergo」が織り込まれている合唱曲「どちりなきりしたん」を久しぶりに聴いてみた。「どちりなきりしたん」とはキリスト教の教義書のことで、作曲家の千原英喜さんが2002年に作曲した組曲。


合唱:熊本大学教育学部附属中学校合唱部

「なすとかぼちゃ」のエトセトラ

2022-07-16 22:45:26 | 音楽芸能
 今日の日テレ「満天☆青空レストラン」はかぼちゃが主役だった。なすやかぼちゃなどの夏野菜が美味しい季節だ。今年百寿を迎えた母はかぼちゃが大好物でつい食べ過ぎるのでわれわれ家族が注意しないといけない。かぼちゃは水分を持ってかれるので喉に詰まらせたら大変だ。
 それはさておき、なすやかぼちゃと聞くとどうしても端唄「なすとかぼちゃ」を思い出す。江戸端唄・俗曲の笹木美きえ師匠によれば

――この唄は幕末より唄い出され、お座敷や寄席でも踊られた。大正まで流行が続き、立花家橘之助が「奥州街道で…」から甚句形式を加えた賑やかな「浮世節」で唄うようになった。――
という。 
 立花家橘之助(たちばなやきつのすけ)というのは明治から昭和前期まで活躍した女流音曲師で、色物(いろもん)でありながら寄席のトリを務めていたという。5年前に女性三味線漫談の三遊亭小円歌が80年ぶりに二代目として立花家橘之助の名跡を継いだ。「浮世節」というのは初代立花家橘之助の唄い方や三味線奏法のこと。
 立花家橘之助人気もあって「なすとかぼちゃ」も広く人気を博したようだが、この唄の最後に「汽車は出て行く 煙は残る 残る煙が癪の種 コリャコリャコリャ」というような一節を加える場合があったという。この歌詞は明らかに「船は出てゆく 煙は残る 残る煙が あー痛たったった しゃくのたね」と唄う「品川甚句」の引用と思われる。「品川甚句」も立花家橘之助の得意な曲目だったので調子が乗った時のサービスだったのかもしれない。


端唄「なすとかぼちゃ」


品川甚句

お盆の挨拶回り

2022-07-15 21:50:35 | 
 今日はお盆の親戚挨拶回り。午後から雨が降り出すとの予報だったので早めの昼飯を済ませて出発。玉名の妻の実家に向かう時いつも景色を眺めるポイントに立つ。玉名平野から遠く二ノ岳・三ノ岳を望むこの景色が大好きだ。田んぼは田植えが終わったばかりのようだ。これが3ヶ月後には下の写真のような風景になる。天気はますますあやしくなってきた。先を急ごう。
 玉名からの帰り道、とうとう雨が降り出した。ニュースでは今夜から明日にかけて熊本を含む九州北部は線状降水帯に入ることが予想されるという。熊本市内の挨拶回りは先延ばしして帰宅することにする。帰り着いた頃、雨は激しさを増す。


今日の田んぼの様子とはるか遠くの二ノ岳・三ノ岳


秋にはこんな景色に変わる